19.エトヴィク陥落



 ファントムとオクスがロカスタ街道沿いの一小村に留まっていたちょうどその頃、いよいよピグニア軍のエトヴィク侵攻が開始された。合計六万に及ぶ大軍であったが、最高執政のディングスタにしてみれば、戦闘が目的と言うよりは、単なる兵力の移動に過ぎないのであった。ピグニア軍は三方面軍に分けられ、それぞれが時を同じくしてエトヴィクの三大都市、チャカタン、サラワン、そして国都のエトヴィクへと進軍した。
 侵攻前のアルバでの軍議の席において、ディングスタの作戦を聴いて首を傾げない将軍はいなかった。
「軍を三分するのはいかにも効率の悪いことかと思われます。チャカタンには一万、サラワンには二万、エトヴィクには四万の兵力が存在しております。これに対して我が軍は二万ずつに兵力を分散して同時に攻めるとなれば、チャカタンはともかく、他の二都市での苦戦は必至。
 城攻めには城側の三倍の兵力をもって当たるのが常道であります。我が精鋭部隊を用いるとしても、少なくとも各都市に対して二倍の兵力は必要です。しかしエトヴィクに対して半数の二万の兵力で当たるとなれば、いかに閣下ご自身がエトヴィク攻めの指揮を執られるとは言っても、これは危険すぎましょう。ここは六万の軍勢を一つに結集させ、チャカタンから順に西へ進軍し、各個撃破でいくことが安全策かと存じますが」
 首席将軍であるメッサナの意見である。
「なるほどメッサナ将軍の申すことはもっともな正攻法というものだ。しかしあくまで正攻法に過ぎない。私の作戦は真っ向からエトヴィク軍とぶつかるためのものではない。私は力攻めでエトヴィクを陥とそうなどとは今回考えてはいない。その必要もない。
 今回の戦においては、ピグニアの勝利は自明のこと。私の目的は、暴君トランツとその一味を捕らえ、処罰することにある。兵と兵とを戦わそうなどと考えてはおらぬ。エトヴィクの兵とて、戦が終わればピグニアの兵となるのだ。ならばトランツ一人のために無駄死にさせてはなるまい。仮にメッサナの申すように、チャカタンから順に全軍を動かしたとしよう。さすればエトヴィクで敗れたトランツはどうするであろうか?」
 ディングスタは一座の者の顔を眺め回し、回答を求めた。将軍たちは目の前に拡げられた大きな地図を睨みながら考える。
「エトヴィクからサラワンへと後退し、そこでも敗れれば、次はタウかオーヴァールへと逃亡することでありましょう」
 次席将軍のロウマクーザが地図を一々指し示しながら言った。
「そうだ。逃げ道が残されている。しかしトランツはタウへは行かぬな。セルパニはトランツを受け入れはせぬ。せいぜい申し訳程度の援軍を出して来るに留まるであろう。奴にもそれは容易にわかるはずだ。何しろあの二人は同じ穴のむじな。それとも犬猿の仲であろうか?」
 一同から笑いが起こった。
「結局オーヴァールへ逃げ込まれてしまうことになる。そうすれば暴君トランツの処罰は叶わぬこととなる。デロディア王はトランツを厄介者とは思っても、同盟者である故に保護せざるを得ない。つまり今回の目的は遂げられぬということだ。アヴァンティナ団が我らに協力して、スヴァンゲル川の手前に三千人を動員するが、これでは突破されよう」
「然らば、三都市同時に攻めるとなると、トランツの逃げ道は南に限られますな」
 第四席将軍のフローレが言う。
「そうだ。間違いなく属国であるタマンへ逃げ込もうとするであろう。しかしそうさせるのがこちらの狙いだ。タマンは長期間にわたりエトヴィクの属国として甘んじてきたが、決してエトヴィクに臣従することを快く思っているわけではない。特に貢ぎ物を多大に要求するトランツなどは、殺しても飽き足りぬと思っている。そのタマンが、ピグニアに矛先を向けてまで、風前の燈火となったトランツを救おうとするであろうか?」
 フローレは幾分考え込んでから口を開いた。
「しかし、タマンの総裁セラが、万が一トランツを保護した場合はいかがなさいますか? タマンを攻めますか?」
「それはない」
「既に手は打ってあるのだ。セラは間違いなく我らに味方すると約束した」
 ディングスタの言葉を受け、宰相のエルナリクが言った。
「なるほど。さすがに閣下、抜かりはございませんな。ですが、エトヴィクの城自体が最大の難関です。その兵力は四万。出城のネニンに五千」
 フローレが心配すると、ディングスタはニヤッと笑った。
「エトヴィクの兵はいずれピグニアの兵となると先程申したであろう。トランツはアスロン二世を謀殺して玉座を奪ってからは、己れの一族と腹心の者に爵位をみだりに与え、要職を独占した。つまりエトヴィクとは、能なしと変節漢ばかりの集まりということだ」
 エルナリクが再びディングスタのあとを受けて説明し始める。
「チャカタンのカスコム将軍、サラワンのハミット将軍、エトヴィクのワイオンゲンとオストロ両将軍、彼らは全て釣り上げてある。つまり、エトヴィク兵の半数は現時点でピグニア兵と考えて良いのだ。内外呼応して攻め立てれば、たちまちチャカタンとサラワンの腰抜け太守は命乞いに来るであろう。エトヴィクからは、トランツと宰相のアセル、大将軍ルフォールはタマンへ逃げる。袋の鼠だ。そうしてタマンが奴らの入城を拒絶した時は、あとはエセク海へ飛び込むしかあるまい」
 将軍たちの間から笑い声が起こった。
「バルデトレムセンとドットは、既にダフネからモロトフ湖南岸へ、舟によって兵と軍馬を輸送し終えている。我らに先んじて、水路と陸路からチャカタンを急襲する。カスコムが寝返ることになっている故、即刻チャカタンを占領し、バルデトレムセンはチャカタンに駐留するが、ドットは西進してウライユの砦を踏み潰し、東からエトヴィクに迫る。メッサナは一万の兵でサラワンを直接攻める。しかし、かなり経ってからハミットが寝返ることになっているから、それまではただ城を北から威圧しているだけで良い。
 私はロウマクーザとフローレと共に三万の兵を率い、まずネニンの砦を抜き、その後エトヴィクに迫る。だが、フローレはネニンから一万の兵を率いて西へ向かい、ウェルスの砦を陥とし、サラワンのメッサナと合流するように。サラワンを陥としてからは町に駐留する。代わってメッサナがエトヴィクへ向けて東進する。私とロウマクーザでエトヴィクを圧迫しておくが、やがてワイオンゲンとオストロが寝返る故、トランツがタマンへと逃げ出すのは時間の問題だ」
 将軍たちはそれを聴いて納得した。ちょうどそこへ黒覆面の男が姿を現した。
「遅かったな、イジート。アーサーは始末したか?」
 ディングスタが声をかけると、イジートはディングスタの傍らまで歩み寄り、耳元に口を寄せた。他の誰にも聞き取れないように囁く。ディングスタは表情一つ変えずに聴いていた。
「その二人は何者だ?」
