12.カーマンの眼



 潮の香が漂ってきた。きつい夏の陽射しの中にも、波の音と潮風がすがすがしい。沖には海鳥が群れていて、魚を漁っているようだ。チャカタンからエトヴィクの都を通って続いてきた通称草原の道も、もうすぐタウの町で終わる。海岸の果てには新しく建築中の長い城壁が見える。その白い城壁がやけにまぶしい。
「一泳ぎして行くか」
 オクスは渚の方へと下って行った。浜に荷を下ろして裸になると、焼けた白い砂を後ろに蹴上げながら、海の中へと走って行く。ファントムも荷を下ろすと、着ていた服を脱ぎ捨てて海に駆け込んだ。
 少しの間そうやって海に浸かって遊んでいると、草原の道を老人が一人、荷車を重そうに曳いて行くのが見えてきた。
「こりゃついてる」
 オクスは老人を見て、浜の方へと引き返して行く。ファントムもオクスについて、浜へ向かって泳いで行った。
「ついてるって、何が?」
 浜に揚がると、ファントムは不思議そうにオクスに訊いた。
「いいから、早く服を着ろ」
 服を着て荷物を引っつかむと、オクスは荷車を追いかけた。
「よう、爺さん、あんたこれからタウへ帰るところか?」
 車を曳いていた老人は足を止めた。
「そうだよ。近頃は魚がさっぱり売れなくて困ったもんだ」
 オクスは荷台を見た。
「なんだ、たくさん残ってるじゃないか。それも小魚の干物ばっかり。こんな物なかなか売れねえぜ」
 オクスは手に取った干物を指でつつくと、ぽんと荷台の上に放り投げた。
「しょうがねえよ。昔は鮫を獲ってたから、内陸の村じゃあ飛ぶように売れたもんさ。鮫の肉は保ちがいいから、生のまま売りに出せたのさ。ところが鮫を獲る人手がなくなっちまったもんで、今じゃこの始末よ」
 オクスはまた干物をつかんで噛んだ。
「へえー、若いもんがいねえのか」
「そういうこった」
「それじゃあ町まで押してってやるよ」
 オクスは自分の荷物と戦斧を荷台に放り込むと、後ろから車を押し始めた。仕方なくファントムも同じようにした。
「あんがとよ」
 老人は再び車を曳き始めた。西陽が正面から照りつけてまぶしい。タウの町がだんだん近づいてきた。

 町の門前にはお決まりの衛兵がいて、町に入ろうとする旅人から通行料を取っている。衛兵の前まで来ると、老人は車を止めて通行証を取り出した。
「後ろの二人は何者だ?」
 衛兵はファントムとオクスを見咎めて言った。
「俺たちゃ手伝いさ。なあ、爺さん」
 オクスがとぼけて言った。
「ああ、そうだとも。近頃は魚が売れ残るから、荷が重くて敵わん。孫二人に手伝わせてるのさ。今朝一緒に出てったろう?」
 衛兵はいかにも不快だという顔をしたが、三人とも町の中へ通した。門を離れるとオクスは荷を背負い、戦斧を片手につかんで肩に担いだ。
「すまねえな、爺さん」
「いいってことよ」
 オクスは革袋から銀貨を二枚取り出し、老人に手渡そうとした。
「要らねえよ」
 老人は首を横に振った。
「まあいいから、取っときなって」
 オクスは銀貨を老人の懐に押し込んだ。
「俺はな、役人に銭をただでくれてやるのが嫌なだけなのさ。役人にくれてやるってことはつまり、自分で自分のことを革命の指導者の子孫だとかほざいてふんぞり返ってる、あの悪党の総統にくれてやるようなものだからな。だから通行料は爺さんのものさ」
「あんがとよ。ところであんたたち、どこへ行くんだ?」
「行き先はあるんだが、特に急ぐわけじゃあないから、爺さんよお、鮫の捕り手がいねえって言ってたな?」
 オクスはまた荷台の干魚を取って齧った。
「ああ」
「じゃあ、手伝ってやろうか?」
「いや。もうやめたんだ。倅がいなくなってからな。今は小魚しか獲ってない」
「いなくなったって、あんたの息子はどうしちまったんだ? 鮫にでも食われたか?」
「そうじゃねえ。それよりあんたたち、どっから来たんだ?」
「俺たちはアルバからロクスルーへ行って、それからチャカタン、今度はタウだ」
 老人は二人の姿をじろじろと眺め回した。
「冒険者か?」
「そうさ」
「アルバにいたって?」
「いたよ」
「それじゃあ、アルバの競技会にビーンというのが出てたのを知らないか?」
「さあ、そんなのいたっけかなあ?」
「竜巻ビーンじゃないか?」
 それを聴いていたファントムが、老人に向かって言った。
「そうさ。知ってるのかい?」
「俺は見てたよ。三叉戈の使い手だろ?」
「で、竜巻ビーンはどうなった? ありゃ、わしの倅だよ」
 老人がそう言うのを聞くと、ファントムは急に口を噤んだ。
「…………」
「そうかい。殺されちまったかい」
 老人は肩を落としてぽつりと呟いた。
「馬鹿な奴だ。あれほどやめとけって止めたのに……。アルバの覇者のオクスとかいうのを倒して、金貨と賞品をせしめるんだと出て行った。身の程知らずが……」
 それを聞くとオクスは俯いてしまった。
