21.ナ ー ガ の 塔



「何だ、あの音は?」
 全員音のする方へ目を向けた。暗闇に目を凝らすと、そこに巨大な影が浮かび上がった。
「巨、巨人だ……」
 それは人間の三倍の背丈はあろうかという巨人で、沼の泥を跳ね飛ばすや、冒険者たちが浸かっている温泉の中へと入って来た。そのまま体を横たえ、湯の中に沈める。沼には波が立ち、湯が外へどうっと溢れ出た。
「わわわわわ!」
 慌てた冒険者たちは急いで陸地に這い上がった。巨人は片手に獣の後足のような物を握っていて、湯に浸かったまま旨そうに肉を食いちぎっている。
「ん?」
 巨人はやっと招かれざる客たちに気づいたようだ。
「誰だ、俺の風呂に勝手に入ってる奴は?」
 地響きと同じくらいに凄まじい音声が巨人の口から吐き出された。ファントムたちも暗がりの中をそっと沼から這い上がり、武器を取りに行く。
「やいっ、おまえの風呂だと誰が決めた?」
 オクスは鎮魂の戦斧をつかむと強気になり、裸のまま巨人に向かって呼ばわった。
「おい、よせよ。あんなの相手にするな。逃げよう」
 ファントムは慌ててオクスに囁いたが、巨人の両目は既に焚火の炎に照らし出された人影を捉えていた。
「俺が決めた」
 巨人の大音声が湿原に響き渡る。
「文句あるのか?」
「大ありだ。わがままなうどの大木野郎め、一丁思い知らせてやる!」
 オクスはそう叫ぶと、巨人の方へ向かって行った。他の冒険者たちは蒲の茂みに身を潜め、固唾を呑んで見守っている。
「てめえ一人の風呂だとぬかすんだったら、その証拠を見せてみろ!」
 オクスはいきり立ってわめいた。
「何だと?」
 巨人は握り拳で沼の縁を叩いた。泥が四方に飛び散り、地面に大きな穴が空く。他の冒険者たちは肝っ玉が吹っ飛んで、蜘蛛の子を散らすように一斉に闇の中へと逃げ散って行った。
「チビのくせに、俺とやる気か?」
 巨人は立ち上がった。
「チ、チビだと? てめえがでかすぎんだ。切り刻んで挽肉にしてやらあ!」
 巨人とオクスは向き合った。仕方なくファントムとムーンも武器を取って身構えた。とその時、またもや地響きがしだした。湯気の向こうに新たに大きな影が浮かび上がる。
「まずいぞ。応援が来た」
 目を凝らして見ると、同じように大きな巨人だったが、今度のは目が顔の真ん中に一つしかなく、頭のてっぺんに角が一本、天に向かって真っ直ぐ生えている。
「キュクロプスだ!」
 三人は大いに慌てたが、巨人は、
「性懲りもなく来やがったか! おい小人、勝負は後回しだ」
 そう言うや一つ目巨人の方に向き直った。二人の巨人が向き合うや、いきなり素手で殴り合いを始める。大きいだけに動作は鈍いが、強烈な迫力だ。オクスはギャアギャア巨人を罵っていたが、ファントムとムーンが急いで焚火の所へ引っ張って行った。
「今のうちに逃げよう」
 三人はとりあえず服を着たが、オクスは頑としてその場から動こうとしない。蒲の穂を集めて焚火の中に次々と放り込み、火を大きくしている。
「何してるんだ。さっさと行こう」
「こんな面白いもの、見逃す手はないぜ」
「何寝ぼけたこと言ってんだ」
「俺は巨人の生き残りと勝負する。敵に後ろを見せられるもんか」
「つまらない意地なんか張ってる場合じゃないぞ」
 しかしファントムがいくら言ってもオクスは聞かない。とうとう地面に座り込んでしまった。巨人と巨人の殴り合いは続く。ぬかるみに足を取られて両者倒れ込むと、今度は取っ組み合いだ。凄まじい咆哮と殴りつける音がする度に、辺りに泥と水がどかどかと飛び散り、沼の湯気が濛々と立ち昇った。
「よし、今のうちに腕力強化の呪文を掛けとこう。さあ、これを少し飲むんだ」
 ムーンは魔法液を取り出した。三人とも液を飲むと、ムーンは呪文を唱えた。その時だった、巨人同士の闘いとは別に、暗闇のあちこちでわめき声が湧き起こった。それは恐らく逃げ出した冒険者たちのものなのだろう。にわかに周囲が騒々しくなった。
「何だろう、あれは?」
 ファントムが言ったのも束の間、何かがいきなり耳元をかすめて飛び去った。次には後ろから頭にへばりついてきた。
「うわあっ!」
 慌てて払いのけると、そいつはまた飛び離れたあと、再び襲ってきた。
「コウモリか?」
 見るとたくさん飛んでいて、その大きさも、人間の子供が両腕を伸ばした上半身くらいある。
「首筋に噛みつかれたぞ。吸血コウモリだ」
 三人は手に手に武器を執って吸血大コウモリを斬り落とそうとしたが、コウモリの身のこなしが素早くてなかなか命中しない。
 とうとう自棄になって、暗がりに向かって盲滅法に武器を振り回し始めた。吸血コウモリたちはキーキー泣き声を上げながら、何度も何度も三人に襲いかかってきては、血を吸おうとする。ムーンが掛けた腕力強化の魔法は確かに効果があったようだが、三人とも力があり余ってしまい、俊敏に飛び回るコウモリ相手では逆効果になってしまったようだ。三十回ほど武器を振り回して、やっと一匹斬り落とすのが関の山だった。
 巨人たちは相変わらず取っ組み合っては、馬鹿でかい吼え声と地響きを上げている。他の冒険者たちもあちこちで吸血コウモリの群と格闘している。夜の沼地はいっぺんに騒々しくなった。ところがまたもや新客が訪れて来た。ムーンが後ろの何かに躓いた。それは妙に柔らかくて大きな物だった。
「何だ、これは?」
 手に触れた物が嫌に粘つくので、思わず大声を上げた。見ると、地上はいつの間にか、牛のように大きいのから中型犬ほどの大きさのまで、大量のナメクジに埋め尽くされてしまったのではと思えるほどになっていた。驚いて大ナメクジを斬ったり、空中の大コウモリを追い払ったりしていたが、そのうちに大ナメクジの粘液が剣や斧にべっとりとこびりついてしまい、切れ味というものが全くなくなってしまった。
「畜生!」
 ファントムは焚火の所へ行き、燃えている葦や蒲を剣を使って弾き飛ばした。たまたま火を被ったナメクジは、途端に縮こまってしまった。
「これはいいぞ。ナメクジをみんな焼いてしまえ!」
 ファントムはどんどん火を焚き、蒲や葦に火を移すと、それを大ナメクジたちに叩きつけた。オクスも同じようにどんどん大ナメクジたちを火攻めにした。火を浴びたナメクジは徐々に溶けていく。残りのナメクジたちは逃げ始めた。
 ムーンは魔法の石を取り出し、
「火なら任せとけ。石火散乱の術だ!」
 そう言ってから呪文を唱えるや、魔法石をいくつか空中に放り投げた。
「わあっ!」
 一瞬目の前に強烈な閃光がひらめき、三人ともよろめいた。次の瞬間にはバチバチと何かが爆ぜる音がして、体じゅうに痛みを感じた。
 三人はその場にうずくまってしまったが、ふと気がついて辺りを眺め回した。先程の閃光のためによく見えない。巨人たちがまだ遠くの方でドタバタ暴れ回っている音が聞こえるが、他にはパタパタと弱々しく羽ばたく音が地面でしているだけだ。やがて目が馴れてくると、吸血コウモリたちが溶けた大ナメクジの上でもがいているのだとわかった。空にはもうコウモリたちは飛んでいない。ナメクジも姿を消している。ムーンの石火散乱の魔法は、辺りにいる吸血コウモリたちを全て撃ち落としてしまったようだ。