 イジートは首を横に振った。ディングスタはしばらくじっと考え込んでから言った。
「よし、四日後の進発を明日に変更する」
「それはあまりに急な。まだ軍も調っておりませぬ」
 驚いたメッサナが抗議すると、
「調っておらぬのなら今日中に調えよ」
 ディングスタは素っ気なく言った。メッサナは目を丸くして、
「何事が起こったのですか?」
「なに、大したことではない。将軍たちは全て指令書に従って行動すれば良い。ただし、日付は全て三日繰り上げるように。バルデトレムセンには早馬を遣り、即刻進発、チャカタン到着を早めるように伝えよ。では解散だ。各部隊に明日進発と触れよ」
 将軍たちは軍令書を受け取ると、慌てて退出した。しかしイジートはまだ部屋に残っていた。
「おまえももう良い。退がれ。たとえオーヴァールに事前に事が洩れようと、その時はその時だ。新たな策を考えれば良い」
 ディングスタはそう言って済まそうとしたが、イジートはその言葉を聞くといきなり黒覆面を解き、短剣を抜くや、自分の手で自分の頬を切り裂いた。それを見ていたエルナリクは、唖然としてしまって声も出ない。
「馬鹿者め。退がれっ!」
 ディングスタから叱りつけられ、イジートは血を流しながら部屋から出て行った。
「あいつは一体何を考えているのだ?」
 ピグニアの宰相とはいえ、エルナリクにはイジートの存在がよく理解できていない。
「あいつはああいう奴だ。私のために働くということを自覚している。決して裏切りやごまかしはしない。裏切ればどうなるかということもよく承知している。下手な策士よりは余程役に立つ。奴は今回生まれて初めてしくじったのだ。それを恥じたまでのこと」
 長い間陰になり日向になりして支えてきたが、ソウルイーターの入手といい、魔女のスヴァルヒンとの関係といい、やはりエルナリクには、ディングスタの謎めいた過去にだけは立ち入ることができそうにもなかった。
「では、アーサーとやらを取り逃がしてしまったのか?」
 もとより彼の過去を追及する気などない。エルナリクはごく自然な質問を口にした。
「無論アーサーは片づけた。しかし別の無関係な者に秘密が洩れた。それにしても、イジートの刃から逃げおおせた二人とは、一体何者なのだ……」
 ディングスタはしばらくの間じっと虚空を見つめていた。

 ピグニアの三軍はほぼ時を同じくしてエトヴィク領内へと攻め込んだ。まずはバルデトレムセンの率いる船団がタマン川を下り、それと平行してドットの率いる騎馬隊が川沿いに南下し、チャカタンから戦闘の火蓋が切られた。バルデトレムセンの歩兵隊一万は、船から陸に揚がると川の東岸に陣を布いた。ドットの騎馬隊一万は西岸に布陣した。これに対し、チャカタンの太守ダイメル侯爵は兵を小出しにしてきた。
 将軍オッカムに騎兵千、歩兵千をつけ、西門から討って出させた。国都エトヴィクに急を知らせるのが目的だった。ドット隊は待ってましたとばかりにオッカム隊を包囲した。ピグニア軍の猛烈な攻勢に、たちまちこれは突破不可能と腰が退け、オッカムは早々に町へと引き返し始めた。
「開門っ!」
 門前まで戻って来て叫んだが、太守のダイメルは迫り来るピグニア軍の突入を恐れ、
「あれは我が軍勢ではない。オッカムは都へ向けて発ったのだ。都へ救援要請に行った者が、こんな早くに戻るはずがあろうか」
 と屁理屈をつけて門を開かせない。自分はさっさと居館に引き籠もってしまった。門前のエトヴィク兵たちはたちまちピグニア兵に討ち減らされていった。
 ドットは敵の指揮官らしき者を見つけると、馬を飛ばして敵中に単騎斬り込んだ。右に左に大刀を振り回し、エトヴィク兵を次々と斬りまくった。
「やい、将軍なら将軍らしく勝負しろっ!」
 オッカムは逃げ場を失い、矛を構えてドットに向かって行く。馬と馬の擦れ違いざま、ドットの大刀一閃でオッカム将軍の首が刎ね飛ばされていた。
「くだれっ、くだれっ! 命は許してやる!」
 ドットは大音声を上げながら走り回った。門前に追い詰められていたエトヴィク兵たちは、すぐさま武器を捨てて降伏した。
「退けっ!」
 残ったエトヴィク兵たちが全員降伏するや、ドットは門を攻めずに部隊を後退させた。町の反対側ではバルデトレムセンの歩兵隊が攻撃を始める。しかし突撃はしないで、もっぱら防壁の内側へと火箭を立て続けに射込ませた。防壁上に出ていたエトヴィクの兵たちも弓矢で応戦していたが、あろうことか、突如町の中心部にある太守の居館から火の手が上がった。
「ダイメルを討て! 太守を殺せ!」
 街中で叫び声が上がっている。城内にいたカスコム将軍が部下を使い、城内の兵士たちの間に触れ回らせているのだ。
「太守はオッカム将軍と二千の兵を見殺しにしたぞ! このままでは我らも犬死にだ! ピグニアのために働こう! ディングスタは正義と公平の人だ!」
 エトヴィクの兵たちは動揺した。それまでじっと待機していたバルデトレムセン隊とドット隊は、町から上がる煙を見て、
「うぉーっ!」
 と大喊声を上げ、それぞれ城門へと突撃を開始した。門はたちまち破られ、城門を守備していた兵士たちは街中へと逃げ出した。ピグニアに寝返ったカスコムの反乱兵たちは、火を掛けた太守の居館へとなだれ込んだ。
「太守を捜せっ! ダイメルの首を挙げるのだっ!」
 太守の居館を守っていた兵士たちは、火の手が上がり、煙が濛々と噴き上げるのを見て戦意をくじかれ、たちまち反乱兵たちに斬られ、残った者たちは即座に降伏した。
 太守のダイメル侯爵は怖じ気づいて館の中を逃げ回っているうちに、結局付き従っていた兵士たちの叛心により、切り刻まれて首を挙げられた。チャカタンは一瞬にしてピグニア軍の手に陥ち、逃げていた兵士たちは呼び戻された。しかし、チャカタン方面軍総司令官のバルデトレムセン将軍の前に、太守ダイメルの首が差し出された時、恩賞に与ろうと太守の首を持参した四人の侍従兵を、バルデトレムセンは全軍の前で即刻処刑した。
「この者どもは、褒美欲しさにいつでもどこでも主に刃を向けることのできる卑劣漢どもだ。そのような降伏は認めない」
 降参兵たちは震え上がった。殊にカスコムは顔面から血の気も失せてしまっていた。そんなカスコムの様子を見て、バルデトレムセンは歩み寄ると、
「将軍は以前よりピグニアのために太守を討つ約束をされていたのだ。何も気にされるな。カスコム将軍こそ本日の軍功第一の者だ」
「ははっ、誠にありがたきお言葉、痛み入ります」
 カスコムはかしこまった。
 バルデトレムセンはそのままチャカタンに留まり、住民を慰撫すると共に、補給の任に就いた。一夜明けると、ドットは降参兵を加えた一万五千の兵を率い、西へ向かってチャカタンとエトヴィクの中間に位置するウライユの砦へと軍を進めた。これにはカスコムも付き従った。