「でも、お爺さん、ビーンはいいところまで行ったんだ。死神とかいう奴に卑怯な手で殺られてしまったけど、その死神だってオクスに殺られたよ」
 ファントムは老人を慰めようと思ってそう言ったが、逆効果だったようだ。
「…………」
「なあ、爺さん」
 オクスは懐から宝石の詰まった革袋を取り出し、老人に握らせた。
「働き盛りの息子に死なれて、大変だとは思うけど、元気出しなよ。そのうちきっといいこともあるさ」
 老人は何も言わず、車を曳きながら浜の方へ去って行った。
「世の中狭いもんだな」
「おい、オクス」
「何だ?」
「おまえは人を殺してタウから逃げたんだろう? こんなに名前を知られてちゃ、危なくないか?」
 オクスはヘヘッと笑った。
「それは大丈夫さ。人を殺して逃げ出した時は、俺はオクスって名前じゃなかったんだからな」
「なあんだ」
 ファントムは少しばかりほっとした。
「そんなことより、今日はアデレート島辺りで宿を見つけて泊まろうか」
「何でもいいよ。任せるよ」
「あそこは物騒なとこだが、賑やかだしな」
「でも、もう金も底を突きそうだぞ。宝石をみんなやってしまうし」
「おまえこそ、アデノンの山賊にみんなくれてやったくせして、何しみったれたこと言ってやがんだ」
「まあ、金なんかなんとかなるだろうさ」

 二人は大通りを西へ向かって歩いて行った。
「ほんとに大きな町だなあ」
 周囲を見回しながら歩いていたファントムが言うと、
「これでもまだここは町の中心部じゃないんだ。この辺りは新しく広がった所で、モーレー川の向こうが旧城内なんだ」
「ふうん」
 かなり行ったところで川に出くわした。小さな島へと橋が架かっている。その橋を渡って更に行くと、また橋があり、向こうの大きな島へと続いていく。二人はその河口にできた三角州へと橋を越えて行った。
「ここがアデレート島だ」
 この島は人出が多くてとても賑やかだ。町を見物しながらぶらぶら歩いていると、たちまち宿の客引きらしいのが寄って来た。
「宿はどうだい、宿は? うちは破格の安値だ。部屋は広くて清潔」
「二人部屋はいくらだ?」
 オクスが客引きの男に訊くと、
「たったの一エレクトラム!」
「どこが破格の安値なんだ」
「んー、それじゃあしょうがねえ、銀四に負けとこう。きっと気に入るよ。清潔なベッドもついてるぜ」
 客引きは早口でまくしたてた。
「じゃあ、案内しろ」
「さあ、こっちでさあ。見晴らし良好、静かな環境、木賃宿並みの値段で高級ホテルの雰囲気が味わえる、贅沢で洗練されたスイートルーム。お客さん、ついてるねえ」
 客引きは喋りながら、どんどん路地の奥へと入って行く。
「一体どこまで行くんだ? 見晴らし良好って、こんな路地裏まで入って来て。ほんとに高級ホテルなのかよ」
「もうすぐでさあ、もうすぐ」
 そう言いながら、客引きの男はとうとう袋小路に入り込んだ。
「何だ、行き止まりじゃねえか」
 辿り着いた所は薄汚れた建物と建物との谷間で、下水がどぶから通路へ溢れていて、辺りに異臭が漂っている。そこに裸の男が一人倒れていた。どぶ鼠が人の気配を察して、鳴き声を上げて逃げ去った。客引きの男は行き止まりの塀の前まで来ると、ファントムとオクスの方にくるりと向き直った。二人が後ろを振り返ると、いつの間にか人相の悪いごろつきどもがついて来ていた。
「ははあ、てめえら追い剥ぎかい。こいつも犠牲者ってわけだな」
 オクスはどぶの中に倒れている裸の男を指して言った。
「そういうことさ。そんな惨めな姿にはなりたくねえだろう?」
 客引き男は懐から匕首を抜いた。後ろの奴らも手に手に刃物を握っている。
「さあ、痛い目に遭いたくなけりゃあ、出す物出しなよ」
「そうかい、出す物ねえ」
 オクスは戦斧を構えた。ファントムも腰から剣を引き抜いた。
「おっと、刃向かおうってのかい? そっちは二人、こっちは七人、やめといたがいいと思うがねえ」
 客引き男は手にした匕首をピシャピシャと自分の頬に当てた。
「やかましいっ!」
 言った途端に、オクスの斧が客引きの頭を真っ二つに割っていた。それを見て後ろのごろつきどもが飛びかかって来た。ファントムはサッと剣を突き出した。切っ先がごろつきの胸板を貫いて背中まで出ていた。そのまま死体ごとぐいっと押して、後ろにいた奴も串刺しにした。オクスもごろつきに飛びかかり、狭い路地で次々と叩っ斬った。一番後ろにいた奴が怖じ気づいて逃げ出した。
「てめえらみてえな人間の屑どもは許せねえ! 待ちやがれ、蛆虫野郎っ!」
 オクスは斧を振り上げ、叩き斬った死体を踏みつけて追いかけた。往来まで追いかけて、とうとう背中からばっさりとやってしまった。通りがかりの者はそれを見て大騒ぎだ。
「さあ、ずらかっちまおうぜ。衛兵が来ると厄介だ」
