27.血塗られた伝説



 翌朝、あまりの寒さのため、夜が明ける前に目が醒めた。
「おー、さぶさぶ」
「寒くて死にそうだ」
「術が切れたみたいだな。掛け直すから、ちょっと待っててくれ」
 ムーンはサントスの楯を手にすると、諸物耐久の呪文を唱え始めた。ファントムたちはかじかんだ手で急いで火を起こし始めた。
「やっぱり魔法は効いてたんだな。こんなに寒いなんて、昨日はちっともわからなかったよ」
「体の芯まで凍えちまったぜ」
「少しはエルフの魔法を見直す気になったかい?」
「ああ、見直した、見直したよ」
 腹ごしらえをしているうちに魔法が効いてきて、全員洞穴の外へ出た。
「あたしたちで何とか道具を手に入れてくるから、あんたたちはゆっくり登って来なよ」
 四人の女鳥人、黒羽のコーディア、白羽のウミアット、茶羽のセミリエとクリッシーは、翼を広げて飛び上がると、あっと言う間に崖の向こうへ消えてしまった。
「鳥人が羨ましいや」
 凍りついてつるつるとよく滑る急な岩場を、ファントムたちは悪戦苦闘しながら登って行った。しばらく行くと、谷間が絶壁に行き当たった。
「駄目だ。行き止まりだ」
「滝だ。凍ってるけど」
「一ジート(プレトの長さの単位、一ジート=十七メートル前後)はありそうだな」
 ドラドが絶壁を見上げて目測で見当をつけてみる。
「おまけに絶壁で凍りついてる」
 そう言いながら、ムーンは周囲をキョロキョロと見回してみた。
「一ジートってどれくらい?」
 長さの単位がよくわからないので、ファントムはドラドに訊いた。
「あれくらいだ」
 ドラドは目の前の絶壁を指差した。
「ああ、そうか」
 みんな揃って吹き出した。
「こりゃどう見ても登れっこねえぜ。かと言って、ムーンの空飛ぶ呪文だけは遠慮したいしな」
「もうそれは言うなよ」
 ムーンはオクスの方を向いてふくれた。
「今更引き返すわけにもいかないだろ」
 ドラドはそう言うと、背負っていた小さな袋を下ろし、素早く開いた。
「盗賊の秘密の道具を使うとするか」
 袋から取り出したのは、細めの綱と、小さな鉄の杭数十本に、金槌だった。
「こんな高い所をよじ登るのは、俺様でも初めてだ」
「ちょっとロープが細いんじゃねえか?」
 オクスが綱を引っ張ってみて、幾分不安そうに言うと、ドラドはオクスの手から綱を引ったくった。
「こいつは滅多なことじゃ切れねえよ。そういうふうに職人に作らせてあるんだ。心配するなって。それより、登ってる途中で足を滑らせねえように気をつけるこった。こいつは城や砦に忍び込むためにあるんだが、こんな所で役に立とうとはな」
 そう言いながら、ドラドは手にした金槌でもって、鉄の杭を岩壁に打ち込み始めた。ドラドは鉄杭に足を掛けながら、上へ上へと鉄杭を打ち込んでは、器用に綱をくくりつけていく。しばらく三人が見とれているうちに、ドラドはとうとう崖の上まで行ってしまった。
「先に荷物を引き上げてやるから、こいつに結びつけろ」
 そう言うと、上から綱の残りを投げ下ろしてきた。荷物と武器を引き上げ終えると、ファントムから順に崖を登り始めた。綱につかまり、鉄杭に足を掛けながら登って行くと、あれだけ高く見えた絶壁でも、わけなくてっぺんまで辿り着くことができた。
「何してんだ。早く上がって来い!」
 絶壁を登り終えたオクスは、最後に残ったムーンがなかなか上がって来ようとはしないので、崖下に向かって大声で怒鳴った。催促されたムーンは綱につかまって少しよじ登ろうとしてみたが、少し登るとまた下に下りてしまった。
「ぐずぐずすんじゃねえ! 何もたついてやがんだ!」
「俺にはちょっと無理だ。そこまで行く自信がないよ」
 ムーンが崖の上に声をかけてきた。
「ったく、世話の焼けるガキだぜ」
 ドラドはまた綱を投げ下ろした。
「そいつをてめえの腰に縛りつけろ。引き上げてやっからよ」
 ムーンは言われた通りにしたが、三人で綱を引き始めると、途端にぎゃあぎゃあとわめきだした。
「あんまり乱暴に引くなよ。落ちたらどうすんだ。あっ、綱が岩の角に当たってるぞ! すり切れそうだ!」
「るっせえ、黙ってろ!」
 三人は綱を力任せにぐいぐい手繰り上げた。ムーンはあっと言う間に上がって来た。
「見晴らしは良かったかい?」
「ほんとに……死ぬかと思ったよ」
 ほっとして前を見ると、また急な岩山が続いていた。
「やれやれ、宝冠を手に入れるためとはいえ、どれだけ苦労しなけりゃならないんだ?」
「こんなの苦労のうちに入んないさ」
 今登って来た絶壁ほどではないが、ごつごつとした岩ばかりが急斜面を形作っていて、その表面には雪が凍りついている。その先には青空が見えるだけだ。
「とにかく登るしかなさそうだな」
 四人は荷物を背負い直し、武器を背中に縛りつけると、凍った岩にしがみつきながら、急斜面を登り始めた。ある時は真っ直ぐ進み、ある時はそうはいかずに横に進んで登り易そうな足場を捜しては、ゆるゆると山頂の方角へ向かって進んで行った。凍りついた岩は冷たく、何度も滑って足を踏み外しそうになった。そうやって悪戦苦闘しながら進んで行くと、真下が断崖になっている所に出た。
「ここで滑ったら、どうやったって助かりっこねえな。今までの苦労が水の泡だ」
「縁起でもないこと言うなよ」
「どうしてもここを通らなきゃならないのか? 他にも道はあるだろう?」
 ムーンは崖の下を見て、またもや怖じ気づいたようだ。
「ここを登ってくしかないだろ。他の所は急すぎる」
「ああ、こんなことだとわかってたら、初めからついて来なかったのに」
「今更泣き言言うな」
 四人が断崖の上に取りついて、肝を冷やしている途中で、先程まで晴れ渡っていた空が急に曇った。気がつくと周りにはもう霧が出ていて、遠くが見通せなくなっていた。しばらくのろのろと登っていたが、また急に霧が晴れた。ところが次には風が出て、たちまち雪が降ってきた。降って来たと言うより、断崖の下の方から風に乗って猛烈な勢いで吹き上げて来たと言った方が良い。
「なんだ、この雪は? 下から上に降ってるぞ」
 岩にしがみつきながら、振り返って見てみると、確かに雪が地の底から湧き上がり、天に向かって昇って行くように見える。その雪の粒がバチバチと音を立てて顔にぶつかり、顔じゅう痛くてたまらない。四人はしばらく岩にしがみついたまま、猛吹雪が去ってくれるまでその姿勢のまま耐え忍んでいた。

 しばらく我慢していると、風が緩んできた。
「さあ、さっさと登っちまおう。いつまでもこんな所でじっとしてると、凍え死にしちまうぞ」
 ドラドはどんどん先に登って行く。
「おい、待ってくれ、ドラド。あんまり急ぐなよ」
 そう言っていると、後ろでわあっ、と悲鳴がした。驚いて三人が振り返って見たが、後ろからついて来ているはずのムーンの姿がなかった。
「やばいぜ、いなくなりやがった」
「ムーン! おい、ムーン! どこだー!」
「あの下に落ちてたら助からねえぞ」
 三人はしばらく辺りを捜してみたが、ムーンは見つからなかった。首を伸ばして断崖の下を覗いてもみたが、谷底は霧で煙っていて何も見えない。
「駄目だ。どこにもいないぞ」
「谷底に落ちたとしか考えられないな」
「じゃあ、下まで下りて捜そう」
 ドラドは呆れたと言いたそうにファントムの顔を見た。
「馬鹿。この下に落ちて、生きてるはずがあるもんか。そんなことしてると、明日の朝魔法が切れた時には、俺たちも凍え死んで全滅だ。早く宝冠を手に入れて、一人でも生き延びて持ち帰ることが肝心なんじゃねえか」
「だからって、このままほって行けるか」
 ファントムはドラドを睨み返した。
「おまえって奴は、理屈のわからねえ奴だな。いいか――」
「行きたければ、おまえ一人で行け。仲間を見捨ててまで、宝冠なんか手に入れたいもんか!」
「綺麗事言ってる場合じゃねえぞ。俺たちが置かれた立場を考えてみろ。魔法使いはいないんだ。時間は限られてしまったってことだ。あいつを捜すって言ったって、だいたいどうやって下まで下りるんだ?」
「どうやってでも下りる」
「それで、あいつの死体を見つけたら、担いで帰るってえのか? そんなことしてたら、俺たちみんな死んじまうって言ってんだ! このわからず屋!」
「だったらおまえ一人で生き残れよ」
「けっ、おまえがここまで馬鹿だったとは思わなかったぜ」
 ファントムとドラドが激しく言い争っていると、突然オクスが、
「いてっ!」
 頭を押さえた。カランカラン、と何かが岩の上を転げ落ち、途中で引っ掛かって止まった。オクスはそこへ行って、落ちて来た物を拾い上げてみた。
「短剣だ。こりゃ、ムーンのじゃねえか?」
 ファントムとドラドも、オクスの手にした短剣に注目した。
「なんでムーンの短剣が空から降って来たんだ?」
 オクスは不思議そうに空を見上げた。
「ん? 何かいるぞ」
 そう言っている間に、大きな物が灰色の空から降って来た。思わずオクスはそれを両腕で受け止めたが、落ちて来た物の勢いがあまりに強かったので、バランスを崩して足を踏み外し、岩場を転げ落ちて行きかけた。それを見て、ドラドは咄嗟に跳躍すると、下の方の岩場にサッと降り立つや、転げ落ちて行くオクスの襟首をガッと引っつかんだ。