「ウライユの守将メイドックは、老齢とはいえ強者にございます。ここはまず私が彼を説得し、是非とも戦わずして将軍の軍門に降らせたいと存じます」
 馬を並べてカスコムが進言すると、ドットはすんなり許可した。
 ウライユの砦は街道から少し逸れた所にある小さな砦で、兵は三千しか置いていないが、エトヴィクへ向かう背後を衝かれてはまずいので、素通りして放って置くわけにはいかない。軍勢を砦の近くまで進ませると、まずはカスコムが馬で進み出て、
「メイドック将軍!」
 砦に向かって大声で呼びかけた。
「ここにおるわ」
 白い髭を蓄え、完全武装した老将が防壁上に現れて返事した。
「将軍、悪いことは言わぬ。トランツ王の治世は間もなく終わるのは目に見えている。王位を簒奪した者が、ピグニアの正義の軍に勝てるはずがあるまい。将軍は腐敗した官吏どもとは無縁なお方だ。お命を奪いたくはない。潔く降伏して砦を明け渡されよ。ピグニアは必ずや将軍を厚遇してくれよう」
 メイドックは腕組みしたまま、黙ってカスコムの降伏勧告を聴いていたが、カスコムの言葉が終わるや、大声で笑い出した。
「簒奪者とは果たして誰のことを指しておるのか? ディングスタこそ己れの主を追放した簒奪者そのものではあるまいか? わしはあくまでエトヴィクの軍人じゃ。生きても死んでも、エトヴィクの臣下に違いない。あいにくとわしは、おぬしのように追い風ばかりに乗って世渡りを上手にこなしていくような器用さも、曲がった性根も持ち合わせてはおらぬ。おぬしのような若造がこのわしを説得しようとは、十年早いわ!」
 メイドックはまた高々と笑い声を上げた。
「将軍、あなたがあくまでエトヴィクの臣民であられようとすることを咎めはせぬ。しかしあなたの決断一つで、配下の兵士たちは死なずに済むのですぞ。考えてもみなされ、こちらは一万五千の兵、それに比べてあなたの方はわずかに三千。あなたが決戦に及ぶことによって、エトヴィクの臣民たるウライユの兵士たちは、犬死にして野に屍を晒すこととなりますぞ。それでもあなたはあえて勝ち目のない戦をなさろうとしますか? 兵士たちの妻子が嘆き悲しみますぞ」
 カスコムは諦めずに説得を続けた。
「勝敗が目に見えているからと言って、戦う前から一々降伏を考えていては、何のための兵士ぞ? 何のために、長い間この国の禄を食んできたのじゃ? この日のためであろうが。国家にひとたび急ある時は、一命を賭して敵兵と戦う、それが軍人たる者の役割ではあるまいか? ええっ、どうじゃ?」
 砦からどうっと歓声が上がった。
「おっしゃることはもっともだが、将軍には世の趨勢というものが見えてはおられぬ。いや、故意に目を逸らそうとなされておる。急流に逆らう一枚の枯葉のようなものだ。それでも立ち向かわれるかっ!」
「問答無用!」
 メイドックは防壁上から姿を消した。しばらくすると門が開き、馬に跨ったメイドックが槍をつかみ、二百騎ほどを従えて出て来た。ピグニア軍も戦闘態勢を取った。
「待たれよ! カスコムの申すはもっともなこと。そこでじゃ、主将同士の一騎討ちで勝敗を決しようではないか!」
「よしっ!」
 ドットが吼え、馬を前に進めた。背中に提げた大刀をすらりと引き抜く。
「わしがもし負ければ、この砦の者は皆降伏致す。おぬしが負ければ、そちらは潔くピグニアへ引き揚げる。それでどうじゃ?」
 両軍からどよめきが湧き起こった。
「良かろう」
 メイドックとドットだけが中央に進み出て睨み合った。メイドックは槍を扱き、馬腹を蹴って馬を飛ばした。ドットも大刀をかざして馬を走らせた。両者勢いづいたまま正面から激突する。槍と大刀が猛烈な勢いでぶつかり合い、火花を散らした。ドットの腕力は十人並みだが、凡将なら一溜りもなく武器を弾き飛ばされていたであろう強烈な斬撃に、老将のメイドックはよく耐えた。両者馬を返すと、次は接近戦となった。
 そうやって十数合打ち合っていたが、とうとうドットの一撃がメイドックの槍の柄を真っ二つに断ち切った。メイドックはめげずに槍を捨てると、腰から剣を引き抜いた。しかしドットはすかさずその剣も弾き飛ばしてしまった。馬を更に近づけ、そのまま鐙ごとメイドックの右足の裏を蹴り上げた。メイドックは構え直す間もなく馬の背から転げ落ち、呻き声を洩らした。ドットは馬上からメイドックに大刀を突きつけた。
「さっさと殺せっ!」
 メイドックはわめいたが、ドットは大刀を鞘に収めた。両軍の兵はあっと驚いたが、これには訳があった。ディングスタが各将軍に手渡した軍令書の中には、処罰者名簿というのがあり、敵の将軍級以上の者の名が記されてある。いわゆるブラック・リストの一種だ。これに名が載っていない者は、やむを得ない場合以外は将軍の独断で無闇に殺すことができない。ビンライム時代に諜報機関の長官であったエルナリクが、以前からの情報に基づいて作成した物だ。チャカタンでドットが斬ったオッカムや、味方の兵士に殺された太守のダイメルはその名が名簿に載っていたが、メイドックの名はなかった。
 将来のオーヴァールとの決戦に備え、一人でも多くの人材が欲しいというディングスタの意図であったが、人を無差別に殺すドットには特に厳しく言い聞かせてあったのだ。決してドットが情けでメイドックを許したのではなかった。ここで無力になったメイドックを斬ったならば、後日軍監からつぶさにその模様がディングスタに報告され、ディングスタはたとえ股肱の臣であっても、決して許しはしないであろうことはドットにもわかっていたのだ。
「このような辱めを受けて、おめおめと生き長らえておられようか!」
 メイドックは咄嗟に剣を拾い直し、自害して果てようとした。途端にカスコムの射た矢がメイドックの剣を弾き落とした。
「くくっ……」
 メイドックは力が抜けてしまい、地に伏して悔し泣きした。
「将軍をお救いしろっ!」
 ウライユの騎兵たちは色めき立ち、一斉に馬を走らせた。ピグニア兵たちも前進した。
「待たぬかっ!」
 突然メイドックが体の痛みをこらえて立ち上がると、雷鳴のような大声で叫んだ。
「これ以上わしに恥をかかせる気か! わしは主将同士の一騎討ちに敗れた。その時の約束は全員降伏じゃっ! 約束は約束。これも世の流れ、無駄に命を捨てるでないっ!」
 エトヴィク兵たちはメイドックには逆らえなかった。悔し涙を流す者さえいた。
「爺さん、あんたも無駄死にするんじゃないぞ」
 ドットはメイドックを見下ろして言った。
「無念じゃ……」
 こうしてウライユの砦は一人の死者も出さずに陥落した。
 ウライユの砦にはピグニア兵五百とエトヴィク兵五百のみを残し、他はエトヴィク攻めに組み込まれた。砦はそのままメイドックに任された。危ぶむ声もピグニア軍側から上がったが、これもディングスタの軍令書通りである。下手なピグニアの人間に任せるよりは余程安全だという判断だ。エルナリクはメイドックをエトヴィク一公正な人物と認めていたのだ。