 二人は人混みの中に紛れ込んだ。この辺りでは人殺しなど日常茶飯事で、騒ぎは大して広がらなかった。
「着いていきなり殺してしまったなあ」
「いいのさ。あんな蛆虫どもは殺した方が世の中のためだ。俺はきっと善行を積んだのさ」

 二人は市場に出て、そこからハスト街という通りを行った。
「どうだい、気付けに一杯?」
「そうだな。あんな奴らを殺して、気分が悪くなってしまった。気分転換だ」
 ファントムとオクスは酒場を見つけて入って行った。
「この町はな――」
「何だい?」
「半分以上が悪党なんだ」
「そんなことわかるのか?」
 こいつ、かなり酔っ払ってるな、とファントムはオクスの目つきを見て察した。
「職業とか地位とかに関わらず、意地汚ねえ奴らが多い、大悪から小悪まで。それもこういう狭い場所に人がわんさといるから、自然に人間がそうなっちまうのさ。貧しいんだ。偉い奴は貧しい奴から搾り取らないと金持ちになれねえ。その搾り取られた奴らは、もっと弱い奴らから搾り取ろうとするだけさ。金こそ正義。銭だけが正しい。このアデレートには特にそんなくだらねえ奴らばかり集まってる。こんなド阿呆の町は、さっさと大津波に呑まれちまえばいいんだ」
 オクスは酔って大声を上げた。
「おい、オクス、そんな話はするなって言っただろう」
 ファントムは慌ててオクスの口を押さえた。オクスはその手を払いのけ、
「ふん、こいつらはみんなぼんくらどもよ。もうすぐみんな死ぬぞーって大声出して言ったところで、何も感じない鈍感な奴らばかりだ。気にすんなって」
 それを聞きつけ、女がオクスの傍に寄って来た。
「お兄さん、物騒なこと言ってるじゃない。そんなことばかり言ってないで、あたしと楽しまない?」
 オクスは女の顔をまじまじと見てから、
「けっ、このドブスが。引っ込んでろ。金なんかほら見ろ、ぜーんぜん持ってないぜ」
 空になった革袋を振り回してみせた。
「まっ、なんだいこいつ! 只飲みしようってのかい!」
 女はキッとなって立ち上がった。
「金なら俺が持ってる、ほら」
 ファントムは慌てて革袋を取り出してみせた。
「まあ、こっちのお兄さんにサービスしちゃおうかしら」
 女は今度はファントムに擦り寄って来た。
「サービスしてくれる気があるんなら、頼むからどっかへ行ってくれ」
 ファントムは金をつまんで女に渡した。
「なにさ、いけ好かない男どもだねえ」
 女はプイッと横を向いて行ってしまった。
「もう出ようか」
 ファントムは立ち上がった。
「勘定だ」
「五枚だよ」
 バーテンが素っ気なく言った。ファントムは銀貨五枚をカウンターに置いた。
「銀じゃない、金五枚だ」
「何だって? 高すぎやしないか」
「いいや、金五は充分飲み食いしたぜ」
「ふざけんな、このカマキリ野郎!」
 オクスはカウンターを叩いた。たちまち店の中にいたイカついのが二人寄って来た。
「アハハハ、用心棒かい?」
 笑いながらオクスは一人の顔をぶん殴った。殴られた用心棒の一人は向こうのテーブルまで吹っ飛んで、テーブルごとひっくり返った。
「ヤロー!」
 もう一人が殴りかかってきたが、オクスは難なくそいつの腕をつかみ、カウンターの向こうに放り投げた。棚が壊れて酒の瓶が割れた。
 殴り倒された男の方が椅子を両手につかんで撲りかかってきた。ファントムはそれを見ると剣を鞘ごと抜き、すかさずそいつの顔を打った。用心棒は仰向けにひっくり返って伸びてしまった。オクスは逃げ出そうとしていたバーテンの襟首を引っつかみ、首をぐいぐい絞めつけている。バーテンは口から泡を噴いて失神してしまった。
「こんなあくどい店はぶっ潰してやる!」
 オクスはそう叫んで店の中で大暴れした。斧をつかんでそこらじゅうに打ちつける。客も店員も悲鳴を上げて逃げ出した。とうとう店の中はぼろぼろに壊れてしまった。それでもどさくさに紛れて、店の金や酒をくすねていくしたたかな奴もいた。
 ファントムとオクスはぶっ壊した酒場を出ると、アデレート島の海岸へ行った。島の南端のマリンバ通りには路上生活者が多い。浜に出てみると、ここも涼みに来た路上生活者たちで溢れていた。もう暗くなっていたが、泳いでいる者もたくさんいる。
「ここで上等だ。宿なんかに泊まる必要もないさ」
 二人はぼうっと空を見上げている浮浪者たちの間に腰を下ろした。夜空には数多の星が瞬いていて、涼しい風が潮の遠鳴りと共に海面を渡ってくる。その夜は浜辺でごろ寝した。

 翌日目醒めると、グラシア橋という河口に架かった橋を渡って旧城壁内に入った。ファントムは寝ている間に持ち物が一つも失くならなかったことに驚いていた。
「あいつらは盗みはしないよ。汚いことしてまで贅沢しようとは思わないんだろう。だからあのザマさ。路上生活者は気高い民だと言えるかもな」
 オクスが言った。
「なるほど、そんなもんか」
 ファントムは感心してみせた。
