18.鳥 人 軍 団



 酒を飲み始めると、広間には踊り子たちと楽士たちが入って来て、太鼓を叩いて弦楽器を掻き鳴らし、歌ったり踊ったりし始めた。踊りが終わって彼らが退出すると、サンジェント公が口を開いた。
「タウから参ったと申したな。それではタウの情勢について聞かせてもらいたい」
 オクスは例によって飲み食いに忙しいようなので、ファントムが一人で答えた。
「情勢というほどのことはわかりませんが、今タウでは革命団や盗賊団が暴れ回っていたり、それを抑えようとする総統側との間に諍いが起こったりで、治安がいいとはとても言えない状態です」
「辺境にいるとはいえ、我らもそれしきのことは存じておる。このブレアの部下たちが間者として各地に潜入しておる、ピグニアにも、エトヴィクにも、もちろんタウにもな」
 ブレア将軍が静かに頷いた。サンジェント公は続ける。
「そこで尋ねたいのは、その他諸々の盗賊団のことは構わぬ、アヴァンティナ団とセイレーン党、それに政府に対するタウ市民たちの支持はどうなっておるのかということじゃ」
「タウは広くてはっきりとはわかりませんが、俺が見た限りでは、タウ市民のほとんどが反政府組織に好意的な感じがします」
 サンジェント公は頷くと、
「では、アヴァンティナ団とセイレーン党に限ろう。どちらが市民の支持をより多く得ていると思う?」
「俺にはわかりません。アヴァンティナが衛兵を殺すのは実際この目で見ましたが、セイレーンの方にはお目にかかったこともありませんから」
「そうか」
 ファントムは、サンジェント公がタウ市民の支持ということに嫌にこだわるなあと思った。もちろんそれは、ダウヒルのエマーニア大公がセイレーン党の後押しをしていることを、サンジェント公が知っているからには違いなかろうが。ファントムはサンジェント公を少し試してやりたくなった。
「ただ、巷では妙な噂が囁かれているのを耳にしたことがあります」
「何かな?」
 ファントムの思わせぶりな口調に、サンジェント公は興味をそそられたように見えた。
「オーヴァールが、アヴァンティナやセイレーンに資金援助しているというのです」
「そんなことは断じてあり得ん!」
 公爵は言下に否定した。
「火のない所に煙は立たずと言います。なぜあり得ないと言い切れるのですか?」
 ファントムの言葉に一座は色めき立った。オクスだけが飲み食いに夢中で、知らん顔している。もちろんファントムは、アヴァンティナ団のドラディンガから真相を聞いて知っている。セイレーン党の黒幕はダウヒルのエマーニア大公だったが、アヴァンティナ団の黒幕はエトヴィクのトランツ王だった。そして今では、そのどちらの組織もピグニアと手を結んでいるということも、ドラディンガや死んだアーサーの口から聞いた。死ぬ間際に通りがかりの見知らぬ他人に託した遺言が、まさか嘘だとは考えられない。ファントムはサンジェント公たちの反応を見ようと、あえて間違ったことを口にして空とぼけていた。
「その話はもう良いとしよう。ではピグニアをどう見るか?」
 サンジェント公は誘いには乗って来ず、強引に話を逸らした。
「ピグニアは今では押しも押されもしない大国です」
「ではディングスタをどう思う?」
「俺はディングスタと話したことがありますが……」
「ほう、それで、どんな奴だ?」
 サンジェント公は身を乗り出した。
「食えない奴です」
「ハッハッハッハッハッ」
 一座の者はみんな笑い出した。
「食えないとはどういうところが?」
「とにかく何を考えているのか全くわからない人間です」
 今度は一座が静まり返った。
「奴は手ごわいと思うか?」
「そりゃもう、今やってることを見れば、誰の目にも明らかです。それに、特に庶民の支持は絶大です。ディングスタを神のように崇めている者さえいます。タウにも、ディングスタを招き入れることを望んでいる者たちが多いようです」
 これはまんざらでたらめでもなかった。
「ところで、こちらからお訊きしても構いませんか?」
「なんなりと」
「今の公爵様のおっしゃりようだと、オーヴァールはピグニアとの交戦を考えているのではありませんか?」
「いや、必ずしもそうではない。現在のところ、主戦派と和平派が半々で揉めているといったところだ。国王陛下は一貫して不戦を押し通してこられた。当初、ビンライムがアルバを強引に併合した際には、国王陛下を除く全諸侯、全将軍たちが、即刻ビンライムとの交戦を主張したのだ」
 一同は公爵の言葉に頷いた。
「あの時攻めておけばと今更に悔やまれる。これは我ら家臣一同が不甲斐なかったとは必ずしも言えぬのだ。オーヴァールがビンライムを攻めるには、必ずエトヴィク領内を通過せねばならなかった。我が国は使者をトランツ王の下へ送り、通過の許可を取りつけるという条件で陛下を説得した。しかし結果は失敗に終わった。トランツは領内通過を許可しなかったのだ。なぜか?
 のちに我が諜報機関の調べで判明したことだが、ビンライムが、いや、ディングスタがトランツに先手を打っておったのだ、アルバ併合ののちはダフネを挟み討ちにし、分け取りにしようと、その代わりアルバの守備隊を編成するまでは、エトヴィクが他国を押し止めておくという取り決めをしていたのだ。まさしくディングスタとは食えぬ奴じゃ。
 ビンライムの暴挙を許さぬと我が国に向かっても声高に叫んでいたトランツが、突如沈黙してしまった。トランツとは所詮、欲惚けの能なしに過ぎん。その結果、ダフネ分け取りどころか、今ではあっと言う間に強大になったピグニアの脅威に怯えながら、毎日を過ごしておるという有様じゃ。
 そのことがわかってから、ではエトヴィクとの同盟を破棄し、ピグニアより先にエトヴィクを攻め奪りましょうと、わしは再び陛下に進言しに都へ上った。しかし陛下はそれもならぬと仰せになる。かつてサラデー平原を統一するまでは、悪鬼の如く戦に明け暮れておられた陛下が、サラデー平原を統一なさるや、途端にパタッと戦をやめてしまわれた。陛下は、オーヴァールの軍勢は決してスヴァンゲル川を越えてはならぬと仰せになる。スヴァンゲル川のこちら側なら相手が誰であろうと決して負けはせぬが、川を越えればオーヴァールはたちまち亡ぶであろうと必ず仰せになられるのだ。
 その理由は、かつて陛下がロンドネア川の西で、まだ部族間の抗争を繰り返しておられた時分、無名の頃のガブリエルと偶然お会いになられ、いくつかの忠告を受けられたことにある。その頃の陛下は戦に勝たれると、必ずその村の女子供までをも殺し、建物には火を放ち、略奪した品をご自身の村まで持ち帰られた。ガブリエルはそれを戒めたそうだ。
 略奪は決してしないこと。敵はなるべく降伏させ、降伏したあとは自軍の兵士と同等に扱うこと。老人、女子供を保護すること。徴収した税金や食糧を貧しい地域、飢える地域へ分配すること。兵力の小さいうちは、全兵士を屯田兵としても充分に間に合うこと。ガブリエルがまだこの世に勇名を馳せる以前のことであるから、もちろん陛下はあまり本気で受け止めようとはなさらなかったそうだが、試しに次の戦からその通りにしてみると、それからはしだいに経済力が増し、兵力を増大させることができるようになった。何よりも兵の士気が高揚し、民の信望が増したそうだ。