「おーい、ファントム、助けろ! 俺一人じゃとても支えきれねえ」
 ファントムも慌てて岩場を下った。オクスは落ちて来た物を抱き抱えたまま、崖っぷちで辛うじて止まっていた。
「あれ、こいつはムーンじゃねえか」
 オクスは自分がつかんでいる物を見てから、驚いて大声を上げた。
「やあ、オクス。俺はこんなところで何してんだ? どうしておまえに抱かれてるんだ? もしかしておまえ、変な趣味持ってるんじゃないか?」
「何言ってんだ、バカ!」
 オクスはカッとなって、ムーンの顔目がけて怒鳴りつけた。すると今度はドラドが二人に向かって悲鳴に似た怒鳴り声を吐いた。
「バカはおまえら二人だ。気がついてるんなら、自分たちで上がって来い。もう俺の踏ん張りも限界だ!」
 オクスとムーンは、自分たちの足の裏が何も踏んでいなく、断崖の上に突き出しているのだと気づいた途端、我に返り、慌てて岩にしがみついた。
「ったく、てめえらはどこまでもおめでたい奴らだぜ、全く」
 崖っぷちから這い上がると、オクスとムーンはさすがに冷や汗がどっと噴き出すのを感じ、しばらくは生きた心地もせず、力が抜けて岩の上にへばりついていた。
「危ないところだった」
「そう言うおまえは、なんで空から降って来たんだ? てっきり崖の下に落ちたもんだと思って諦めてたところだぞ。一人でこっそり魔法を使って空を飛んだのか?」
「いや……魔法なんか使った覚えはないんだけど、急に体がふわっと宙に浮いたんだ」
 すると、上空で何か獣の鳴き声のような音がした。四人は揃って空を見上げた。
「あっ、あいつだ、ガーゴイルだ」
 ガーゴイルが一匹、四人の頭の上を飛び回っている。
「するってえと、ムーンはガーゴイルにさらわれたってことか」
 見ているうちにもう一匹飛んで来た。それは人間が空を飛んでいるように見えた。そいつはたちまち手にした棍棒でガーゴイルを追っ払ってしまった。棍棒でぶたれたガーゴイルは、かん高い鳴き声を上げながら飛んで行ってしまった。
「なんだ、あいつはウミアットじゃないか」
 空の色に溶け込んでいて、初めは翼が見えなかったが、紛れもない白羽のウミアットだった。
「あんたたち、まだこんな所をうろついてたの。呑気なもんね。こっちはもうとっくに用意ができて、寒空の下をまだかまだかって震えながら待ってるっていうのに、なかなかやって来ないと思ったら――」
「言ってくれるぜ。こちとら、おまえさん方みてえに羽が生えてるわけじゃねえんだ。俺たちがどれだけ苦労してるか、鳥人のあんたにはわからねえだろうけどさ」
 ウミアットは白い羽をばたつかせて降りて来た。
「おまけにこいつがガーゴイルの畜生に捕まるわ、崖から落ちかけて死にそうな目に遭うわで、この山を歩いて登るってえのは、そりゃ並大抵の努力じゃ足りねえんだぜ」
 オクスが一通りまくし立てるのを聞くと、ウミアットは一つ頷いて、
「いいわ。そこで待ってなさい。上まで運んであげる」
 そう言い残し、またサッと飛び立つと、あっと言う間に空の色の中に溶けてしまった。

 しばらくのろのろと進んでいるうちに、早くもウミアットが戻って来た。今度は黒羽のコーディアに、茶羽のセミリエとクリッシーも一緒だった。
「何もたもたしてんのさ。人間ってのは、全く不便な生き物だね」
 コーディアはそう言うや、ファントムの片腕をつかんだ。すかさずウミアットも反対側から腕をつかむ。あっと言う間にファントムの体が宙に浮いた。セミリエとクリッシーは同じようにしてムーンを引き上げると、たちまち山頂の方へと飛んで行く。
「もう一度来るけど、あなたたち二人はもうちょっと上まで登って来てね。特にあなた、重そうだから」
 クリッシーは振り返ると、オクスの図体を見てそう言った。
 ファントムとムーンがつかまれて飛んで行くと、あれよあれよと言う間に山頂の近くまで来てしまった。そこには開けた場所があり、小さな湖があった。湖は凍っている。その向こうにはまた崖があり、その高い絶壁の上に城らしき物が見える。建築したものではなく、絶壁をくりぬいて城砦にしたものだ。
「この湖がスヴァンゲル川の水源か。あれはヒスル族の王宮か?」
 平地に降ろされると、天然の要害を見上げてファントムが訊いた。
「そうよ。オクスとドラドを連れて来るから、しばらくそこでじっとしてるのよ。王宮の奴らに見つかるといけないから、岩陰に隠れときなさい」
 コーディアがファントムに向かって言うと、四人の鳥人たちは早々と下の方へ向かって飛んで行ってしまった。岩陰で城の様子を窺いながら待っていると、しばらくしてコーディアたちがオクスとドラドを運んで来た。
「重いったらありゃしないよ!」
 上まで来ると、コーディアとウミアットはオクスを放り出した。
「こいつは楽ちんだった。こんなことだとわかってたら、麓から鳥人に運んでもらうんだったな」
「例の物は用意できたか?」
 ドラドが訊くと、セミリエとクリッシーの二人が飛んで行って、岩陰から大きな櫃を運んで来た。
「こいつをどうしようってんだ?」
「まあ、おまえたちは城の奴らに見つからないように、ここでおとなしく待ってな」
 そう言うと、ドラドは櫃の蓋を開けて、その中に入ってしまった。茶羽のセミリエとクリッシーが再び蓋をすると、その櫃の把手を両側からつかんで飛び立った。見ているうちに、高い絶壁の上にある王宮の入口の所まで飛んで行った。入口にいる番兵の鳥人としばらく話していたが、すぐに中へと櫃を持って入って行った。
 岩をくりぬいて造られた天然の城砦とはいえ、鳥人の王宮内は粗削りなものではなく、内部は整然とした巨大な王城であった。セミリエとクリッシーの二人は怪盗ドラドを入れた櫃を提げ、宝物蔵の前までやって来た。
「その櫃の中身は何だ?」
 宝物蔵の番人が訊いた。
「分捕った財宝よ」
 セミリエが答えた。
「蓋を開けてみろ。中身を検める」
 途端にセミリエとクリッシーは両眼を剥いて番人を睨みつけた。
「何だって! たかが蔵番の分際で、王様の宝を検めようだって!」
「あんたにこの宝の目利きができるって言うのかい?」
「このことを王様に言いつけてやろうか? 蔵番ふぜいが、王様が見る前に財宝の検分をしていますって」
 二人に脅され、番人は青くなった。
「わかった、わかった、わかったよお。さっさと入れて出て来い」
 番兵は蔵の錠を外して扉を開いた。セミリエとクリッシーは再び櫃の把手をつかんで宝物蔵の中へと入って行く。
「近頃の女は強くなったもんだ。全く敵わねえや」
 外で番人がぼやいているのを尻目に、宝物蔵の中へと入ったセミリエとクリッシーは奥まった所へ行くと、櫃の蓋を開いた。中からドラドが出て来る。周囲を見回して、
「結構ありそうだな」
 セミリエとクリッシーはもう一度櫃に蓋をした。
「少々時間がかかりそうだが、日暮れ前までには何とか見つけ出す。その頃もう一度迎えに来てくれ」
 ドラドが小声で囁くと、二人は黙って頷き、再び櫃を提げて出て行った。二人は空になった櫃をわざと重そうに運んで行った。
「ちょっと待て」
 番人は二人の様子を怪しんで、
「蓋を開けろ。中は空だろうな?」
「何冗談言ってんのさ。あたしたちが宝を持ち出したとでも思ってんの?」
「やましくないなら開けてみろ」
 二人はムッとした様子で櫃の蓋を取った。
「さあ、見てみなさいよ。何か入ってるとでも言うのかい?」
 番人が櫃の中を覗くと、もちろん中は空っぽだった。
「もういい、行け!」
 気まずくなって、番人はつっけんどんに言った。セミリエとクリッシーは蓋を元に戻すと、櫃を提げ、
「近頃の鳥人の男は疑り深くなったもんよねえ。女性に対する礼儀一つわきまえてないんだから」
「ほんとにそうよねえ」
 皮肉を残して去って行く。
「けっ、口の減らない雌鳥どもが!」
 二人の後ろ姿に向かって苦々しげに言うと、番人は背中の羽をばたつかせた。

 宝物蔵の中のドラドは早速宝冠を探しにかかったが、扉が閉じられた蔵の中は真っ暗で、光一つない。いくら暗い場所が得意だと言っても、これではどうしようもないので、持って来た蝋燭に火種から火を移した。棚に並べられた鳥人の財宝、床に所狭しと置かれた財宝の数々を次々に灯で照らして眺めていくうちに、ドラドの表情は驚きのそれへと変わっていった。
「こりゃすげえ……。セルパニの宝物蔵だってこんなに凄くはないだろう……」
 端から順に確かめていったが、富の宝冠らしきものはなかなか見当たらない。
「もしかすると、ここにはないのかもしれねえな」
 そう呟いてふと見ると、隅にある大きな櫃の中に、錆びついた鉄の胸当てや兜が、埃を被って雑然と放り込んであるのに気づいた。一つ一つ取り出して見てみる。毛織物の衣服や、馬に着ける鞍とか、木彫りの仮面、ひびの入った土器の壺など、がらくたばかりが出て来た。
「鳥人には役に立たねえ代物ばかりか」
 ところがそんな中に、冠らしき物が埋もれているのが見えた。急いで手に取り、蝋燭の灯を近づけてみる。冠は思ったより軽かった。全体が金色をしているが、どうやら金でできているのではなさそうだ。その金も所々で剥げてむらがある。