「何だか価値というものがよくわからなくなってきたよ。心の汚れた人間がいい暮らしして、心の清らかな人間が貧乏籤ばかり引くなんて」
「そういう世の中の仕組みだからさ。権力者が能なしだってことかな。良くないところは見ようとはしないで、避けて通ろうとするのさ。まあ、貧乏人が清くて金持ちが汚いとは一概には言えないがな。世の中の仕組みのために、概してそういうふうになっちまうっていう傾向があるんだ」
「弱者切り捨ての仕組みか……」
「そういうこと」
 二人はマリンバ通りを通って市場に出た。五つの大通りがこの市場に通じていて、町一番の賑わいだ。所構わず露店が出ていて、あらゆる物が売買されている。人が多すぎて前に進むのも大変なのに、そんな中を驢馬や牛の背に荷を積んだり、頭の上に籠を載せた運び人が通る。時には荷馬車が強引に人混みの中に割り込んで来たりもする。値引きの駆け引きの声が盛んで、耳が痛くなるほどだ。ファントムとオクスは腸詰めを買い、齧りながら歩いた。少し行くと奴隷も売られていた。
「人間を売り買いするなんてひどいなあ」
「競りに掛けてんだ。一人金十ぐらいだろ」
「馬より安いじゃないか。なあオクス、あの奴隷を自由にしてやらないか」
「もう金はねえぜ。宝石は弾みであの爺さんにみんなやっちまったし、せいぜい一人ぐらいしか買えないな」
「一人でもいいさ」
 ファントムは奴隷商人の所へ行き、交渉して一番ひ弱そうな奴隷を金七まで値引きさせた。その奴隷を市場の外れまで連れて行ってから、小銭を与えて逃がしてやった。
「おまえさんはどこまでお節介にできてんだろうねえ。いいかい、おまえが良かれと思ってしたことが、あいつにとっちゃ命取りになるかもしれないんだぜ」
 オクスはファントムに向かってたしなめるように言った。
「どういうことだ?」
「タウで売られてる奴隷ってのはな、主にトラワー諸島やサウトロス半島、カーマン半島に住んでた原住民がほとんどで、あとは博打の借金が払えなくなった平民の娘や息子たちなんだ。中には言葉も通じない奴だっている。そんな奴が、こんな欲望でどろどろした街中に一人で放り出されたところで、生きていけると思うか?」
 そうオクスから言われ、ファントムは後悔した。
「じゃあ、もう一度見つけて一緒に連れて行こうか?」
「そこまでするこたあねえよ。今更連れ戻したところでどうしようもない。あとの祭りさ。要するに何百人放してやったところで、あの奴隷商人たちはまたどこかで人間狩りをして儲けるだけなのさ」
「焼け石に水か。きりがないな」
 ファントムはこの世の中の仕組みにつくづく嫌気が差してきた。
「そうさ。だから世の中の仕組みを変えられないんだったら、せめてじっとしていて、売りたいだけ奴隷を売らせちまった方がまだましさ。そうすりゃいつかは奴隷が増え過ぎて売れなくなる。そうなりゃ奴隷商人の方だって商売替えせざるを得なくなる。気の毒だけど、あいつらは奴隷狩りがやむまでの尊い生け贄ってことさ。ここまで連れて来られちゃ、奴隷になった方がまだましさ。とにかく自分の理屈を他人に押しつけて、悦に入るのはもうよすんだな」
 ファントムはオクスの言うことに素直に頷いた。
「わかったよ。でもあいつだけでも何とかしてやろうよ」
「もういいって。ああなるのもあいつの運命さ。ああなったからって、幸か不幸かはまだわからないさ」

 市場を出ると六番街を北へ行き、ベルモン通りに出た。
「この辺は大きな建物ばかりだなあ」
 ファントムは周囲を見回しながら言った。
「反吐の出そうな高級官僚とド金持ちの商人どもの住みかさ」
 昼前にはベルモン通り沿いに美術館らしい建物が見つかった。
「ヴィットーリオってのは美術館で働いてるんだったな」
「そうだ。今ならいるだろう」
「入ってみよう」
 二人は美術館の敷地に入って行ったが、建物の入口で衛兵に止められた。
「なんで入っちゃいけないんだ? ここは元々マスクート公爵の宝物蔵だろうが。それなら今は町のもんだ。入っちゃならないって理屈があるもんか!」
 オクスが怒鳴ると、
「そりゃそうだが、二日前に盗難があって、それからしばらくは一般人立入禁止になってるんだ。悪く思わんでくれ。俺たちは上からの命令通りにしてるだけなんだから」
 衛兵はオクスの剣幕に気押され、態度が幾分軟化した。
「俺たちは別に宝物を見にここに来たんじゃなくて、ここで財宝の鑑定をしているヴィットーリオという人に用があるだけなんだ。ヴィットーリオに伝えてくれればいい」
 ファントムが言うと、
「ああ、先生の客か。じゃあちょっと待ってろ、今呼んで来てやるから」
 衛兵の一人が建物の中へ入って行った。しばらくして小柄な若者を伴って戻って来る。