 ロンドネア川周辺地域を押さえ、他の王国と対抗できるようになった陛下は、次にダウヒルをお攻めになった。しかしこの戦では敗北した。陛下は、その頃には既に有名になっていたガブリエルを捜し出そうと、臣下を四方に遣った。家臣の一人がガブリエルを連れ帰ると、陛下はいかにしてダウヒルを攻め陥とせば良いかをお尋ねになられた。
 ガブリエルはオーヴァール軍を、大国と戦える軍として再編成するように進言したそうだ。兵農分離を行い、兵の質を上げる。数に劣るオーヴァールは衆に頼らず、鍛え抜かれた精鋭部隊とそれの支援部隊のみで、なんと、ダウヒルではなく、当時最強と言われたトスニカまで脇目も振らずに一気に攻め込むようにと言ったのだ。これには、西の蛮王と他国から恐れられていたさすがの陛下も怖じ気づかれたそうだ。
 トスニカの兵力は巨大で、城は堅固だ。ましてや七国時代のサラデー平原では、どの国を攻めるにも大軍が必要となる。いくら強者揃いのオーヴァール軍といえども、大都市を持たぬオーヴァールは、兵数の点で他の六国に後れを取っていた。ならば本国を空き家にして出征しなければならない。そしてサラデー平原の西の端から、東の端のトスニカを一気に攻めると言うのだ。考えられぬことだ。
 まず、ダウヒルとグリフスとの国境線を駆け抜けねばならぬ。仮に妨害一つ受けずにトスニカ領内に達したとしても、ぐずぐずしてはいられない。わずかの日数でトスニカの都を攻め陥としてしまわなくてはならないのだ。トスニカ攻めに手間取っていると、その隙にダウヒル、グリフスに本国を奪われ、帰る土地も失ってしまう。いくらガブリエルの進言とはいえ、このような無謀な作戦には当然のことながら、誰も賛成できなかったそうだ。
 陛下はしばらく躊躇しておられたが、やがて陛下にとって願ってもない幸運が訪れた。それから間もなくのことだが、ダウヒルがタンメンテを攻め始め、時を同じくして、グリフスは東方でラスカと大戦を始めたのだ。これで陛下にはトスニカに軍を遣るめどがお立ちになったが、まだトスニカに勝てるという公算はお持ちになれなかったそうだ。
 しかしガブリエルの眼に狂いはなかったと言えよう。わしはその頃トスニカの十卒長をしていて、ガブリエルがなぜトスニカを第一に攻めるように言ったのかはよくわかるのだが、あの国は外見の強大さとは裏腹に、内部は非常に脆い国であった。王を初め、官僚という官僚は皆堕落しており、風紀は乱れ、腐敗の極みにあった。人情というものはもはや存在せず、利己主義だけが通用した。
 宮廷では日夜狂った宴が催され、酒池肉林の世界。その日の食べ残しは全部川の中へ捨てられる一方、街中には餓死する者たちもいた。官吏は賄賂を遣って己れの地位を上げることのみに奔走する。ありとあらゆる全てのことが金の力に任せて行われた。金持ちはどんどん金を増やして益々贅沢に溺れていくが、貧乏人は決して豊かにはなれぬ。兵士どもも昼間から酒を食らい、女を抱く。理不尽な法によって虐殺が公然と行われる。民衆の間にも残虐な行為と弱い者苛めが持て囃されておった……」
 サンジェント公は思い出したくもないという表情でしばらく黙っていた。
「では、ガブリエルはトスニカの民を救おうと考え、デロディア王にトスニカを攻めさせたのでしょうか?」
「確かに今となって考えてみればそうに違いない。偉大なる魔導剣士ガブリエルは、サラデー平原の絶え間ない混乱を収拾する者として、当時はまだ地の果てに住む蛮人の酋長でしかなかった陛下の秘められた力量を認め、白羽の矢を立てたのだ」
「へーえ」
 ファントムはトスニカで見た老いたデロディア王の姿を思い出し、しきりに感嘆した。
「そんなトスニカにも人物がいないわけでもなかったが、清廉潔白の士は皆、侫臣どもによって貶められ、殺害されたり地位を剥奪されていった。ドワロン将軍お一人でもおれば、もしかするとトスニカの滅亡は避けられたかもしれぬ。しかしドワロン殿は既にトスニカの地を去っておられた。わしは少年時代にドワロン殿の小姓をしておったから、あの方の気質はよく存じておる。正義感の固まりのようなお方で、私欲というものが全くなく、弱者を労り、親孝行で、暮らしは質素、常に勤勉であり、まさしく我ら剣士を志す者たちの鏡であられた。少し堅物すぎるきらいもないではなかったが。
 ジャバドゥ殿との決闘のために国を捨て、官を捨て、家族も捨てたと言われておるが、実のところは、トスニカに嫌気が差しておられたのではないかとわしは思う。しかしドワロン殿は忠誠心も厚く、なかなか朝廷を見捨てられなかったのと同時に、皆の誹りを恐れたのかもしれぬ。ジャバドゥ殿とは違い、あの方はトスニカを捨てるに当たって、何か自分を納得させることのできる大義名分を必要とした、わしはそう見ておる。その大義名分とは、師の仇討ちであった。
 師範との仲違いから破門となったジャバドゥ殿は、間もなく道場破りと称して師範を木剣で打ち殺してしまった。その時師範代であったドワロン殿は即座に試合を挑んだが、結果は相討ちであった。ジャバドゥ殿はそのままトスニカを出奔、続いてドワロン殿があとを追って出奔。しかしあまりにも話ができすぎていて不自然だとは思わぬか? のちになって、我らトスニカの生き残りであった者たちの間では、あの時のジャバドゥ殿の道場破りからお二人の出奔に至るまでの一連の出来事は、実はトスニカから逃げ出すために二人で仕組んだ芝居だったのでは、とまことしやかに噂されたぐらいだ」
「へーえ、そんなことがあったんですか」
 ファントムが感心してみせると、
「そうじゃ。そのようなこともあって、当時は黄金の都と呼ばれたトスニカを運良く手にお入れになった陛下ではあったが、勝利の美酒に酔い痴れている暇はなかった。四方を敵国に囲まれておるし、当時最大の領土を誇った大国エトヴィクが、サラデー平原の混乱に乗じ、隙あらばと東からいつでも攻め込む姿勢を見せておったからだ。それに何よりも、空っぽになったままの本国のことが心配だ。まずはトスニカとの間に連絡路を作らねばならぬ。
 陛下はガブリエルの勧めに従い、官を捨てて野に下っておったトスニカのオラリアス卿を軍師に招かれた。オラリアス卿は直ちに陛下に旧トスニカの国庫を開かせ、金を使って兵を集め、重騎兵部隊を編成した。同時にエトヴィクに莫大な貢ぎ物を贈り、アスロン二世と和を結んで後顧の憂いを絶つや、グリフスとの戦いに苦戦を強いられていたラスカに軍事同盟を提案し、共同作戦をもってグリフスを攻め亡ぼした。更に間髪入れず、取って返す刀でタンメンテを攻めているダウヒルの留守城を奇襲したのだ。
 次いで異例の抜擢を受けたわしが、タンメンテ、ロカスタと軍を一路邁進させ、十五の城を抜き、更に野蛮な騎馬民族をビヤンテ砂漠の北方へと追い払った。同時にメルドール大将軍の部隊は南下し、ラスカ王を降伏させたのち、一息に蛮族の住むサウトロス半島まで平定した。トスニカを陥としてからはあっと言う間の出来事であった。さあ、いよいよジンバジョー平原へ進出かと我らは奮い立ったのだが、何をお思いになられたか、陛下は戦をやめておしまいになられた。何故か?