「金箔を貼ってあるだけか」
 全体に微細な透かし彫りの細工が施されていて、人や動物のような模様がたくさんあるが、宝石の類いは一つとして使われていない。これに違いないとピンと来た。念のため他の財宝も一つ一つ調べてみたが、他には冠の類いは一つも見当たらなかった。
「宝の持ち腐れか。鳥人にはつまらない物としか思えなかったんだろうな」
 そう一人で呟いていると、扉の方がガチャガチャと鳴ったので、ドラドは急いで灯を吹き消し、櫃の一つの陰に身を隠した。セミリエとクリッシーが戻って来たようだ。
「これで終わりか?」
「まだよ」
「えっ、まだあんのかい。もう日が暮れちまうぞ」
 番人が中に向かって呼びかけた。
「まだあるのよ。もう一度運ばないと」
「早くしてくれよ。休めねえじゃねえか」
「だったらさっさと行っちまいなよ。別にあんたなんかに用はないからさ」
「そうはいくかい。おいらはこの宝物蔵を任されてんだ。おまえたちなんかを勝手に入れられるもんか」
「じゃあ、勝手にしなよ」
 セミリエとクリッシーは、蓋を開けて中身を取り出しているふりをした。いつの間にかドラドがそばに忍び寄って来ていた。
「いいか、次はこうするんだ」
 そう言って、小声で何事か囁いた。
「まだかよ。早くしてくれねえかなあ。腹が減って――」
「もう終わりだよ」
 二人は櫃に蓋をすると、また出口の方へ向かった。
「蓋を開けろ」
「何だい、まだ疑ってんのかい。いい加減にして欲しいね」
「しょうがねえだろ、それがおいらの役目なんだからよ」
 二人が蓋を取ると、番人はひょいと中を覗き込んだ。
「気が済んだかしら?」
「ああ。早く行って帰って来い」
「じゃあねぇ」
 二人は櫃を再び持ち上げたが、その時セミリエがふと気づいたように、
「あっ、いけない。手袋を置き忘れて来ちゃったわ」
 番人が錠をはめ直そうとしているのを止めて、そのまま蔵の中へと引き返して行く。
「おい、早くしろよ。おいらはめしが食いたいんだって言ってるだろうが」
「ちょっと待ってよ。手袋を忘れると、霜焼けになっちゃうわ」
 そう言いながら引き返して来たところに、ドラドが素早く蓋を開けて櫃の中へと飛び込んだ。二人は上から蓋を押さえつけた。それからセミリエは自分の腰帯にぶら下げていた手袋を片手でつかんだ。
「ああ、あった、あった」
 そのまますぐに出入口へと引き返す。
「もう一回戻って来るから、ちゃんと待っててよ」
「早くしてくれよ」
 番人は何も疑いはしなかった。セミリエとクリッシーは、ドラドと宝を巧く宝物蔵から持ち出すことができた。
 ところが王城の出入口までやって来た時、
「待て。櫃の蓋を取って中身を見せろ」
 出入口の番兵が槍を横に構えて二人の行く手を遮った。今まで何もしなかった出入口の番兵が、ここに来て急に余計な注文を突きつけてきたのだ。セミリエとクリッシーはドキリとしたが、
「中は空っぽよ。今し方蔵に宝を降ろしてきたところだもの……。それとも、何か入ってるとでも言うの?」
 と、とぼけてみせた。
「いいから開けろ」
 番兵は聞く耳持たない。二人は何だかんだ言ってしらばっくれていたが、
「怪しいな。だったら俺が開けてやる!」
 やにわに番兵は櫃の蓋を両手でつかんで持ち上げた。
「グわッ!」
 次の瞬間にはドラドの拳が飛び出して、それをまともに顎に食らった番兵は、仰向けにひっくり返って伸びていた。
「仲間に気づかれたらやばい。早いとこ逃げるんだ」
 そう言ってドラドはまた櫃の中に潜った。セミリエとクリッシーは櫃をつかむと、急いで王城の出口から飛び立った。
 湖の向こうまで降りて来ると、隠れていたファントムたちが現れた。
「どうだった?」
 蓋を押し開けてドラドが顔を出し、冠を取り出してみせた。
「それらしい物を手に入れた。だけどちょっとした手違いで、番兵をぶっ倒してしまったから、気づかれたら追手を出して来るに違いねえ。とにかく早いとこ逃げちまおう」
「もうすぐ暗くなる。暗くなれば何とかごまかせるだろうけど、もう一つの宝冠も手に入れなければならない。それはきっとあの辺りだ」
 ファントムは、夕闇の中でも西陽を浴びて輝いている、南の方角に聳え立った高い山頂を指差した。
「あそこまで行ってる間に真っ暗になっちまうよ。今晩は尾根伝いに行って、途中で休むしかないわね」
 コーディアが言った。
「いい隠れ場所はねえか?」
 ドラドが訊くと、
「任せときなよ」
「あねさん、どうすんのよ?」
「マーキーの洞窟にかくまってもらうのさ」
「えっ、あんなクソじじいに!」
「あんな変態スケベじじい!」
 ウミアット、セミリエ、クリッシーの三人は揃ってしかめっ面をした。
「何者だ、そのマーキーってのは?」
「鳥人の悪党さ。確かにしょうがない爺さんだけど、金目の物さえ出せば、きっと力になってくれるはずよ。ヒスル王もマーキーには手出しできないだろうし」
「金目の物ならここにいくらか失敬して来てあるぜ」
 ドラドが櫃の中で言った。
「じゃあ早く行こう。マーキーでも何でもいいや。こんな所であの鳥人軍団に襲ってこられちゃ太刀打ちできねえ」
 そう言うと、オクスは斧を肩に担いだ。
「そんじゃあ、あんたたち二人はこの先の奇怪岩の下辺りまで行って待ってておくれ」
「奇怪岩ってどこだ?」
「尾根伝いに行けば突き当たるから。それより先は歩いては行けないよ」
「よし、わかった」
 セミリエとクリッシーはそのままドラドを入れた櫃を持って飛び立った。コーディアとウミアットはムーンの腕をそれぞれ左右から抱えると、続けて南へ向かって飛び立った。四人の鳥人の姿はすぐに闇に紛れて見えなくなった。そのあとを追うように、ファントムとオクスは王城の方に注意しながら、凍てついた岩肌の尾根を進んで行った。

 暗くなって先へ進むのが困難になった頃、前方にそそり立った岩が行く手を阻んでいた。コーディアに言われた通り、しばらくそこでおとなしく待っていると、やがて羽ばたきの音が聞こえてきた。
「コーディア、ここだ」
 羽ばたきの音が下りて来たが、そこには鳥人が何人もいた。
「おまえたちは?」
「マーキーの手下たちよ。あんたたちを連れてってくれるわ」
 コーディアの声がした。途端にファントムとオクスは腕をつかまれた。次には空中に体が浮いていた。
「早くしねえと、吹雪が吹き荒れるぜ」
 鳥人の一人が言った。暗闇の中を飛んで行くと、やがて下の方に篝火が見えた。鳥人たちはファントムとオクスを抱えて降下して行く。
 地上に降り立つと、目の前に大きな洞穴が口を開けているのが篝火に照らし出されていた。雪混じりの風が出て来て、篝火を揺らめかせ始めている。入口で待っていたドラドたちと合流し、洞窟の中へと入って行く。
 洞窟は巨大なもので、広い通路を通ってかなり行くと、大きな空洞に出た。そこには灯が煌々と焚かれていて、大勢の鳥人たちが飲み食いしながら騒いでいた。
「マーキー、例の人間たちを連れて来たわよ。今晩はここにかくまってくれるわね」
 コーディアは、奥の高くなった所に椅子を置いて座っている白羽の老鳥人に向かって声をかけた。
「ヒャヒャヒャ、客人だよ、あんたたちは。安心してくつろいでくれ。ところで、約束の報酬には一体何を頂けるんだ?」
 老鳥人のマーキーは薄気味悪い顔を歪め、抜けた歯の奥から笑い声を洩らすと、片手の杯をぐっと煽り、血走った眼をファントムたちに向けた。
「この中に宝はある。好きな物をやろう」
 ドラドは櫃の蓋を開け、その中に手を伸ばした。
「これなんかどうだい?」
 そう言ってドラドが取り出した物は、キラキラと輝く大粒の宝石がいくつもちりばめられた黄金の高杯だった。
「どれどれ、よーく見せてくれ」
 ドラドはマーキーの手下に金杯を手渡した。手下はすぐにそれをマーキーの所まで持って行った。
「そいつは俺の見たところ、千何百年か前に作られた、グリフスの聖王の杯に違いない。代々のグリフス王以外誰も手を触れた者はいないが、グリフスが亡ぶ数年前に盗み出されたという噂を耳にしたことがある。俺の目に狂いがなければ、そいつはまさしく失われた聖王の杯だぜ」
 マーキーは手にした黄金の高杯を、血走った両眼でねめ回していた。
「ヒャヒャヒャヒャ、こいつをヒスル王からパクって来たって? 面白いのう、ヒャッヒャッ……。他には何がある?」
「なんだ、それでも不満なのか。そいつは金貨二百万とも三百万とも言われてるんだぜ」
「へえー、三百万……」
 オクスとムーンは唖然としている。
「他に何をパクって来たのか見たいんじゃ。他のも見せろ」
「しょうがねえ……。じゃあ見せてやらあ」
 手下が櫃をマーキーの所へ持って行った。マーキーは自分の前に置かれた櫃の中に顔を突っ込んで覗き込んだ。
「ヒャッヒャッヒャッヒャッ」
 しばらく妙な笑い声を櫃の中で響かせていたが、やがて櫃の中から顔を出した。
「どうだい、気に入った物はあったかい?」
 ドラドが訊くと、
「ヒャヒャヒャ、素晴らしい宝ばかりじゃな。ならばこれをもらおうじゃないか」
 そう言ってマーキーが取り出した物を見て、ドラドは慌てて首を振った。