「やあ、きみたちかい、この僕を訪ねて来るなんてとんでもない物好きは? 一体全体何の用だい、こんな一財宝研究者に? それにしても少しばかり嬉しいねえ、僕の名前を知ってくれている人が、なんと! 二人もいたなんて。庶民にまで知られてるということは、僕もかなり名が売れてきてるってことかな。本物はいつかは認められるということだな」
 若者は自分の着ている所々継ぎの充たった白衣を片手で叩いた。その度に埃が次から次へと出て来る。頭はぼさぼさでまるで見栄えのしない風体だ。
「あ、あの、俺たちはヴィ・ヨームさんからあなたを紹介されて、それで……」
 ヴィットーリオが出した埃を吸うまいと、ファントムは口と鼻を押さえながら言った。
「あー、そうだったのか。するときみたちはさしずめチャカタンから来たってわけだ。自分で自分のことを予言者だと思い込んでる、あの変てこりんなヴィ・ヨームとかいうおじさんに教えられて、わざわざここに? そりゃまたとんだ災難だったね、わざわざチャカタンから? 十日はかかったろう? そりゃ大変だ、ご苦労さま。それならそうと前もって連絡してくれさえすれば、うちには何にもないけど、せめて歓迎の支度ぐらいして今朝は家を出て来たっていうのに。
 そうだ、もう昼休みだからちょうどいい。一緒に昼食でもとろうじゃないか。いい店があるんだ、このタウには珍しく落ち着いて洒落た店が。そこで軽く昼食なんかどうだい? よろしい。それじゃあライネル博士に頼んで、これから早めに昼休みにさせてもらってくるから、今しばらくここでじっと待っていてくれたまえ。あー、そうそう、衛兵が無礼を働いたそうで、すまないね。僕からも謝るから、勘弁してやってくれたまえ。
 一昨日空き巣狙いが忍び込んでね、ここに。今は盗まれた品を調べるので取り込んでいるところなんだよ。でも幸いなことに馬鹿なこそ泥でね、ろくな品物を盗んじゃいない、がらくたばかりさ。僕ならもうちょっとましな物を盗むところだが、そうそう、この白衣もお蔭でご覧の通り汚れてしまったよ。何しろ埃が上から降って来るんだ、バサッバサッと。まるで猛吹雪に遭ったみたいだよ。
 今まで動かしもしなかった財宝をいじくってるだろ。着替えて来なくちゃ。こんな恰好じゃ店に入っても追い出されてしまう。だからようくわかっただろう、少しだけ待っててくれたまえって言いたかったのさ。話はそれからゆっくりすることにして……」
 ヴィットーリオは一通りまくしたてたあと、いそいそと美術館の中へ入って行った。
「何だい、ありゃあ?」
「待ってるよりも、言い訳聞いてる時間の方が長いぞ」
「一人で喋って、一人で頷いて。ヴィ・ヨームのおじさんもとんでもない奴を紹介してくれたもんだ」
 ファントムもオクスもヴィットーリオには呆れてしまった。
 しばらくするとヴィットーリオが出て来た。
「やあ、お待たせ。改めてきみたちを歓迎するよ。タウの町にようこそ。申し遅れたが、僕がヴィットーリオだ。ここの美術館でライネル博士の助手として、数々の美術品の鑑定をしているんだが、こっちの方はもっぱら金のためでね。専門の方は情勢予測で、わかるかい? 情勢予測?」
「なんとなく」
 ファントムが首をひねりながら答えると、
「まあいいや。僕は今を時めくラーケン教授に実力を認められ、彼に請われて弟子になってやってるんだが、そのお蔭で住居と食事をただで与えられている。そのお蔭で今では美術館からの報酬は全て書物につぎ込むことができるってわけだ。ところできみたちの名前を聞いてなかったが?」
「俺はファントム」
「俺はオクスだ」
 ヴィットーリオは二人の手を取った。
「やあ、ファントムにオクスか、実にいい名前だ。なかなか立派な若者じゃないか、少なくとも名前だけは」
「何だと?」
 オクスはカッとなったが、
「おや?」
 ヴィットーリオはカッカしているオクスには全く構わず、ファントムの腰に下がった宝剣に目を留めた。
「それをちょっと見せてくれないか」
「いいよ」
 ヴィットーリオは剣を両手に取り、あちこち眺め回した。
「これはカーマンの眼だ。これをどこで手に入れた?」
 ヴィットーリオは剣の柄に埋め込まれている赤い宝石を指差した。
「そいつは青い森の盗賊から奪って来たんだ。王様への献上品を、隊商からふんだくったって言ってたな」
 うーん、とヴィットーリオは唸った。
「なるほど。察するところ、これはラムゼリーだ。ラムゼリーというのは、かなり昔にカーマン半島の黒鉄海岸に住んでいた、蛮族の刀鍛冶の名匠だ。蛮人とはいえ、彼の腕は天下一で、その切れ味と言うと、見ろ」
 ヴィットーリオは宝剣を鞘からサッと引き抜くと、近くに立ててあった店の看板を切った。木の看板は真っ二つに切れて、地面にからりと落ちた。
「僕のようにとことん腕力に乏しい人間でも、ほら、この通りだ」
「いいのかよ、余所の店の看板なんか勝手に切ったりして」