「あちちちっ!」
 オクスが突然大声を上げて地面を転げ回り、沼の中に飛び込んだ。焼け残りの石の破片が体のどこかにこびりついていたのだ。いつの間にか巨人の暴れる音もやんでいる。三人は月明かりを頼りに様子を窺いに行ってみた。巨人は一人で倒れていた。だが息はしているようだ。どうやら死んでいるのではなくて、眠っているみたいだ。一つ目の方はどこにもいない。
「おい、起きろっ!」
 オクスが巨人の体を蹴飛ばしたが、巨人は全く気づかない。途端に鼾をかき始めた。
「ちぇっ、しょうがねえ巨人だ」
「いいじゃないか。ほって行こう」
 三人は荷をまとめると、ランタンに灯を入れて再び歩き始めた。
「ちょっと待った」
「何だよ?」
「大事なことを忘れてた」
 ファントムはそう言うと、吸血コウモリの死骸から翼を切り取って容器に入れた。
「よく気がつくねえ」
「ナメクジはやめとこう」
 しばらく行くと、また林に出くわした。三人は暗い林の中を進んで行った。しかし真夜中になると、急に眠気が襲ってきた。
「何だか急に眠くなってきた」
「俺もだ」
 三人はたまりかねて立ち止まってしまった。
「さっきまでシャキッとしてたのに……変だなあ」
「おい、ムーン、魔法は夜通し効くんじゃ……なかったの……か……」
 オクスはそのまま草の上にひっくり返って寝てしまった。
「こんな所で……寝るなよ……」
 ファントムはオクスを起こそうとしてしゃがみ込んだが、そのままオクスの体と折り重なるようにして眠ってしまった。
「おい、二人ともどうしたって……言うん……だ……」
 ムーンもたちまちひっくり返ってしまった。

 三人が目を醒ましたのは、寒さと全身に叩きつけてくる大粒の雨のためだった。気がつくと体の自由が利かない。網が三人の体に巻きついていた。明るくなっていたが、激しい雨に打たれて全身がびしょ濡れだ。真上の木の枝から綱が垂れていて、どうやら宙吊りにされているようだ。体を動かそうとすると、ゆらゆらと左右に揺れる。
「無駄だよ」
 うつ伏せになっているムーンが言った。ファントムはやっとのことで首だけ回すことができた。地面までかなりの距離がありそうだ。近くに木の幹を柱代わりにした草葺き屋根があり、その下には四人の男たちが座っている。男たちと言っても、はっきりとは見分けがつかない。何しろ目の前が豪雨に霞んでしまっているのだ。ただ草葺き屋根の下にいるのが、人間の形をしているとわかるだけだ。
「俺たち捕まったのか?」
「わからない」
 三人はしばらくの間宙吊りになったまま、寒さに震えながらじっとしていた。
 やがて雨が上がり、太陽が輝きだした。下の方が何やら騒がしくなってくる。首を曲げてみると、どこから現れたのか、獣の皮を身にまとい、顔じゅうに刺青をした男女の群が、三人には意味不明の言葉を喋って騒ぎ立てている。
「あいつらこれから俺たちを食うつもりじゃないか?」
「魔法で何とかならないか?」
 ファントムはムーンの頭に首だけ向けて言ったが、ムーンの返事は重々しい。
「手が動かせないし、魔法の品はあそこだ」
 下を向いたまま言った。先程の四人が荷物を開き、三人の持ち物を分け合っている。武器も彼らの手元にあった。
「人喰い土人に食われちまうとはなあ、クソッ、何とかして抜け出してやる」
 仰向けのオクスが網の中でもがいた。
「よせ。枝が折れてしまうぞ」
「おい、人喰い土人じゃないみたいだぞ」
 下がよく見えるムーンが言った。
「なんでわかるんだ?」
「真下を見てみろよ」
 ファントムとオクスは無理やり首を捻じ曲げた。彼らのずっと下には深く掘り下げられた沼があり、そこでは鰐が数匹、餌が投げ込まれるのを待ち構えているのだった。
「冗談じゃないぜ。おいムーン、呪文で何とかしろよ、呪文で。道具の要らない呪文だって使えるんだろ?」
「こういう時は障壁開門の術を使うと一番いいんだけど、女神の護符が高すぎて買ってこなかったし……」
「他には何かないのか?」
 オクスが苛立って訊くと、
「集団催眠と頭脳幻惑の術は相手がこっちを見てくれないと効かないし、疾風怒涛や苦痛付与の術は手を動かさないと駄目だ。今更利害識別の術を使っても仕方がないし……」
「待てよ、こっちを向けば眠らせることができるんだな?」
「ああ、そうだけど……」
 ファントムは表情を明るくして、
「じゃあ、とりあえず人喰い土人だけでも眠らせてしまおうじゃないか。鰐の餌になるまでの時間稼ぎができる」
 ファントムはそう言うと、いきなり大声を上げて人喰い土人たちを罵り始めた。土人の何人かが上を向いた。
「そうか」
 オクスも一緒になって叫び声を上げ始めた。下で騒いでいた土人たちは皆話をやめ、宙吊りになっている三人を物珍しそうに見上げた。
「今のうちだ、早く眠らせてしまえ」
 ムーンは承知して呪文を唱えた。すると土人たちは面白いほどバタバタと眠っていった。ムーンは呪文を唱え続けた。とうとう五十人ほどいた土人たちは、全員その場で眠り込んでしまった。
「こんなに効くとは思ってもみなかったよ。我ながら大したもんだ」
「土人が目を醒まさないうちに早くここから脱出しないと」
「でもどうする? がんじがらめだぜ。網をぶっちぎってやってもいいが、下手すると鰐の胃袋行きだ」
 三人はしばらく思案した。
「何なら物体移動の術を使ってみてもいいけど、三人どころか、一人の体を浮かす精神力も俺にはないからなあ」
「できるのか?」
「高等呪文なんだけど、覚えてることは覚えてる。でも俺が今までに動かしたことがあるのは、一番重くて大きい物で、部屋の木戸を開けた程度だな」
「んー」
 また三人は考え込んでしまった。
「オクス、この網を引きちぎれるか?」
「そりゃ何とかできそうだけど、網が破けた途端に鰐の上に落ちてしまうぞ。網の次は俺たちが引きちぎられる番だ。咄嗟にあの綱につかまるのはまず無理だろうな」
「下に鰐は何匹いる?」
「四匹だ。いや、五匹か」
 下向きに網にへばりついているムーンが答えた。
「よし、やってみよう」
「どうする気だ、ファントム?」
「いいか、ムーン、沼縁で寝ている土人がいるだろう?」
「いるよ」
「そいつを沼の中に引きずり込むんだ。できるか?」
 ムーンはしばらく下の様子を窺ってから、
「たぶんできるよ」
「なるべく俺たちの落ちる所から離れた所にいる奴を沼の中に落とすんだ」
「その隙に網を引きちぎるってわけか」
 オクスが言った。
「そうだ。沼に落ちたら急いで這い上がるんだ」
「おい、高すぎるぞ」
 ムーンは震え声を出した。
「そんなこと言ってる場合か。ぐすぐずしてると土人たちが目を醒ましてしまうぞ。早く呪文を唱えろ。一度空から墜落したことがあるんだ。それに比べれば知れてるさ」