 ガブリエルはオラリアス卿を陛下に推挙したあと、戦に同行することもなく、すぐさまトスニカを去った。去り際に陛下に対してこう言ったそうだ、『あなたはスヴァンゲル川の西においては覇者ともなられ、国は富み栄えましょう。しかしそれ以上の高望みはしないことです』とな。その後陛下は二度とガブリエルにお会いになることはできなかった。
 今から十年前に、ガブリエルがアルバに長期間滞在しているという噂をお耳にされた陛下は、自らガブリエルをお迎えになろうと、わずか数名の供の者を従えただけでアルバへと赴かれた。その時はわしもお供したが、アルバに着いた時にはガブリエルは既に去り、それからは消息を絶ったままでいる。彼はこの世に名声とガブリエルの書を残し、陛下には一通の短い手紙を残したのみだった。スヴァンゲル川を渡ったのは、陛下もわしも、あのお忍びの旅一度きりじゃ。
 陛下にはジンバジョー平原をお攻めになるご意志はおありだったようだが、ガブリエルの別れ際の言葉が引っ掛かって、どうしても川を越えることがおできにならなかったようだ。軍師のオラリアス卿のご意見も一貫してそうであった。『川向こうのことは川向こうの者にお任せなさいませ』とな。あの頃でさえそうであったのに、何を今更スヴァンゲル川を越えることがあろう。今となっては国内の与論は、急速にピグニアとの講和という方向に進みつつあると言うに」

 その夜、ファントムとオクスは城の中の一室で寝ることになった。朝になっても気楽に寝ていられる宿屋に泊まりたかったのだが、有無も言わさず寝室へ連れて行かれた。
「何とかしてあの二人をわしに仕えさすことはできぬか?」
 二人が出て行ったあと、サンジェント公はマリオネステに尋ねた。
「あの二人は一応、ドワロン門下としては私の弟弟子に当たります故、私から無理強いしたくはないのですが、殿がどうしてもとお望みならば致し方ありません。私に良い考えがございます」
「良い考えとは何じゃ?」
「明日にも強者を集めて試合を催します。そして彼らも試合に出場させます。勝てばかなりの褒美を与えることにします」
「ほう、それで?」
 サンジェント公は目を輝かせた。
「ただし、彼らが負ければ殿にお仕えするという条件を出します」
「応じるであろうか?」
「そこは巧くやります。ファントムはともかく、オクスは挑戦されれば退けない質です」
「腕の方はどうなのじゃ?」
「オクスの腕は馬鹿になりません。しかしファントムの方は、ベレスドークから聞いたところによると、かなり腕を上げているようではございますが、私の知る限りでは何も問題はございません」
「そうでしょうか?」
 ベレスドークは我慢ができずに口を挟んだ。
「私はしばらくの間彼らと旅を共にして、密かに窺っておりましたが、ファントムは三人の冒険者を一人で相手取り、二十数人の山賊を知恵と勇気で降参させた若者です。決して無謀な冒険者といえども、その命を奪うことまではしませんでしたし、山賊どもはその後どうなったかまでは存じませんが、奴らを改心させようと山賊をやめさせるまでは成功したことは確かです。その正義感と度胸と、のみならず他人への思いやりは見上げたものだと思いますが」
「わしもそう見た。あの者は先ほど少しばかり話をしただけでもわかったが、非常に利発な若者じゃ。それを自分を飾って大きく見せようなどともしない。そういう者こそ臣下に迎えたいものじゃ」
 サンジェント公は大きく頷いた。
「ところで相手は誰が良いか?」
 再びマリオネステが答える。
「ファントムなら小隊長クラスで間に合うでしょう。レビンを当てましょう」
「うむ、レビンならそこそこ腕が立つ。して、オクスには?」
「さあ、それが問題です」
 それを聴いていたハイザム将軍が立ち上がった。
「私が相手になりましょう」
「よし、必ずオクスを打ち負かすのじゃ」
 サンジェント公はハイザムに向かって頷いてみせたが、マリオネステは即座に首を横に振った。
「オクスを甘く見てはいけません」
「その通りです。私など、物の数合も保たずに肩を突かれました」
 ベレスドークも興奮して言う。
「私があの無骨者に退けを取るとでもおっしゃるのか?」
 ハイザムはむきになった。
「必ずしもそうだとは言ってない。しかし、正直言って将軍に分が悪い」
「何を言われるかっ!」
「いいからお聴きなさい。もし将軍がオクスに敗れれば、他の将兵たちにも示しがつかん。何より将軍ご自身の立場がなくなるであろうが。無論武術師範である私の面子も潰れる。そこでですが、ボリシュにやらせようと考えております」
「ボリシュ!」
 ブレア、レクサム、ハイザムの武官たちは思わず叫んだ。
「ボリシュとは何者じゃ?」
「元々我が軍に籍を置いておった者ですが、些細なことから売春婦を殺して逃亡し、逮捕に赴いた衛兵十名を残らず殺害。やむを得ず重装部隊を出動させ、タンメンテに潜んでいたところを、当時部隊長であった私と部下たちとでやっとのことに取り押さえ、今は独房に放り込んである死刑囚です。本来なら、今ここに同席していても決しておかしくない者なのですが、何しろ素行が悪く、何度も営倉に出入りしているような有様でした」
 ロカスタ諜報機関の長官であるブレア将軍が説明した。
「あの者ならちょうど良いでしょう。試合に勝てば罰を終身刑に減じさせてやるという条件を出してやらせましょう」
 マリオネステは平然としたまま言った。
「そのような者を使って大丈夫か?」
 サンジェント公が問うと、マリオネステは自信たっぷりに答えた。
「怪力の上に腕は滅法立ちます。素行は確かに悪かったのですが、今では改心しているようですから、単なる試合だと言い含めておけば、何も問題は起こりはしません」
「わかった。あとはおまえたちに任せる。ところでファントムの方だが、あの者が試合を拒んだ時はどう致すのか?」
「ご安心下さい。たった今私に名案が浮かびました」
 マリオネステは公爵の傍らに近づき、耳元に口を寄せた。
「ふむふむ、何っ! まことか!」
 公爵はしばらく唖然としていた。マリオネステはサンジェント公の驚く様子を見て、ニヤニヤしながら頷いた。
「しかし少々卑劣な手ではあるまいか?」
「なあに、構うものですか。二人とも最初は嫌がっていても、あとになってから殿にお仕えしたことを悔やむことはありますまい。あの者たちのためでもあるのですから」
 そう言うと、マリオネステはまたニヤッと笑った。

 翌朝ファントムとオクスが客室で朝食をとっていると、マリオネステが入って来た。腰を下ろしていろいろと話しかけてくる。
「そう言えば、ここに来る前にアルバへ行って、ドワロン先生に会ってきたよ」
 ファントムが言うと、
「そうか。先生はお元気か?」
「ああ。でも四剣がいなくてちょっぴり寂しかったな」
 マリオネステはそれを聞いて微笑んだ。
「そうだ、おまえたちは今タウに住んでるんだったな。ペレクルストはたぶんタウにいるはずだぞ」
「ほんとか?」
「ほんとだ。街が広すぎて会うことができないんだろう」
「じゃあ、帰ったら捜してみるよ」
「帰ったらな」
 マリオネステは苦笑した。
「ところで、これから裏庭で御前試合があるんだが、見に行かないか?」
「そりゃ面白そうだ」
「何ならついでにおまえたち二人も出てみろよ」
「そりゃ遠慮しとくよ」
「俺は出たっていいぜ。相手は誰だ? サンジェント公か?」
「馬鹿言うな」
 そら、やっぱりだ、とマリオネステは腹の中で舌打ちした。