 そもそもウライユへの糧食はチャカタンから送られることになっているので、チャカタンを押さえられた今となっては、反乱は不可能だった。更にその糧食を中継してエトヴィク攻めの前線へ送るとなると、メイドックの公正さは是非とも必要だった。こうして再編成されたドット隊一万七千は、翌朝砦を発ち、国都エトヴィクへと進撃した。

 一方、ディングスタの率いる本隊三万は、荒野の道沿いにあるネニンの砦に攻めかかっていた。砦からは早速エトヴィクの都へ向けて急使が発てられる。ネニンの砦は隣国に接するため、特にガーベイとルドルスという名高い二将と五千の兵が置かれている。ディングスタはロウマクーザ隊とフローレ隊を砦の東西に移動させた。砦側は様子を窺っていて、簡単には討って出て来ない。
「降伏せよ!」
 ディングスタが砦に向かって叫んだ。高い防壁上にいたガーベイは、返事の代わりに矢を射て返した。矢は狙いたがわずディングスタの胸元へと飛んで来たが、ディングスタは簡単に剣で払い落とした。
「侵略者め、地獄へ墜ちろ!」
 ガーベイがそう叫ぶと、防壁上に弓兵が一斉に出た。ディングスタは急いで馬を自陣へと返すと、
「この砦には武名高きガーベイとルドルスがいると聞く。その手並を見せてもらおう!」
 振り返って再び叫んだ。砦の方ではガーベイとルドルスが相談を始めた。
「私が一当たりして、敵の虚実のほどを確かめて参りましょう」
 ルドルスが早速五百騎ばかりを率いて門から討って出た。ディングスタは今回初めて軍に同行させ、常にそば近くに従わせてきたコンスタンツとバートを招き寄せ、何事か策を授けた。二人は騎兵を率いて飛び出した。
「そちらはルドルス将軍とお見受けした。不肖バートがお相手致す」
 バートは太刀を抜いて一騎で前進した。
「若造め、俺の相手をしようとは見上げた度胸だ。苦しませずにあの世へ送ってやるから感謝しろ!」
 ルドルスは大剣を片手に馬を飛ばす。たちまち激しい打ち合いとなった。打ち合いながらもバートはルドルスを口汚なく罵り続けた。アルバの町のならず者上がりのバートの口からは、相手を侮辱する汚い言葉が次から次へと飛び出してくる。
 ルドルスは怒り心頭に発し、バートに大剣を激しく打ちつけようとしたが、いくら打ち込んでもバートに巧く受け交わされた。間もなく周囲でも両軍の騎兵が衝突し始めた。コンスタンツの部隊は大きく迂回して敵の後方に回り込もうとする。逆にバートの部隊は徐々に後退して行く。罵っては退く、退いてはまた罵りながら少し相手をする。冷静さを失っていたルドルスは、その誘いについつい乗ってしまった。
「いかん、鐘を鳴らせ。罠に嵌まるぞ。退き鐘だ! 退き鐘を打てっ!」
 防壁上から観戦していたガーベイが叫ぶ。物見櫓で鐘が打ち鳴らされた。しかしルドルスはバートを追って敵陣に深入りしてしまっていた。バートの騎馬隊は陣中に逃げ込んだ。ディングスタが合図すると、代わって待機していた歩兵隊が一斉に長い竿を抱え上げ、横一列になって前方に突進した。竿を並べて敵の騎兵の胸を突く。勢いづいて前進していた騎兵たちは、竿に突き飛ばされて次々に落馬していった。落馬したエトヴィク兵を、ピグニアの歩兵たちは寄ってたかって縛り上げてしまった。
「しまった! 深入りした。退けっ!」
 ルドルスは叫びながら慌てて馬を返した。
「待て、口先だけの卑怯者っ! 怖じ気づいたか!」
 今度はバートがルドルスを追いかける番になった。しかしルドルスはまっしぐらに砦の門を目指した。ところが、あらかじめ後方に回り込んでいたコンスタンツの部隊がルドルスの行く手に立ち塞がった。コンスタンツは長剣を片手にルドルスに向かって突進して行く。剣と剣がぶつかり合い、火花を散らした。後ろからはバートが馬をぶつけて行った。
 コンスタンツがルドルスの馬を斬った。馬はいなないて棹立ちとなり、ルドルスは地面に放り出され、腰をしたたかに打った。たちまち駆け寄って来た歩兵たちが、ルドルスを高手小手に縛り上げてしまう。ネニンの騎兵たちはことごとく捕らえられ、砦に逃げ帰れたのは五百人中百人に満たなかった。しかしディングスタは追撃はしなかった。

 日が沈むと東からロウマクーザの部隊が、西からフローレの部隊が、同時にネニンの砦を攻め立てた。兵数で圧倒的に勝るピグニア軍の攻撃に、兵を分散せざるを得ないネニン側は死にもの狂いになった。しかしピグニア側はしきりに大喊声を上げてはいるが、特に門を打ち破ろうとはしなかった。離れた場所から矢を射掛けるばかりだ。
 砦の北側では、ディングスタが兵士たちにルドルスを連れて来させた。
「エトヴィクは間もなく亡びるぞ。どうだ、私に仕えぬか?」
 ディングスタの言葉に対し、ルドルスはそっぽを向いただけだった。
「生きるのと死ぬのとではどちらが好きだ、ルドルス?」
「死ぬ方だ」
 ディングスタは笑って兵士にルドルスの縛めを解いてやるように命じた。
「どんな手を使おうとも、俺の気は変わらないぞ」
「構わぬ。砦へ帰るが良い」
「だったら、俺の代わりに他の兵たちを帰してやってくれないか?」
「厚かましい奴め。言わせておけば図に乗りおって! 貴様は捕虜だぞ。要求できる立場か! 閣下のご厚情をありがたいと思え!」
 コンスタンツがたまりかねて怒鳴り声を上げた。
「よろしい。兵士どもも全員放してやろう」
 ディングスタの命令により、捕らえられた兵士たちも皆解き放たれた。エトヴィク兵たちは喜んで砦へと逃げ帰って行く。ただし馬は帰してもらえなかった。
「礼は言わぬぞ。こんなことをして後悔しても知らぬからな」
 ルドルスは捨て台詞を吐いて暗闇の中へと消えて行った。
「せっかく捕虜にした者を、閣下、何をお考えです?」
 コンスタンツは苛立たしそうに言った。ディングスタは静かに笑って言う。
「これでネニンの砦と兵士は、予定通り我がものとなるだろう。蒔かれた種は明日にも芽を出し、明後日には花を咲かせ、間もなく実を結ぶであろう」
「?」
 コンスタンツにもバートにも、ディングスタの言った意味が全くわからない。
「私は今夜から砦の南側へ回る。ここはおまえたち二人に任せるが、良いか、戦をしてはならぬ。動かずにじっとしておれ」
 二人はやや不満そうな顔をした。
「兵は何名お連れになりますか?」
 コンスタンツが訊くと、ディングスタはすぐに答えた。
「三十名で良い」
「なんと、それではあまりにも少なすぎはしませんか? 大事な閣下のお身にもしものことがあれば――」
「多いとかえってまずいのだ。おまえたちは言われた通り、陣中でじっと座っておれ」