 ムーンは呪文を唱えながら、沼縁に倒れている土人に向かって神経を集中させた。眠っている土人の体がゆっくりと滑り出す。やがて掘り下げた沼の中へと転げ落ちた。その物音を聞きつけ、たちまち鰐たちが集まって行く。眠っている憐れな土人の体に群がり、肉を食いちぎった。土人は目を醒まして悲鳴を上げた。オクスとファントムは両腕に渾身の力を込め、網を内からぐいぐい押した。網がぶちぶちとちぎれだす。やがて巻きついていた網がほどけ、三人は真っ逆さまに沼の中へと墜落した。
「早く逃げろ!」
 めり込んだ泥の中から這い出すと、三人は急いで沼縁を目指した。しかし土人をほとんど食い尽くしてしまった鰐たちは、三人の落ちた水音を聞きつけ、たちまちこちらに迫って来た。ファントムとオクスは何とか沼縁に這い上がったが、ムーンはまだ下で泥に足を取られてもがいている。
「何してんだ、早く上がって来い!」
 ムーンは慌てたが、焦れば焦るほど前へ進まなくなる。鰐はどんどん迫って来る。
「早く来い、早くっ!」
 ファントムとオクスが手を差し伸ばした。しかし届かない。ムーンは手を伸ばした時にうつ伏せに倒れ込んでしまった。鰐が口をカッと開く。オクスは咄嗟に棒切れをつかんで沼に飛び込んだ。そのまま鰐の口の中に棒切れを押し込んだ。口につっかえ棒をされ、鰐はバタバタと暴れた。ファントムも石をつかんで沼の中に飛び下りるや、あとから来ていた二匹目の鼻先に勢いをつけて石をぶつけた。鰐は驚いて後ずさりした。
「さあ、早く上がれ!」
 ムーンを沼縁に押し上げる。と、鰐の尾の一振りが飛んで来た。二人は危ういところで身を交わすと、慌てて沼縁に這い上がった。
「危なかった……」
 ほっと胸を撫で下ろした三人は気が抜けてしまい、しばらくその場に座り込んでしまった。ムーンはぐったりしてしまって動けないでいる。
「なんだ、驚いて腰が抜けちまったか?」
 オクスが笑いながら言った。ムーンは大きく喘いでいる。
「そうじゃないさ……。物体移動の術は……精神力を物理的な力に変換する呪文なんだ。熟練した魔法使いにはわけないことなんだろうけど……、俺なんかは要領がわからないから……、これくらいのことでも無駄な力を……たくさん使ってしまうんだ」
「何だ、言い訳してやがる」
「違うったら!」
 ムーンは顔を真っ赤にして怒鳴った。
「言い争ってる場合じゃないぞ。土人たちが目を醒まさないうちに、早くここから逃げ出そう」
 ファントムが二人を促した。三人は草葺き屋根の下へ行き、自分たちの持ち物を取り戻した。それから急いで土人たちの集落を出ると、太陽を背にして進んで行った。
「今回は慌ててたんで、おまえも土人の皮一枚でも剥いでくるのを忘れたな」
 途中でオクスが言うと、
「うん……」
 ファントムは生返事だ。
「なんだ、くたびれたのか?」
「いや、あんな手を使って眠ってる土人を一人殺してしまったからな……」
「ほら、また始まった」
 オクスは笑い声を上げてファントムの肩をぽんと叩いた。
「あいつらは眠っている俺たちを捕まえて、殺そうとしてたんだぜ。自業自得さ。何なら人喰い土人どもを皆殺しにしてきても良かったんだ」
 オクスにそう慰められても、ファントムは後味の悪さを拭い切ることができなかった。考えれば他にもっといい脱出方法もあったんじゃないだろうか? 自衛のためとはいえ、ファントムは自分のしたことを正当化する気にはなれなかった。眠っている、つまり無抵抗の土人を一人殺した後ろめたさだけがつきまとってくる。ふと大僧正ラムンテの言葉を思い出した。
「汚れなき魂か……」
 今の自分は魂を清めも高めもしていない。汚しているだけじゃないか。そもそもこの冒険は金のためだ。言わば、自分たちはトネクトサス沼への侵入者に過ぎないのだ。
「何だって?」
 ムーンが問い返してきたが、ファントムはじっと黙って答えなかった。
「なあに、坊主の戯れ言さ。気にすんな」
 オクスはあっけらかんとしている。
「殺さなきゃならない時は、殺すんだ、ズバッ、ズバッとな。それがこの世界の掟よ」
「いや……、ちょっと違うと思う」
 それっきり、ファントムは一言も喋らずに歩き続けた。

「おかしいなあ、もうそろそろスヴァンゲル川が見えてもいい頃なのに」
「しかしかなり遅れてしまったぞ。もう二日目も終わろうってのに、まだヒューロック島にも辿り着けない。宝の方は誰かに先を越されてるだろうな。諦めて引き返すか」
「それじゃあここまで苦労して来た意味がないよ。ナーガの塔を捜すだけでも捜してみようじゃないか」
 三人はその晩は睡眠をとることにした。見通しが悪くなるのを恐れて、前方にある密林に入るのは避け、その手前で火を焚きながら交代で番をすることにした。日が暮れると、またそこらじゅうの沼から湯気が立ち昇り始めた。
「ここは全くいいぜ。季節を忘れてしまいそうだ」
 そう言ったかと思うと、オクスはもう鼾をかき始めた。疲れているのだろう、ムーンもすぐに寝入ってしまった。
 ファントムが一人で番をしていると、やがて東の空に月が昇った。かなり経ってから、密林の方で人の悲鳴がしたような気がした。ぐったりしていたファントムはハッとして神経を尖らせた。密林の方に目を凝らし、じっと聞き耳を立ててみる。複数の悲鳴がまだ続いていた。
「おい、起きろ」
 ファントムは急いでオクスとムーンを揺り起こした。
「何だよ……?」
 二人は目をこすりながら、おもむろに上体を持ち上げた。
「ほら、聞こえるだろ?」
 オクスとムーンは耳を澄ました。
「人の悲鳴だ」
「冒険者が何かに襲われているのかもしれない」
「林の方だな」
 ファントムは頷いた。
「火を消すか?」
「いや、茂みに隠れておびき出した方がいいだろう。こっちにやって来るところを待ち伏せよう」
 三人は焚火はそのままにして武器だけ手にすると、近くの葦の茂みに身を隠した。やがて燈火が三つ揺らめくのが見えた。ランタンを片手に提げた何者かが、焚火の所まで近づいて来る。
「三人いる。冒険者か?」
「いや、あれは夜歩きだ」
 ムーンが小声で言った。
「夜歩き?」
「呪いの掛かった魔物だ」
 夜歩きはしばらくその辺りの臭いを嗅いでいるようだったが、だんだん三人の方へと近づいて来た。ファントムとオクスは弓に矢をつがえ、茂みの中から射た。夜歩き二体の胸にそれぞれの矢が立ったが、一瞬動きが止まっただけで、再び歩き出した。
「斬り込むか?」
 オクスは戦斧を握り締めた。
「もっとこっちに引きつけて不意を衝こう」
「あの鉤爪と大きな歯には気をつけろよ。あの爪で眠っている者を引っ掻いて、痺れさせてから肉を食らうそうだから」
「おまえはそこでじっとしてろ」
 オクスはムーンにそう言うと、頃合いを見計らって、ファントムと一緒に討って出た。夜歩きの動きは鈍い。ただ、鉤爪を繰り出してくる速さには驚くべきものがあった。しかし二人はたちまち三体の夜歩きを切り刻んでしまった。
「こいつは恰好は人間みたいだが、気色悪い面をしてやがる」
