15.アヴァンティナ



 夕陽に照らされた五番街は、いつものように喧騒に包まれていたが、こうやってじっくり眺めていると、いつも見慣れている慌ただしい街とはどこか違っていて、何だか突然別ののどかな街にやって来たようで、平和な日々が続くと、人間が風景を見る目も変わるものなんだろうか、とファントムはつくづく思う。タウの街もこうやって見ると、なかなか素晴らしいもんだ。この街が殺伐としているという印象も、この時だけは秋の柔らかい陽射しに打ち消されていた。
 ファントムとオクスはシーファーの周旋所に寄った帰りに、ぶらぶらと街中を散歩していた。シーファーは今朝下宿にやって来て、新しい仕事の口を持って来た。
「雇い主はマリンバ通りのデュラン商館でごさいます」
 シーファーが言うと、
「商館は嫌だと言っただろ。どんな汚いことやってるか知れたもんじゃない。そのお先棒担ぐのはごめんだね」
 とファントムは突っぱねた。
「いえいえ、今回は真っ当な商売です。タウの商品をアルバへ運び、アルバの特産品を持ち帰る隊商の護衛です」
 シーファーは仕事の話になると、途端に顔がにやけてくるのだ。そのにやけた顔を見ていると、ファントムにはまたろくでもないことが起こりそうな気がしてきた。
「いくらくれるんだ?」
 オクスが訊くと、
「一日金一。食事も朝午晩と付いております。出て来るかどうかわかりもしない盗賊の用心のために、ただついて行くだけ。往復一ヶ月。タウに戻って来ると、金貨三十枚になっております。美味しい話だとは思いませんか?」
 シーファーは一生懸命にこの話を勧めた。オクスは傷がほぼ治り、この日から市場の方をファントムと交代したが、朝にシーファーからこの話を勧められると、早速今日市場を辞めてきた。
「人には分相応ってものがあるんだ。剣士がいつまでも市場の荷運びなんかやってられるか。この方がよっぽどやりがいがあるぜ」
 オクスはそう言った。
 解決と言っていいのかファントムには疑問だったが、ともかくカファ寺院の幽霊騒動を済ませ、寺院から礼を言われて金貨五十枚ももらった。その前のウーリック事件でもらった金もまだたくさん残っている。金には当面不自由はない。職など慌てて捜すこともなかったが、アルバへ行くのだと聞かされて、少しばかり心が動いた。
 思えばアルバを離れてもう三月余りになる。これまで時たま思い出しはしたが、改めてイレーヌやドワロン、四剣たちのことを思い出すと、まるで何十年も会っていないような気がして、実際にアルバに滞在していたのはわずか三日間に過ぎないのだが、無性に懐かしさが込み上げて来た。アルバへ行くことになると、暇を見つけて彼らに会いに行くことができるかもしれない。それに、まさか悪い結果にはなっていないと思うが、ディングスタの軍が侵入してアルバを占領してからは、彼らが一体どうしているのか、少しばかり心配にもなっていた。
「行ってみるか」
 市場から戻って来たオクスに言うと、早速二人でシーファーの所へ話を聴きに行った。
「三日後に出発ですから、前日の夜にはデュラン商館に集まっておいて下さい。地図を描いときますから、明日にでももう一度ここまで足をお運び下さいますか。私は今晩にでもあちらに伝えておきましょう」
 シーファーはさすがに年季が入っていて、こういうことの手回しは素早い。
 久しぶりに外へ出られたオクスはさすがに嬉しそうだ。二人で歩いていると、ファントムも何だか心が弾んできた。オクスが動くと行く先々で血の雨が降ったが、オクスが床に臥している間でも、カファ寺院で大量の血が流された。人間の本性とは争うことなんだろうか? ふとファントムはそんなことを思った。
 珍しくのどかに見えるこの街も、必ずどこかで今も血生臭い出来事が起こっているには違いないのだが、それにしても目の前の風景が穏やかで気分が快適だと、たとえそれが束の間のことであっても、平和は未来へ向かって延々と続いて行くように錯覚してしまうから不思議だ。そうだ、錯覚に違いないのだ。それでもこの気分にしばらくの間浸っていたいとファントムは思うのだった。
 しかし、やはりその錯覚は錯覚でしかないと思い知らされる出来事が、彼の目の前で起こった。巡回中の衛兵たちが向こうから二人の方に向かって歩いて来ていた。特に気にも懸けていなかったが、四人の衛兵たちが二人と擦れ違ってから少しすると、背後で悲鳴が上がった。二人は驚いて振り返った。見ると、衛兵たちが道端に露店を出している女を怒鳴りつけ、理由ははっきりとはわからないが、女を引きずり出して蹴飛ばしている。女は泣きわめいていた。
 オクスは例によって義憤がむらむらと湧き上がってきて、病み上がりの体にも関わらず、斧を握り直すと衛兵たちの方へ駆け出した。ファントムも慌ててあとを追った。しかしそれよりも早く、路地から五番街に飛び出して来た者たちがいた。頭に青い布を巻きつけた男たち八人で、素早く二人ずつに分かれて、それぞれが衛兵一人を手にした棍棒や鉄棒で滅多打ちにした。
 不意を衝かれた衛兵たちは、どれもすぐに血反吐を吐いて地面に転がったが、青頭巾の男たちは、たちまち集まって来た野次馬たちの目も気にしない様子で、憐れな衛兵たちを容赦なく打ちまくった。衛兵たちはとうとう頭が潰れてしまった。男たちは死体の上に紙切れを載せると、サッと路地に姿をくらましてしまった。一瞬の出来事だった。女を助けようと駆け寄ったオクスも、呆気に取られて立ち尽くしている。野次馬の一人が死体の上の紙切れを拾い上げた。
「アヴァンティナだ!」
「それは何だ?」
 ファントムは近づいて行って、その野次馬に紙切れを見せてもらった。
「――天命により、腐敗した人でなしどもを公平に屍と化した――アヴァンティナ……。何だこれは?」
「アヴァンティナ団だ。無謀なことをしたり、曲がったことをしたりした役人や金持ちを次々に狙うんだ」
 野次馬の一人が教えてくれた。
「今の奴らがそうか?」
「そうさ。青い布を頭に巻いてるんだ」
 野次馬たちの様子を見ていると、どうやらこの町の民衆は、アヴァンティナ団とかいうのに好意的なのがわかる。紙切れには翼の生えた蛇を意匠化したような印が描かれている。衛兵たちに蹴られていた女は、道端に手を着いたまま泣いていた。小さな子供がその傍らにいた。屋台は女が引き倒された時に、一緒に倒されて壊れてしまっている。ファントムはそのアヴァンティナ団というのが頭に引っ掛かっていたが、急いで紙切れを懐に押し込むと、代わりに金貨を取り出して憐れな女にやった。そのままオクスと一緒に野次馬の群から離れた。
「何者だろう、あのアヴァンティナ団とかいう奴ら?」
「そこに書いてある通りだろ。それにしても、この町にもあんな弱い者の味方をする、まともな奴らもいたんだな。お蔭で久しぶりの出番を奪われちまったぜ」
 そうは言ったが、オクスは先程の男たちに大層感心している様子だった。
「そうだ、これからヴィットーリオの所へ行ってみないか?」
「アヴァンティナのことを訊くのか? まあ、暇だからそれもいいか」
 二人は雑踏の中をぶらぶらと歩いて、ラーケンの屋敷へ向かった。

 ヴィットーリオに会うと、早速青頭巾の男たちが残していった紙切れを見せた。
「アヴァンティナ団か、最近一番暴れてる奴らだ」
「一体何者たちなんだ?」
「一言で言えば、暴力革命団体だ」
「気に入らない役人や金持ちたちを殺していくってわけか」
 紙切れに翼の生えた蛇の印と共に書かれている文を、ファントムはもう一度見た。