「駄目だ、駄目だ! それだけは駄目だ、それ以外の物ならどれでもいいが」
 マーキーは黙って富の宝冠を櫃に戻した。
「だがしかし、わしは他の物は欲しくもない。わしが欲しいのは――」
 マーキーはファントムの顔をじろりと睨んだ。
「それじゃ」
 マーキーはファントムの右腰に差してあるカーマン・ラムゼリーを指差していた。
「こ、この剣を……?」
「そうじゃ、それ以外に欲しい物はない」
「爺さん、なかなか抜け目ないな。だがな、一晩の宿泊料代わりにカーマン・ラムゼリーを要求するたあ、ちょっと虫が好すぎるんじゃねえか」
 オクスは我慢できずに口を挟んだ。
「だったらここから出て行け。わしは少しも困らん。ヒスル王に盗っ人どもを突き出した方が得だ」
「なんだとおっ!」
 オクスはカッとなって戦斧を振り上げた。周りにいた鳥人たちがたちまち殺気立って立ち上がった。
「マーキー、どこまで欲を出す気だい! 悪党の頭なら悪党らしく、掟を守ったらどうだい!」
「ヒャーハハハーッ、そうさ、わしは悪党だ。だから約束なんか平気で破る」
 マーキーはコーディアに向かって笑い声を飛ばした。
「身の安全を選ぶか、それともその宝剣を選ぶか、二つに一つしかない」
 今までじっと聴いていたファントムが、オクスとコーディアを抑えてマーキーの前へ進み出た。黙って腰からカーマン・ラムゼリーを鞘ごと引き抜く。
「ま、待てよ、ファントム、早まるなよ」
 オクスは驚いてファントムを止めようとしたが、
「富の宝冠を無事に持ち帰るためには、何だってする。カーマンの眼の謎が解けた今となっては、この剣は剣に過ぎなくなった」
「おまえ、本気で言ってんのかよ。謎が解けたからって、その剣の価値は少しも下がっちゃいねえぜ。そんな大業物は、一旦手放したが最後、二度と手に入らねえぜ……」
「確かにこの剣のお蔭で、俺は何度も命拾いした。愛着はあるし、惜しくないと言えば嘘になるよ。だけど俺にしたって、たまたまこの剣を青い森の盗賊から手に入れただけなんだ。特に俺のものってわけでもないさ」
「おいおい、そんな綺麗事なんか、年取ってくたばる寸前になってから言えよ。俺は剣を使わねえが、それでも惜しいぜ。俺ならそいつを絶対に手放さないぞ。もしこの鎮魂の戦斧を出せって言われたら、俺は絶対に断るぜ。富の宝冠をくれてやった方がましだ。ましてやこの世に二つとないカーマン・ラムゼリーをくれてやるなんて!」
「もう何も言わないでくれ。手放せなくなってしまうじゃないか。富の宝冠はこの世の貧困をなくしてしまうんだ。その力は、剣一本なんかとは代え難いものだ」
 マーキーはそのやりとりを聴きながらニタニタしている。ファントムはカーマン・ラムゼリーをマーキーの前に差し出した。
「身の安全を選ぶ。ヒスル王の追手が来たら防いでくれ」
 マーキーは舌なめずりしながらカーマン・ラムゼリーを受け取った。しばらく涎を垂らしながら柄から鞘まで眺め回していたが、急に鞘から剣を抜くと、やにわに立ち上がり、近くにあったテーブルに斬りつけた。木製のテーブルが真っ二つに割れ、食い物や酒壜が飛び散った。
「ヒャヒャヒャヒャー!」
 マーキーはカーマン・ラムゼリーをつかんで暴れ回った。近くにいた手下たちは驚いて逃げ出した。近くにある椅子やテーブルを手当たりしだいに叩き切っていく。
「ギャーッヒャヒャヒャヒャア!」
 剣を片手で突き上げてわめくと、あとはおとなしくなって、一人で奥の方へ向かい、広間から出て行こうとした。
「マーキー、覚えときなよ。今日の借りは必ず返すからね!」
 コーディアがマーキーの後ろ姿に向かって怒鳴った。
「ヒャッヒャッヒャッヒャッ、おまえら、ねえちゃんたちの相手をしてやんな。わしは今夜は忙しい」
 マーキーの手下たちがコーディアたちに近寄って来た。
「客に向かって何すんだいっ! あたしたちに指一本でも触れてみな、命がいくつあっても足りやしないよ!」
 コーディアは腰の剣を抜き放った。
「この俺がまとめて地獄へ送ってやらあ!」
 オクスが戦斧を振り回し始めた。鳥人たちはたじろいだ。
「待て。我慢しろ、オクス。今は大事な時なんだ。こいつらを敵に回すな」
 ファントムはオクスを抑えつけた。
「ッキショー!」
「そうさ、お客人、今夜は存分に飲んでくんな」
 鳥人の一人がオクスとコーディアをなだめにかかった。鳥人の悪党たちはまたガヤガヤと飲み始め、宴に戻った。

 翌朝外の様子を窺ってみると、吹雪になっていた。強烈な寒気が洞窟の入口に流れ込んで来て、たちまち凍えてしまいそうになる。奥の間に引き返して火に当たる。吹雪が収まるのを待つ間、ムーンはコーディアたちも呼んで、諸物耐久の術を掛け直した。
「すぐに吹雪もやんで、晴れるわよ」
 コーディアたちはアンデントボーテ山脈の気象を知っていて、別に気にしていない様子だ。しばらく待っていると、吹雪が収まったとマーキーの手下が知らせに来た。次の目的地、もう一つの富の宝冠があると思われる、遠くに見える高い峰の頂上までは、マーキーの手下たちが運んでくれることになった。
「わしは約束したことは必ず守らんと気が済まぬ質でな、ヒャヒャヒャ」
 マーキーは朝になると、ゆうべとは全く正反対のことを言って、助力を申し出てきた。相変わらずカーマン・ラムゼリーを手にしていて、上機嫌のようだ。
 そこに宝冠があるということは既にはっきりしていた。ヒスル族とライル族の鳥人たちは、一番高い峰の頂上近くに一本だけ立っている朽木にぶら下がっている、銀色の冠を手に入れようと、昔から続々と朽木の根元に押しかけ、ことごとく命を落としているという。銀の冠は無造作に枯木の枝にぶら下がったまま、いつまでもいつまでも風に吹かれ、雪に晒され、日に照らされてそこにあり続けているのだ。
「あれは呪われた悪魔の冠よ」
 ウミアットが噂話を語り始めた。
「あんな場所に木が生えてるってこと自体おかしいとは思わない? それも朽木のままで、いつまで経っても倒れないのよ。その理由は、呪われた冠を手にしようと度胸試しに行った若者たちが、冠の守護戦士に挑んで打ち負かされ、魔性の朽木が死骸の血を吸っていつまでも生き続けているからだそうよ」
「冠の守護戦士ってえのは、そんなに強いのか?」
 こういう話を聞かされると、オクスは恐怖を感じるどころか、必ずと言っていいほど闘いの血が騒ぐようだ。
「今までに挑戦した鳥人の男たちの数は、ヒスル族とライル族を合わせて、四千とも五千とも言われてるけど、みんながみんな骨になってしまって帰らなかったって……。守護戦士にだけは気をつけた方が身のためよ」
「あーあ、一つは簡単に手に入ったのに、残る一つの宝冠は、どうしてそんなに難しいんだろう?」
 ムーンがぼやいた。
「あの老人が言ってただろう、一つは鳥人の力を借りて、もう一つは力、技、知識、知恵で奪い取るんだって」
「なるほどね。その四つとも兼ね備えている奴なんてなかなかいないよな。それもよっぽど凄い相手なんだろうな」
「それでもこの世の貧乏がなくなると聞かされちゃあ、退くわけにはいかねえだろ」
 ドラドはそう言うと、身支度を始めた。
 マーキーの手下たちは二人一組でファントムたちを抱えて飛んで行く。
「セミリエとクリッシーはあの人たちのお宝を運んでっておあげ。もしあの人たちがみんな死んでしまった時は、そのお宝はあたしたちのものよ。ウミアット、あんたはあたしとここに残るのよ」
「なんで見に行かないのさ?」
「マーキーに借りを返すのさ。このコーディアを見くびるとどうなるか、あの死に損ないのじじいにわからせてやる」
「一体どうする気、あねさん?」
「あんたは一人でヒスル城へ行っといで、これを持って――」
 コーディアは櫃からグリフスの聖王杯を取り出した。
「セミリエ、クリッシー、あんたたち二人は番兵に顔を見られてるから、ここには戻って来るんじゃないよ」
「それって、つまり――」
「いいわね、ヒスル王の財宝を盗み出した奴は、悪党マーキーの手下の女鳥人だよ。わかったら行きな」
 黙って頷くと、セミリエとクリッシーは櫃を持って峰の方へ、ウミアットは聖杯を持って王宮の方角へとそれぞれ分かれて飛んで行った。コーディアはそれを見送ったあと、一人で洞窟の中へと引き返して行った。

 峰が近づいた。そこには聞いていたように枯木がただ一本立っていて、確かに枝に冠らしき物が引っかけられていた。
「ここで降ろしてくれ」
 四人は峰に降ろされると、ゆっくりと枯木に近づいて行った。一歩踏み出す度に、バキッと骨の砕ける音がする。足元は白骨で埋め尽くされていた。人骨と何ら変わりはないが、翼の形をした骨があるところを見ると、やはり冠の守護戦士に命を奪われた鳥人たちなのだろう。
 吹雪がやんだあと、空は一面に晴れ渡っていたが、また急に霧が出始め、視界が悪くなってきた。冠のぶら下がっている枯木に近づくに従って、枯木の根元に白い霧が集まり始めた。四人はビクッとして足を止めた。霧はどんどん集まっていき、やがて凝り固まったものが人の形を成してきた。
「出たあー!」
「守護戦士だあー!」