「着ている物から言って、かつてこの辺りに入り込んだ冒険者たちだろう。夜歩きは魂が抜けきっていない生ける屍だ。夜になると魂が干からびた体の中に戻り、朝になるとまた去って行く。その悪循環から魂を解放してやるには、二度と元の体に戻れなくしてやることだ」
 三人は夜歩きの体を引きずって行き、火の中に放り込んで燃やした。火に焼かれた夜歩きの体はみるみるうちに萎んでいく。
「おまえはよく化け物のことを知ってるな、ムーン」
「魔法はその効果の強大さはもちろん大事な要素なんだけど、一番大事なことは、咄嗟の判断でどの術を選んで素早く掛けるかということなんだ。臨機応変こそ最重要なんだ。だから魔法学校ではあらゆる生き物や不死の魔物、自然界について教えている。でも俺は貧乏で学校に入れなかったから、いつも窓際に寄って立ち聞きしてた口なんだけど」
 三人はひとまずほっとして、再び眠りについた。しかしムーンが見張り番になってからは、朝に物体移動の術を使って精神力をすり減らしたためだろうか、眠気が襲ってきてうとうとし始めたかと思うと、たちまち深い眠りの深淵に沈み込んでしまった。

「なんだ、夢か。しかしいやに生々しい夢だったなあ」
 朝方の大雨で目醒めたオクスが一人呟いた。続いてファントムも目を醒ます。
「こいつ、寝てしまってるぞ」
 ムーンは雨に濡れても目を醒まさない。
「まあいいじゃないか、何も起きなかったんだから。でもまた降って来やがったぜ」
 二人はムーンを起こして密林の中へ入った。雨があまり落ちて来ない大木の下に腰を下ろすと、携帯食を食べ始めた。
「どうして起こしたんだ、いいとこだったのに。夢に凄い美人が出て来て――」
「何言ってんだ、見張りを忘れて眠ってたくせに」
「ごめん、知らないうちに寝てしまって」
「俺の夢にもいい女が出て来て、それから二人でいいことしたんだ」
 話をしていると、どうやら三人の夢はあまりにもよく似ているようだ。三人とも思わず下っ腹の辺りに手を突っ込んだ。雨とは別の物で濡れている。いやに艶めかしい夢を見たもんだと三人で笑い、話はそれっきりになってしまう。それから密林の中を進んだが、少し行くと、所々肉を食いちぎられた痕がある死体が転がっていた。
「ゆうべ悲鳴を上げていた奴らか?」
「冒険者だろう。きっと夜歩きに殺られたんだ」
 更に密林の奥へと分け入って行くと、水辺に行き当たった。しかし水面からも大木が生えていて、どこまでも続いている。鬱蒼と生い茂る木々の枝葉が日の光を遮り、辺りはかなり暗くて先が見通せない。
「沼の中に入ってみよう」
 何気なく水の中に足を踏み入れようとしたオクスを、ファントムは慌てて引き止めた。
「何かいる」
 薄暗い中で目を凝らしてみると、水中には小魚が泳いでいるようだ。
「何だ、小魚じゃないか」
「噛みつき魚じゃないか?」
 オクスもムーンもビクッとした。水面まで競り上がってきている木の根が足場になりそうなので、その上を次々に飛び移りながら進むことにした。
 かなり行った所で、前方が開けて明るくなっているのが見えてきた。先まで行ってみると、目の前には大きな川が濁った水を湛え、ゆったりと流れているのだった。
「スヴァンゲル川だ。とうとうここまで来たぞ!」
「じゃあ、あれがヒューロック島かな」
 オクスが左手の方を指差した。対岸は見えないが、下流の方に島らしき陸地が見える。
「ちょっと上流すぎたな」
 三人はもう少し下流の島に近い所まで行こうとした。しかしその時、川の方で大きな魚が水面に顔を出した。魚は四匹、五匹と顔を出し、こちらに近づいて来た。
「でかい魚がいるぞ」
 そう言ってしばらく見ていたが、魚たちはたちまち三人の所まで来て浮かび上がった。驚いたことに、人間のような腕が体の両側についていて、片手にはヤスを握っている。その魚たちがいきなり水の中から立ち上がった。脚も二本ついている。
「何だ、化け物か?」
 驚いている暇はなかった。魚人たちが口から猛烈な勢いで水を飛ばしたからだ。三人は咄嗟にしゃがみ込んだ。魚人たちが飛ばした水の勢いは凄まじく、大木の幹を傷つけた。
「畜生、やる気か!」
 オクスは一匹の魚人のそばの大木の根元に飛び移りざま、戦斧を打ち下ろした。戦斧の刃は確実に魚人の頭を直撃したはずだった。しかしオクスはバランスを崩し、水中に転げ落ちてしまった。魚人の大きな鱗が一枚剥がれただけだった。鱗は硬く、おまけに魚人の体は粘液に覆われていて、斜めに振り下ろされた戦斧の刃は思わぬ方向へと逸れてしまったのだった。
 魚人はヤスでオクスの体を突き刺そうとした。オクスは魚人の体を蹴飛ばして、辛うじてヤスの一突きを交わした。ファントムが急いでオクスを助けようとすると、別の魚人のヤスが突き出てきた。ファントムは危ういところで剣を出した。続けて一振りすると、またもや鱗一枚弾き飛ばしただけで、剣はぬるりと滑って逸れてしまった。
 オクスは斧を魚人の足元に叩きつけた。今度は足が斬れて、水が赤く染まった。
「足だ、足を狙え!」
 ファントムは咄嗟に魚人の脚を薙ぎ払った。スパッと魚人の脚が二本とも切れ、魚人は水の中に沈んだ。
「うっ!」
 魚人を一匹倒したのも束の間、ファントムは強烈な水鉄砲の一撃を手首に受け、剣を水の中に落としてしまった。たちまち魚人がヤスを持って突っ込んでくる。ヤスの一突きを交わすとそのまま脇に挟み込み、それからは取っ組み合いになった。すると、一瞬魚人の鰓蓋が大きく開いた。何も考えずにファントムはその鰓の中に手刀をぶち込んだ。
 間一髪の差だった。ファントムの顔面を狙った魚人の水鉄砲は逸れ、耳元をかすめて後ろの大木の皮を弾き飛ばした。そのまま鰓の中を手当たりしだいにぐいぐい握り潰すと、魚人は力が抜けて水の中に倒れ込み、そのまま動かなくなった。オクスは既に残った二匹の魚人の脚を切り、血飛沫で辺りを真っ赤に染めていた。
「来やがれ、化け物!」
 オクスはわめいたが、脚を失くした魚人たちはさっさと泳いで川の方へ逃げて行った。ファントムは水の中に沈んでいるラムゼリーを拾い上げようとしたが、右手が思うように動かなかった。
「こりゃ折れてるな」
 オクスはそう言うと、布でファントムの右手首をきつく縛った。
 木の根伝いに下流の方へ行ってみると、やがて開けた土地があり、そこでは幾組かの冒険者グループが筏を組んでいた。
「よし、筏を組んで渡ろう」
 三人は早速木を伐り、蔓草で筏を組み始めた。先に筏を組み終わったパーティーは、次々にヒューロック島目指して漕ぎ出して行く。
 やっと筏ができ上がり、三人は急いで櫂を漕ぎ始めた。よく見ると、木々の生い茂ったヒューロック島のその大木群の上に、更に抜きん出て塔らしき建物が聳え立っている。その白い壁が陽光を受けて輝いていた。
「あれがナーガの塔に違いない! 急げ、他の奴らに負けるな!」
 三人は全力で櫂を漕いだ。とその時、先を行く冒険者たちが急に筏の上で騒ぎだし、暴れ始めた。
「何してんだ、あいつら?」