「かなりやる方だ。だけどファントムにはそんなに強くない奴を当ててやるさ」
「真剣勝負か?」
「まさか。木剣だし、防具も着ける。危なくはない。腕試しにどうだ?」
「でも俺は見てるだけにしとくよ」
「なんだ、臆病だな」
「何とでも言ってくれ」
(こいつはやっぱり一筋縄ではいかない。仕方がない、奥の手を使うか)
 マリオネステはファントムを説得するのは諦めた。
「それじゃあ、そろそろ行くとするか。今日も大切な剣と戦斧を預かっといてやるよ。サムソン、ギルダー」
 マリオネステが呼ぶと、例の二人が入って来て武器を預かった。
 それからファントムとオクスはマリオネステに案内されて裏庭まで行った。そこにはもう五十人ほどが集まっていた。間もなくサンジェント公も姿を見せる。マリオネステは全員に向かって口を開いた。
「本日の試合は公爵がご覧になられる。日頃の武芸の腕前を存分に発揮されよ。公のお目に留まれば、近々昇進もあることと思って良いぞ」
 それを聞いて一同は奮い立った。
「本日は特に剣客を招いておる。かの剣神ジャバドゥ殿の門下、オクス殿にファントム殿だ。もちろん試合に参加する」
「待ってくれ。そんなこと認めてないぞ」
 ファントムが慌てて叫ぶと、
「まず、これを見よ」
 今度はサンジェント公が口を開き、傍らにある剣を手に取った。
「あっ!」
 サンジェント公が手にしていたのは、ファントムのカーマン・ラムゼリーだった。オクスも自分の鎮魂の戦斧が公爵の傍らに立て掛けてあるのに気づいた。
「汚ねえぞ!」
「まあ落ち着いて話を聴け。あれはおまえたちが逃げ出さないように、質として預かっているだけだ。公爵に召し上げようなどというお考えは一切ない。試合を受ければ、剣と戦斧はすぐにもおまえたちに返そう」
 平然とそう言うマリオネステを、ファントムもオクスも憎しみを持って睨みつけた。
「そんな怖い顔するな。試合に勝てば公からご褒美も遣わされるんだぞ。おまえたちは剣客であるから、褒美は金で払われる。勝てば金貨百枚だ。ただし、負けた場合は――」
 マリオネステはそこで間を置いた。
「負けた場合は何なんだ?」
「わしに仕えてもらいたいのじゃ」
 サンジェント公が笑みを浮かべながら言った。
「嵌めやがったな!」
 オクスはいきり立ったが、ファントムは落ち着いてオクスを抑えた。
「まあ待てよ、オクス。では、試合に勝てば俺たちは自由ということですね?」
「そうだ」
 マリオネステはきっぱりと言った。
「俺たちの剣と斧も返してくれますか?」
「勘違いするな。召し上げようと言うのではない。おまえたちに何とか試合をしてもらうために、悪いとは思ったが、一時預からせてもらうことにしただけだ」
「では、俺たちが勝てば自由放免に間違いありませんね?」
「そうだ。くどいぞ」
 マリオネステは押し被せるように言った。
「では受けて立ちましょう」
「相手は誰だ? さっさと出て来やがれ、ぶった斬ってやる!」
 オクスはいきり立ってわめいた。
「あんまり熱くなるなよ。武器は木剣、防具着用。単なる腕試しだ」
 マリオネステはオクスをなだめようとした。
「では早速ファントムからだ。レビン、お相手しろ」
「ははっ」
 呼ばれたレビンが進み出た。二人とも用意されたキルト地の下着を着て、その上から半袖短裾の小ざね鎧を着けた。足には軽い具足、手には籠手を着け、歩兵用の鉄兜を頭に被った。
 防具を着けながらファントムは考えた。勝てばいいのだとは言ったものの、もちろん自信などない。相手がどんな腕の持ち主かさえ知らないのだ。全くの運任せだ。運が悪ければ、この先ずっとロカスタにいてサンジェント公の命令に従わなければならない。街の衛兵か公爵の親衛隊員となり、根絶やしの時を手を拱いて待つだけの、受動的で単調な苛立たしい生活が待っている。
 サンジェント公に仕えるのが嫌なわけではない。いや、流れ者の自分たちをここまで丁重に扱い、熱心に仕官の口を与えてくれようとする領主がいるだろうか? しかしそれは別問題だ。自分たちは、少なくとも現在は完全に自由な立場にいなければならない。根絶やしを防ぐために何を為すべきか全く見えていないのだから。そんなことまではサンジェント公もマリオネステもベレスドークも知るはずがない。ましてや対戦相手のレビンなどは、自分自身の立身出世が懸かっているのだ。
 防具を着け終えると、木剣を手にして両者向かい合った。
(レビンよ、頼むから負けてくれ)
 ファントムは懐にあるプレトの護符を意識しながら、プレトの神に祈らずにはいられなかった。
「相手に致命的と思われる打撃を与えた時のみ、勝負ありと見做す。では始めっ!」
 マリオネステの声と共に試合が始まった。早速レビンが様子窺いに打ち込んできた。ファントムは軽く受けて弾き返した。
「ぶちのめしてやれっ!」
 オクスが大声を上げた。再びレビンが掛け声もろとも打ち込んできた。ファントムはこれも受けて押し返した。レビンの方は慣れているのだろうが、ファントムは鎧を身に着けて闘うことに慣れていない。小ざね鎧とはいえ、その重みで動きが鈍くなることに変わりない。それよりもむしろ、具足と兜が意外に邪魔だった。足の動きがかなり遅くなり、首を動かすと重みがもろに伝わってくる。素早い身のこなしはどうやらできそうにない。
 ファントムはあっさりと兜を脱ぎ捨てた。その隙を逃さず、レビンが大上段から木剣を振り下ろしてきた。しかしそれはファントムの仕掛けた罠だった。木剣で引き込むように受け流したあと、勢い余ってつんのめったレビンの肩を、素早く返す剣先でしたたかに打った。レビンはよろめいた。
「勝負ありだろうがっ!」
 オクスがマリオネステに向かって怒鳴った。
「いや、肩だ。致命傷とは言えない」
 マリオネステは取り合わなかった。しかし平然としていたものの、心の中ではしまったと思っていた。ファントムを甘く見すぎた、いつの間にあんなに腕を上げたのだ、レビンではまるで相手にならないと。
 慌てて体勢を立て直したレビンはむきになり、ファントムの懐に飛び込んで突きを入れようとした。ファントムはそれを難なくよけると、次の瞬間にはレビンの腿と膝の間、小ざね鎧の裾と具足の継ぎ目を狙い打ちにした。
「あうっ!」
 レビンは呻き声を上げて地面に片膝をついた。ファントムは続けざまにむき出しになっている肘の上を打った。レビンは堪らず木剣を取り落とす。まだ足りないかと、ファントムは最後にレビンの喉元を強烈に一突きした。鱗状の板金に守られてはいたが、その衝撃の強さに耐えきれず、レビンは仰向けに倒れ、そのまま伸びてしまった。
「まだ勝負なしですか?」
 ファントムの催促に我を取り戻したマリオネステは、
「勝負ありっ」
 と宣言せざるを得なかった。
「見事じゃ」
 サンジェント公がファントムを誉めた。しかしあまり嬉しくはなさそうだ。
「次は俺の番だ」
 オクスが小ざね鎧を着けて立ち上がった。
「ボリシュを通せ」
 マリオネステが遠くへ呼びかけると、既に武装した男が四人の兵士に取り巻かれ、拱廊を通って庭に出て来た。見物している兵士たちの間からは一斉に、
「おーっ!」
 と驚きの声が上がった。雲突くような巨漢だ。サンジェント公の前まで来ると、立ち止まって一礼した。マリオネステがつかつかと歩み寄り、大男の耳元で何事か囁く。
「良いか、是が非でも勝つのだ。勝てば死罪は免れられる。殿のお心しだいでは、即刻放免もあり得るのだぞ」