 ファントムたちを運んで来たマーキーの手下たち八人は、悲鳴を上げて飛び立ち、根城の方へ逃げて行ってしまった。セミリエとクリッシーは逃げこそしなかったが、離れた所でじっと様子を窺っていた。
 霧はとうとう完全な人の形になった。全身を灰色の鎧兜に覆われていて、その素顔どころか、髪の毛一本見せてはいない。片手には、これまた灰色の鞘、灰色の柄をした剣を握っている。ファントムたちはしばらく黙って守護戦士の出方を見ていた。
「守護戦士に何か用か?」
 やっと守護戦士が喋った。その声が谷間へと不気味にこだましていく。
「あんたに用があるって言うより、俺たちはそこにある冠の方に用があるんだがな」
 オクスが答えると、守護戦士は兜ですっぽりと覆われた首をゆっくりと回した。
「ならば守護戦士に打ち勝たねばならぬ。敗れれば死ぬことになる。私に挑戦する気はあるか?」
「何で勝負する?」
「まずは力比べ。あれを見よ」
 守護戦士はゆっくりと片腕を上げた。守護戦士の指差した大岩が、音を立てながら二つに割れていく。続いて上から別の大岩が転げ落ちて来て、割れ目のちょうど真ん中で止まった。
「守護戦士とあの岩を押し合う。力負けした方は岩に挟まれて潰されてしまうだろう。私の挑戦を受けるのは誰だ?」
 四人は守護戦士の不思議な力をいきなり目の当たりに見せつけられ、目をみはった。
「ここは俺が行くしかねえな」
 オクスは戦斧も、背負っていた麻袋、弓、矢筒も地面に放り出すと、岩の割れ目へと歩み寄った。
「大丈夫か? 敵わないと思ったら逃げるんだぞ」
 ファントムが声をかけたが、オクスは、
「そんなことしちゃあ、男がすたるってもんだ」
 そのまま割れ目に入り、真ん中の大岩と向き合った。守護戦士もゆっくりと歩いて岩の反対側へ入った。
「では行くぞ」
 守護戦士がそう言って手を当てた途端、大岩が動き始めた。オクスも反対側から両手で突っ張って押し返したが、向こう側にはびくとも動かない。岩はだんだん重くなってくる。つまり、守護戦士の押す力が徐々に強くなっているのだ。オクスの踏ん張った両足がずるずると後退しだした。
「オクス、頑張れ! 負けるな!」
 ムーンは大声で声援を送った。
「ハッハッハッハッ、それでも押しているつもりか?」
 守護戦士の笑い声が辺り一帯に響いた。オクスはとうとう背中が後ろの岩壁に触れるまでになってしまった。顔面が紅潮して、たちまち汗が噴き出してくる。
「こりゃやばいぜ」
 ドラドはそう言うと、短剣を引き抜き、守護戦士の背後へと忍び寄って行った。
「手出しすんじゃねえ!」
 ドラドが何をしようとしているのか勘づいたようで、苦しそうに喘ぎながらもオクスは怒鳴り声を上げた。
「しかしなあ」
「引っ込んでろ! 男の勝負に……けちつけんじゃねえ! 勝負は…………これからだ」
 そう強がっている間にも、オクスは前後の岩と岩を両掌と両肘で支えているだけになってしまった。もうあとがない。守護戦士の力は益々強くなっていく。
「どうだ、今降参すれば、命だけは助けてやってもいい。宝冠のことは諦めて、帰れ」
 守護戦士は岩の向こうから言った。
「誰が! このオクス様を見くびってもらっちゃ困るぜ。おりゃあぁぁー!」
 オクスが掛け声を上げると同時に、後ろの岩壁がぽろぽろと崩れた。
「おっ、やった! 行け、その調子だ!」
 オクスは守護戦士を押し返し始めた。岩が大きな音を立てて逆方向へと動き始める。守護戦士は後退していた。両者が手を当てている辺りの岩がぽろぽろ崩れていく。
「行けっ、行けっ、もう少しだ!」
 鉄と岩がぶつかって軋む音がした。
「こいつが最後のおまけだ!」
 オクスが渾身の力を込めて一押しすると、キュキュキュキューという耳障りな音がした。手を放してみても、岩はピクリとも動かない。守護戦士は岩に挟まれて鎧ごと潰れてしまったようだ。
「やったぞ! 勝った!」
 ムーンは万歳をした。オクスが割れ目から出て来る。岩の間を覗くと、守護戦士の鎧が潰れているのがわかった。
「しかし呆気なかったな。これがみんなに恐れられた守護戦士か?」
 ドラドが言うと、オクスは首を振り、
「そんなことはない。こいつは化けもんだぜ。象と押し合ってるような気分だった」
「おめえの方こそ化けもんだ」
 四人が笑っていると、岩が押し戻されだした。びっくりして見ていると、あれよあれよと言う間に鎧が元に戻っていく。完全に元の形に戻ると、守護戦士が喋った。
「良かろう。おまえの勝ちだ。次は技の勝負だ」
「今度は何で勝負する気だ?」
「弓比べ」
「よし、そいつは俺に任せろ」
 ドラドが肩から弓を執った。
「よろしい。ではこの岩の上に乗れ」
「いいだろう」
 ドラドは守護戦士が二つに割った岩の片方に手を掛けると、身軽に跳躍してその上に飛び乗ってしまった。守護戦士ももう一方の岩の上によじ登った。
「で、どうするんだ?」
 守護戦士は何も答えずに、両手を高々と上げた。途端に岩が両方ともずるずると動き出した。二つの岩はそのまま崖っぷちを越えてしまった。しかし落下しないで、空中に浮かんだまま互いに離れていく。適当に距離が開いたところで守護戦士が両手を下ろすと、ドラドが乗っている岩も、守護戦士が乗っている岩も、同時に空中でピタッと静止した。
「矢は何本持っているか?」
 守護戦士が訊いた。
「八本だ」
「よろしい」
 守護戦士は片手に握っていた剣を前方に突き出した。たちまち剣は弓と何本かの矢に変わった。
「あいつはまさしく魔物だぜ」
 見ているオクスが呻いた。
「この空中に浮かんだ岩の上で矢を撃ち合う。隠れる場所はない」
「わかった。だがよう、もしこの俺がてめえを射殺した時はどうなるんだ。この岩は勝手にそっちへ戻ってくれるのか? まさか魔力が失せて、このまま下へ真っ逆さまってなことにはならねえだろうな」
「心配は要らぬ。守護戦士は決して死にはせぬ。射た矢が相手に多く当たった方が勝ちだ。だが、私の矢が当たればおまえは死ぬ」
「けっ、てめえみてえな亡霊の出来損ないに殺られてたまるか。そんじゃあ行くぜ」
 ドラドは背中の矢筒に右手をやり、一度に三本の矢を抜き取った。次には守護戦士に向けて得意の速射を試みた。三本の矢が立て続けに守護戦士目がけて飛んだ。しかし守護戦士はよけもせず、手にした弓でパシパシパシッと、三本とも矢を払い落としてしまった。ドラドが射た三本の矢は、霧のかかった谷底へと消えて行った。
「ハッハッハッハッ、その程度では守護戦士の体にかすりもせぬぞ。ではこちらの番だ」
 守護戦士も右手に三本の矢をつかんだ。一本の矢をつがえて弓を引き絞り、ドラドを狙って放ったあとは、ドラドと同じように残る二本を立て続けに連射した。狭い足場にも関わらず、ドラドは体を交わしたり、しゃがみ込んだりして、守護戦士の射た矢を三本とも巧く後方へやり過ごすことに成功した。
「なかなかやるな。だがこの私の体に矢を当てぬ限り、勝つことはできぬぞ。残った矢は互いに五本ずつ」
 それを聞いてドラドはニヤッと笑った。
「そんじゃあ、てめえに取って置きの奥の手を見せてやる。これが今みたいに払い落とせるかな」
 今度は四本をいっぺんに手に取った。人差し指と中指の間に二本、薬指と小指の間に二本、それぞれまとめて挟み込んだ。
「行くぜ、守護戦士!」
 そう言うと、まず弓に二本を同時につがえた。
「二本まとめて撃つつもりか」
 オクスが呻いた時、ドラドの二本の矢が同時に唸りを上げ、間髪置かずにまた二本が宙空を突き抜けていた。見ていたファントムたちがすかさず守護戦士の方に目をやった時には、守護戦士は弓の中央を持って回転させていた。カカンッ、カカンッ、二本の矢が同時に守護戦士の左右へと散り、続けてまた二本が左右へ散った。
「クソッ!」
 ドラドは歯ぎしりした。
「ハッハッハッ、まだまだ」
 守護戦士の笑い声が谷底へと響き渡っていく。
「残った矢は五本と一本。ではこちらからお返しするぞ」
 そう言うと、守護戦士も右手に四本の矢をつかんだ。ファントムたちにはどうすることもできない。ただただ息を呑んで見守るだけだ。
 守護戦士の放った二本の矢が空を切った。足元に来るという咄嗟の勘で、ドラドは岩を蹴った。二本の矢は岩に当たって弾け飛んだ。しかし着地の瞬間に守護戦士の三の矢、四の矢が立て続けに襲ってきた。しかしドラドは何を考えたのか、交わすことも考えずに、残り一本になった自分の矢を素早く守護戦士目がけて放っていた。
 守護戦士の射た矢の一本がドラドの膝をかすめて切り裂いた。ドラドはバランスを崩して岩から滑り落ちた。しかしさすがに両手で岩にしがみつき、辛うじて転落は免れた。だが、ドラドが射た捨て身の矢に対しては、守護戦士といえども攻撃体勢と防御体勢を同時に取ることはできず、弓で弾き返すことができなかった。ドラドの最後の矢は守護戦士の兜と鎧の継ぎ目に突き立っていた。
「なかなかやるな。私に矢を射当てた者はおまえが初めてだ。これで一対一となった」
 喉首に矢が突き刺さったというのに、守護戦士は平気でいる。
「しかし、残った矢は私には一本あるが、おまえにはもうない。つまりおまえの勝ちはなくなった。ここで降参すれば、命だけは助けてやろう。だが、宝冠のことは諦めてもらう」