「そうだ。このタウにはセルパニの独裁政権転覆を図る組織がいくつかある。まず表向きの政治団体として、衆議会内の社会民主党、民主党、人民党、人権尊重会。これらは穏健派と言おうか、単なる衆議会内の派閥で、選挙における得票目的で、大衆受けするようなスローガンを掲げているだけで、実質何の行動力も持っていない。口先だけの反政府組織というわけで、実際には、独裁政府が潰れてもらうと困るというのが奴らの本音だ。要するに政府を批判することで政府への民衆の不満のはけ口となり、暴動などを防ぐためにある、セルパニ総統の出先機関だ。本当は民衆の敵なんだが、この町の愚かな民にはそのことが少しもわかっちゃいない」
 それからヴィットーリオは机の上に積み重ねてあった紙の束を一つ抜き取り、紙をパラパラとめくっていった。
「ここにあるのは議会とは関係のない、民間の反政府組織だ。つまり本物だ」
 ヴィットーリオは書類の一枚を二人の方に差し出した。
「そこに書いてあるのが情勢予測の専門用語で非政治組織と呼ぶもの、つまり革命などを目的とする秘密結社だ。パライマ団、流血革命同盟、ワイユの森の民、タウ人民解放戦線、聖十字の丘軍団。こいつらは物奪り以外に特別な目的を持たない野盗の一種だが、五千人はいると推測される青布賊――アヴァンティナ団と、トラワー諸島の海賊とコネがあると思われるセイレーン党、この二つは馬鹿にならない勢力だ」
「ふうん、おかしな連中が増えたもんだ。昔はそんなものなかったぜ」
 オクスはそっぽを向いてあくびをした。もう話には飽きてしまったようだ。
「こういう秘密結社が現われだしたのは、ここ三、四年のことだ。恐らくアヴァンティナとセイレーンには、やり手の指導者がいるはずだ。あるいは相当な力を持った黒幕が」
「どんな奴だ、その黒幕ってのは?」
 ファントムはオクスと違って、熱心にヴィットーリオに食い下がった。
「今のところわからない。何しろこの資料を作成したのは、ラーケン教授を所長とする大学の調査機関だ。だからそこそこのところまでしか探れない。だけど僕の勘ではかなりの大物だろうと思う。例えば国王とか宰相とか、あるいは個人に限らず一国の政府という可能性もある。いずれにせよ、アヴァンティナとセイレーンはかなり鍛えられた集団だ」
「それは知ってるよ、さっき見たから」
 ファントムとオクスは頷き合った。
「だけど俺たちにゃあ関係ないぜ。殺られるのは役人と悪徳商人だろ?」
 オクスは早く切り上げたいようだ。しきりに腹をさすっている。晩飯のことに頭がいっているのかもしれない。
「関係ないとばかりも言ってられないぞ。きみたちは傭われ剣士という職業上、巻き込まれる可能性大だ。これを見てみろよ」
 ヴィットーリオは紙の束からもう一枚書類を抜き出した。
「それは今年に入ってからの襲撃件数だ」
 ファントムは書類を読んでみた。
「アヴァンティナ団による襲撃――一月八件、二月十二件、三月十四件、四月二十二件、五月二十五件、六月三十二件、七月四十一件、八月五十九件。セイレーン党による襲撃――一月四件、二月七件、三月八件、四月十一件、五月十七件、六月二十六件、七月三十五件、八月四十一件。なんだ、だんだん増えてるじゃないか」
 ファントムは読み上げた書類をヴィットーリオに返した。ヴィットーリオは頷き、
「そう。これは確実に奴らの数が増してるってことだ。奴らは金持ちを襲うとその財産も奪う。物盗りだが、それが活動資金になるわけだ。人が増えれば資金がもっと必要になる。そのため襲撃件数も増える。そのためには人員も増やさなければならない。こうやってどんどんエスカレートしていくんだ。セイレーンの場合は件数がアヴァンティナより少ないが、海賊船を使った大規模な襲撃が含まれるから、その被害規模は同じようなものだ」
「どうして奴らがやったとはっきりわかるんだろう?」
「奴らは必ず自分たちがやったという証拠を故意に残していく」
「翼の生えた蛇か?」
 ファントムはアヴァンティナ団の残していった紙切れをもう一度見た。
「翼の生えた蛇はアヴァンティナ団の徽。顔が少女の鳥はセイレーン党の徽。それぞれが自分たちは正義の名の下に行ったという、まさに言い訳とも取れる文句を徽に付して残していく。もっともそれに便乗している偽物もいると思われるが」
「役人や金持ちを殺すのが目的なんだろうか、それとも他に何か……?」
 ファントムはヴィットーリオの目をじっと見つめた。
「アヴァンティナとセイレーンはそうだ。今年に入って死者は二千八百二十八人。負傷者は四千人以上。しかし、ただ単に殺して憂さを晴らしてるだけじゃないみたいだ。それから先の目的は……」
「何だ?」
「奴らの黒幕の意図することだろう。政府を転覆させ、例えばこの町を乗っ取るとか」
 ファントムは体じゅうから冷や汗が噴き出すのを感じた。
「その黒幕とは他国の国王や政府なんだろ? だったら……」
「その可能性が大きいというだけで、そうと決まったわけじゃない。まだ誰だかわからないんだ。もっとも普通の人間一人の力だけで、組織が数年でこんなに強大になったとは思えないから、やはりそうだろう」
「ということは、黒幕は限られてくる?」
「もちろん」
「それなら――」
 ファントムはごくりと唾を呑み込んだ。それなら黒幕が誰なのか、自ずと答が出たようなものだ。
「もしかしてディングスタが――」
 ヴィットーリオはいやに落ち着いている。オクスはもう話を全く聴いていなくて、ファントム一人が興奮しているだけのようだ。
「その可能性もある。しかしそう考えるのは短絡的すぎるよ」
 ヴィットーリオにそう言われ、ファントムは急に落ち着きを取り戻した。何かとんでもない陰謀は、すぐにディングスタに結びつけてしまう癖がついてしまったようだ、と彼には少し自省する気持ちが湧いてきた。
「確かにいかにもディングスタならやりそうなことだ。しかし考えてもみたまえ、奴がいかに超人的であろうと、三、四年以上も前から、タウにそんな秘密結社の種を植えつけておくことなどできただろうか? いや、それならまだ可能だろうが、この三、四年間、組織を維持し続けることはできまい。
 今でこそ大立者だが、つい三月前までは一介の騎士。たとえその素質があろうと、小者を十人傭う財力も持っていなかったんだ。まずディングスタではないね。だいたい奴は何年もかかるような陰謀は企まない。そんなタイプじゃない。そんなことをするぐらいなら、軍を乗っ取り、すぐさまタウなんか攻め亡ぼす方を選ぶだろう。
 とすると、考えられるのは策謀好きのエトヴィクのトランツ王か、オーヴァールならデロディア王の弟のエマーニア大公辺りだな。トランツ王は陰謀が三度の飯より大好き。エマーニア大公ははっきり言って、間抜けとしか言いようがない。取り巻き連にいつも乗せられてばかりいる。兄弟でよくもあんなに違うものだと驚かされるね。それにエトヴィクにしろオーヴァールにしろ、他国に比べると、農産物が豊富だという以外には特別な財源を持っていないから、金銀の輸入を独占しているタウが、喉から手が出るほど欲しいというのが本音だろう。ということは、やはりこの二人の可能性大だ」
 ファントムはヴィットーリオの言葉に頷いた。しかし、そんなヴィットーリオの言葉に同意したと言うより、何だかわからないが、恥ずかしくなったのでそうしたと言った方が良い。思えばディングスタが仲間のクラウプトたちを騙したのを知った時から、何事であろうと、ディングスタを悪者と考えすぎてしまうところがあった。
 半月後にアルバに着いた時には、アルバの町をよく見て来てやろう。そうすればディングスタをもっと公平に見ることができるだろう。敵になるか味方になるかはわからないが、ともかく冷静にどんな人物なのかを知らなければならない。憎しみだけで相手を見てはいけない。そう思った。そんな気持ちを察したのか、ヴィットーリオはニヤッと笑いながら言った。