 冒険者たちは倒れてとうとう動かなくなった。彼らの筏は下流に向かってゆっくりと流されて行く。そうしていると、他の冒険者たちがまた同じように騒ぎ始めた。しかしパシャっという小さな水音を聞き、ファントムがふと見ると、筏の上に小さなハゼのような魚が跳び乗っていて、のろのろと胸鰭を使って這っていた。
「!」
 ファントムは咄嗟にその小魚を踏みつけ、潰してしまった。
「どうしたんだ?」
 ファントムは櫂を置き、踏み潰した魚を左手でつかみ上げてみた。小魚だが、口先が鳥の嘴のように尖っていて硬い。指で口を押し開けてみると、鋸の刃のように細かくて鋭い歯が、二列も三列も並んでいた。
「こいつが噛みつき魚か?」
「たぶんそうだ」
「あいつらはこれに食われたんだな」
 オクスは、筏の上で倒れて動かなくなったり、川に落ちて流れて行く冒険者たちを眺めやった。その時ムーンが突然叫び声を上げた。知らないうちに噛みつき魚が筏の上に乗っていて、胸鰭を使って這い寄って来ていたのだ。三人は驚いて立ち上がると、噛みつき魚を踏みつけ、滅多やたらに櫂で叩きまくった。噛みつき魚の一群はひとまず叩き潰したが、力任せに叩いたので、即席で作った櫂は折れてしまった。仕方なく折れた櫂で漕いでいると、また噛みつき魚の群が現れて、筏の上に上がって来た。慌ててまた噛みつき魚を踏み潰す。
 ヒューロック島に着くまでの間、そんなことが何度も繰り返され、ようやく島に上陸した時には、三人はへとへとに疲れきってしまっていた。島に辿り着けたのは、他に二、三のパーティしかなかったようだ。
「噛みつき魚のことを聞いといて良かった。知らなかったら、あの死んだ奴らみたいに内臓を食われてただろう」
 三人は川縁に寝転がってしばらく休んだ。

 密林の中を茂みを掻き分けながら行くと、やがて先程遠くから臨まれたあの白い塔が姿を現した。笛の音が聞こえてくる以外は、周囲はひっそりとしている。三人は塔へと続く石段を上って行った。苔むした石段を上りきると、塔を取り巻くように鷲や獅子の彫像が並んでいて、その台座の一つに腰掛けて、黒髪を腰の下まで垂らした女が一人で笛を吹いている。
「こんな所に女が一人でいるなんてのは変だな。魔物かもしれないぞ」
「ここはナーガの塔か?」
 ファントムは警戒しながらも、女の背中に声をかけてみた。
「そうよ」
 女は笛を吹くのをやめて振り返った。
「あっ!」
 三人は同時に驚きの声を上げた。
「あなたたちを待ってたのよ」
 若くて美しい女は立ち上がった。
「塔の入口はこっち」
 そう言うと、先頭に立って歩いて行く。三人はそれぞれ心の中で怪訝に思いながらも、女について行った。扉のない大きな入口の前まで来ると、
「上でお姉様が待ってるわ」
 そう言って、また笛を吹きながらどこかへ行ってしまった。
「今の女、昨日の夢に出て来た奴だ」
 塔の中に入ってからムーンが口を開いた。
「え? 俺もそうだぞ。そっくりだった」
「俺もだ」
 三人は薄気味悪くなってきた。
「やっぱり魔物に違いない」
「どっちにしろ、賢者の石を早く見つけてしまおう」
 塔の一階は四角形で、四方の壁にそれぞれ出入口がある。そこから光が洩れてくるが、何しろ中は広くて薄暗い。ランタンに火を入れて周囲を照らしてみると、壁じゅうに彫刻が施されているのがわかった。だがどれもこれも蛇の模様ばかりだ。その中に一際目立つ大きな浮き彫りがあった。
「あっ! これはアヴァンティナ団の徽じゃないか!」
 翼の生えた蛇が立ち上がっている浮き彫りを、ファントムが指差した。
「何か関係があるんだろうか?」
 しばらくその辺を捜したが、石のかけら一つ見つからない。
「ここには何もなさそうだ。上へ行ってみるか」
「でもどうやって上がるんだ?」
「あそこだろう」
 オクスが広間の真ん中にある太い柱を指差した。そこには鉄の扉がついていた。早速開けようとしたが、鉄の扉には鍵が掛かっていて、押したり引いたり叩いたり蹴飛ばしたりしてみたが、扉はかなり分厚いようで、びくともしない。
「何とかならねえか?」
「俺なら何とかできるがな」
 不意に声がしたので、三人はビクッとして武器を構えた。
「なんだ、ドラドじゃないか。おまえ一人か? 強盗団の仲間はどうしたんだ?」
 ドラドはフンと鼻先で笑った。
「あいつらは駄目だ。途中で怖じ気づいて、尻尾を巻いてタウへ逃げ帰りやがった。言っとくがな、俺様は強盗団に仲間なんかただの一人も持っちゃいない。勘違いするなよ」
「そんなお偉いお方がここで何してんだ?」
 オクスは皮肉を込めて言った。
「俺を雇う奴を待ってたんだ」
「俺たちに雇ってもらいたいって言うのか? ふん、今更虫のいいこと言いやがるぜ」
「雇ってもらうんじゃないさ。こっちが手を貸してやろうって言ってるんだ」
「お断りだ」
 オクスはそっぽを向いて、戦斧の頭で扉をがんがん叩き始めた。
「無駄なことすんなって。俺様は職業柄、そんな錠を外すのは朝飯前だ」
「だったらさっさと鍵を開けて、先に上へ行けば良かったじゃないか」
「そんな危ない真似はできねえな。俺は馬鹿じゃねえ。勝算のない勝負には手を出さねえ主義だ。昨日は四組、今日は二組その中へ入ってったが、行ったっきりさ」
「何か罠があるんだろうか?」
 ファントムはしばらく考え込んだ。
「よし、仲間にしよう。おまえの力がないと、上へ行けないみたいだからな」
「じゃあ、賞金は山分け、他の宝は持ち帰った者が頂くってことにさせてもらうぜ」
 話がまとまると、ドラドは早速道具を取り出して鍵を開け始めた。ドラドがやると、簡単に鍵が外れた。扉を押すと、ゆるゆると動きだした。柱の中は予想通り螺旋階段になっていた。二階に上がると、丸く曲がっている壁に小さな窓がたくさんついていて、外光が射し込んでいる。
「ここも何もなさそうだな」
 壁で仕切られた廊下が右へ右へと巻き込むように続いている。中心部辺りまで歩いて行くと上りの階段があったが、その手前に鎧を着込んだホブゴブリンたちが屯していた。ホブゴブリンたちは四人に気づくとすかさず武器を手に執り、有無も言わせず襲いかかってきた。ファントム、オクス、ドラドで相手をしたが、あっと言う間にけりがついた。
 四人はそろそろと階段を上がった。三階には窓一つなく、周囲は真っ暗だ。ランタンの灯で照らしてみて、四人はギョッとした。大きいのから小さいのまで、うじゃうじゃと床じゅう蛇だらけだった。人間の骨らしき物もたくさん転がっている。
「こりゃやばいぜ。突っ込むのは無謀だ」
「ムーン、魔法で何とかしろよ」
「よし」
 ムーンが道具を取り出そうとした時、突然笛の音が聞こえたかと思うと、やにわに蛇たちが四人に向かって襲いかかってきた。四人は武器で蛇たちを牽制しながら階段を駆け下った。
「ちょっと相手が多すぎるな」
「ほら、あの化け物キノコをやっつけた時の蛆虫の術はどうだ?」
「蛇にはあまり効かないと思うな。だいたい相手が多すぎる。それより冷気凍結の術でいこう。蛇は寒さに弱いはず。蛇どもを凍らせてしまうんだ」