 ボリシュは険しい目つきのまま、マリオネステに無言で頷いてみせた。
「あれは人間か?」
 ファントムの口ぶりには、この人選に対して非難めいたところがあった。
「こんな棒切れなんか使えるかっ」
 オクスは木剣を投げ捨てた。相手を見て燃えてきたようだ。
「俺はずっとあいつを使ってきたんだぜ」
 サンジェント公の傍らに立て掛けてある、自分の鎮魂の戦斧を指差して言った。
「よろしい。では刃入れのなされていない戦斧を用意してやれ」
 サンジェント公が従僕に命じた。従僕はすぐに戦斧を持って来た。ボリシュは同じく大段平と楯を要求した。
「それも持って参れ」
「前もって断っとくが、刃が入ってないからと言っても、当たり所が悪ければくたばっちまうぜ。それでもいいのか?」
 オクスがボリシュに訊くと、
「構わん。おまえこそいいのか?」
 ニタッと不敵な笑みを浮かべた。
「訊くまでもないことだ」
 二人は得物を構えて向き合った。ボリシュは見上げるばかりの大男だ。こうして二人向き合っていると、大男のはずのオクスが小さく見える。ボリシュは片手に楯を持ち、もう一方の手には常人には両手で扱うのも大変な大段平を握って、まるで棒切れを振り回すようにビュンビュン振り回してくる。オクスはそれを戦斧の柄で受けていたが、攻撃を仕掛けてもボリシュは楯と大段平で巧く跳ね返してしまう。懐が深いので、簡単には決定打を繰り出すことができない。
 相手の楯が邪魔だと思ったオクスは、ボリシュの大段平を受け止める合い間合い間に、楯だけを狙ってガンガン打った。その度に金属製の楯がへこんでいく。とうとうくしゃくしゃになってしまった。ボリシュは楯を投げ捨てると、大段平を両手に持ち直し、物凄い速さで振り回した。しかしオクスの方もしだいに調子を上げ、返し技を繰り出し始めた。だがボリシュもなかなかの腕前で、そう易々とは打ち込ませない。大段平で巧く受け止める。しかしだんだんとボリシュの大段平が前に出なくなり、とうとう守り一辺倒になってきた。
 これはまずいな、とマリオネステが思った時だった。ボリシュがいきなりオクスに背を向けて走り出した。どうしたのかと全員が呆気に取られて見ていると、ボリシュは立ち止まりもせず、城外へと続いている拱廊へと駆け込み、一気に突っ走った。そのまま門番たちを大段平でぶちのめし、城の外へと躍り出した。
「畜生! どこまで逃げやがる気だ! 卑怯者っ! 戻って来い!」
 オクスは刃のない斧をつかんだままボリシュを追いかけた。
「しまった! ボリシュは逃亡する気だ。追えっ! 奴を捕まえろっ!」
 マリオネステが叫ぶと、兵士たちは一斉に立ち上がり、オクスの後ろを走った。
 ボリシュの考えはこうだった――初めのうちはオクスに試合で打ち勝ち、公爵に赦免してもらおうと思っていたのだが、オクスとやり合ううちに、自分に勝ち目のないことがわかってきた。このまま負ければもちろん死刑囚に逆戻りだ。それどころか疑心暗鬼に囚われだした。試合にかこつけて、公爵が自分をこの場で処刑してしまおうとしているのだと。ならば、とボリシュは機転を利かせた。裏庭から城外へ出ることはた易い、勝手知った町だ。全員が油断している隙に城から抜け出し、街中に潜み、折を見て逃亡するのだ。
 浅はかと言えば浅はかだった。街中を土煙を上げて逃げ走るボリシュの後ろからは、オクスを先頭にして数十人の兵士たちが追って来ている。追手の迫る気配を背中に感じ、とても逃げきれないと思ったボリシュは、咄嗟に民家の戸を蹴破って中に飛び込んだ。大段平を放り投げると、台所にいた女を片手につかんで引き寄せた。素早く近くにあったナイフを引っつかむ。女が悲鳴を上げた。
「てめえ、この臆病者が! さっさと戻って正々堂々と勝負しやがれっ! この勝負には俺の運命が懸かってんだぞ!」
 オクスが戸口に立って叫んだ。彼一人事態がまだ呑み込めていない。運命が懸かっているのはボリシュとて同じことだ。無論わかるはずがない。ファントムにもわからない。彼ら二人はボリシュが死刑囚だということを知らないのだから。オクスはただ単にボリシュが自分から逃げ出しただけだと思っている。
「ボリシュ、馬鹿な真似はよせ! どうせ助からんぞ!」
 あとから来た兵士の一人が呼びかけた。この兵士の言い方がまずかった。ボリシュの心に誤解を生じさせ、彼を心情的に絶望へと追い込み、改心する道を完全に塞いでしまうことになった。
 そもそもマリオネステは勝敗に関わらず、ボリシュを二、三年の懲役刑に減刑させ、出所後は軍に戻すつもりでいた。たとえオクスに敗れたとしても、ボリシュの奮闘ぶりをじかに見て、サンジェント公が彼の腕を惜しむであろうことは目に見えていたからだ。それを自分の権限で強引に推し進めてしまう。あとは自分がボリシュを徹底的に鍛え直せば何も問題は生じない。しかし事は全く裏目に出てしまった。
「近寄るなっ! どのみち助からねえんだ。この女を巻き添えにしてやるぞ!」
 ボリシュは怒鳴り、女を抱えたまま奥の間に引っ込んだ。裏木戸を後ろ足に蹴破って路地裏に出る。そのまま逃げようとしたが、たちまち路地の両端から兵士たちがなだれ込んで来た。
「寄るなっ! 女をぶっ殺すぞ!」
「助けてーっ!」
 女が叫んだ。兵士たちは手が出せず、じりじりと後退した。
 ボリシュは通りまで出ると、じわじわと近づこうとする兵士たちを油断なく睨みつけたまま、女を抱えて後ずさりしていく。そのまま町から出るつもりなのだろうか?
「おい、一体何の真似事だ? 馬鹿に大袈裟じゃねえか」
 オクスが言うと、
「うるせえ、てめえなんかにもう用はねえ。引っ込んでろっ!」
 ボリシュが女の喉元にナイフを突きつけたので、誰も手が出せない。その時だった。ガツッと音がしたかと思うと、ボリシュが女を抱えたまま仰向けにどさっと倒れた。土埃が舞い上がる。
 駆け寄って見てみると、眉間に矢が突き立っていて、ボリシュはもう息をしていなかった。みんな驚いて振り返ると、ずっと後方にマリオネステが弓を手にして、ファントムと一緒に立っていた。ロカスタ一の剛勇、マリオネステ男爵の強弓から放たれた矢は、寸分たがわずボリシュの眉間を割り、鏃が後頭部まで突き出ていた。
「おいっ、何てことすんだ!」
 オクスがマリオネステに向かって怒鳴った。
「やむを得ん。人命第一だ」
「でも、殺すことはなかっただろう」
 ファントムがマリオネステを非難すると、
「構わん。ボリシュは死刑囚だ。己れの置かれた立場もわきまえずに暴挙に出たのだ。殺されて当然だろう」
 マリオネステは冷たく言って、立ち去ろうとした。
「待てよ、俺の勝負はどうなるんだ?」
 オクスはマリオネステを追いかけた。
「後日にお預けだ」
「剣と斧は返してくれないのか?」
 ファントムがマリオネステの背中に言葉を投げつけた。マリオネステはキッとなって振り返ると、
「約束は守る。だが、仕官の話は済んではいないぞ」
 そう言い残して城に戻って行った。

「それじゃあここともおさらばだ」
 サムソンの手から鎮魂の戦斧を引ったくると、オクスは部屋から出て行こうとした。
「まあ、お待ち下さい。そう慌てずとも良いではありませんか」
 部屋に来ていたベレスドークがしきりに引き止めようとした。
「馬鹿にすんなっ! 俺を騙して首切り役人の代わりなんかさせようとしやがって!」
「まあまあそう言わずに、私もあのことはひどいと思います。あなた方の仕官の件はとりあえず諦めましたから、あとは我が殿の客人として二、三日滞在していって下さい」