 夜が更けると、ディングスタは三十名の歩兵だけを連れて東のロウマクーザ隊へ移り、更に砦の南へと移動して行った。砦からかなり離れた所まで来ると、ディングスタと三十名の歩兵は木陰や草叢に分散して身を潜めた。そのまま何をするでもなく、たまに携帯食を食べるぐらいで、話一つせずにみんな南の方を向いていた。歩兵とは言っても、この三十人は特に鍛え上げられた特殊部隊だった。
 翌日の日が沈みかけた頃、南からネニンの砦目指して馬を飛ばして来る者があった。前日のピグニア軍襲来時に、ガーベイがエトヴィクへと走らせた使者だった。男は一旦馬を止め、遠くから砦の南門が攻められていないのを確認すると、再び砦へ向かって馬を飛ばした。
 しかし駆け出した途端、前方に十数人の兵士らしき男たちが忽然と姿を現した。使者はすぐにピグニア兵の待ち伏せだと悟り、馬を返して逃げ出そうとした。ところがいつの間にか後ろにもピグニア兵たちが立っていた。
 使者は意を決して、背中に提げた剣を抜き、砦目がけて包囲網を突っ切ろうとした。するとピグニア兵たちが大きな網を持ち上げた。使者は構わずに網を剣で断ち切ろうと進んだが、網はたちまち馬に巻きつけられた。馬はいなないて走ることをやめてしまった。次には鞭が飛んで、使者が手にした剣の柄に巻きつき、あっと言う間に剣を取り上げてしまった。使者は馬から飛び降り、自分の足で走って砦へ逃げようとしたが、その瞬間に何本もの鞭が周りから飛んできて、脚に絡みつき、使者は地面に叩きつけられてしまった。
「トランツ王の返事を聴かせてもらおう」
 使者に近づいて来たディングスタが言った。取り押さえられた使者は何も言わない。
「言いたくないそうだ」
 ディングスタがそう言うと、使者は仰向けに寝かされ、両の手足と額を五人の屈強な兵士にそれぞれ押さえつけられ、身動きできなくされてしまった。もう一人の兵士が使者を裸足にし、太くて長い針を足の爪の間に差し込んだ。使者はわめき声を上げたが、遠い砦の中まで届くはずもなかった。
「早く喋った方が身のためだぞ」
 それでも使者は歯を食いしばって必死にこらえている。今度は針を突き刺した男が使者の腹の上に座り、顔を両足で挟んだ。やっとこを取り出し、無理やり口の中に押し込むと、前歯を付け根まで挟み、力を込めて強引にへし折った。
「ガァッ!」
 使者は喉の奥で悲鳴を上げた。続けてもう一本へし折る。
「おまえはなかなか意志が強いな。エトヴィクの兵士にしておくにはもったいない男だ。だがおまえが喋らぬ限り、責苦はいつまでも続くだけだぞ。これは終わりのない拷問だ」
 ディングスタが使者を見下ろしながらそう言うと、拷問吏は次に先の細い鑿と槌を手に取った。使者の鼻の穴の中に鑿の先端を突っ込み、鼻骨に当てて槌で叩いた。使者は絶叫して悶え苦しみ、そのうち失神してしまった。
「水をかけろ」
 すぐに顔に水を浴びせる。
「もっと削ってやれ」
 気がついた使者の鼻先に、拷問吏は血塗れになった鑿の先を持っていった。
「喋る、喋る、もうやめてくれ! 喋る!」
 使者は鼻と口から血を流しながら叫んだ。
「陛下のご返事は……、三千の援軍を五日後に送る……、それまでは持ちこたえるようにとのこと……」
「他には?」
「それだけだ、本当だ」
「ハッハッハッ、トランツとはまことに救い難い呑気者よ。五日後には己れが攻め立てられて、右往左往している時分であろうに」
 ピグニア兵の一人が使者の衣服と鎧を身に着けた。
「手筈はわかっているな。ではこれをガーベイに手渡すのだ」
 ディングスタは使者に成り代わった配下の兵士に一通の封書を手渡した。兵士はそれを受け取ると、そのまま砦の南門目指して馬を走らせて行った。門前まで来ると、
「国王陛下のご返事を承って戻った。速やかに開門されたい!」
 防壁上に向かって叫んだ。防壁上の見張りはしばらく様子を窺っているようだったが、使者がエトヴィク兵の服を着ていて、ただ一人なのを確かめると、門の内側にいる番の者に合図した。門が開く。薄暮の中、門番たちが炬火の灯りで使者を照らして確認した。
「ガーベイ将軍はどちらだ?」
「北門で防戦なさっておられる」
 使者に化けたピグニア兵はそれだけ聞くと、馬を北門の方へ向けて走らせた。北門の近くの一室には、ガーベイがルドルスと一緒にいた。使者に化けたピグニア兵は部屋に入って来て報告する。
「国王陛下のご返事を持って参りました」
「うむ、申せ」
「援軍の件ですが……」
「いつ来るのだ?」
「それが……」
 使者は口籠もった。ルドルスは苛立って催促した。
「早く申せ。いつ来るのだ?」
「陛下が仰せになられますには、現在都には四万の兵しかおりませぬ」
「だから何だ?」
「ですから、とても援軍を送れるような余裕はないと……」
 ガーベイは腕組みした。
「この砦が陥ちればピグニア軍に都へ侵入されてしまう。ここで防いでこそ戦を有利に進められるというものだ」
 ルドルスが不満を洩らしたが、ガーベイは目を瞑ったまま黙ってじっと座っている。
「ですから、残った兵で全力を挙げ、ピグニア兵をなるべく多く討ち減らしておくようにとのことです」
 使者のその言葉を聞いて、ルドルスは思わずテーブルを拳でガンと叩いた。
「何と! 陛下は我らを捨て石としてお使いになろうというお考えか!」
「致し方あるまい。他でもない陛下のご命令だ。ピグニアと決戦に及ぶしかあるまい」
 ガーベイはゆっくりと目を開けた。その時使者がガーベイに近寄り、懐から取り出した封書をそっと手渡した。
「何だ?」
「陛下からガーベイ将軍に宛てた直々の密書にございます」
 ガーベイは受け取った封書をすぐにその場で開き、中の密書を読んだ。一瞬ハッとした様子だったが、動揺を無理に押さえて密書をそのまま懐にねじ込んだ。
「退がって休め。ご苦労であった」
 ガーベイが使者に声をかけると、使者はかしこまって退出して行った。
「何事でございますか?」
 ルドルスはガーベイの顔に一瞬浮かんだ動揺の色を見逃すことなく、密書の内容を問い質そうとしたが、ガーベイは、
「うむ、大したことではござらん」
 そう言って平静さを取り繕った。
 密書の内容は、ルドルス将軍がピグニアに通じ、ウェルスの砦にいる兄のエベルトと共謀して謀叛を企てている。不忠者ルドルスを討てというものだった。ガーベイは使者を問い詰めるべきだったかもしれない。しかし密書にはエトヴィク国王の印が――もちろん偽造された印だが――捺されていたため、ガーベイは使者を全く疑ってみることもしなかった。
 翌日は朝からピグニア軍が猛攻を始めた。ガーベイは門を固く守らせ、決して討って出ようとはしない。各部署を回って指揮をしながらも、ルドルスを討つかどうかで常に苦悩していた。ルドルスに限って敵と通じているなどということはあるまいとは思うのだが、いずれにしても国王の命令だ。