 ムーンはまた階段を上がり、魔法液を掌に溜めると呪文を唱え始めた。蛇は下には下りて来ないが、階段の上に顔を出すと、また笛の音がして襲いかかってきた。ファントムとオクスとドラドがムーンを囲んで蛇の相手をした。ムーンが掌にふっと息を吹きかけると、たちまち白い冷気となって蛇たちを凍らせたかに見えた。しかし凍りついたのはごく一部の蛇だけで、また笛の音がして蛇たちが一斉に襲いかかってきた。
「駄目だ、失敗だ!」
 四人は慌ててまた階段を駆け下りた。
「どうすりゃいいんだ? 思い切って蛇の中を突進するか?」
「笛を吹いている蛇使いがいると思うんだ。そいつをやっつけてみたらどうだ?」
「音はするけど、暗くてどこにいるのか見えないぜ」
「見えるさ」
 ドラドは自信ありげに言うと、またそっと階段を上がって行った。
「ほら、あそこだ」
 ドラドは顔だけ出して指差した。
「暗くて全然見えないぞ。よくわかるな」
 ドラドは短弓に矢をつがえると、
「見てろ、一発で片づけてやるから」
 暗闇の奥にいる蛇使いは気づいたようで、再び笛を吹き始めた。また蛇たちが襲ってきた。しかしドラドはもう矢を放っていた。暗がりでギャッと悲鳴が上がり、途端に笛の音がやんだ。蛇たちは急に襲うのをやめてしまった。
「ホブゴブリンどもが何か燃える物を持ってただろう」
「ああ、松明か何か持ってたな」
 四人は先程倒したホブゴブリンの所まで下りて行き、松明を拾って火を点けた。火で炙りながら行くと、蛇たちは逃げ出した。奥の壁に凭れている蛇使いの死体が見つかった。ドラドの矢は蛇使いの片目を射抜いていた。
 上り階段を見つけて四階へ上がると、壁に篝火が焚かれていて、部屋じゅうに並べてある石棺を照らしていた。
「おい、すげえぜ!」
 ドラドが大声を上げた。
「メギダト、ハラム、ワレヌジュ、セムルウル、アクジケ……、こいつは代々のラスカ王の柩だ。この塔はラスカ王の墓だったってわけか……。ということは、この中にごっそりと副葬品も詰められてるってわけだな」
 ドラドは柩に刻まれた王の名を一々読み上げながら、喜びの声を上げた。
「おい、柩なんか開けるなよ」
「馬鹿言え、賢者の石もきっとこん中だ」
 ドラドはファントムが止めるのも構わず、石棺の蓋をこじ開けにかかった。
「そうか」
 オクスは頷くと、一緒になって片っ端から石棺を開け始めた。
「ないなあ」
「ないこたねえ、見ろよこれを。金銀宝玉の山だぜ」
「賢者の石がないじゃねえか」
 ドラドは軽蔑したようにオクスを見て、
「おまえ、馬鹿だな。この宝を持ち帰って売ってみろ。金貨千枚どころじゃねえぞ。賢者の石ころなんか、アホ臭くて持って帰れるか」
 そう言うと、掌の上で宝飾品をジャラつかせた。
「なるほど、目的変更か」
 オクスは感心したが、
「駄目だ。それは死者の物だ。持って帰るわけにはいかないぞ」
 ファントムは断固として反対した。
「何かっこつけてんだ。死んだ奴に宝なんか必要ねえのさ」
 言ったと同時に、ドラドは何者かに腕をつかまれて引き倒された。
「わっ! 何しやがんだ!」
 そいつは柩の中から汚れた布を巻きつけられた腕を伸ばしていた。
「このミイラ野郎め!」
 ドラドは短剣をサッと引き抜くと、ミイラの腹を突きまくった。しかしミイラ男はびくともしない。ドラドはミイラに顔を張り飛ばされると、壁際まですっ飛んでしまった。開いた柩からミイラが次々と起き上がってくる。
「この、くたばり損ないがっ!」
 オクスがミイラ男に戦斧を叩きつけた。斧の頭はミイラの胸にズボッと食い込んだが、ミイラはびくともしない。そのままオクスの戦斧の柄をつかんでしまった。物凄い怪力だ。たちまち斧の引っ張り合いが始まった。
「ほら見ろ、他人の物を盗もうなんて考えるからこんなことになるんだ」
 ファントムはドラドを非難した。
「今更言ったって始まらねえや!」
 ドラドは怒鳴ると、またミイラにかかって行った。仕方なくファントムも松明を捨て、左手で剣を抜いた。しかしミイラは斬りつけられても剣を体内に吸い込んでしまうだけだった。
 ところが次には不思議なことが起こった。ミイラの胸に食い込んでいたオクスの鎮魂の戦斧が、突如紅色に輝き始めた。ミイラの体内まで明るく光りだした。途端にミイラ男は床にばったりと倒れ込み、そのまま動かなくなってしまった。オクスはミイラの胸から斧を引き抜くと、次から次へと輝く斧をミイラに叩きつけていく。その度に斧が刺さったミイラの動きが止まり、岩が倒れるようにこわばって倒れてしまった。
「一体どうしたっていうんだろう?」
 ミイラがみんな倒れると、床に叩きつけられていたドラドとファントムは、起き上がって不思議そうな顔をした。オクスが手にした鎮魂の戦斧は、しだいに輝きを失っていき、やがて元に戻ってしまった。
「凄い魔法じゃないか!」
 今まで部屋の隅で小さくなっていたムーンが唸った。
「俺は知らねえぜ。こんなことになったのは今まで一度もなかった」
「鎮魂の戦斧だろ。きっと彷徨える魂を鎮める力が秘められているのかもしれないぞ」
 ファントムの考えに、みんななるほどと頷いた。
「それじゃあ、お宝を遠慮なく頂戴しようか」
「駄目だ。宝を盗もうとするからこんなことになったんだぞ。それはこの王たちの物だろう? 正義の味方の大泥棒が聞いて呆れるぞ」
 ファントムはあくまでドラドを抑えた。ドラドは舌打ちして渋々宝を盗るのを諦めた。躍り出したミイラたちを、四人で元の柩に戻す。
「だけどどいつがどこから出て来たのかわからなくなっちまったぜ」
 オクスが並んでいる石棺をきょろきょろ見回すと、
「いいじゃねえか、適当に戻しとこうぜ。どこだって柩には違いねえだろう? 全くミイラになってからも他人に世話を焼かせやがる困った王様どもだぜ」
 ドラドは平気でミイラを柩の中に押し込んでいく。全ての柩に蓋をし終えると、四人は上りの階段を捜し、上へと上がって行った。

 五階にも篝火が焚かれていたが、四階ほど数が多くもなく、薄暗い。それにやたらと大きな石が乱雑に置かれていて、まるで迷路のようだ。
「彫刻をこんな所に置いてどうするんだ?」
 オクスが松明で石を照らして言った。よく見て行くとただの石もあるが、人間の形に彫られた石像もたくさんある。
「ここは石工の部屋かな。ここで彫像を彫ってたんじゃないか? 賢者の石もここにあるかもしれないな」
 ムーンが何気なく言った時、ファントムがギクッとして立ち止まった。炬火を石像の一つに近づけて、しきりに顔を眺めている。
「どうしたんだ、そんなに見つめて。石像に惚れたのかよ?」
「この像の顔を見てみろよ」
「こいつはどっかで見たことあるぞ。有名な奴かな?」
 四人揃って石像の顔を見た。
「いや、こいつはあの魔法使いだ」
「ああ、そうだ。俺の面に小便ひっかけやがったふてえ奴らの片割れだ」
 そう言うと、オクスは拳を固めて石像の頭を殴った。