 やむを得ず、ファントムとオクスはその夜は城に泊まった。一方、サンジェント公は自室にマリオネステを呼び、相談を持ちかけていた。
「ラムゼリーを返したのはまずかったのではなかろうか?」
「何を仰せになります。信義を重んじられる殿が、約束を反故にされてはなりますまい」
「されど今日の試合は見事にしくじったな。ましてやボリシュのことは――」
 マリオネステはサンジェント公に皆まで言わせず詫びた。
「あれは私の落ち度でございました。ボリシュについては読みが浅かったと深く反省しているしだいです」
「わしは益々あの者たちが欲しくなった。何とかならぬか? 何なら将軍として取り立てても良いと思うておるが」
 サンジェント公は真剣な眼差しでマリオネステに迫った。マリオネステは少しばかり戸惑った様子で微笑を浮かべた。
「まず、あの者どもに軍を統率することなど荷が重すぎます。確かに私が思っていた以上に個人的な武勇は備えてはおりましたが、何分歳も若く、経験がございません。将軍にとは度が過ぎましょう。それよりも、あの者どもは地位とか名誉というものを重んじておりません。また、贅沢といったものを味わったこともございません。故にここは、殿がよろしいとおっしゃるなら、あの者どもを城に一月ほど閉じ込めて、富貴の味を忘れられなくさせてみてはいかがでございますか?」
「蜜漬けにするのじゃな?」
 サンジェント公とマリオネステは顔を見合わせてニタッと笑った。
 翌朝になると侍従がやって来て、ファントムとオクスを広間へ連れて行った。広間には豪勢な料理の数々が用意されていた。侍女が二人ずつそばにつき、料理を口まで運んでくる。
「いいよ、自分でやるから」
 ファントムは迷惑がったが、侍女たちは気にせずに料理をどんどん口の中に押し込んできた。朝から酒が出され、楽士と踊り子たちによって歌舞音曲が催される。
 食事が済むとファントムが、
「公爵にお暇を告げたい」
 と言うと、
「ご多忙にございます」
 と侍従は全く取り合ってくれなかった。それから二人は別々に豪奢な個室へと連れて行かれた。金銀宝玉で飾り立てられた王侯貴族の部屋だ。侍女たちはそれぞれの部屋で二人が着ているぼろ着を脱がせ、絹の錦織に着替えさせた。あとは侍女たちがべったりとつきっきりだ。部屋から出ようとすると、外に侍立している兵士たちに押し止められてしまう。
 午になるとまた豪勢な宴。それから裏庭へ連れて行かれて闘牛を見た。
「公爵に会いたいんだけど」
 ファントムは闘牛などに全く興味はなく、近くにいる侍従に頼んでみたが、侍従は無言で首を横に振るだけだ。
「まあいいじゃないか。しばらくゆっくりしていこうぜ」
 オクスはご機嫌だ。ファントムは考え込んでしまった。
 闘牛見物が済むと、庭の一画にある大きな池に船を浮かべ、また宴。オクスは一日中酒浸りになっている。暗くなると部屋に連れて行かれたが、寝室には美女が待っていた。長い髪をした色白な女が、全身が透けて見えるような薄い衣一重を身にまとっただけの姿で、ファントムに擦り寄ってきた。
「一体何の真似だ」
 ファントムは有無も言わせず女を部屋から追い出してしまった。
 翌朝、食事の時にオクスと顔を合わせると、ファントムは言った。
「サンジェント公は俺たちをずっと城に閉じ込めておく気じゃないか?」
「しかしこんな極楽のような暮らしができるんだったら、当分はここにいたいもんだな」
「馬鹿言うな。俺はまるで囚人になった気分だ。たぶん俺たちを骨抜きにしてしまって、ここから離れられなくしてしまおうって魂胆に違いない」
「人様の好意を疑っちゃ悪いぜ」
「馬鹿、考えてもみろ、この城でこんな贅沢してるのは、俺たち二人をおいて他に誰がいる?」
「そう言やそうだな」
 二人は朝の宴も途中で抜け出して、今度こそサンジェント公に暇乞いに行こうとした。するとまたもや兵士たちが強引に二人を広間まで連れ戻した。
「公は只今各地をご視察になられていて、ご城内にはおいでになりません」
 そのあとはまた、美女たちが付き従った庭園の散歩に無理やり連れて行かれた。
「これじゃあ飼い殺しだ」
「全くだ」
 ファントムが心弾まぬお仕着せの庭園散策をしている時だった。突如物見櫓の上にいた兵士が警鐘を鳴らし始めた。
「砂嵐だあ! 砂嵐が来るぞー!」
 叫びながら力任せに警鐘を叩きまくった。他の物見櫓でも警鐘を鳴らしている。砂嵐の警報を耳にした者たちは、皆慌てふためいて城の中に逃げ帰ろうとした。
「早く建物の中にお戻り下さい」
 侍従がファントムとオクスを急かした。北風が徐々に強くなってくる。
 城の中にみんなが入ると、兵士たちが扉や窓を片っ端から閉じていった。まだ閉めていない窓から北の空を覗くと、空一面が煙っている。その窓にも兵士がさっさと鎧戸を下ろしてしまった。外では凄まじい風の唸りがし始めた。音は益々凄まじくなってくる。鎧戸や木戸に砂粒が叩きつけられる音が聞こえる。時には大きな物体がぶち当たる音もした。何かが暴風に吹き飛ばされてきたのだろうか?
 城内の者たちは皆息を潜め、砂嵐が通り過ぎるのをじっと待っているようだ。
「この隙に城から逃げ出さないか?」
「馬鹿、吹き飛ばされてしまうぞ。あの音を聞いてみろ」
 やがて音がやんだ頃、そっと窓を開いて外の様子を窺ってみた。庭一面砂に埋もれてしまっている。あっと言う間に膝の高さまで砂が積み重なっていた。折れた木や、根こそぎ風に引き抜かれて倒れてしまった木もある。池は半分ほど砂に埋もれてしまい、未だに残った水面へ向かって周囲の砂が流れ込んでいた。城の北側は完全に埋もれてしまっているので、兵士や従者たちは南側の扉を開けて外へ出た。窓からも出る。砂嵐には慣れているのか、早くも復旧作業が始まった。砂を掻き集め、車に載せて運び出すのだ。
 ファントムとオクスも窓から外へ飛び出すと、真っ先に物見櫓に上って街の様子を眺めてみた。街も一面砂を被っていた。ところが早くも町民たちが家から出て来て、砂を掻き集めだしている。戸が開かなくなって、窓から出て来る者もいる。家が無事だった者は屋根に登り、砂を掻き落としたりしているが、竜巻が起こったのであろうか、石造りとはいえ、半壊や全壊してしまった民家もいくらかあるようだ。この町は放っておくといつかは砂に埋め尽くされてしまうため、砂嵐が来たあとには、少なくとも町の外まで砂を運び出さなければならない。
 オクスは手伝おうとしたが、
「今のうちに逃げ出そう」
 ファントムは悪いとは思ったが、今はみんな復旧作業におおわらわだ。二人に構っている者など一人もいなくなった。この好機を逃しては、いつまたロカスタ城から逃げ出せる機会が巡ってくるかわからない。
 二人は自分たちの武器を取りに、まずは部屋に戻った。錦の絹服を脱ぎ捨てると、またぼろ着を着て、武器を引っつかむと、急いで廊下に飛び出した。しかしその時、また警鐘が鳴らされているのが聞こえてきた。廊下に出ていたファントムとオクスは耳を澄ましてみた。
「何だろう?」
「また砂嵐か?」
 二人は窓から首を出してみた。
「鳥人だあ、鳥人の襲撃だあー!」
「鳥人?」
「何だそりゃ?」