 しかしルドルスを殺してしまえば、更に形勢が不利になるだけだ。援軍のやって来る見込みのないこのネニンの砦は、早晩陥落することが決まってしまったようなものだ。ガーベイは部下たちに門の守りを任せると、早々に自室へ引き籠もってしまった。
 ガーベイがしばらく一人で物思いに耽っていると、部屋の外で扉を叩く音がした。
「将軍、もうお寝みですか?」
「いや、まだだ。入れ」
 扉を開けて一人の兵士が入って来る。その後ろには二人のみすぼらしいなりをした男がついていた。
「この者たちは――」
 と兵士が説明する。
「ああ、果物売りか。出してくれと言うのであろう? しかし今ここから出ると危険だ」
 ガーベイはみすぼらしいなりをした二人の男の方に目をやって言った。この男たちは、ピグニア軍が押し寄せる直前に、果物を積んだ車を曳いて砦の中に売りに来た者たちだが、その後のピグニア軍襲来で門を閉ざされ、帰るに帰れなくなり、毎日砦の中で、出してくれとか、殺されるとか騒いで回っている者たちだった。
「いえ、この者たちが今日も砦の中をうろうろしていて、こんな物を拾ったと言って持って来ましたので」
 兵士は一本の矢を差し出した。それには折り畳んだ紙切れが結ばれていた。
 兵士と果物売りたちが出て行ったあとも、ガーベイはしばらくは矢に結ばれた手紙を開こうとはしなかった。床に就こうとして、ふと思い出したように矢文を開いた。それを読み終えるとガーベイは愕然となった。矢に結ばれていた手紙の内容はこうだった――『将軍、我々は予定通りに事を運ぶ。約束した日時通りにだ。お忘れあるな。成功の暁には、将軍をご希望通り重く取り立てよう』
「将軍とはこの砦にはこのわしとルドルス以外にはおらぬではないか。おのれ、ルドルスめ! 矢文でディングスタと連絡を取っておったか!」
 ガーベイは手紙を丸めて床に叩きつけた。しかしすぐに思い直したように、
「いや、これはもしかすると、我らを引き裂き、自滅を狙うディングスタの策略やもしれぬ。何と言ってもディングスタは策謀の多い奴だ。気をつけねば。あのルドルスが敵に寝返ることなどあろうか? その手に乗るものか。騙されまいぞ」
 ガーベイは笑いながら床に就くと、たちまち疲れを覚えて眠り込んでしまった。
 しかし翌日異変が起こった。日が昇っている間は全く両軍に動きはなかったが、暗くなると同時にピグニア軍が三方向から一斉に砦を攻めだした。ガーベイは北面と東面の防戦を指揮し、ルドルスの部隊は、西面の防戦と南面の警戒に当たった。ところが兵員総出で防御していると、にわかに砦のあちこちで火の手が上がった。
「裏切りだあ! ルドルス将軍の部隊が敵に寝返ったぞ!」
 たちまちその叫び声が北と東に位置しているガーベイの部隊に広がった。ガーベイが振り返ると、砦の建物がいくつか炎を上げていた。
「おのれ! やはり敵と通じておったのか! こうなったら、まずは裏切り者から始末してくれるわ!」
 ガーベイは配下を引き連れ馬に跨ると、西門目指してまっしぐらに駆けた。捕らえたルドルスをディングスタが簡単に釈放したこと、トランツ王の偽の密書、偽の謀叛の矢文、そしてこの騒ぎに、とうとうルドルスを信用していたガーベイも騙されてしまった。
 ところが西門の方にいたルドルスの部隊の間にも、同じような噂が広がっていた。
「ガーベイ将軍がピグニアに降り、これから我らを攻めに来るぞ!」
 ルドルスの兵たちは、藍色の空に向けて上がる炎を見て殺気立った。
「馬鹿なっ! 噂の出所を確かめろ。何かの間違いだ。落ち着くのだ!」
 ルドルスがいくら叫んでも、兵士たちの混乱はもう収めようもなかった。前もって果物売りに化けて砦に入り込んでいた密偵と、ルドルスが釈放された際にエトヴィク兵になりすまして砦に入り込んだピグニア兵の仕業だった。日が沈むと同時に砦の中の建物に次々と火を点けて回り、両将軍の部隊にそれぞれデマを流し続けたのだ。
「見損なったぞ、ルドルス! 己が出世と引き換えに国を売った卑劣漢め!」
「何をほざく! 卑劣漢とはどちらだ! 敵にくだって味方を攻めるとは、それでも武人の端くれかっ!」
 砦内の中心部で出会ったガーベイとルドルスの二人は、お互いに相手を激しく罵り合った。よく聴けば、言っていることはどちらにも辻褄が合わないのがわかるはずなのだが、この際二人とも罵る言葉の意味など考えてはいない。怒りに任せて激しく刃を交えた。
 ところがそこへ別の部隊が出現した。いつの間にか砦の南側へ忍び寄ったピグニアの部隊が、防御の手薄な南門を突き破り、あっと言う間に砦の中へと突入して来たのだ。続けて東西北の各門も内側から開かれ、ピグニアの大軍がなだれ込んで来た。指揮する者もなくし、誰と戦っていいのかもわからなくなってしまった砦の兵士たちは、
「くだれ、くだれ!」
 とわめきながら突撃して来るピグニアの大軍の前に、武器を捨てて次々と降伏し始めた。最後まで戦っていたのはガーベイとルドルスの二人だけだった。
「もうやめよ!」
 砦に一番乗りしたロウマクーザが、呆れて二人に声をかけた。しかし二人はお構いなしに死闘を続ける。とうとう網が投げられ、二人とも馬ごと引き倒されてしまった。やがてディングスタがやって来る。兵士たちに絡め捕られた二人を見て笑った。
「エトヴィク一、二を争うというその方らが、このような幼稚な策略にいともた易く引っ掛かろうとはな」
 ガーベイとルドルスは疲れと共に気が抜けてしまい、足腰が立たない。お互いに顔を見合わせては驚いているばかりだ。
「この砦は既に占領されたのだ。兵たちも全員降伏した。つまらぬ争いにいつまでもこだわっておらず、早々にピグニアに降伏したらどうだ?」
「兵を全て失い、今更何が降伏か。我らは幼稚な策略とやらにまんまと引っ掛かったまでだ。斬るなら斬れ!」
 ガーベイは不貞腐れた。
「このような小さな砦、踏み潰そうと思えば簡単に踏み潰してエトヴィクまで進軍できたはずだ。何故そうせずに面倒な小細工を弄したかおわかりか?」
 ロウマクーザが馬から降り、二人のそばに歩み寄った。
「閣下は、敵とはいえ、エトヴィク兵の命を惜しまれておいでなのだ。特にあなた方お二人の才能が空しくここで果ててしまうことをな。それでも戦いたいとお思いなら、あえて止めはしない。これからエトヴィクへ戻られて我らと再戦なさるが良かろう」
 ガーベイもルドルスも少なからず感動を覚え、考え込んだ様子だった。
「しかし、この砦の者たちは皆、妻子を都に残して来ております。トランツ王は冷酷な方故、我らが離反したことを知った時の家族の身の上が何よりも心配でございます」
 ルドルスが言うと、ディングスタは笑って即座に答えた。