「なんであんな野郎の彫像なんか作ったんだろう?」
「違う。これはあいつ自身だ」
 ファントムは近くに落ちている剣と楯を指差した。そこに立っている石像は冒険者の恰好をしていた。
「あいつらみんな石にされたんだ」
「おい、ここにいい物があるぞ」
 ムーンは魔法使いの石像の足元に宝箱を見つけ、蓋を開けてみた。
「こりゃたまげた。マーメイドの小箱だ。デアケルの手袋もある。魔法布に、ピアソーの実、ペガサスの羽根、これはたぶんユニコーンの角だな。液に石に粉もある。ドラゴンの牙まで一本あるぞ。中級魔法に必要な品がほとんど揃ってる」
 ムーンは喜んで魔法の品を自分の物にした。その時どこかでシュルシュルという音がした。みんなビクッとする。
「メデューサだ……」
「じゃあ、こいつらは……」
「石に変えられたんだ」
「目を伏せろ! どこかにいるぞ。絶対に目を合わすんじゃない」
 四人とも大きな石を背にして俯いた。
「どうやって仕留める? 目を瞑ったまま斬りかかるか?」
 ファントムは少し考えてから、石になった冒険者の足元にある鋼鉄の楯を拾い上げた。袖でこすって汚れを落とす。
「何とかなるだろう」
 ファントムには名案が浮かんだようだ。
「それでどうする気だ? メデューサを映し出して逆に石にしてやろうってのか?」
「これじゃあそんなに綺麗には映らない。階段の所まで戻っておびき出そう。あそこなら前だけに気をつけてればいい。その辺に炬火を置いて明るくしてくれ」
 四人は炬火を放り投げると、急いで階段の所まで引き返した。ファントムは拾ってきた楯を壁に立て掛けると、
「メデューサが火のある所よりこっちに近づいて来たら、ここに影だけが映るだろう。俺が合図したら、目を瞑ったままで突き殺すんだ」
「なるほど」
「ドラド、これを使ってくれ。俺は左手しか使えないから」
 ファントムはドラドにカーマン・ラムゼリーを手渡した。ムーンは階段の下に隠れ、オクスとドラドは目をギュッと瞑って階段の上に頭だけ出した。足元にはいつでも武器を突き出せる状態にしてある。ファントムは逆を向いて楯に映る光を見ていた。
「絶対に目を見るんじゃないぞ」
「百も承知さ」
 しばらくするとシュルシュルという音が近づいてきた。ファントムは念には念を入れ、楯の角度を調節した。太い蛇の腹らしき物がぼうっと鋼鉄の楯に映った。
「映ったぞ」
「早く来やがれ、薄気味の悪い化け物め!」
 オクスが業を煮やして呼ばわった。楯に映った影が徐々に大きくなってくる。
「今だっ!」
 ファントムが叫ぶと同時に、オクスとドラドの斧と剣が飛び出した。メデューサは突き刺されて物凄い声を上げた。オクスとドラドは構わずに目を瞑ったまま飛び出すと、メデューサを滅多突きにした。メデューサは床に倒れて暴れていたが、ファントムはメデューサに楯を被せ、その上から顔をぐいぐい踏みつけた。
 とうとうメデューサは暴れるのをやめた。楯からメデューサの髪の毛の蛇がはみ出して蠢いている。オクスはその蛇の群も踏み潰してしまった。
「ざまあ見ろ!」
 メデューサは怪物事典に載っていた通り、下半身が蛇で、上半身は人間、髪の毛が蛇だった。しかし四人は最後までその顔を見ようとはせず、楯を被せたまま立ち去った。

 次に階段を上ると六階には扉があり、鍵が掛かっていた。ドラドの出番だ。またもやいとも簡単に鍵を外した。中に入ると、部屋はやたらに金ぴかの織物で床から天井まで飾られていた。女が一人、揺り椅子に掛けている。野生的な美女だ。
「お待ちしておりましたわ。私はラミア。私の姉がちょうどこの上で、あなた方が来るのを首を長くして待ち侘びています。もちろんあなた方の欲している賢者の石も、この上にありますことよ。さあ」
 女は立ち上がって四人を上りの階段まで案内した。滑るように床の上を進んで行く。
「と言うと、下で笛を吹いていた人はあなたの――」
「妹のリリスですわ。あの子は気まぐれ屋さんで、ここにじっとしていないの。いつも一人でふらふら歩き回っていますのよ」
「上にいるあなたのお姉さんは?」
「アヴァンティナですわ」
「!」
 ファントム、オクス、ムーンの三人はギクリとしたが、ドラドだけは別段驚いていないようだった。それ以上訊くのも躊躇われたので、四人は黙って階段を上がって行った。四人の後ろ姿を見送るラミアはニヤリとして、長すぎる舌を口から出した。
「怪しいなあ」
 オクスが小声で囁いた。
「わかってるさ。充分気をつけないと」
 七階にも扉があったが、鍵は掛かっていなかった。ここにも金髪の女が一人いて、椅子に掛けて一人で暖炉の火に当たっていた。
「あれがアヴァンティナか?」
「わからない」
 ラミアの部屋と違い、ここには何の飾り気もなかった。
「欲しい物は差し上げるわ。その代わり、私の頼みを聞いてちょうだい」
 女が後ろ向きのまま不意に喋りだした。
「頼みって?」
「私から愛しい人を奪った憎い女を殺して欲しいの。ここまでやって来れたあなた方だから、きっとできるはずよ」
「殺すって、一体誰をだ?」
「スヴァルヒンよ」
 女は憎しみを込めて言うと、四人の方に初めて顔を向けた。長い巻毛の金髪が頬にかかる。あっと息を呑むような美女だった。
「でも、他人に頼まれて人を殺すなんてできないな」
「ここに来るまでにたくさん殺してきたじゃない」
「それにしても……、だいたいスヴァルヒンなんて無理だ。俺たちの手には負えない」
「……そう」
 女はまた暖炉の方を向いてしまった。
「あなた方の欲しがっている物はこの上にあるわ。行ってお父様に頼むといいわ」
 女は上りの階段を指差した。
「一つだけ聞かせてくれ。あなたはアヴァンティナ団と何か関係が?」
 アヴァンティナはファントムの問いには何も答えようとはしなかった。ファントムは問い質すのは諦めた。
 八階へはかなり急な階段が続いている。扉には鍵が掛かっていたので、ドラドがまた外した。大きなテーブルの上に燭台があり、蝋燭に火が燈っている。テーブルの向こうには誰かいるが、椅子には掛けないで、テーブルの脚に凭れ掛かって床に座り込んでいる。見ると、よぼよぼの老人だ。両目が閉じられている。
「賢者の石をもらいに来たんだ。どこだ?」
 ドラドが老人に脅迫めいた言い方をした。老人は項垂れていた頭を持ち上げると、黙って天井を指差した。四人は指に釣られて上を見上げた。高い丸天井があるだけだ。
「よう、爺さん!」
 ドラドは老人の胸ぐらをつかんだ。その瞬間に老人の両目がカッと開く。燃えるように真っ赤な目だ。口が裂けて牙が剥き出しになった。瞬く間に老人は大蛇へと変身していく。
「うわあっ!」
 ドラドは慌てて大蛇の首を放し、後ろに跳び退がった。ファントムも剣を抜いた。オクスは戦斧を振りかざして大蛇に打ちかかって行ったが、大蛇の体はスッと空中に浮き上がり、斧を簡単に交わしてしまった。ドラドは短弓を執って矢を放った。矢は狙いたがわず大蛇の額に命中した。しかしその矢が大蛇の額に吸い込まれたかと思うと、次には逆に鏃が額から飛び出し、唸りを上げながらドラドに向かって飛んで来た。ドラドは危ういところで辛うじて身を交わした。