 二人がしばらく窓から首を出していると、遠くに鳥の群が浮かんでいるのがわかった。すこしすると『鳥人』の意味も解せた。町の上空まで飛んで来たのは鳥ではなく、翼の生えた人間だったのだ。ここからだと東の方角にあるアンデントボーテ山脈に巣食い、高山の上の方に王国じみたものを築いている。時折近くにあるロカスタやタンメンテの町を襲い、遠くダウヒルやサラワンの町まで遠征することもある。鳥人たちの目的は略奪だ。街に降りて来ると、商館の蔵を壊し、中にある金目の物だけを持ち去ろうとしていた。
 たちまち兵士たちに号令が下された。兵士たちは即座に砂掻きをやめ、武器を執って鳥人に立ち向かった。しかし兵士たちが剣や槍を持って駆けつけて来ると、鳥人たちはさっさと飛び立ってしまう。代わりに楯と武器を手にして空中で待機していた鳥人たちが空から舞い降りて来て、兵士たちを攻撃した。その隙に再び略奪部隊が舞い降り、蔵の中の品を次々と奪い去った。城壁上に弓箭隊が並び、鳥人どもに矢を射掛けたが、鳥人たちは難なく楯で防いでしまった。
 ファントムとオクスが三階の窓から身を乗り出すようにして覗いていると、しばらくして隣の方で怒声が響き、バルコニーに男が現れた。サンジェント公だった。
「なんだ、城の中にいたんじゃないか」
 ファントムが言うより早く、サンジェント公は手にした槍を放り投げた。槍は鳥人の一人がかざしていた楯のど真ん中に命中し、楯を貫いて鳥人を串刺しにした。鳥人は槍に貫かれたまま地上へと墜落して行く。
 次の瞬間には別の鳥人が顔面を矢に射抜かれ、これまた地に墜ちて行った。ハッとして首を反対側に向けると、そこにはマリオネステが立っていて、矢をビュンビュン放っていた。マリオネステは楯を避けて、鳥人の顔や手足を狙い撃っているようだ。サンジェント公も傍らに控えた小姓から手槍を次々に受け取り、狙いたがわず鳥人を撃ち落としていく。城門からはレクサム将軍を先頭にして、弓を手にした騎馬隊が突出した。
 鳥人たちは城から遠ざかり、遠くの方で再び略奪を始めた。町の方からも部隊が取って返して来ているようで、遠くに砂煙が上がっている。だが、新手の鳥人部隊が城の反対側にも現れたようだ。そちらでも喊声が上がり、たちまち戦闘が始まった。
「今のうちだ、早く行こう!」
 しばらく鳥人軍団とロカスタ軍との間に繰り広げられる戦闘を呆然と眺めていたが、ふと我に返ったファントムとオクスは部屋から飛び出し、廊下を走り、階段を駆け下った。庭まで出ると、砂を跳ね飛ばしながら、猛然と城門目指して突っ走った。
「おいっ、どこへ行くっ! ファントム、オクス! 戻らんか!」
 ファントムとオクスの二人が逃げ出すのにいち早く気づいたマリオネステが、三階のバルコニーから大声で呼びかけた。
「助っ人だあ!」
「只飯ばかり食わせてもらっちゃ悪いから、今こそ恩返しさせてもらいます!」
 ファントムとオクスは振り返りもせずに適当なことを叫ぶと、城門を駆け抜けた。
 街中に出ると、砂に足を取られながらも、町の南門目指して駆けた。周囲で闘っている鳥人と兵士たちには目もくれない。
「ヤロー! 鳥の化け物め、俺がぶった斬ってやる!」
 口だけはそう叫んでいるが、鳥人を相手にしないで、南門へとひた走りに突っ走った。
 町の門をそのまま駆け抜けると、二人はその場にへたり込んでしまった。かなり長い距離を休みなしに駆けたのだ。しかも足元に降り積もった砂の上は、走りにくいと言ったらない。二人は途中で何度も転んだ。
「水が……欲しいな」
 オクスが息を切らしながら言ったが、
「マリオネステに……気づかれてる。……とにかくできるだけ……ロカスタから離れよう。……追手を出されるかもしれないぞ」
 ファントムとオクスは休憩もそこそこにして、砂に埋ずまった街道を南へ向かって急ぎ足で歩いて行った。

 日が西に傾いた頃、遠くに民家が見えたので、二人はそこに泊めてもらおうと考えた。ところが集落の方へ向かって歩いていると、羽ばたきする音が聞こえ、十人ほどの鳥人たちが空から降りて来たかと思うと、たちまち二人の周りを取り巻いた。
「何のつもりだ? やる気か?」
 オクスは戦斧を構えた。
「その宝剣を寄越せ」
 鳥人の中の一人がファントムのカーマン・ラムゼリーを指差した。
「こいつか? こんな物をどうするんだ?」
 ファントムはラムゼリーを引き抜きながら周囲の様子を窺った。二人を囲んでいるのは十人だが、上空にもかなりの数の鳥人たちが飛び回っている。
「そいつを寄越せば見逃してやる」
 ふと見ると、オクスがしきりに目配せしていた。鳥人たちが少しでも油断している隙に五、六人は斬れるだろうか? だが上空には少なくとも三十は飛んでいそうだ。しかし迷っている場合ではない。
「くれてやるっ!」
 そう叫ぶと同時に、ファントムは宝剣を要求した鳥人を袈裟斬りにした。鳥人が血を噴いて倒れる。すかさず隣にいた奴の首も刎ね飛ばした。オクスもほぼ同時に戦斧を振るった。素早い動作で三人まで斬ったが、残りの奴らは跳びすさって身構えた。
 たちまち空から援軍が降りて来る。ファントムとオクスはサッと背中合わせになって鳥人たちに立ち向かった。しかし、鳥人たちは急降下して来ては剣で一撃を加えると、すぐに空へ戻って行ってしまう。勢いのついたこの打撃は凄まじかった。打っては飛び去り、打っては飛び去りで、それが一列になって連続して攻撃してくる。地上に残った奴らも隙を衝いて斬りつけてきた。この攻撃にはそういつまでも耐えられるものではない。
 一人の斬撃を交わして翼を切り落とすと、オクスが叫んだ。
「村まで突っ走るぞ!」
 ファントムは承知して、前にいる鳥人に向かって跳び込むと、片腕を切り落とした。そのまま二人は集落目指して駆けた。鳥人たちは後ろから急襲してくる。羽ばたきを感じて、二人は振り向きざまに得物を振るった。オクスは鳥人の斬撃を弾き返し、続けて手首を切り落とした。ファントムはしゃがみ込んで鳥人の一振りを交わすと、飛び去ろうとする鳥人の両足を切断した。
 二人は再び走り出したが、今度は鳥人たちが十人ほどで前方に立ち塞がった。楯を構えて迎え討つ気だ。構わず二人は突進した。しかしその時、上空の鳥人たちが一斉に手槍を投げつけてきた。二人は咄嗟に身を交わし、剣と戦斧で槍を打ち払ったが、何本かが二人の体をかすめた。そのうちの一本がファントムの右脇腹を切り裂いていた。
「ううっ!」
 ファントムは呻き、片膝を地面に落とした。かなりの深手を負ってしまったようだ。オクスは地面に突っ立った手槍を引っこ抜くと、鳥人目がけて投げ返した。手槍は飛び去ろうとする鳥人の一人に突き刺さった。鳥人は呻き声を発して地面に墜ちた。
「走れるか? あと少しだぞ」
「ああ」
 オクスは先に走って、地上の鳥人たちの列の真ん中に斬り込んだ。たちまち楯ごと二人の鳥人をぶった斬り、突破口を開いた。それを見てオクスを取り囲もうとした鳥人たちに、今度は後ろからファントムが斬り込んだ。
「くたばれ、化け物っ!」
 二人は辛うじて集落に辿り着くと、民家の土壁を背にして構えた。改めて鳥人たちの方を眺めやると、驚いたことに、かなり斬り殺したとばかり思っていた鳥人たちの数が、減ったどころか増えていた。空に浮かんでいるのと、地上にいて二人を取り巻こうとしているのを合わせると、その数は百は下らない。
「どうなってんだ?」
「仲間を呼びやがったのか? 化け物にしてはしつこすぎるぜ」
「そうまでしてこの剣が欲しいのか」
 ファントムは脇腹を右手で押さえながら言った。先程は夢中だったので痛みなど気にならなかったが、今になって傷が疼いてたまらない。他にも全身に切り傷、擦り傷がたくさんある。オクスの方も同じだ。