「トランツにそのような心のゆとりを与えはしない。心配無用だ」
 結局二人とも納得してピグニアに降った。
 それからフローレは一万の兵を率い、ルドルスを連れてエトヴィクとサラワンの中間に位置するウェルスの砦へと向かい、ルドルスが砦を守る兄のエベルトを説いて降伏を勧めると、二千の兵しか置いていないウェルスの砦は、一戦も交えることなくピグニアに降伏した。フローレ隊はそのままサラワンへと進軍した。
 フローレ隊の到着により、サラワンの北側に陣取っていたメッサナの部隊が、満を持して町に攻撃を仕掛けた。サラワンのハミット将軍はかねてよりの約束通り、ルーダン将軍をそそのかし、北へと討って出させた。自分は東へ討って出たが、ほんの少しフローレの部隊と戦ったかと思うと、すぐに部隊を退却させ、フローレの部隊を門の内へと引き込んでしまった。侵入して来たピグニア軍を防ごうとする東門の防御部隊を後方から騙し討ちにし、そのままフローレの部隊と合流して町の中を暴れ回った。
 とうとう太守のケルマンス侯爵が捕まり、即座に首を刎ねられた。あっと言う間にサラワンは陥ち、北門から出てメッサナ隊と交戦していたルーダンの部隊は立ち往生してしまった。戦意を失くしたルーダン隊に、たちまちメッサナ隊が襲いかかる。メッサナは逃げ出そうとしていたルーダンを追いかけ、数合交えるうちに馬上から斬って落とした。生き残った他の兵たちは全員降伏した。それからはフローレがサラワンに留まり、メッサナの部隊は休む間もなく東のエトヴィクへと向かった。

 ディングスタの軍は二万四千となって、エトヴィクの首都を攻撃すべく南へ向かった。エトヴィクの北方に陣取ると、既に東側に陣取っていたドットの部隊から伝令の者がやって来た。
「小競り合いが幾度かあったのみで、敵は城門を固く閉ざしたままほとんど出て来る気配はございません。まずは閣下のお指図通りに運んでおります」
 遣いの者がディングスタに報告した。ディングスタは頷くと、
「それで良い。こちらから指図があるまでじっとしているように」
 使者はかしこまって部隊に戻って行った。
 それから数日の間は両軍共に全く動きが見られなかった。やがて西からサラワンの降伏兵を含めたメッサナの部隊二万が到着した。いよいよピグニア軍によるエトヴィク総攻撃が始まった。同時に町の内部でワイオンゲンとオストロの二将が寝返り、町中は内乱状態となった。三方の門が内から開かれ、ピグニア軍がどうっとなだれ込んだ。トランツ王を初めとして、宰相のアセル公爵、大将軍のルフォール伯爵らは、泡を食って一目散に南門へと逃げ、町から脱出すると、属国のタマンへとエトヴィクの野を落ちて行った。
 諸将は事態を収拾すると、王宮前の広場へと集まって来た。
「あまりにも脆すぎましたな」
 メッサナ将軍が言うと、ディングスタは頷いて言う。
「いかにも。この国は虫に食い尽くされた大木であった。頑丈そうなのは見かけだけで、外皮さえ破れば、自らの重みで崩れ去る。有能な将がいないわけではないが、彼らをその能力とは不釣り合いな場所へと追いやってしまっていた。肝心の都はがらんどうの状態だ。ガーベイやルドルスを都に置いておけば、我らも苦戦したであろう。所詮トランツの器量では、人を使いこなせなかったのだ」
 ディングスタはロウマクーザに命じてトランツを追撃させた。これにはトランツ一行の顔がわかるように、ワイオンゲンを同行させた。トランツ王一行は馬車に財宝を積めるだけ積んで逃げ出したのだが、後方に土煙が上がりだすと、慌てて財宝を捨て始めた。しかしピグニア軍は追いつきそうでいて、いつまで経っても追いついて来なかった。
 トランツ一行は馬車の馬を換えながら、タマン目指して一昼夜駆け続けた。やがてタマン川に出くわす。すると、かなり差を広げたと思っていたはずの追手がまたもや遥か後方に姿を現した。一行は慌てふためいて、川で漁をしている漁師を呼び、金を与えて対岸へ運ばせた。残った財宝も仕方なく馬車ごと置き去りにした。舟が二艘しか捕まらず、身分の低い兵士たちは見捨てられた。
「陛下、ご安心遊ばせ。大軍にはこの川は渡れませぬ。タマンに拠って再起を図りましょうぞ」
 舟が川の真ん中まで来ると、ほっとした表情で、大将軍のルフォールがトランツ王を励ました。なるほどピグニア軍は川岸まで来ると、追うのを諦めて休息しだしたようだ。
「ディングスタめ、他人の国を乗っ取りおって。今に見ておれ、都で勝利の美酒に酔い痴れておるうちに、目に物見せてくれるわ!」
 トランツはカッカしながら、遠くなっていく昨日までの自分の領土の方に向かって叫んだ。それを聞いて、船尾で櫓を操っていた漁師がニタッと笑った。
 一行は日暮れ前に何とかタマンの町に辿り着いた。来意を告げると、待ってましたとばかりに総裁のセラが出て来た。
「さぞお困りのことでしょう。しかしこの私が良いように取り計らいます。とりあえず今夜はごゆっくりなさって、旅の疲れを取られませ」
「かたじけない。ついてはこのタマンにある兵力でディングスタに復讐戦を挑みたい。領土を取り返した暁には、総裁にもたっぷりと褒美を遣わそうぞ」
 セラは黙って一礼すると、一行をそれぞれ客室へと案内させた。
 しかし夜明け前に部屋に押し入って来たタマンの兵士たちによって、一行は一人残らず絡め捕られてしまった。
「これは何の真似じゃ! 余はエトヴィクの国王であるぞ! 属国の分際で、恩義を忘れて賊に味方するか!」
 トランツは激怒してわめいたが、
「賊とは一体誰のことだ? 迷惑こそあれ、貴様に恩義など受けた覚えはないわ! 私は貴様ごときの家臣ではない。これまで迫害を受けてきた被害者だ。私はこの国の長として、このタマンの民を外敵から守らねばならん。外敵とはまさしく主君を誅した貴様のことだ。積年の恨みを今日こそ晴らしてくれよう。この国盗っ人め!」
 セラは冷たく吐き捨てた。
 タマン兵に捕まったトランツたちは、タマンの海港へと連れて行かれ、そこから船に乗せられ、タマン川を溯って、ロウマクーザの部隊が留まっている川岸まで連れて行かれた。総裁のセラが直々にロウマクーザ将軍にトランツ一味を引き渡した。
「お約束通り、賊どもめをお渡し致します」
「セラ殿のお働きを最高執政閣下も高く評価されましょう。これよりエトヴィクに戻り、賊どもを処罰致すことになっております故、総裁閣下にもご同行願いましょう」
 エトヴィクへ連行されたトランツたちは、直ちに王宮前の広場に引き出された。他にも王妃、王子、王女、大臣ら高官――いずれもトランツの一族か取り巻き連であったが、ことごとく捕らえられ、公衆の面前に引き出された。ディングスタはやって来たタマンの総裁セラに声をかけた。
「セラ殿にはご苦労をおかけ致した」