「きみはディングスタを恐れすぎてやしないか? 奴は確かに稀代の大物だ。大きな善と大きな悪を兼ね備えている。こんな言い方は僕のスタイルじゃないが、奴はある者にとっては悪魔だが、別のある者にとっては神のような存在なんだ。つまり英雄だ。所詮、他国でテロやゲリラをやらせて悦に入っているのは、トランツやエマーニアのような小物のやることだ」
 ヴィットーリオはふんと鼻先で笑った。こいつは結構理屈ばかりこねているが、英雄を待望する質だな、とファントムはヴィットーリオの本質の意外な一面を垣間見たような気がした。
「誰だっていいじゃねえか、黒幕なんか。そんなことより飯を食う方が先だ」
 オクスは我慢できなくなって言った。こいつ、女に骨抜きにされたか、ここのところオクスを見ていると、ファントムはいつもそんな気がする。アジャンタが毎日看病しに来ている間に、二人ができてしまってることをファントムは知っている。そのことをとやかく言う気はないが、どうも以前のオクスとは違って、腑抜けになってしまったんじゃないか、と思うと悲しくなってくる。
「いいじゃないか。アヴァンティナだかセイレーンだか知らねえが、小悪党を懲らしめてるんだ。痛快だぜ。何なら早いとこ総統も殺っちまえばいいんだ」
「おいおい、あんまり滅多なことは言うなよ、オクス」
 ヴィットーリオがたしなめた。
「総統のセルパニだって度量の狭い小悪党の一人だ。陰険なことなら誰にも負けないくらいいくらでもやってるんだぞ。奴はパトリオットという秘密の直属部隊を持っていて、自分や体制を批判する者を隠れて見張っていて、消しにかかるんだ。まさかきみみたいな一平民に過ぎない者を監視しているはずはないだろうが、街中で公然とそんなことを叫び続けてみろ、そのうち平民の恰好をしたパトリオットが近づいて来て、きみは背中からブスリと刺されるか、捕らえられて、すぐさま見せしめの晒し首になって、市民を怯えさせる道具にされるのがおちだ」
「ちぇっ、そんなことしやがったら、こっちこそ許さねえ。ズタズタに切り刻んで、塩辛にしてやらあ」
 オクスはカッとなって言った。
「いや、不意討ちされるだけだ。奴らは普段、誰が見ても平民としか思えない恰好をしてるんだ。今までにパトリオットに殺されたと思われる被害者も多数いる。もっともパトリオットが殺ったという証拠がないが」
「ところで、アヴァンティナとセイレーンは別物なんだろ? 黒幕も別か?」
 ファントムが訊いた。
「恐らく別だ。実は奴らは仲が悪いみたいなんだ。直接確かめたわけじゃないがね。だから黒幕は利害の対立している者に違いない。だからエトヴィクとオーヴァールとか。しかし黒幕は財力に物を言わすだけの二流の人物でも、実際にタウで指揮を執っている者は超一流だ。あれだけの組織を維持し、あれだけの数をまとめて、今までにへまらしいへまを一度もやらかしたことがない」
「と言うと?」
 ファントムはヴィットーリオの顔を覗き込んだ。
「誰も捕まらないんだ。武装兵や海兵と、かなりの規模の戦闘が行われたことも何度かあるんだが、死んだ者はあっても、捕虜になった者が今まで一人もいない。生け捕りにされた者は必ずその場で自害してしまう。だから口を割らせることもできない。かなりの鍛えられ方だ。もしもアヴァンティナとセイレーンが手を組んだとしたら、何倍もの兵力を有するタウの軍隊を全滅させてしまうことだってあり得る。
 それほどアヴァンティナとセイレーンは、兵一人当たりの戦闘能力が高い。奴らと互角に戦えるのはまずパトリオット、これはせいぜい二、三千。次に海兵が五千、重装兵が一万足らず。そしてあまり戦闘能力のない衛兵が、数ばかり多くて三万五千。これが市街戦に限定すれば、十分の一しかいない私設の戦闘集団に壊滅させられるという予測が、この前の情勢予測学会の発表で出された」
 ファントムは驚いて目を丸くした。
「どこからそんな予測が出て来るんだ? 相手はいくら弱いと言っても軍隊だろ?」
「その理由としてまず言えることは、黒幕の意図はともかくとして、奴ら一人一人の意志が強いということだ。少なくとも奴ら戦闘員は、正義と信じてやっている。実際のところ、利用されているだけかもしれないが、とにかく職業としてやっているタウの兵たちとは、士気の点で段違いということだ。
 現在いる役人とその番犬である兵を、一人でも多く消し去ること、それが奴ら一人一人の使命であり、生きがいだ。黒幕はそうやって、タウの町をもぬけの殻にしてしまう気らしい。そしてタウの正規軍の決定的な弱点は、常に受け身であること。いつもゲリラ戦を挑まれる側にあるということだ。今じゃ兵のなり手が少なくなってきていて、議会で徴兵制度が議題に上がっているほどだ」
「そんならさっさと手を組んで、タウの政府なんかぶっ潰しちまえばいいじゃないか」
 オクスは投げやりな言い方をした。
「しかし組もうとしない。利害が一致していない証拠だ」

 翌日の午、ファントムとオクスはエローラの店へ行った。しばらくするとヴィットーリオもやって来て、話がカファ寺院のことになった。
「生き肝抜き取られそうになったのを、どうやって助かったのよ?」
 エローラが低い声でファントムに訊いた。
「前に話さなかったっけ、これだ」
 ファントムはそう言って、懐からプレトの護符を取り出した。
「まあ、綺麗! ちょっと貸してよ」
 エローラが手を伸ばした。
「駄目だよ。これに触ると黒焦げになってしまう。フェノマ派の司祭はそうなったんだぞ。黒焦げになりたいか?」
 エローラはびくっとして護符をつかもうとした手を引っ込めたが、すぐに笑い出して、
「やだわ、からかわないでよ。あんただって触ってるじゃない」
 と言って、またファントムから護符を引ったくろうとした。
「ちょっと待て」
 それより早くヴィットーリオが護符を引ったくった。
「これは美しい。これは何だ?」
「プレトの護符ってんだ。俺も持ってるぜ」
 オクスも懐から同じ物を出した。エローラは今度こそ逃すまいと、それをつかんだ。
「待てよ、この文字は……」
 エローラにとっては単なる美しい模様に過ぎなかったが、ヴィットーリオは護符に刻まれている文字に気づいて考え込んだ。
「その文字がわかるのか?」
 ファントムが訊くと、ヴィットーリオはしばらく考えてから首を振った。
「いや。だけどどこかで見た覚えがある。すまないが、二、三日これを貸してくれないか。妙に気になるんだ」
 ファントムは素直には頷けなかった。明後日には隊商の護衛をしてこのタウを離れることになっている。その期間が一ヶ月。たとえ二、三日であろうとも、ヴィットーリオに貸してしまうと持って行けない。以前なら二つ返事で喜んで貸しただろうが、フェノマ派に捕まった時に護符に命を助けられてからは、ファントムはプレトの護符を寝る時でさえ肌身離さず持つようになった。
 ヴィットーリオがかつてカーマン・ラムゼリーを貸してくれと言って持って行った時と同じように、どうせ謎は解けっこないさ、だから明日になれば返してくれるだろうとも思うのだが、何しろあの幽霊騒ぎ以来、プレトの護符は本当に彼の大切なお守りになってしまい、片時も手放したくない心境だった。
「なに、俺のを貸してやるぜ。こいつは信仰心が篤いんだ。特にこのお守りにはな」
 オクスはファントムが渋っていると見て取り、エローラが引ったくった自分の護符を指差して言った。
「この護符に秘められた偉大な力を知らないんだ、目の当たりに見たことがないから」