「大丈夫か? ひとまず降参するか?」
 ファントムが脇腹を押さえて顔をしかめているのを見て、オクスは弱気になった。ファントムの右手は血塗れになっている。
「あんなに奴らの仲間を殺したんだ。今更降参したって助かるもんか」
「よし、わかった」
 二人は民家の中に飛び込んだ。中では男と女が四人の小さな子供を抱いて震えていた。
「すまん、ちょっと家を借りるぜ」
 オクスは家族に向かってそう言うと、扉を開けたままで戸口に立ち、肩の弓を執り、矢をつがえて引き絞った。空から戸口に向かって飛んで来る鳥人を狙って矢を射る。矢は見事に鳥人を射落とした。鳥人は砂煙を上げながら地面の上を転がった。立て続けにもう一人射落とした。
「来やがれ、鳥野郎!」
 ところが壁から戸口へと忍び寄って来た鳥人の手がいきなり伸びて、オクスの弓をつかむや、もう一方の手に持った剣で斬りつけてきた。オクスは思わず弓を手放して身を交わした。咄嗟にファントムの剣が突き出て、鳥人の喉を貫いていた。鳥人がドサッと戸口に倒れる。
 しかしほっとしたのも束の間、民家の土壁がドンドンと鳴りだした。鳥人たちは壁を叩き壊そうとしているのだ。たちまち壁に大きな穴が空き、剣を手にした鳥人が踏み込んで来た。オクスがそいつを斧で斬り倒したが、穴は次々に空けられた。
「駄目だ。外へ出るぞ」
 二人は急いで戸口から表へ飛び出すと、民家を囲んでいた鳥人を二人、三人と叩き斬った。ドカッと音がして、今いた家が崩れた。砂煙が舞い上がった。二人は別の民家へと走り、土壁を背にして再び構えた。二人を追い詰めた鳥人たちは、油断なくじわじわと包囲の輪を縮めてくる。
「こいつは非常にやばいな」
 オクスは言いながら、何か打つ手はないかと辺りを窺っていた。
「宝剣を寄越せ!」
 鳥人たちが迫った。
「こうなったら鳥どもを斬りまくって、討ち死にするか」
 オクスがそう言った時、にわかに地鳴りが聞こえだしたかと思うと、ワーッと喊声が湧き起こり、途端に騎馬の一団が鳥人たちの背後から斬り込んできた。不意を衝かれた鳥人たちはたちまち混乱し、次々に騎馬軍団に斬られた。見ると、空に浮かんでいた奴らも矢の雨を浴びて次々に墜落していく。ここぞと思ったオクスとファントムは、力を振り絞って鳥人たちを斬りまくった。
 しばらくしてから、騎馬隊の中にサンジェント公がいて斬りまくっているのがわかった。両手に剣を握り、馬を足だけで上手に操り、両手の剣が振られる度に、二人の鳥人が真っ二つに切り裂かれる。まさに鬼神も泣き叫ぶ凄まじさだ。ベレスドークも太刀を手にして奮闘していた。
 気がつくと、鳥人たちは尻尾を巻いて空の彼方へと飛び去っていた。あとにはたくさんの鳥人たちの死骸と、濛々と立ち昇る砂煙だけが残った。サンジェント公はファントムとオクスの方に馬を進めて来た。
「途中に鳥人の死骸が転がっておったが、おぬしらであったか。おい、手当てをして差し上げよ」
 サンジェント公はファントムの脇腹を見て、兵士に命令した。兵士たちは馬から降りてファントムの傷の手当てをした。
「それよりもあの家を何とかしてやって下さい。俺たちのために壊されてしまったんです」
 ファントムが指差した所には、壊れ去った家を前にして、六人の家族がぼうっと佇んでいた。
「すぐに建て直してやれ」
 ベレスドークが何人かに指示した。
「ところで、鳥人どもは何故おぬしらを狙ったのじゃ?」
「これです」
 ファントムは兵士に傷口を手当てしてもらいながら、手にしたカーマン・ラムゼリーを持ち上げた。
「なるほど。こ奴らは――」
 と、サンジェント公は転がっている鳥人の死体を剣で指し示し、
「ヒスル族じゃ。茶色がかった羽をしておるであろう。こ奴らは財宝を好む。白い羽のライル族はもっと始末に悪い。こ奴らはそれぞれ、西アンデントボーテ山脈の北部と南部を根城としておる。気をつけられよ。もう一つ、東アンデントボーテ山脈に住む、黒い羽のフロル族というのがあって、そ奴らは強いが、狩猟生活をしておるだけで、人間には害は及ぼさん」
 ファントムは東に聳える巨大なアンデントボーテ山脈を見やった。日はもう落ちていたが、雪を頂く峰々は西陽を受けて燦然と輝いていた。山脈と言うよりも、平地の真ん中に盛り上がった巨大な一つの山と言った方が正確かもしれない。地元の民の間では神秘な霊山とされてはいるが、サンジェント公などの統治者たちにしてみれば、兵を入れてそこに巣食う鳥人どもを攻めるには、あまりにも険しすぎる厄介な山であった。
「それにしても黙ってロカスタを去るとはつれなかろう」
「いくら丁寧な扱いを受けたからと言って、公爵にお仕えする気はありませんから」
 ファントムはきっぱりと言い切った。サンジェント公は少し悲しそうな顔をした。
「うむ、仕方あるまい。そうまで言うのなら無理強いはできぬ」
 ファントムとオクスは、今夜だけでも城に留まるようにという公爵の勧めを丁重に断り、この村に滞在することにした。
「命を救って頂いて、何もお返しすることもできないのですが、一つだけ……」
 ファントムは別れ際になってサンジェント公に言った。
「何じゃ?」
「近いうちにピグニア軍がエトヴィクに攻め込みます」
「何?」
「その際、サラワンからオーヴァールへの援軍要請の使者を阻止する目的で、タウのアヴァンティナ団がオーヴァールとサラワンの間を分断するはずです」
 サンジェント公はピグニアのエトヴィク侵攻の話にはさほど驚きも示さなかったが、アヴァンティナ団のことを聞くと、魔神のような顔に驚きの色を見せた。
「何故アヴァンティナ団がエトヴィクの使者を妨害すると言うのじゃ?」
「裏切る気です。アヴァンティナはもうトランツ王を見捨ててディングスタと手を組んだようです。セイレーン党もエマーニア大公と手を切ったようです」
 サンジェント公はまたまた驚いて、
「おぬしはそこまで存じておったのか? セイレーンが大公殿下のお指図で動いておるということまで」
「アヴァンティナ団の者や、ディングスタの刺客に襲われた者の口からたまたま洩れた情報です。俺たちが知っていてもどうにもならないことです。このあとどうするかは公爵のご判断にお任せします」
 サンジェント公はファントムが試合に勝った褒美だと言って、金貨百枚の詰まった袋を残し、家臣たちと共にロカスタ城へと戻って行った。ファントムは村に迷惑を懸けたお詫びだと言って、サンジェント公からもらった金貨を全部、砂嵐の被害を受けた村人たちに長老の手を通して配った。
 そこまでは良かったのだが、脇腹に受けた傷のために夜中から高熱を出し、起き上がることもできなくなってしまった。村人たちは毎日親切に世話してくれたが、結局翌日から丸五日間寝たきりで過ごし、その村に留まることを余儀なくされた。
「あのことを教えて良かったのか?」
 ある日ファントムが意識を取り戻している時に、オクスが枕元までやって来て言った。
「わからない。だけどああまでしてもらって、何も恩返しできないんじゃ悪いからな」
 全く無責任な話だ。自分の言った言葉一つで、何千人もの運命が変わってしまうかもしれないのだ。
(でも言わなかったとしてもやっぱり無責任か。俺は単に口が軽いだけかもしれないな)
 ファントムは朦朧とした頭でそう思うと、再び深い眠りの中へと陥ちて行った。




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