 守護戦士は、岩にしがみついて頭だけ出しているドラドに向かって言った。ドラドの膝から血が流れ、霧深い谷底へと滴り落ちていく。
「さあ、どうする?」
 そう言って弓に八本目の矢をつがえ、ドラドの頭に狙いをつけた。
「ドラド、もういい、降参しろ」
「もう充分だ。よくやった。守護戦士に一発お見舞いしてやったじゃねえか」
「もう勝ちはないんだ。これ以上やっても意味はない。宝冠のことは諦めよう」
「ここで殺られたら犬死にだぜ」
 ファントムとオクスは声を励ましてドラドに降参するよう説得した。しかしドラドは頷かなかった。
「撃て、守護戦士! てめえに情けは似合わねえぜ。俺は死んでも降参はしねえ」
「ドラド!」
「潔い言葉だ。では行くぞ」
 守護戦士は抑揚のない声で言うと、手にした弓をきりりと引き絞った。
「待てっ!」
 ファントムが叫んだ時には、既に最後の矢が弓を離れていた。
「あっ!」
 見ている三人は全身を硬直させた。しかしその瞬間、ドラドは目の前に飛んで来た守護戦士の矢を片手でつかんでいた。次の瞬間には岩の上に飛び上がり、自分の短弓を拾い上げると、守護戦士の射た矢をつがえていた。
「お返しだ! 受け取れっ!」
 叫ぶと同時に岩を思いっきり蹴った。
「あっ!」
 ファントムたちは驚いて声を呑んだ。ドラドは空中に飛び出したまま、守護戦士目がけて矢を放った。呆気に取られた守護戦士は慌てて弓を振り、射返されてきた自分の矢を払おうとしたが、至近距離まで飛んでのドラドの予期せぬ反撃に対応が間に合わず、目測を誤った。
 ドラドが捨て身で放った九本目の矢は、守護戦士のかざした弓弦を断ち切り、そのまま守護戦士の額に命中した。カツーンッ、と金属音がして、矢は守護戦士の兜に当たって弾け飛んだ。
「良かろう。一対二で、私の負けだ」
 守護戦士は潔く自分の負けを認めたが、ファントムたちはそれどころではなかった。崖っぷちに身を這い出して谷底を眺めたが、霧に視界を遮られ、墜ちて行ったドラドの姿を見つけ出すことはできなかった。三人はがっくりと肩を落とした。
「おまえたちには守護戦士に挑戦を続ける権利がある。続けるか?」
 誰も返答する気にもなれない。すると、下の方から羽ばたきの音が聞こえてきた。三人はまた谷底を見下ろした。霧の中にあったものがしだいに姿を現してくる。セミリエがドラドを捕まえて飛び上がって来るのだった。
「やれやれ、すんでのところで命拾いした。鳥人のねえちゃん、恩に着るぜ」
 ドラドは生きたまま峰に降り立った。
「あんたは矢が当たってもくたばらないだろ。この勝負にはハンデがあり過ぎるよ。文句あるかい、守護戦士?」
 セミリエが言うと、守護戦士はしばらく黙っていたが、
「別にない」
 それだけ言うと、両手を振り上げた。空中に浮かんでいた岩がたちまち元に戻って行く。
「脚を出せよ」
 ファントムはドラドの傷ついた膝を布切れで縛ろうとしたが、
「余計なお世話だ。ほっといてくれ」
 突っぱねてしまった。
「次は術の勝負だ。受けるか?」
 守護戦士が岩の上で言った。
「術って、どんな術だ?」
 ムーンが訊くと、守護戦士は岩の上に立ったまま両手を組んだ。途端に地鳴りがし始め、峰全体が激しく揺れ始めた。四人は立っていられなくなり、しゃがみ込んで足元の岩にしがみついた。
「おまえたちの求める富の宝冠はすぐそこにある」
 四人はすぐ先に立っている枯木に目をやった。
「だが――」
 その時、ドドーンッ、と物凄い轟音がして、四人がいる所と、宝冠のぶら下がった枯木の間にある地面が全て崩れ落ちた。
「わあー!」
 四人は大いに慌てたが、見てみると、真下が断崖絶壁になってしまい、深すぎて底も見えなかった。霧に煙っている。続いて空から何かが飛んで来た。角の生えた人間の顔をした魚が、大きな胸鰭をバタつかせ、大きな口をパクパクさせながら辺りを飛び回っている。人面魚は百も二百も現れて、ファントムたちの周囲を目茶滅茶に飛び回っている。続いて巨大な蜘蛛が空から垂れ下がって来て、尻から銀色に輝く糸を出しながら、向こうとこちらの断崖の間を隔てるように、空中に網を張り始めた。
 守護戦士は組んだ両手の指を二本ずつ立てた。すると、こちらの崖っぷちから向こうの崖っぷちに向かって、縦横無数の光る道が現れた。
「この中で、ただ一本の道筋だけが本物だ。他は幻で、踏み出せば谷底へと墜落する。先程のことは勝負と関係のないことだったので許すが、今度は鳥人の手出しは認めぬぞ」
 守護戦士にそう言われると、仕方なく、セミリエはクリッシーのいる所へ飛んで行き、見物人に戻った。守護戦士は再び喋りだす。
「泳ぎ回っているこの人面魚どもは餓鬼界の生き物で、おまえたちの姿は見えてはおらぬ。しかし餓魚はそれが何であろうと、自分が衝突した物を見境なく貪り食らうであろう。そしてあの大蜘蛛の糸に触れると、そこからは容易に逃れることはできぬ。蜘蛛は網に掛かった得物が暴れる振動を感じ取り、やがて糸を伝ってやって来ると、毒牙を獲物に突き刺し、その者を食らい尽くすであろう。蜘蛛が巣を張り終える前に真の道を見つけ出し、向こう側へ抜けてしまわねばならぬ。
 勘だけに頼って行くのも良いが、道筋の組み合わせは百万通りもあり、その中でただ一通りだけが真の道筋だ。もし私の術を破ることができれば、真の道筋を見出すことは容易となるかもしれぬ。餓魚の群を交わし、大蜘蛛が網を張り終える前に向こう岸へと辿り着けば、富の宝冠を手にすることは間近だ。さあ、守護戦士の魔力に挑む者はいるか?」
 しばらくしてムーンが口を開いた。
「ここは俺が行くしかないな」
「待てよ。おまえにあの飛び回っている化け物どもが交わせるもんか」
 ムーンは懐に手を突っ込み、
「守護戦士の術を破れるかどうかわからないけど、こういう時のために、エルフの魔法典には『障壁開門』という、神の力を借りる呪文がある。そしてこういう日がやって来る時に備えて、俺は大金をはたいて女神の護符を用意しておいたんだ」
 懐からサッと護符を取り出した。銀製のそれは、長く伸びた六芒星の形をしていた。
「とは言っても、一番安物の金四十の護符だけど」
 ムーンは自信がないようだ。
「しかしなあ、おまえの魔法はあまり頼りにならねえからなあ」
「ムーン、無理することはない。そんな一か八かの勝負はよすんだ。相手が悪すぎる」
「ここで降参すれば、呪いは解いて、命だけは助けてやろう」
 守護戦士がいつもの台詞を吐いた。
「オクスもドラドも命懸けで守護戦士に勝ったんだ。俺だって、俺だって、少しは勇気があるところを見せてやる」
 ムーンは女神の護符を握り締めた。
「強がることはねえよ。やめとけって。敵う相手じゃねえ」
 オクスも止めようとしたが、ムーンは激しく首を横に振った。
「俺はもうただの魔法使いじゃないんだ。冒険者の魔法使いだ。冒険者なら、臆していちゃいけないんだ」
 ファントムはムーンの目をじっと見た。
「わかったよ。じゃあ、これも持って行け。プレトの神が守ってくれる」
 ファントムは懐から自分のプレトの護符を取り出し、ムーンに握らせた。ムーンはそれを受け取ると、黙って頷いてみせた。
「さあ、どうする? 早くしないと蜘蛛が網を張り終えてしまうぞ」
 ムーンはファントムにもらったプレトの護符を自分の懐にしまうと、女神の護符を手にして障壁開門の呪文を唱え始めた。
「天にまします我らエルフが第三位の女神アウロケディーテーよ、我が願いを聞き入れ給え――0t@8hwをxjq:@.d@'3hu.jtekmks@mkedを4ahq@:>0;i6cettoysr.e7dg:q@mks@mをg)4hpd/9>0t@38]^@gqq@dgnaをvtlmwxdd/d<b44yk4@%¥.i9lw0;を3j,heq@g<3jqkg)44ytobknをjmlqj5>bkろh−@4knd.di6ew<eq@eu./t@ng.:¥k4qtqkatoをbctd3q5qj5」
 ムーンが呪文を唱え終えると、編み目のように走った目の前の光の道筋が点滅し始めた。光を失ったり、また光りだしたりを繰り返していたが、やがて一つの道筋だけが点滅しなくなった。ムーンはその唯一光を失わずに輝き続けている道筋へと足を踏み出した。
「頑張れ、ムーン!」
 ムーンは墜落せずに光の道筋の上を歩いていた。最初の縦横交差している所を左へ曲がる。次の交差をやり過ごすと、その次の交差を右へ曲がった。ファントムたちに対して再び背を向けたことになる。そうすると、左手から餓魚が接近して来た。ムーンは落ち着いて体勢を低くすると、難なく餓魚をやり過ごした。再び光の道を歩き始める。
 次の交差を右に曲がる。その次もすぐに左に折れて、またファントムたちに背を向けた。次の交差に差しかかった時、ちょうど正面から餓魚が口をパクつかせながら突っ込んで来た。ムーンは急いで右に折れた。次の交差をまた右に折れる。今度はこちらに正面を向け、逆戻りしていることになる。次の交差を左に折れて進むうちに、右後方から餓魚が近づいて来た。腰ぐらいの高さを飛んでいる。