 ファントムはオクスに向かって言った。
「一つあれば充分さ」
 オクスは気にしないで、自分の護符をヴィットーリオに貸してやることにした。
「どっかに叩き売るんじゃねえぞ」
 冗談のつもりでヴィットーリオにそう言った。

 翌日は支度をして、晩飯を食ってからシーファーの所へ地図をもらいに行き、そのシーファーの描いた地図通りにデュラン商館へ向かった。路地を通って近道をして、マリンバ通りに出る。デュラン商館は旧城壁の近くにあった。かなり大きな商館だ。主に金銀の中継ぎ貿易で儲けている。
 話を聞くと、今回もアルバの精練所へ金と銀を運ぶそうだ。と言っても、今回は取引相手がピグニア政府へと替わっている。その夜は商館の中にある用心棒用の大部屋に泊まらされた。その部屋には傭われ剣士のようなのが十人ほどいた。
「結構大掛かりなんだな」
 しばらくすると番頭らしいのがやって来て、女中と小僧に夜食と茶を運ばせ、剣士たちにふるまった。
「ここは待遇がいいな」
「おい、酒はねえのかよ」
 オクスは調子に乗って番頭に言った。
「申し訳ありませんが、お酒だけは慎んで頂きます。過去に何度も刃傷沙汰がございまして、その元は皆お酒でしたので、護衛中もずっとご遠慮願います」
 番頭は申し訳なさそうにぺこぺこ頭を下げながら言った。
「しょうがねえなあ」
「まあいいじゃないか。三食付きで一日金貨一枚。これ以上旨い話はそうないぞ」
 ファントムが言うと、オクスも酒の方は諦めたようだった。
 翌朝早く、剣士たちは叩き起こされた。鬼のような面構えをした、護衛隊の頭の、オグルのドラディンガという奴が現れて、棍棒で鍋の底をがんがん叩きながら、大声を張り上げて行くのだ。
「何だ、昨日とはまるで待遇が違うなあ」
 ファントムは寝ぼけ眼をさすりながら言った。
「おい、そうがんがんやるな、うるせえぞ! もう起きてるじゃねえか。しつこいんだよ、おっさん!」
 オクスはドラディンガに負けずに大声を張り上げた。
「おう、その意気だ」
 ドラディンガは荒くれどもの扱いには慣れているようで、巧く交わしてしまう。しかしまだ寝ている奴がいれば、容赦なく背中を蹴っ飛ばして行った。その中の一人がカッとなってドラディンガにつかみかかったが、ドラディンガはそいつを片手で軽々と投げ飛ばしてしまった。ぶつぶつと文句を言っていた剣士たちはしんとなった。
「やい、てめえら、銭は欲しくねえのか? それともここに寝泊まりにおいでなすっただけか?」
 みんなピリッとなって起き上がった。
「さあ、わかったか! 銭の欲しい奴はさっさと表へ出てめしを食いやがれ! 遅れた奴は連れてってやんねえぞ!」
 全員慌てて外へ飛び出した。店の前に出ると、女中が朝めしを用意していた。みんな手づかみでめしをかき込む。人夫たちもいて、路上でめしを食っている。空はやっと薄明るくなってきたばかりだ。
「ずいぶん早く出かけるんだなあ」
 ファントムは腸詰めを齧りながら空を見上げて言った。
「さあ、食ったら出発だあ!」
 オグルのドラディンガが声を張り上げた。荷車は十輌あり、どれも驢馬に曳かせて行く。そのうちの八輌には樽が載せてあり、食糧の他はどれも金と銀の鉱石だそうだ。
「すげえ。こんだけ売りゃあ、相当な金になるなあ」
 オクスが感心して言った。人夫がそれぞれの車に二人ずつついている。荷が重くて驢馬も大変なのだろう。番頭らしいのが一人馬に乗っているのはいいが、残り二輌の車には、どちらも空っぽの檻が積んであるだけなのがファントムには気になった。
「あの檻は何に使うんだ?」
 ドラディンガに訊いてみたが、
「そんなこと気にすんな」
 それだけ言って取り合わない。剣士たちは一人ずつ車の後ろについた。いよいよ出発だ。車輪がガラガラと音を立て始める。みんな女中から水筒と携帯食を渡された。
 隊商は人通りのほとんどない夜明けのタウの街を、グレーズ川沿いに北上し始めた。秋の明け方の空気はひんやりとしていて、肌寒いくらいだ。
「さあ、楽しい旅の始まりだあ。わくわくするなあ」
 オクスが夜明けの街に声を張り上げると、それを聞いてみんなが笑った。
「わくわくするなあって、女を買いに行くんじゃねえぜ。わくわくするのはサラワンの町に着いてからだ。ちと早すぎらあ」
 一番前を行く頭のドラディンガが、振り返りもせずに大声で言い返した。またみんながどっと笑った。
 そうしてグレーズ川沿いのグレーズ西街がオルフォイア通りと交わった頃、ファントムはあっと思った。四辻の角に若い娘が一人で立っていたのだ。すぐアジャンタだとわかった。オクスを見送りに来たのだな、とすぐに気づいた。
 ファントムはすぐ後ろの車についているオクスを振り返って見た。オクスは黙ってアジャンタを見ているだけだ。再びアジャンタの方を見てみると、これまた無表情で黙ってオクスを見ているだけだ。ファントムはふと、アルバを出た時に自分を見送りに来たイレーヌのことを思い出した。あの時と同じだ。でもアジャンタは、あの時のイレーヌのように泣いたりはしていない。
 当たり前だ、と彼はすぐに思い直した。この旅は一月で戻って来ることがわかってるんだ。あの時とは違う。でもわざわざ夜明け前に起きて、アジャンタはここまで来て一人でじっと待ってたんだ。これは相当惚れてるなあ、とファントムは思ってみたりもした。しかしそれにしても我慢強い娘だ。声一つかけてこない。ただ見ているだけだ。オクスから何か言ってやればいいのに、と思ってもう一度後ろを振り返ったが、オクスはそのままアジャンタの横を通り過ぎた。
 なんて奴だ。他のみんなに気兼ねしてるのかな、そう考えながらアジャンタを見ると、やはりずっとオクスの後ろ姿を目で追っているだけだった。オクスは戦斧を担いだまま振り返ろうともしない。ファントムが目で合図しても、知らん顔している。
「ちぇっ、冷たい奴だ」
 ファントムはもう考えるのをやめにした。すると、途端にイレーヌのことが気になってきた。何だかイレーヌに申し訳ないような気がしてならない。アルバに着いたら真っ先に彼女に会いに行こう、そう心に決めた。
 グレーズ川はやがて、アデレート島の北でモーレー川と合流する。更に北へ進むと、左手にウーリックの森が見えた。日が高くなってきた頃、それまでモーレー川に沿っていた旧城壁が、西の方へ曲がりだした。城壁沿いに行くと、すぐに門に出くわした。門を出ると街が終わり、そこには田園が広がっていた。ここで休憩をとることになった。
 見渡す限りの平原で、所々にぽつんぽつんと農家が屈み込むように建っているのが見える。もう収穫の季節がやって来ているようで、畑のそこここで農夫たちが穂を刈り取っていた。隊商はまずエトヴィク領のサラワンの町を目指す。サラワンまでが四日間の予定。サラワンからは、通称荒野の道を通ってアルバまで一直線だ。これが八日間の予定。
 その夜は草地に大きなテントを張って野宿だ。これからサラワンの町まではずっと野宿になる。剣士たちは、昼間は車について行くだけの、人夫に比べるとずっと楽な仕事をしてきたが、その代わりこれからは三人ずつの四組に分かれ、三交代で番をしなければならない。ゆっくり眠れるのは四日に一晩ということになる。
 ファントムは第二組で、今夜は早く寝て、夜中に起こされて番人をし、第三組と交代してからはまた夜明けまで少し寝るという、一番辛い役回りになった。オクスは第三組で、今夜は早起きということだ。
 夜中に第一組の剣士に起こされる。驢馬は一所に集めてつないでいるが、獣に襲われないように、それともちろん商品の鉱石が盗まれないように、三人で両方の番をしなければならない。とは言っても、眠らずに座っているだけだ。とりあえず話相手がいるから、眠ってしまうことはない。