「ナーガだ! あいつがナーガだ!」
 ムーンが叫び声を上げた。オクスが戦斧を振り回してナーガの胴を輪切りにした。ナーガの胴は真っ二つに切れたが、それがあれよあれよと言う間に空中でくっついてしまった。ムーンは咄嗟にドラゴンの牙を取り出して呪文を唱えた。その牙をナーガに向かって投げつけると、ナーガは口を開けてそれを呑み込んでしまった。次の瞬間には爆発音が轟き、ナーガは破裂してバラバラに飛び散った。
「やった!」
 ムーンがほっと溜息をついたのも束の間、飛び散ったナーガの肉片がそれぞれ小さな蛇に変わっていき、四人に向かって襲いかかってきた。四人は武器を振り回して目茶滅茶に暴れ回った。そのうち小蛇は互いに合わさっていき、しだいに大きな蛇へと姿を変えていく。とうとう元の大蛇の姿に戻ってしまった。
 ムーンは自棄になって片っ端から道具を取り出すと、次々に呪文を掛けた。石火散乱、苦痛付与、疾風怒濤、空中致傷、昆虫湧出、不具無能と立て続けに呪文を唱えたが、ナーガには全く効き目がない。
「駄目だ。魔法が全然効かない」
 ナーガの首はやがて四つに分かれ、それぞれが牙を剥いて四人に襲いかかってきた。四人はへとへとになり、だんだん動きが鈍くなってくる。全身噛みつかれて傷だらけだ。
「埒が明かない。逃げよう!」
 オクスが諦めかけてそう言った時、ファントムが懐に手を突っ込み、小さな平べったい革袋を取り出した。
「よし、今こそこれを使ってみよう!」
 革袋から小さな鏡を出してナーガに向けた。ナーガの一つの首がファントムに向かって食いかかろうとしたが、途端に小さな鏡から大蛇が飛び出して来た。鏡から出て膨れ上がった大蛇のために、鏡はバリバリと割れてしまったが、出て来た大蛇はナーガとそっくりで、たちまち実体と向き合うと牙を剥いた。
 実体の方が様々に形を変えて脅そうとしても、それに従って鏡像の方も全く同じものに変化する。二匹の大蛇は遂に数十本の首を作り、お互いに噛みつき合った。ナーガにはナーガの弱点がわかっているようで、数十の頭は互いに相手の喉元にあるねじれた木の葉のような模様を狙った。ファントムたちは唖然としてナーガ同士の死闘を見ていたが、とうとう数十の頭は共倒れになり、両者とも床に伏してしまった。
 ムーンはびっくりしてファントムのそばに這い寄った。
「今のは同体鏡像の術じゃないか。初めて見た。あんな凄い術を使えたのか?」
「いや、俺じゃない。マリアという人に、危なくなったら使うようにってこの鏡をもらったんだ。一回しか使えないんだ、ほら」
 ファントムは、割れてしまって縁しか残っていない鏡をムーンに見せた。
「これで邪魔者もいなくなった。早いとこ賢者の石を捜そうじゃないか」
 ドラドは辺りを調べ始めた。
「何にもねえな」
「あそこにあるってナーガがさっき指差してただろう?」
 ファントムは丸天井を指差した。
「そうか、もしかするとあそこに部屋があるのかもしれないな。外から見ると、確か塔の先っぽは尖ってたはずだから、まだまだ上があるってことか」
 ドラドは手を叩いた。
「しかし上れないぜ。階段もないし、ここで行き止まりだ」
 オクスが天井を見上げて言うと、
「これで天井をふっ飛ばそう」
 ムーンが革袋を取り出して開いた。
「買ってきたワイバーンの牙がまだ三本とも残ってる。物体爆破の術だ」
「さっきナーガを吹っ飛ばしたあれか? 失敗したけど」
「ナーガは千年も生きてきた魔物だ。それに比べて今度はただの石の天井。楽なもんさ」
 三人が壁際に避難すると、ムーンは部屋の真ん中で呪文を唱えた。天井に向かってワイバーンの牙を放り投げたあと、すぐにテーブルの下に潜り込んだ。爆音と共に瓦礫が降って来る。辺りにはしばらくの間煙が立ち込めた。壁の一部にも穴が空いたようで、そこから星空が見えた。
「もう夜か」
 四人は爆発で消えてしまった蝋燭や松明に手探りで火を点けた。瓦礫の山をひっくり返して子細に調べていると、やがて拳大の丸い石が見つかった。石にはわけのわからない模様が描かれていた。
「あったぞ!」
「確かに賢者の石に違いない」
 かなり時間がかかったが、遂に石を三つとも発見する。錬金術師の言った幻の賢者の石は本当に存在したのだ。
「やった、俺たちが手に入れたんだ」
「これが金貨千枚か……。信じられねえ」
「これでしばらく遊んで暮らせるぜ。旨い酒も死ぬほど飲めるな」
 ムーンとドラドとオクスの三人は素直に喜びを表したが、ファントムは他の三人とは違って、急に沈み込んでしまった。賢者の石を見て、突如後悔の念が湧いてきた。
「どうしたんだ? 喜べよ」
「こんな物のために……、馬鹿々々しい……」
「え?」
 三人にはファントムの言うことがよくわからない。
「この石ころが金貨千枚だぞ。なんで馬鹿々々しいんだ?」
「こんな石ころのために、一体何人の冒険者が命を落としたんだろう? こんな石ころのために……。俺たちのしたことは、金欲しさのための押し込み強盗じゃないか?」
「うーん」
 ファントムにそう言われると、オクスは考え込んでしまった。しかしドラドには全くそんな考えは浮かばないようだ。
「馬鹿々々しいのはおまえのそういう考え方だ。そんなこと言ってるようじゃ、おまえは冒険者失格だな。終わり良ければ全て良し、俺は結果さえ良ければ過程なんかどうだろうと気にしない。俺にはタウの町に腹を空かした貧乏人たちが待ってる。いくらご大層な名言を百ほど並べたところで、そいつらの胃袋はいつまで経っても満たされないのさ。ご立派な理想論よりも、まず飯の種が先だ」
 確かにドラドには、今日の食べ物にも不自由している貧乏人たちに金をまいてやるという大きな目的がある。だからドラドの言っていることは言い訳でも何でもなく、ちゃんと筋の通ったことなのだ。しかし自分たちは別だ。そんな立派な目的なんか持っていない。言わば、面白半分で来た冒険の旅に過ぎない。ファントムには今となって後悔の念しか湧いてこなかった。
「まあ、言ったって始まらねえ。まだここから抜け出すっていう大仕事が残ってらあ」
 ドラドは口にこそ出して言わないが、言葉とは裏腹に、実際のところはファントムのことがとても気に入っているのだった。こういう奴だから、助けたり、一緒に組んだりするかいがあるのだ。ウル商館で格闘して以来、ずっと彼のことが気になっている。
(こいつは悪党には絶対になれない。何かする度に損ばかりしているタイプだ。だけど、少なくともタウにはこんな妙な奴はいない。人を惹きつける不思議な魅力がある)
 ドラドはドラドなりに、言葉では説明できない価値をファントムに見出していた。しかしドラドが言った通り、本当の危険はこれからだった。




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