「間違いない、これは正真正銘のラムゼリーだ。しかし僕は学者だ。だからこいつがどんなによく切れる大業物だろうと、何の魅力も感じない。この切れ味の百倍も千倍も価値があるのは、何を隠そうこのカーマンの眼だ」
 ヴィットーリオは剣を鞘に戻すと、また柄に埋め込んである宝石を指差した。
「と言うのは?」
「ラムゼリーは初期の刃物師だった時代を除き、全盛期と晩年期を通じて、生涯数えるほどしか剣を打っていない。正確に言うと六本だけだ。その中でも特に出来栄えの良かったものに、カーマン半島でしか産しない、それもこれまでにごくわずかしか発見されていない、カーマンの眼という宝石中の宝石を埋め込んだのさ。見ろ、これがそうである証拠だ」
 ヴィットーリオは剣の柄を裏返した。裏には青い宝石が埋め込んである。
「いいかい、こいつは二つの宝石を両面からそれぞれ埋め込んだんじゃない。ここから抜き出してみればごく簡単にわかることだが、カーマンの眼は必ず片側が赤くて、片側が青い。つまりこれは一つの石なんだ。もう一つ証拠がある」
 そう言うと、ヴィットーリオは爪で宝石を弾いた。
「聞こえたか? 木を叩いたような音がしただろう?」
 二人は頷いた。
「これは海面より低い所まで掘り下げて、そこから採取されたという証だ。マグマに触れたちょうど変成面の限界で、海面より低い地中であり、しかも地下水に長い間浸かっていたという、偶然に偶然が重なった環境が必要なんだ。それどころかそんな好条件が重なったとしても、その時点で肝心のカーマンの眼を作る特殊な物質が、特殊な結合をして待ってくれていないといけない。
 更には石の両側にも特殊な物質が、純粋な状態で綺麗に並んでいてくれないといけない。そうじゃないと別の物になってしまう。計算では、こんな確率は気が遠くなるほどゼロに近い。つまりカーマンの眼ができることの方が不思議なくらいなんだ」
「そんなに値打ちのある物とは知らなかったな」
「はっはっはっ、宝の持ち腐れとはこのことだ。きみはとてつもない宝を持ってるんだ。このカーマンの眼だけほじくり出して売ったとしても――」
「金貨千枚ぐらいか?」
 オクスが訊いた。
「百万枚だ」
「百・万・枚……!」
「ことによっちゃあ、その筋の宝石蒐集家なら、全財産を売りはたいて金貨一千万枚出すかもしれないな」
「い、一千万枚!」
 オクスは目を白黒させた。
「一千万もありゃあ、不死が十回も買える」
「要するに値などつけられない財宝だということだ」
「ファントム、こいつを売っちまって、これからすぐにクヴァーヘンに行こう。クヴァーヘンへ行って、死の商人から不死身を買おうじゃないか!」
 オクスが興奮して言ったが、
「嫌だ」
「なんでだ? 不死身になったら剣なんか要らないんだぜ」
「ところが僕はさっきも言ったように学者だ。剣士でも宝石商でもない」
 ヴィットーリオは二人にはお構いなしに喋り続ける。
「だからカーマンの眼の宝石としての価値にも興味はない」
「何だって?」
 ファントムもオクスも宝剣をじっと見つめた。
「それじゃあ一体……?」
「そう、それを教えてあげよう、なぜ僕がこの宝剣に興味を示すかってことを。大事なことはこうだ――なぜラムゼリーが名剣の柄にカーマンの眼を埋め込んだかということ。その行為に最も重要な意味がある。
 ところでガブリエルの書にはこうある――『カーマンの眼には秘密が隠されている』とね。なんてわかり易い言葉だ。こんな言葉は謎掛けでも何でもない。そのままカーマンの眼を調べてみれば、その秘密がわかるんだ。ファントム、きみは非常についてる。ラムゼリーの中でも超一級のカーマン・ラムゼリーを手にしているんだから。そこで頼みがある。それを是非この僕に譲ってくれないか?」
「嫌だ、断る」
 ファントムはヴィットーリオの頼みを突っぱねた。
「じゃあ、せめてそのカーマンの眼だけでも抜き出して……」
「ごめんだね」
「当たり前だ。おまえ、何寝言言ってんだ。そんなに宝石が欲しいのか」
「僕の物にしようとは言わない。調べる間だけでもしばらく貸してくれさえすればいいんだ。必ず返すよ。いいかい、ガブリエルの謎その二――『富を望むなら、青と赤の間から、黄と白を取りに行け』、知ってるかい?」
「それなら知ってるよ。『ただし、船に乗るのではない』、こうだろ?」
 ヴィットーリオは頷いて、
「その通り。その意味はこうなんだ――『青と赤の間』、つまりカーマンの眼の間に『黄と白』がある。恐らくラムゼリーがその巧妙な細工技術でカーマンの眼に細かい穴を空け、そこに黄玉と白玉を埋め込んだんだ。それにはきっと細かい文字が刻まれていて、伝説の宝、富の宝冠の行方を教えてくれるはずだ。
 古代アデノンの王が富の宝冠を被っている間、彼の国は楽園のように栄えた。ところがある日、一羽の鳥がどこからともなく飛んで来て、王の被っていた宝冠を持ち去ってしまった。その時から王家は没落し、アデノンには天変地異が起こり、一夜にして王国と民は滅亡してしまった。もちろん伝説だが、あながち嘘だとも言えないんだ。