 ファントムは番をしている間、同じ傭われ剣士のカルディという若者と仲良くなった。年頃はファントムと同じぐらい。町道場で剣術を習っていたので、腕には少々自身があると言う。カルディはファントムの前で素振りをして、型を教えてやろうと言った。
 一目で大したことないなと思った。大したことないどころか、これならかつてアデノンの遺跡で懲らしめて子分にしてやった、山賊のヘルボー程度の腕しかない。しかし腕前はともかくとして、カルディは家が極めて貧しい。彼はこの割のいい仕事にありつけたことをとても喜び、やる気満々でいる。ファントムはそんなカルディに好感を持った。
 家が貧しいと、タウの町の若者には、盗みや詐欺をしたり、ならず者の集団に入ったりする奴らがたくさんいる。オクスにしても、以前にタウにいた時には盗みばかりしていて、挙句の果てに人を殺して逃亡してしまっている。そう考えると、どんなにひどい町であろうとも、必ずカルディのような真面目に生きようとしている奴がいるもんだ、カルディを見ていて、ファントムはそう思った。

 しかし翌朝のことだ。ドラディンガの雷のような大声に起こされ、朦朧としたままテントから夜明けの草原に出てみると、剣士が一人、うつ伏せになって倒れていた。
「どうしたんだ?」
 ファントムが驚いて見てみると、倒れているのは昨夜一緒に話していたカルディだった。駆け寄って抱き起こすと、カルディは目が開かないほどに顔が腫れ上がっていて、血を流した痕も見られた。見ると、そこらじゅうに血が飛び散った痕も残っていて、カルディは息も絶え絶えだ。
「誰にやられたんだ?」
 ファントムがカルディに訊くと、背後で声がした。
「俺だ。見せしめに懲らしめてやった。この盗っ人めが!」
 振り向くと、剣士隊の副隊長を務めている常傭いのハンメルだった。
「盗っ人だって?」
 ファントムはカッとなり、ハンメルを睨みつけた。
「そうさ。夜明け前に金鉱石を盗んで逃げようとしやがった。ふてえ野郎だ」
 ファントムはハッとして、
「本当か?」
 カルディに向かって訊いてみたが、反応がない。恐らく今の二人のやり取りも聞こえていなかったのだろう。弱々しく息をしているだけだ。いつの間にか周りに剣士や人夫たちが集まって来ていた。その中にはオクスもいた。オクスは第三組で、夜明け前の番をしていたはずだ。
「本当か?」
 ファントムはオクスの方を向いて尋ねた。オクスは頷いた。
「盗ったとこは見てねえけど、逃げるところを捕まえてみると、懐に金鉱石をしこたま抱き込んでたんだ」
 ファントムはうな垂れた。ほんの少し前に、こいつはいい奴だと思ったばかりなのに、夜が明けてみるとこれだ。
「それにしても、ここまでやることはないじゃないか」
「盗っ人をかばうことはねえ。オクスが怪しい奴をとっ捕まえ、副隊長のハンメルが罰した。そいつは品を盗んだだけじゃなく、刃向かいもしたんだ。ハンメルはやるべきことをやったまでだ」
 頭のドラディンガがファントムに言った。見ると、近くにカルディの剣が抜き身になって転がっていた。
「弱いくせに刃向かったりなんかして……、馬鹿が……」
 ファントムは自分の口から洩れる言葉を噛み潰そうとした。
「この野郎は剣士の掟を破ったどころじゃねえ。盗みをやり、剣を抜いた。論外だ」
 ドラディンガは冷たく言った。周囲からは、冷たい視線と憐れみの視線が瀕死のカルディに注がれているのを、ファントムはひしひしと感じ取った。
「ほんの出来心だったに違いない。こいつは家がとても貧しいんだ。だから――」
「貧しいのは誰でも同じさ。家の事情なんか誰にだってある」
 ドラディンガの言うことはもっともだった。
「す……まん……」
 不意にカルディが、消え入りそうな声でファントムに謝った。そんなカルディがあまりにも憐れで、ファントムは涙が出て来た。
「捨てておけ」
 ドラディンガが言ったが、ファントムは意地になり、車に乗せて行くと言い張った。
「荷物になるだけだ」
「こんな所に置いて行けるもんか! 死んでしまう。俺が曳いて行くから、それなら文句ないだろ!」
「好きにしな」
 ドラディンガはファントムの気迫に負け、とうとう折れた。
 虫の息のカルディを車に乗せると、ファントムは後ろから押すことにした。二人の人夫は嫌な顔一つせずに車を曳いてくれた、もちろん驢馬も。だが食事をとらそうとしても、カルディは全く受けつけない。せいぜい水を少しばかり飲ますのがやっとだった。

「沼が近づいた。気をつけろ!」
 しばらく進んで行くと、ドラディンガが声を張り上げた。トネクトサス沼にはいろんな生き物が棲んでいる。その中でもこの街道沿いの辺りには、隊商を狙った賊の類が特に多い。
 午になり、一行は休憩をとって食事した。樽を開けて、人夫が全員に干肉と乾パンを配った。車を停めてカルディの様子を窺ってみると、もう体がこわばって冷たくなっていた。ファントムはガクッと地面に膝をついた。様子を察して、人夫たちが黙って道端に墓穴を掘った。カルディを埋めると、そこには悲しい空気が流れた。
 ハンメルがしたことは間違ってはいないのかもしれないが、ファントムはどうしても、ハンメルがカルディにした仕打ちの惨さを許すことができなかった。沼縁の道を、カルディがいなくなってもう樽だけになった荷車をまだ押し続けながら、ファントムにはハンメルに対するやり場のない憎しみだけが、いつまでもムラムラと込み上げて来るのだった。
 オクスも、黙々と荷車を押しているファントムの背中に抗議の気持ちを読み取り、昔の自分と同じような境遇であり、似たような経験をしながら、片やカルディの方には運がなかったことに、他人にはわからない同情の念を抱いた。知らずとはいえ、そのカルディを捕まえたのがこの自分だと思うと、なおさら運命の悪戯に、何かやりきれない気持ちも抱いた。
 夕方になると、知らぬ間に空が厚い雨雲に覆われていた。風も急に強くなってくる。
「こりゃ嵐になりそうだ」
 隊商の護衛を何度もして慣れている剣士の一人が言った。
「今日は早めに休むとしよう」
 ドラディンガが言うと、早々にテントを張り、風で飛ばされないように重しをした。
 ところが食事を終え、空の暗さが増してきた頃、風の音に紛れて沼の方からオークの一群が襲って来た。不意を衝かれて剣士の一人が手槍で刺された。テントの中にいた剣士たちが外の騒ぎに気づき、得物をつかんで飛び出した。オークたちは荷をかっさらおうとしているのだ。剣士たちは雄叫びを上げてオークどもに斬りかかる。たちまち乱戦となった。
 オクスは得意の鎮魂の戦斧を振り回し、オークどもを斬りまくった。ファントムもカーマン・ラムゼリーで斬りまくる。知らぬ間に腕を上げたのか、面白いぐらいよく斬れた。オークの武器が止まって見えるのだ。弱すぎる、と何度も思った。それとも自分が急に強くなったのか。おまけに扱っているのは天下の名剣ラムゼリーだ。刃が当たれば、半裸に近いオークの体など一撃で真っ二つになる。それに余裕とでも言うべきか、闘いながら知らず知らずのうちに、他の剣士の闘いぶりを目の隅で捉えているのだ。
 ドラディンガとハンメルはさすがに強い。しかし、やはりオクスの働きは群を抜いていた。まるで敵を殺すために生まれてきたような男だ。一旦火が点いたら、その勢いは止めようがない。オークどもは泡を食って、たちまち沼へと逃げ出した。終わってみると、わずかの間の格闘で、実に二十数匹のオークの死骸が転がっていた。
「ふん、歯ごたえのない奴らだ」