「来たぞ、後ろだ。伏せろ!」
 ファントムたちが大声を上げて指示する。ムーンは急いで光の道の上に伏せた。
「よし、もういい」
 次の交差を左へ、その次は右へと曲がると、その次の交差の所へ左右から二匹の餓魚が向かって来ていた。一匹は胸の高さ、もう一匹は腰の高さ。
「ああー」
 ムーンはうろたえた。
「焦るな。じっとしてろ。二匹とも先に行かせちまえ」
 オクスの指示でムーンは危機を脱した。次の交差を右に曲がると、またこちら向きになって歩いて来る。その次の交差を真っ直ぐ進むと、何のことはない、ファントムたちの立っているすぐ目と鼻の先の所まで戻って来てしまっていた。
「なかなか向こうへ抜けられないな」
「ああ、思ってたより時間がかかりそうだ」
 ムーンはすぐそこの交差を左へ折れ、その次も左へ折れると、また向こうを向いた。次を右、その次を左、次をまた右、そして一番右端の縦路に出て、左に曲がった。次の三叉を左に曲がり、その次の交差を右に曲がると、巨大蜘蛛が糸を張っている所に出くわした。まだ網は完成していないので、そこは苦もなく通り過ぎることができた。蜘蛛はずっと左の方で糸を出しているところだった。もうそこまで行く間に、何度も餓魚にぶつかりそうになっていた。
 ムーンは次の交差を右へ、その次をまた左へ曲がった。また網をこちらに向かって通らなければならない。糸を跨ごうとしているところに、餓魚が正面から向かって来た。
「気をつけろよ。両方に注意を怠るな」
 餓魚の動きはのろいので、落ち着いていさえすれば、何とかぶつからずに済みそうだ。蜘蛛の糸をこちら側に越えると、交差をすぐに右に折れ、次を真っ直ぐ進むと、また右に折れた。また糸を越えなければならない。そこには道筋のすぐ横に縦糸も張られていた。ムーンは横向きになって横糸を跨いだが、そうすると向こうから餓魚が飛んで来た。一瞬ひやりとしたが、頭を下げて巧くやり過ごした。
 次の交差を真っ直ぐ行き、その次を左、次を真っ直ぐ、次を左に折れてこちらに向き直った頃、蜘蛛が右の方へと進んで行った。道筋の上の横糸が二本になってしまった。ムーンは急いで次の交差を左に曲がり、次を右に曲がった。次はこちらに向かって蜘蛛の糸を二本乗り越えなければならない。餓魚が通り過ぎるのを見計らい、ムーンは助走をつけると、腰の高さまで来ている蜘蛛の糸を飛び越えた。見ているファントムたちは思わず手に汗握った。ムーンのやることは本当に安心しては見ていられない。しかしここまで墜落しないでいるということは、ムーンの魔法が確かに効いているということに違いない。真っ正面にいるムーンは、ファントムたちの方を見てニヤッと笑ってみせた。ファントムたちも思わずニヤッとしてしまったが、
「油断するな」
 そう言ってムーンの気を引き締めさせようとした。ムーンは片手を上げると、右に折れた。餓魚がまた近づいて来る。それをよけながら、次を真っ直ぐ、次を左に折れ、またこちらに向かい始めた。大蜘蛛がササッと動いて行く。次に右に折れ、その次を右に折れて向こうを向いた時には、蜘蛛がまたやって来て、とうとう三本目の横糸を引いて行ってしまった。
「クソッ、まずいな」
 オクスが呻いた。ムーンは次を左に折れ、とうとう左端の縦路にまで辿り着いた。そこでまた右を向いて向こうに向き直ったが、大きな蜘蛛が目の前を通ってまた横糸を引いていくところだった。
「益々もってまずいな」
「あれさえ抜ければ、蜘蛛の巣はもう終わりだ」
 光り続ける道筋だけをずっと目で追い、向こうの断崖までの真の道筋を把握し終えたドラドが言った。
「しかしあれは飛び越えられねえぜ」
「糸と糸の間をくぐり抜けるしかねえな」
 横糸はだいたいくるぶしの高さ、膝の高さ、腰の高さ、胸の高さと四本ある。
「糸に触れないようにくぐり抜けろ。それしかない」
「わかったよ」
 ムーンは屈み込んで、膝の高さと腰の高さの糸の間をすり抜けようとした。
「ゆっくり行け、慎重にだ」
 ムーンが片足で跨いで体をそろそろと糸の間に通している時、餓魚が近づいて来た。
「餓魚が来るぞ」
「大丈夫だ。あれだとぶつからない」
 そう言って見ていると、その餓魚がムーンの近くで胸の高さの糸に引っ掛かってしまった。餓魚が暴れて糸が揺れた。右の方で糸を張っていた巨大蜘蛛が振動を感じ取り、スルスルと左の方へ向かいだした。
「まずい! 蜘蛛が戻って来るぞ!」
「ええっ!」
 自分の背中の方のことなので見えなくて、ムーンは不安になった。
「いいから慌てるな。そのまま抜ければ間に合う」
 ファントムはそう言ったが、蜘蛛は糸を張っている時よりはずっと速い速度で戻りだした。
「危ない!」
 巨大蜘蛛はあっと言う間にムーンに近づいて来た。
「構わずにそのまま行け!」
 オクスが叫ぶと同時に、ムーンは向こう側へ転がり込んだ。間一髪で助かった。巨大蜘蛛は罠に掛かった餓魚を捕まえると、食い始めた。餓魚は暴れたが、みるみるうちに蜘蛛に食い尽くされてしまった。
 ムーンが餓魚を交わしながら、次の三叉を右、次を真っ直ぐ、次を左、次を左、次を右と進んでいるうちに、飛び回っている餓魚の動きが速くなってきた。
「だんだん速くなってきたぞ」
 オクスが呻いた。右、左、右、右、左、真っ直ぐ、左、右、右、真っ直ぐ、左、左、右、右、左、と曲がって再び右端の縦路まで来たが、もうその頃には餓魚を交わすのが困難になってきた。飛び交う餓魚に気を取られていて、なかなか先へ進めない。
「姿勢を低くして行け。危なくなったら俺たちが合図する。もうあと四分の一だ」
 ドラドが叫んだ。
「わかったよ」
 ムーンは四つん這いになって前へ進んだ。
「後ろから来た!」
「伏せろ!」
「今だ、行け!」
「今度は右後ろから来るぞ。立ち上がれ。今だ、跳び上がれ!」
 ムーンは三人に指示されて、残りの行路を、左、真っ直ぐ、左、右、左、真っ直ぐ、右と、何とかそこまでは進んだ。もう向こうの崖が目の前にある。しかしそこから崖に飛び移るには、少し距離があった。
「もう飛び移っちまえ」
 オクスが餓魚の群に痺れを切らして叫んだが、
「それは危険だ。あと少しだ。道筋を通って行け」
 ファントムが言った。
「そうするよ。俺にはとても飛び移れそうにないよ」
 ムーンはまた四つん這いで這い進んだ。向こう岸を目前にして、ムーンは左へ曲がった。次をまた左へ曲がってこちら向きになる。
「左から来た。伏せろ!」
 ムーンはまた慌てて伏せると、その次を右、またその次を右へと折れ、また向こう向きになった。とその時、
「後ろから来る。伏せろ!」
 三人が同時に叫んだが、ムーンの伏せるタイミングがわずかに遅れた。ムーンの左腿の裏にぶつかった餓魚が、ぶつかった途端に、獲物を逃すまいとムーンの腿にかぶりついた。
「ああーっ、わあー!」
 ムーンは悲鳴を上げた。
「畜生! 化け物め!」
 オクスは弓に矢をつがえて狙いをつけたが、ムーンと餓魚が重なっていて、矢を放てない。
「横を向け、ムーン!」
「あああー」
 ムーンがわめきながら横向きになると、オクスがすぐに矢を放ったが、矢が突き立っても餓魚は平気でムーンの腿に食らいついていた。
「手出ししても無駄なことだ。そんなものは効かぬ」
 後ろで守護戦士が言った。
「クッソー!」
「あああああああ」
 ムーンは悲鳴を上げ続けているが、そのままの体勢でいるだけで、自分ではどうにもできないようだ。また別の餓魚がムーンにぶつかるや、右肩にかぶりついた。ムーンは暴れたが、二匹の餓魚はしっかり噛みついていて、全く離れようとしない。
「ムーン、プレトの護符だ! プレトの護符を出せ!」
 ファントムが叫んだ。ムーンはしばらくわめき続けていたが、ファントムの言葉が聞こえたようで、懐に手を突っ込んでプレトの護符を抜き出した。
「餓魚に押しつけろ!」
 ムーンは言われるまま、肩口にかぶりついている餓魚に護符を夢中で押し当てた。途端に餓魚が煙を上げて黒焦げになるや、たちまち消滅してしまった。急いで腿にかぶりついている餓魚にも押し当てると、そいつも焦げて消えてしまった。
「いいぞ! みんな焼き殺しちまえ!」
 ムーンは立ち上がると、プレトの護符を片手につかんだまま再び進み始めた。目の前に向こう岸が迫ったが、また左へ曲がらなければならない。次も左へ折れ、またこちら向きになった。しかしムーンは強気になって、餓魚が近づいて来るとプレトの護符を押し当て、次から次へと化け物を焼き殺しながら進んで行った。
 残る道筋を、右、真っ直ぐ、左、右と行くと、再び左端の縦路に辿り着いた。あと少しだ。
「あとちょっとだ。頑張れ!」
 三人が声援を送った。左端の縦路を向こうに向くと、次の三叉を通り過ぎ、その次を右に折れた。次を真っ直ぐ進み、その次の交差に立つと、ムーンは左を向いた。目の前の向こう岸へと最後の道筋が光り輝いたままで存在している。ムーンは向こう岸へ向けて踏み出した。その時左右から餓魚が襲って来たが、一方を交わすと、次の方に護符を押し当てる余裕を見せた。ムーンの目の前で白煙が立ち昇った。とうとうムーンは宝冠のある向こう岸へと辿り着いた。
「やった!」