 それはのちにガブリエルが証明してくれている。『富を望むなら……』、これは個人的な富のことを指しているんじゃないんだ。そんなことならカーマンの眼一つあれば充分すぎるだろ。そうではなくて、そこに隠された秘密こそが、世界を貧富というもののない楽園へと変えてしまうという偉大な力を持つ、失われた富の宝冠の行方を明かしてくれるはずだ。その秘められし力は絶大で、この世から貧困というものをなくしてしまえるんだ。ガブリエルの言葉とアデノンの伝説とはぴったり一致するんだよ」
 ファントムは頷いて、今度はすんなりと宝剣をヴィットーリオに渡した。
「わかったよ。じゃあ、カーマンの眼だけだぞ。でもどうやって柄から抜くんだ?」
「それは心配要らない。それに関しては充分に研究してあるから、まず一晩剣ごと貸してくれれば、明日の朝にはとりあえず剣だけ返すよ。そのあとが問題だ。どうやって眼から黄玉と白玉を抜き取るかだ。まあ、三日もあればできると思うが、その後解読に二、三日。しかしこれだけは何日かかるか予想もつかない。すぐにわかるかもしれないから、解読できしだいカーマンの眼も返そう」
「いや、俺は剣だけ返してくれればそれで構わないよ」
「驚いたね。なんて欲のない人だ、きみっていう人は」
 ヴィットーリオは目を丸くした。
「それよりきみは大したもんだな、ヴィットーリオ」
「と言うと?」
「ヴィ・ヨームが言ってた通りだ。人物としては大したことないけど――」
 ファントムはそう言いかけて、慌てて口を噤んだ。
「な、何だって?」
「いやいや、大変な物知りだって言ってるんだよ。ディングスタにも解けなかった謎を易々と解いてしまったんだから」
「ははは、僕の取柄はこの頭脳さ」
 そう言いながら、ヴィットーリオは自分の頭を指でつついてみせた。
「どれだけ豊富に知識を持ち、それらをどれだけ上手に活用するかが謎解きのこつさ。貪欲に情報を集めること、それからは冷静に、かつどこまでもしつこく謎に食い下がること、これに尽きるね。決して当てずっぽうの勘には頼らない。ついでに言っておくと、ディングスタという奴は危険人物だぞ」
 ファントムもオクスも頷く。
「俺もそう思うよ」
「あいつは情勢予測学からいくと、次にエトヴィクを奪り、次いでこのタウも奪ってしまう。それでも飽き足らずにオーヴァールをも亡ぼしかねない」
「本当か?」
「ははは、実はこの予測にはおかしな根拠があるんだ」
 ヴィットーリオは笑った。
「おかしな根拠と言うと?」
「どうやって手に入れたのかは知らないが、ディングスタはソウルイーターというのを持っている」
「知ってるよ。食魂の剣だろ、魂を食ってしまうという」
 ヴィットーリオは大袈裟な態度で頷いてみせてから、
「そう。食魂の剣、ソウルイーター。しかしこれは通称で、本当の名前はトネクトサス・ラムゼリー・ラスカというんだ。名匠と名高かったラムゼリーは晩年に、今はオーヴァールに征服されているラスカ――トネクトサス沼の向こう側の青銅海岸にある都市だが、その昔のラスカ王に召されて、王のために究極の剣を作る決心をした、カーマン・ラムゼリー以上の物を。ラムゼリーはトネクトサス沼の中へと入って行き、人知れず一人で剣を作ったらしい、なんと六年もの間、沼の奥深い所に籠もって。
 しかしカーマン・ラムゼリー以上の物などできはしなかった。彼は剣の出来栄えに満足できず、剣を打っては折り、また打っては気に入らずに折り、そんなことをいつまでも繰り返した。そして無理が祟ってとうとう健康が悪化し、自分の寿命も長くはないことを悟ったラムゼリーは、自分の生まれ故郷に古くから伝わる禁断の方法を使い、悪魔を呼び出したのだ。わかるかい?」
「執念だな」
 ファントムもオクスも感心した。
「つまりトネクトサス・ラムゼリー・ラスカは、人間が作ることのできる最高の剣とは違った力により名剣となったんだ。ソウルイーターには悪魔の呪いと、ラムゼリーの鬼のような執念が乗り移っている。ラムゼリーはでき上がった剣の試し斬りに、自分の体を使ったということだ。だからあの剣は切れ味なんか問題じゃない。
 あの剣を手にしている者は、悪魔の大いなる力を持つことができるのと同時に、ラムゼリーの死の間際の後悔の念がいつまでも消えていないために、いつかはその所有者に災いをもたらすことになるんだ。だからディングスタはもしかすると、いや、十中八九、世界を制覇するに違いない。しかし必ず非業の死を遂げるだろう。でも僕はディングスタにそのことを教えてやろうとは思わない。なぜなら情勢予測学的に見て、今こそ名君ぶりを見せてはいるが、世界を我が物とした時には必ず化けの皮がはがれ、その悪魔的な正体を顕し、たちまち暴君へと変貌を遂げるだろうから。