 オクスはそう言って斧の血を拭った。オークたちはどうやら急所を狙うということを知らないようで、剣士たちは怪我をした者は多かったが、幸い命を落とした者はいなかった。
「大した腕前だ」
 ドラディンガはオクスを誉めた。みんなも尊敬の眼差しでオクスを見ている。
「あんたがいれば、無事にアルバで荷を売って、タウまで帰って来れるだろう」
「おだてんなよ」
 オクスは照れた。彼は自分の腕を誉められると一番弱い。
「あんたもなかなかやるな」
 ドラディンガは今度はファントムを誉めた。さすがに隊商の護衛隊長だ。剣士を誉めることを忘れない。剣の達人でもない限り、その腕を誉められていい気がしない者などいないことを知っているようだ。
「なんだ、そうか! あんたたち二人は――」
 ドラディンガは大風の唸りの中でも轟き渡るような大声を出した。
「オクスとファントム、ああそうだ。ウーリックの森の殺人鬼を始末したのは、確かあんたたちだったな」
 ドラディンガは思い出したように言った。そんなに知られてるのか、とファントムは嬉しいような、迷惑のような、複雑な心境になった。
「そうかそうか、頼もしいのが来てくれたもんだ」
 ドラディンガは今は本気で二人に畏敬の念を抱いているようだった。
 テントに戻ると、二人はみんなにせがまれて、ウーリック事件の顛末を話した。
「これがそうだ」
 オクスが背中の傷を見せる。ファントムも前髪を掻き上げて、額の傷痕を見せた。
「本当にあの時は危なかったんだ。怪盗ドラドに助けてもらわなかったら、あの時死んでたかもしれない」
 ファントムが言うと、急にドラディンガの顔色が変わり、なぜかみんなしんとなった。ファントムもオクスも様子が変なのに気づいたが、その時外では風の音が一段と強くなり、雨が激しく降って来たようだった。
「さあ、嵐がやって来やがった。しょうがねえから、荷も驢馬もみんな中に入れるんだ」
 外に出てみるとひどい嵐になっていた。雷も鳴り始めた。総出で急いで荷車と驢馬を二つのテントの中に引き込む。テントも風と横殴りの雨に打たれて激しく揺れている。ファントムが驢馬を引っ張っていると、ドラディンガがそばに来て言った。
「ドラドがあんたを助けたのか?」
「え?」
 ファントムは呆気に取られたが、
「そうだ」
 すぐにそう答えた。
「そらあ良かった」
 それだけ言うと、ドラディンガは行ってしまった。
「?」
 何だかさっぱりわからない。しかし先程ドラディンガの顔が急に曇ったのは、ドラドの名前が出たからだということはわかった。
「まあいいか」
 ファントムはびしょ濡れになりながら、急いで驢馬をテントに連れて行った。

 翌朝になると嵐は去っていて、昨晩のことが嘘のように穏やかな陽気となった。四日目の夜には、何とか予定通りサラワンの町に到着することができた。酒は道中一切禁止と聞かされていたのだが、その夜はみんな酒と女に溺れに、街へと繰り出して行った。ドラディンガが率先して行くので、番頭のイルオスも黙認してしまっている。
 ただ誰かが番として宿に残らなければならないので、夜中にみんなが戻って来るまでならと、オクスが留守番を引き受けた。ただしその間、好きなだけ酒を飲んで良いという条件でだ。夜の街へ遊びに行く気はないので、ファントムも残ることにした。
 サラワンはオーヴァールとエトヴィクを結ぶ草原の道と、タウとアルバを結ぶ荒野の道という二つの主要街道の交差点に当たるため、隊商用の宿というのがたくさんある。宿は大部屋がほとんどで、庭には大きな厩が用意されてある。宿泊費が安く、飼葉も安価でちゃんと分けてくれる。
 ファントムは驢馬の世話を引き受け、当番の人夫たちを休ませてやった。デュラン商館の隊商の人夫たちは、みんな雇われ人ではなく奴隷なので、非常に従順だ。オクスが人夫の何人かに金を渡し、酒と食い物を買いにやらせた。
「これで買えるだけ買って来い」
 と言って、金貨五枚渡した。しばらくして、人夫たちは酒や肉をしこたま買い込んで戻って来た。オクスは人夫たち全員に酒を振る舞ってやった。
「おまえも適当に切り上げて、こっちに来て一緒に飲めよ」
 オクスは庭の方を向き、驢馬に飼葉をやっているファントムを呼んだ。
 人夫たちはみんなトラワー諸島から連れて来られた者たちなので、中には片言しか喋れない者もいる。初めのうちはおとなしくしていたが、気にするなと言ってオクスとファントムがさんざん話しかけるので、人夫たちも徐々に打ち解けてきて、話をしだした。奴隷は喋ることをほとんど許されていないので口下手だが、ところが聴いていると、この人夫たちの話がやたらに面白い。島のことや、原住民の間に伝わる伝説などを語って聞かせる。
 そのうち島の原住民の歌を歌い、踊りを始めた。座がいっぺんに盛り上がり、ファントムとオクスも一緒に踊りだして大騒ぎした。そうして騒いでいると、個室に泊まっていた番頭が血相変えて飛んで来た。やめろと言う。人夫たちは途端にしんとなった。
「困るじゃありませんか」
「なんでだ?」
 オクスは番頭に酔った眼を向けた。
「こいつらに娯楽を与えると癖になってしまう。だんだんと怠けるようになってしまう。酒なんか飲ますなどもっての外だ。とにかくやめて下さい」
「お呼びじゃねえ。引っ込んでろ!」
 オクスは酔いに任せて番頭を張り飛ばした。番頭は鼻血を流しながら這って逃げ出した。
「さあ、続けようぜ」
 オクスが陽気に声を張り上げたが、人夫たちは俯いて声一つ出さない。
「どうしちまったっていうんだ?」
 人夫たちは黙って首を横に振るだけだ。

「あーあ、しらけちまったなあ」
 庭に向かって二人並んで座っていると、オクスがぽつりと言った。残った酒をまだ一人でちびりちびりとやっている。
「奴隷とはほんとに惨めなものだなあ」
 ファントムが呟くと、
「ああ。あいつらは鞭打たれないだけまだ幸せな方さ。黄金の島や白銀の島の鉱山に連れてかれた奴らなんて、寝る間も与えられずにこき使われるらしい。一月も命が保ちゃあいい方だってよ。使い捨てなんだよなあ」
 そう言うと、オクスは酒をぐいっと煽った。
「だけど今まで気にもしてなかったものの、目の当たりに見せられると、さすがに可哀そうになってくる。あいつらが話したり歌ったりしてるのを見てると、俺たちとちっとも変わっちゃいねえぜ。なんで人にはこんなに運不運の差があるんだろうなあ」
 オクスは今日ばかりは考えさせられたようだった。
「やっぱり俺たちはぼやぼやしてちゃいけないんじゃないか? 根絶やしの時が近づいて来るだけだ」
 ファントムは言った。
「だけどどうしろってんだ? 俺の頭じゃ考えつかねえよ。おまえ考えてくれ」
 オクスはまた酒をグヒグビ飲んだ。
「俺だってどうすればいいのかさっぱりさ。だけど――」
 と言って、ファントムはカーマン・ラムゼリーをつかんだ。
「例えばこれだ。このカーマンの眼の中には、富の宝冠の行方が隠されてるってヴィットーリオが言ってただろう?」
 ファントムは剣の柄に埋め込まれてあるカーマンの眼を覗き込んだ。
「言ってたなあ」
「富の宝冠があれば、貧乏が消えてなくなるとも?」
「ああ」
「何とかしてあいつに頑張ってもらって、その秘密をなるべく早く解き明かしてもらおうと思うんだ」
「そいつがいいかもな」
 オクスは神妙な顔つきでまた酒を飲んだ。今度はいくら飲んでも酔えない様子だった。
「富の宝冠だけで全てが巧くいくとも思えないけど、少なくともカルディの場合のような悲惨なことは起こらなくなるはずだ。それにしてもどうすれば秘密がわかるんだろう?」