「いえ、トランツ政権を倒すことは、我らタマン国民の悲願でありました。閣下のご功績に比べれば、私のしたことなど箒の一掃きに過ぎませぬ」
 ディングスタは微笑を浮かべたのち、面前に引き据えられたトランツたちに目をやった。
「さて、この屑どもをどう処分したものか」
「あの民衆たちをご覧下さい。彼らの望みは一目瞭然でありましょう。エトヴィク王朝にとっては簒奪者であり、この国の国民にとっては暴君であったトランツ、及びその取り巻き連どもを、この場において吊るし首にする以外にはありません」
 近くで聴いていたエトヴィクの民衆たちは口々に叫び声を上げ、セラの意見を支持した。
「選択の余地はなさそうだな。よろしい」
 ディングスタは立ち上がり、
「これよりこの国に巣食っていた害虫どもを処分する!」
 民衆に向かって大声で叫ぶと、広場に集まった民衆から歓呼の叫び声が上がった。すると、突然群衆の中から一人の汚れた服装の男が飛び出し、ディングスタの前に進み出て来て両膝をついた。
「お待ち下さい。トランツを処刑なさるのなら、是非私にその役目をお譲り下さいませ」
 男は深々と頭を下げた。みすぼらしいなりはしているが、その物腰に只者ならぬ何かを感じ取ったディングスタは、訝しがって男に尋ねた。
「その方は何者だ?」
 男はもう一度深々と頭を下げたあとで口を開いた。
「私はブルーノと申す者にございます。かつて今は亡き国王陛下、アスロン二世にお仕えしておりました」
 それを聞くと、ディングスタのそばにいたガーベイが壇を下り、男の顔を覗き込んだ。
「おお、ブルーノ!」
「お久しゅうございます、ガーベイ将軍」
 ガーベイはディングスタの方を振り返ると、
「このブルーノと申す者、かつてこのエトヴィクにおいては、剛勇並びなき者と称された若武者にございました」
「私はかつて諸国を渡り歩いておった故、その名は存じておる。良かろう、その忠誠心、見上げたものだ。主君の仇を討つが良い」
「一つだけお願いがございます。私はかつては騎士の端くれにございました。無抵抗の者を斬るわけには参りません。決闘の形を取らせて頂きとうございます」
 ディングスタは頷くと、兵士に命じてトランツの縛めを解かせた。
「我が主君を誅した者はトランツとアセルとルフォール。三人まとめて仇を取ります」
 ブルーノが言うと、宰相のアセルと大将軍のルフォールも解き放たれ、四人にそれぞれ剣が渡された。トランツは怖じ気づいて後方へ退がった。アセルとルフォールも剣を手にしたものの、じりじりと後退しだした。
「主君の仇、この刃を受けよ!」
 ブルーノは叫ぶや、剣を振り被ってダダッと踏み込み、ルフォール、アセル、トランツと、立て続けに一刀の下に斬って捨てた。民衆は大喜びする。
「あっぱれだ」
 ディングスタが唸った。ブルーノは再び跪いて礼を述べた。
「ブルーノ、その方は行く当てもない身であろう。この際私に仕えてはどうか?」
「ブルーノ、せっかくの仰せだ。是非そうさせて頂け」
 ガーベイもルドルスも揃って仕官を勧めた。ブルーノは深々と頭を下げたが、
「ありがたきお言葉にはございますが、ご主君の忘れ形見であらせられるエテルナ姫が、アウグステ寺院へとお逃れになられ、今でもご健在であられることをかつての同僚から聞かされております。私はひとたびエトヴィクに仕えた者でございます。その血筋が絶えずに残っている限り、あくまでもエトヴィクの臣下でありたいと思っております」
「なるほど、王女がご存命でおられるか」
 ディングスタはしばらく考え込んだ。
「ではこうしよう。王女に領地を提供する。我らは侵略に来たわけではない。悪政を布く暴君を倒し、この国の民を救いにやって来たのだ。ただし、その目的を達成するためには、かつての王女といえども政を譲り渡すわけにはいかぬ。良いか?」
 ブルーノは地に額を擦りつけた。
「この上なき幸せにございます。七年間、乞食のなりをして耐え忍んできたかいがあったというものでございます」
「では、王女をお連れして参るが良い。私はその頃はサラワンに移っている。サラワンに来られよ」
 ブルーノが去ったあと、残りの一族や高官たちの公開処刑が行われた。捕らわれた者たちは一人残らず広場に置かれた絞首台へと送られた。民衆たちは狂喜し、
「ディングスタ様万歳! ピグニア万歳!」
 の連呼が続いた。処刑が全て終わったのち、
「まだ済んではおらぬ。ワイオンゲンとオストロの二賊を引っ捕らえよ!」
 突如ディングスタが叫んだ。屈強な兵士たちがたちまち壇上にいたワイオンゲンとオストロを取り押さえてしまった。
「何故でございますか? 我らに何の咎があるのです!」
 この処置に納得のいかないワイオンゲンとオストロは、声を限りにわめいた。
「貴様らはかつてトランツの謀叛に加わり、今回またしても主君を裏切った。己れの出世のためには、主君など平気でないがしろにできる卑劣漢どもだ」
 ディングスタは二人を恐ろしい形相で睨みつけた。
「エトヴィクが陥落したのも我らの寝返りがあってこそであろう! このような仕打ちには納得できかねる」
「納得などしてもらわなくとも良い。その方らには、あの絞首台が待っているのみだ」
 ディングスタは広場の絞首台を指差した。ワイオンゲンとオストロの二将は絞首台へと引きずられて行き、たちまち首に輪を掛けられて吊るされた。近くにいたガーベイとルドルス、カスコム、ハミットの四人は震えおののいた。
「心配せずとも良い。その方らはかつてのトランツの謀叛に加わったわけではない。罪は問わぬ」
 四人の降将たちはディングスタの威厳に恐れをなし、一様にひれ伏した。
「エトヴィクの王女に領地をお与えになるという閣下のお心でございますが、いささか寛容すぎるご処遇ではありませぬか?」
 メッサナがディングスタの耳元で囁いた。
「旧制度をことごとく破壊しようとしている私が、王族などに親切で領地を与えようなどと考えるはずがなかろう。ここで王女を呼び戻すと宣言することは、この国の民衆の支持を急速に得るためにも是非とも必要なことなのだ。これは降って湧いた天佑なのだ。利用しない手はない」
「それはそうですが、良いことばかりでもありますまい。王女なればなおのこと、もしエトヴィクの旧臣どもが担ぎ上げれば、反乱の厄介な火種となるだけではございませぬか」
 ディングスタは笑っただけだ。
「王女にはミルフィーユの野の東半分をやろう。広大な領土だ。人は、農民さえもほとんど住んではおらぬがな」
 それを聞いてメッサナは深く頷いた。
 こうしてかつての強勢を誇った大国エトヴィクも、ディングスタの前にあまりにも呆気なく滅亡してしまった。




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