「やったな、ムーン!」
 こちら側では三人が跳び上がって喜んだ。
「私の術をよくぞ打ち破った。良かろう、おまえの勝ちだ」
 守護戦士はそう言うと、組んでいた手を離し、両腕を高々と上げた。途端に地鳴りがして、谷底から山が盛り上がってきた。光の道筋も消え、餓魚たちも、巨大蜘蛛も、地の底へと呑み込まれていく。四人が呆気に取られて見ているうちに、峰は元通りになってしまった。あとには霧と、妙な静けさだけが残った。
「さて、最後は知恵比べだ。この勝負に勝てば、富の宝冠はおまえたちのものとなる。守護戦士に挑戦するのは誰だ?」
「あとは俺しかいないだろう」
 ファントムが呟くと、
「そうだ、知恵比べならおまえが一番だ」
 オクスがファントムの背中を叩いた。
「では、冠の木の下へ行け」
 ファントムも、オクスとドラドも、歩いてムーンのいる所まで行った。
「挑戦する者は、朽木を背にして凭れかかるが良い」
 ファントムは言われた通り、鳥人たちの骨を踏みながら、枯木の幹に歩み寄り、それに背中をつけた。見上げると、上の枝に銀色の富の宝冠が無造作に掛けられている。
「この朽木は生きた朽木だ。富を欲して群がり集まった敗者どもの血を吸って生き続けてきた。おまえが負ければ、敗者どもの怨念が朽木を動かし、おまえを殺すだろう」
 守護戦士が言うと、朽木の枝がスルスルと動いた。それがたちまちファントムの両手首にからみついた。
「何だ、これは?」
「私が謎を出した時から、その枝はおまえを引き裂こうと両側へ引き始める。おまえが謎に答えられずにいると、朽木はやがておまえの体を二つに引き裂いてしまうだろう。しかしおまえが慌てて間違った答を口にした時は、私がこの剣でおまえを刺し殺さねばならぬ。おまえが助かるためには、正しい答を出すしかない。そして正しい答を言った時には、富の宝冠はおまえのものとなるだろう。私が一旦謎を口にしてからは、おまえは後戻りできなくなる。降参するなら今のうちだ。さあ、どうする?」
 ファントムは両腕を朽木に囚われたまま守護戦士を睨み返した。
「もちろん降参なんかしない。ここまで来たんだ」
「待てよ。謎はいくら頑張ったって、解けなければそれまでだぞ。頑張りようがない。あんまり無茶すんなよな。ここまで来れただけでも充分だ」
 オクスが弱気になって言った。
「馬鹿な! これまでの苦労は何だったんだ。いいから謎を出せ」
 ファントムは守護戦士の方に向き直った。
「良かろう。では行くぞ。私の問いをよく聴け」
 守護戦士は謎を喋り始めた。
「黒龍の丘に棲むドラゴン・ロードは年老いて、竜の王位を我が子に譲ろうと考えた。そこで兄のフィアス・ドラゴンと弟のセンサブル・ドラゴンとを呼び、そのことを両者に伝えた。たちまち兄弟は自分が王位を継ぐのだと言い争いを始め、挙句の果てには互いに火を噴き合って殺し合いを始めるや、周囲の町や村まで焼き尽くしてしまった。しかしいつまで経っても決着がつかない。両者の能力は何をやろうと全く等しく、優劣のつけようがない。どちらかに決めねばならぬと思案した挙句、ドラゴン・ロードは飛び比べで後継者を決めることにすると言った。『ここから互いに背を向けて、正反対の方角へ向かって同時に飛び立ち、真っ直ぐ飛んで行けば、やがてわしに会えるだろう。わしと再び相見えた時に、それまでかかった日数の少なかった方を勝ちとする』――ドラゴン・ロードがそう言うと、すかさず兄のフィアス・ドラゴンが言った――『俺は東へ向かって飛ぼう。おまえは西へ向かって飛べ』弟のセンサブル・ドラゴンは答えた――『それなら俺は西へ向かって飛ぼう』と。ドラゴン・ロードは最後にこう言った――『今日は一月一日だ。あの太陽が真南に来た時に、兄弟同時に飛び立て。 おまえたちの行き着く先でわしは待っておる』太陽が真南に来て、竜の兄弟は背を向けて同時に東西へ飛び立った。それを見送ったあと、ドラゴン・ロードは太陽のある方角へ向かって自分も飛び立った。それから何日かのちの真昼になって、ドラゴン・ロードは『そろそろか』と呟くと、近くの孤島に降り立った。翼を休めていると間もなく、息子たちが左右から飛んで来て、王の姿を見つけるや、全く同時に孤島に降り立った。ドラゴン・ロードは息を切らしながら我が子らに尋ねた――『今日は一月十日だ。何日かかったか?』と。兄弟も息を切らしながらそれぞれ答えた。『これで世継ぎも決まった。わしも一安心だ』ドラゴン・ロードはほっと溜息をついたのだった。
 では冠の守護戦士から質問だ――竜の兄弟は孤島に辿り着いた時、ドラゴン・ロードに向かって、それぞれ何日かかったと答えたのか? そしてどちらが王位を継いだのか? この質問に答えよ」
 守護戦士が言い終わると、途端にオクスとドラドとムーンの三人は、口々に不満の声を上げた。
「何だい、そりゃあ? さっぱり意味がわからねえぜ。なんで別々の方角へ飛んだ三匹が出くわすんだ?」
「一月一日に同時に出て、一月十日に同時に着いたんだから、どっちも九日かかった。だから引き分けじゃねえかよ。一体どこが謎なんだ?」
「全然質問の意味がわからない。ヒントくれ、ヒント」
「ヒントはなしだ。関係のない者は黙れ」
 守護戦士が言った。
「しかし無茶苦茶だぜ。それじゃあドラゴン・ロードの跡継ぎは決まらなかったんじゃねえか」
「挑戦した者のみが答えることができる。しかし、そうか、ヒントか……。ならばヒントをやろう」
 三人はやっと黙った。
「迷信によってはこの謎は解けぬ。自然の真理を知らねばならぬ……」
「何だい、それだけかよ!」
「ヒントになってないぞ!」
「…………」
 守護戦士はそれ以上何も言わない。
「いいから黙ってろ。答えるのは俺だ」
 ファントムは三人に向かってそう言うと、じっと考え始めた。
「ううっ!」
 急に朽木の枝が両手首を締めつけた。枝には徐々に力が入っていき、ファントムの両腕が引っ張られていく。
「さあ、早く答えぬと、引き裂かれてしまうぞ。ただし答が間違っていれば、この私が剣で刺し殺す」
「ひでえ、無茶苦茶だ! こんな勝負する必要はねえ。やめちまえ、やめちまえ!」
 オクスが腹を立てて怒鳴った。ファントムはじっと考えていた。とうとう腕が両方へ上がってしまったが、朽木はまだまだ引っ張り続ける。ファントムは必死になって堪えた。考えがまとまらない。
「畜生! 今助けてやる!」
 オクスは戦斧をつかんだまま朽木に歩み寄った。ドラドも短剣を抜いた。オクスは斧を振り被ると、朽木の枝に思いっきり叩きつけた。だが枝には傷一つつかなかった。
「どうなってんだい、こいつは?」
 ドラドも急いで短剣を突き立てたが、短剣の先が曲がってしまった。今度は素手で枝をへし折ろうとしたが、びくともしない。
「うわああー!」
 ファントムが悲鳴を上げた。胸が裂けそうだ。腕に力を入れて刃向かってみても、朽木の力の方が強すぎてどうにもならない。
「さあ、答えよ。答えねば、張り裂けてしまうぞ」
「とにかく答えろ。間違ってたっていいから、適当なことを言え。守護戦士は俺が倒してやる」
 オクスがファントムに向かって言ったが、それでもファントムは答えない。
「くっそー、守護戦士め! ぶっ殺してやるぞ!」
 オクスは斧を構えて守護戦士に向かって行った。
「待て! 答える」
 ファントムが苦悶の表情で叫んだ。
「言え」
 守護戦士は灰色の剣を抜いた。
「兄が十日……。弟が九日…………。弟の…………勝ち……だ……」
 守護戦士は手にした剣をビュンッと投げつけた。ファントムの両腕を捉えていた朽木の枝が断ち切られていた。たちまち朽木がドサーッと音を立てて倒れた。ファントムも一緒に倒れた。大きく喘ぎながらふと見ると、手元に銀の宝冠が転がっていた。
「よくぞ答えた。おまえの勝ちだ。約束通り、富の宝冠をやろう」
 倒れた朽木はぼろぼろになって、粉と化していた。四人はほっとすると、次には笑みを浮かべていた。守護戦士は言う。
「しかしここでおまえたちに尋ねる。それが何なのか知っているのか?」
「……?」
 守護戦士の言っている意味がよくわからない。
「その宝冠は諸刃の剣だ。その宝冠は富の宝冠であると同時に、滅びの呪冠でもある。その宝冠は主を選ぶ。もし間違った者がそれを被った時には、訪れて来るものは栄耀栄華ではなく、破滅に他ならない。金は皇帝に、銀はその妃に被せられねばならぬが、おまえたちに正しい判断が下せるか? どうだ?」
「…………」
「もしそれができなければ、その宝冠に秘められし大いなる力は封じたままにしておくが良い――これは宝冠の守護戦士からの忠告だ。その富の宝冠は、これまで六千年もの間、その主を代えながら、ある時は万民に繁栄をもたらし、またある時は万民を破滅に陥れてきた。多くの者どもを養いながら、また多くの者どもの血も吸ってきたのだ。そのこの世のものならぬ力を、おまえたちに使いこなすことができるかな?」
 そこまで言うと、守護戦士の姿は急に薄れ始め、あっと言う間に白い霧に変わって散ってしまった。




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