 そう言うと、ファントムは急にカーマン・ラムゼリーの柄をいじり始めた。
「ええい、いっそのこと火で焼いて溶かしてしまおうか!」
 ファントムが自棄になってきたのを見て、
「おいおい、そいつはまずいぜ。その剣がある限り、おまえは少々のことじゃ敵に負けねえだろうよ。だいたい剣と一緒に秘密も焼けてしまったらどうする?」
 オクスがなだめようとした。
「そうだな……」
 ファントムはまた落ち着きを取り戻した。
「そういうことは若先生に任せとくのがいいぜ。俺たちの出番はまだまだみたいだ」
「出番か……」
 ファントムはヴィ・ヨームが別れ際に言った言葉を思い出した。自然にやるべきことが現れてくる。焦って過ちを犯さないこと。そしてその時が来れば、時代が自分たちを必要として、嫌でも動かざるを得なくなるということ。そのことを思い出すと、ファントムにはその時が待ち遠しいという気持ちと、途方もない恐ろしさとが交互に訪れて来た。
「とにかく気長に待つことさ」
 オクスがタイミング良く言ったので、ファントムは物思いからはっと我に返った。
「少なくとも俺たちは、その時までは死なないことになってるんだぜ。こんな時代に何とも幸せな話じゃないか」
「そりゃそうだ」
 ファントムには急におかしさが込み上げてきた。
「何がおかしいんだ?」
 オクスはファントムの笑う意味が理解できずに、不思議そうな顔をした。しかしファントムは、この得体の知れないおかしさの原因をオクスに説明したくてもしようがなくて、いつまでもニタニタと一人で笑っていた。

 翌日は日が高くなってから出発した。町の門を出てしばらく行くと、畑地が途切れ途切れになってきて、やがて草もまばらな荒野へと変わっていった。丈の低い灌木や、サボテンの類がパラパラと生えているぐらいだ。その晩は荒野にテントを張った。バイテンの荒野は昼間は暑く、夜間は冷え込んだ。
 そうやって途中、地下水の出る小さな名もない村で水を補給したりして、タウを発ってから九日目になった。アルバの町も近い。夕暮れ時になってから、遠くに土煙が湧き起こっているのが見えてきた。どうやらこちらに近づいて来るようだ。
「よし、車を集めろ。襲撃かもしれん。剣士は前面に出て構えろ」
 ドラディンガの命令で、剣士たちは西からやって来る一団を迎え撃つ用意をした。地鳴りが聞こえだす。騎馬の一団のようだ。
「よし、弓を構えろ」
 全員弓に矢をつがえた。
「やる気か! 何もんだ、答えろ!」
 ドラディンガは土煙を上げている一団に向かい、大声で呼ばわった。やがて、相手側が矛や楯を手にしているのが見えてきた。
「やる気だな。よし、お見舞いしてやろう。放てっ!」
 ドラディンガの合図で、剣士たちは一斉に矢を放った。しかし相手側は楯で簡単に矢を防いでしまった。
「ふん、ちょこざいな! よーし、斬り捨ててやろう」
 ドラディンガは腰から大段平をスラリと抜いた。
「ケンタウロスだ!」
 その時、剣士の一人が叫び声を上げた。剣士たちの表情がこわばり、一層緊張が高まったようだった。オクスはその雰囲気を感じ取り、
「俺がまとめてぶった斬ってやる! 覚悟しろ、でき損ないの化け物め!」
 戦斧を握り締めて前に飛び出した。それを見てドラディンガもハンメルも、遅れてならじと鬼のような形相で飛び出した。
「待てえ、待つんだっ!」
 今にも乱闘になりかけようとしている護衛隊とケンタウロスたちの間に、ファントムが突然叫びながら割って入った。
「荷を置いていけ! それなら命は助けてやろう」
 両者がいよいよ接触しようという時、ケンタウロスが矛を構えて怒鳴った。
「待てっ、ラシコーン!」
 ファントムが大声で叫んだ。
「ん!」
 今怒鳴り声を上げたケンタウロスの一頭が、怪訝そうな顔でファントムの方を見た。
「俺を知っているおまえは誰だ?」
「忘れたか、ファントムだ」
 ラシコーンはにわかには思い出せない様子だったが、ファントムが、
「前にアルバの手前でのたれ死にしそうになったのを助けてくれただろう?」
 と言うと、
「ああ、おまえか、ファントムか!」
 と表情を明るくした。剣士たちは二人のやりとりにきょとんとしている。
「運のいい隊商だ。ファントムの仲間でなかったら、荒野に屍を晒すとこだったろう」
 オクスはラシコーンの言いぐさにまたカッとなって、
「屍を晒すのはどっちだか、見せてやろうじゃねえか!」
 そう叫ぶと斧を振り上げた。
「待てったら!」
 ファントムは慌ててオクスの腕をつかんだ。
「ラシコーンは、俺がここに来たばかりの時に助けてくれたんだ。話のわかるいい奴だ」
 オクスは斧を下ろしたが、鼻息荒く、まだラシコーンを睨みつけている。
「スヴァルヒンはいつ討つのだ?」
 ラシコーンがファントムに訊いた。
「まだだ。まだまだ敵わない……」
 ファントムは気まずくなった。かつてこの世界にやって来たばかりの時、スヴァルヒンのこともよく知らないのに、このラシコーンやバイテンの岩山の老婆に向かって、必ずスヴァルヒンを倒してやると大口叩いたことを思い出し、なんて無知だったんだろうと自分を恥じた。ドワロンにもそのようなことを言い、たしなめられた覚えもある。
「そうだろう。そんな簡単に奴は倒せない」
 ラシコーンの言葉に幾分ほっとした。
「あの魔女は我々が命懸けで奪った荷を、いとも簡単に横取りしていった。それが何度も何度もだ。ところで腕は上げたのか、ファントム?」
「少しはな」
「ほう、なかなか立派な剣だ。欲しくなるな」
 ラシコーンはファントムのカーマン・ラムゼリーを見て言った。
「ああ、これは名剣だ」
「ではまた会おう、さらばだ。行くぞ!」
 ケンタウロスの一団は隊商に背を向けて引き返し始めた。
「正直言って、助かったぜ。ケンタウロスは厄介だ。騎馬隊を相手にするようなもんだからな。あんたがいなかったら、死人が何人も出てただろうよ」
 ドラディンガはほっとした表情をファントムに向けた。
「しかしおまえ、妙な奴らを知り合いに持ってるんだな」
 オクスがしかめっ面で言った。ケンタウロスと一戦交えたかったみたいだ。すると、
「おい、ファントム」
 ラシコーンが一人で引き返して来た。
「何だ?」
「言い忘れたことがある。こっちに来い」
 ファントムは一人でラシコーンのそばまで歩いて行った。ラシコーンは急に声を低くして、
「おまえがいなかったなら、あの大男が言っていたように、こちらには死体がいくらか出ていただろう」
「だから良かったじゃないか。わざわざ引き返して来て言うこともないのに」
 ラシコーンは首を振った。
「いや、それだけを言いに戻ったのではない。おまえは強盗団に入ったのか?」
「何言ってんだ、ちゃんとしたタウのデュラン商館という所の隊商だ。俺は護衛の傭われ剣士さ。金と銀の鉱石を――」
「表向きはそうだ」
 ラシコーンはファントムの言葉を遮って、更に一段と声を落として言った。
「勘違いするなよ、ラシコーン」
「あの大男、かなりできるぞ」
「斧を持ってる奴か?」
「そうだ」
「あいつはオクスだ。アルバに着いた時から、ずっと俺の相棒さ」
「とにかくあの檻を見ろ」
 ファントムは檻を積んでいる二輌の荷車の方を振り返った。
「…………」
「あれで何を運ぶと思う? それを知ってついて来たのか?」
「………?」
 確かに不可解な檻だった。タウを出る時に訊いてみたが、気にするなと言って、ドラディンガは全く取り合わなかった。
「大サソリだ。大サソリを捕まえに行くのだ」
「鉱石もちゃんと運んでるぞ」
「だからそれは表向きだ。俺は大サソリを運んでいる隊商を以前に見たことがある。その時は怪しいと思って襲うのをやめた」
 ファントムはしばらく沈黙した。疑えばいくらでもこの隊商に怪しいところはある。ドラディンガとハンメルの腕前はなかなかのものだし、烏合の衆であるはずの傭われ剣士隊のまとまりは、異常と言っていいぐらいに良い。充分に訓練されているとも思われる。
「大サソリを捕まえてどうするんだ?」
「決まってる、毒を採るのだ。もちろん毒矢に塗ったりするためだ」
「…………」
 ファントムは声が出なかった。
「これからクロウエン砂漠へ行くことがあれば、まさしくそうだ」
「毒矢を作って、それからどうしようっていうんだろう?」
「人を殺すに決まっている。タウから来たのだったな?」
「そうだ」
「ならばあいつらは――」
 ラシコーンはそこで話をやめてしまった。ドラディンガが近づいて来たからだ。
「では再会を楽しみにしているぞ」
 ラシコーンはあっと言う間に駆け去ってしまった。
「さあ、そろそろ行くぜ。もう少し進んどかねえと」
 ドラディンガはそう言いながらも、駆け去るケンタウロスたちを訝しそうに見ていた。

 翌日の夕暮れ時になると、いよいよアルバの町が見えてきた。
「さあ、もう少しだ。急ごうか」
 ドラディンガがみんなを励ました。ファントムはアルバの町を見ると懐かしさが込み上げてきて、ドラディンガに言われるまでもなく、自然と足が速くなっていた。ところがその夕は町の中に入らずに、門の近くにテントを張ることになった。
「どうして入らないんだ? まだ門は開いてるぞ」
 ファントムが不思議に思って訊くと、
「アルバの町には隊商が泊まれる宿も、テントを張る場所もない。宿に泊まるのは、明日荷を売って車を空にしてからだ」
 ドラディンガはそう答えた。ファントムには腑に落ちない答だが、荷が大事なんだろうと思い直し、問い返すのもやめにした。
 その晩、ドラディンガがテントの外に剣士全員を集めた。
「これから、明日以降アルバで鉱石を守って行く者と、クロウエン砂漠へ行く者とに分ける。アルバ組の指揮はハンメルが執る。クロウエン砂漠の――」
「おい、待てよ」
 ファントムは怪しんで、ドラディンガの言葉を遮った。
「クロウエン砂漠へ行くなんて、俺たちは何も聞いてないぞ」
「なあに、気にするほどのことはねえ。まだ日数が余ってるからだ」
「じゃあなぜクロウエン砂漠なんだ? 大サソリを生け捕りにするためか?」
 ファントムがそう言うと、剣士たち一同は殺気立った。
「よく知ってるな。誰から聞いた?」
「おまえたちは本当は強盗団なのか? サソリを捕まえて何に使う気だ?」
「ふん」
 ドラディンガは鼻先で笑った。
「よし、他でもないオクスとファントムだ。じゃあ教えてやろう。俺たちは――」
 剣士たちは一斉に剣の柄に手を掛けた。容易ならぬ気配を感じて、ファントムもオクスも得物に手をやり身構えた。
「やいやい、一体俺たちはなんだってんだ? いつまでももったいつけてねえで、さっさと言わねえか!」
 オクスはドラディンガを睨みつけて怒鳴った。
「アヴァンティナ団だ」
「!」
 ドラディンガはニヤッとしてそう言うと、自分の胸をはだけてみせた。そこには翼のある蛇の刺青があった。
「それじゃあ隊商というのは偽装か?」
「まあ、そう言やそうだ。しかし商館の収益はアヴァンティナ団にとって、重要な資金源の一つだ。この隊商には目的が三つある」
「三つ?」
 オクスが顔をしかめた。
「そう」
「カルディもアヴァンティナだったのか? それならなぜ殺した?」
 ファントムはドラディンガの言うことなど聴かずに、自分の知りたいことを訊いた。
「あいつは違う。今回の新入りは三人。毎回めぼしいのを仲間に誘ってる。もちろんみんな仲間に加わってきた。アヴァンティナのやっていることは正しいからだ」
 ドラディンガの言いぐさに、オクスはだんだん腹を立ててきた。
「俺たちに仲間になれって言ってるのか?」
「そうだ。あんたたちのように腕の立つのは特に大歓迎だ」
「ふざけんなっ! こっちはてめえらなんぞ歓迎してやるもんかっ!」
「俺たちが仲間にならないと言ったら、どうする気だ?」
 ファントムがそう言った途端、周りを囲んでいる剣士たち全員がザッと剣を抜き放った。
「気の毒だが死んでもらう」
「おもしれえ、相手んなってやろうじゃねえか。殺れるもんなら殺ってみろ!」
 双方睨み合いになった。ところがそのあとすぐにドラディンガがニヤッと笑ったかと思うと、大段平を鞘に収めた。
「やめとこう。死人が出るだけだ」
「何言ってるんだ、ドラディンガ! こいつらはもう秘密を知ってしまってるんだ」
 ハンメルが言った。
「いいや、こいつらは役人に喋ったりはしねえよ。わかるさ」
 ドラディンガはテントの中へ入って行く。
「甘いんじゃないのか?」
 ハンメルはドラディンガの背中に向かって言った。ドラディンガはすぐに戻って来て、二人に金を差し出した。
「今日までの手間賃だ」
「要るもんかっ!」
 オクスは突っぱねた。
「まあそう言わずに取っとけよ。今日限りだ。だがアヴァンティナは強盗団じゃないぜ。それだけは誤解しないでくれ」
「一つだけ聞かせてくれないか?」
 ファントムが言った。
「何だい?」
「あんたたちの黒幕は誰なんだ、トランツ王か? エマーニア大公か?」
 ドラディンガは一瞬ギクッとした様子だったが、やがて大声を上げて笑い出した。
「よく知ってるな。そうさ、黒幕はトランツ王だ、ついこの間まではな」
「ついこの間までは?」
「そう。もう手を切った。と言うより、アヴァンティナがトランツを見捨てたのさ」
 ファントムはとても驚いた。ヴィットーリオの予想していた通りに言ってみると、ズバリと当たっていたのだが、そこまではさすがのヴィットーリオも予想していなかった。
「見捨てただって?」
「言い忘れてたが、この隊商には四つ目の目的がある。これが最も肝心なことだが、明日、アルバにいるディングスタと連絡を取ることだ」
「!」
 ファントムもオクスも度肝を抜かれた。
「驚いたか。しかしな、当然のことだぜ。アヴァンティナは、トランツにはセルパニを倒す力がないと見た。利用されてるように見せて、結局金を搾り取れるだけ搾り取ってやった。つまり俺たちがトランツを利用してやったということだ」
「次はディングスタを利用しようってわけか? しかしそんなに巧くいくか? ディングスタは馬鹿じゃないぞ」
 ドラディンガは不敵な笑みを浮かべ、
「わかってるさ。アヴァンティナはディングスタにタウを譲ることにした。ディングスタの統治こそ正義と見做したのだ」
「なるほど、よくわかったよ。ところでもう一つだけ、そういうことを決めるアヴァンティナの指導者は誰なんだ?」
 ファントムの問いを聞くと、今度はドラディンガのみならず、剣士たちもみんな一斉に笑い声を上げた。
「それは言えない。しかし誰でも名前は知っている。だが誰も見たことがないとだけ言っておこうか。あんたは結構知ってそうでいて、知っていないな。抜けてるぜ」
 ドラディンガがそう言うと、またみんながどうっと笑い声を上げた。
「?」
「もういいじゃねえか。こいつらとは今日限り縁を切ったんだ。さっさと出て行こうぜ」
 オクスがファントムの腕を引っ張った。だがさすがに油断なく斧を構えたままでいる。二人はそろそろとその場を離れた。
「また機会があったら会おうぜ」
 去って行く二人にドラディンガが声をかけた。この者たちの近くにいるのは危険だと思い、ファントムとオクスは闇の中へと消えた。




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