 少なくともその時までは、奴はソウルイーターを手放せないだろう。しかしあの剣が彼にとって不要になった時に気がついても、その時はもう遅すぎるんだ。抜けたくとも、もう悪魔の呪縛から抜け出すことはできなくなってしまっていることだろう」
 その時、背後で怒鳴り声がした。
「おまえたちか、こんなとんでもない悪さしやがったのは! この悪ガキどもめっ!」
 店から出て来た主らしき男が、ヴィットーリオの切った看板を片手に持って怒っている。
「やばい、逃げろー」
 三人は五番街を走って南へ逃げた。
「待ちやがれ、このクソガキどもが!」

 人混みに紛れ込んで店の主の姿が見えなくなると、ヴィットーリオはオルフォイア通りまで出て、そこを右に曲がった。そのまま通りに面した一軒の店の扉を押した。『エローラの店』と看板に書いてある。ファントムとオクスも彼について店に入って行った。店の中は狭い。その狭い場所に、絵や置物や植木鉢が所狭しとたくさん飾ってある。
「あら、いらっしゃい」
 厚化粧をした女か男かわからないのが、カウンターに頬杖をついていた。
「やあ、エローラ。今日は友達を連れて来たよ。ファントムにオクスだ」
「よろしく」
「こちらこそ、よろしくねえ」
 エローラは低い声を出した。
「さあさあ、こっちに座れよ」
 ヴィットーリオはファントムとオクスを奥のテーブルに引っ張って行った。
「いらっしゃい。ヴィットーリオに友達なんて珍しいなあ。どんな物好きだい?」
 注文を聞きに来た、これまた女か男かわからない大柄なのが、どんとテーブルの上に水差しを置いた。
「やあ、セバスチャン。この人たちはわざわざチャカタンからやって来たんだ、この僕を訪ねてね。そうだ、今日は何か豪勢なものを頼むよ。ご馳走しなくちゃ」
「へーえ、世の中には本当に変わり者っているんだ」
 セバスチャンはグラスを置くと、奥へ入って行ってしまった。
「おい、ヴィットーリオ」
 オクスはヴィットーリオに顔を近づけて、
「ありゃあ男か、女か?」
「ああ、セバスチャンは男みたいな女さ。育ちが悪いんだ。生まれてからかなりの間、頭の惚けてしまったお婆さんが、セバスチャンは男の子だとばかり思って育ててたそうだ」
「あのエローラってのはおかまかよ?」
「おかまと言うか……」
「おかまですって? そーよ、おかまよ」
 エローラはぶすっとして言った。
「聞こえてたのか」
「あー、それ以上言わないでくれ。わかってるさ。僕が悪趣味だとか何とか言いたいんだろ? 顔に書いてるぞ。そりゃ誤解さ。しかしね、エローラはなかなか美的感覚が優れてるんだ。この殺伐としたタウの街中で、小さいながらもなかなかセンスのいい店を持ってるとは思わないかい?
 もっともここにある美術品は、僕が掘り出し物を見つけて安値で競り落としてきた物ばかりだが、何と言っても彼と、いや、彼女と僕とは美意識が似通っている。高価な財宝だろうと、箱の中にしまってあるんじゃ全く意味がない。要は並べ方さ。だから美術館の仕事なんてもううんざりだ。毎日箱を開けて、そして閉める。まるで荷造りだ。それに比べるとここは心のオアシスさ」
「だからいつだって使ってあげるって言ってるじゃない」
 エローラが低い声で言った。
「いやいや、それは無理だ。嫌でもやらなきゃ。でないと学問の世界とのコネが切れてしまう」
「でも良かったじゃない、本の他にお友達ができて、それもちゃんとした人間の」
「からかわないでくれよ、エローラ」
 その時奥からさっきの男女のセバスチャンが現われ、料理を運んで来た。その後ろにもう一人、小柄でかわいらしい娘がついている。
「や、やあ、アジャンタ、久しぶりだね」
 ヴィットーリオはセバスチャンの後ろにいる、色の浅黒い娘に向かって手を上げた。
「久しぶりって、毎日来てるじゃないか」
 セバスチャンは料理の皿をどんとテーブルの上に置いた。
「アジャンタ、紹介しよう。僕の友人で、チャカタンから来た冒険者のファントムに、それからこちらがオクスだ」
「よろしく」
 ファントムとオクスはそう言ったが、アジャンタは何も言わないで目を伏せ、料理をテーブルの上にそっと置くと、セバスチャンと一緒に奥へ戻って行った。
「ハハ、彼女はとってもはにかみ屋さんなんだよ」
「心のオアシスだとか何とか言ってるけど、ひょっとすると、おまえさん、あの娘目当てでここに通い詰めてるんじゃないか?」
 オクスはヴィットーリオをからかった。
「ま、まさか。じょーだんはよせよ」
「図星だ。赤くなってるぞ」
 ファントムも一緒になってからかった。
「違うったら。あの子は奴隷として買われて来たから可哀そうで」
「おや」
 二人はそれを聞いて少しばかり驚いた。
「あたしはあの子のことを奴隷だなんて、これっぽっちも思っちゃいないわよ。あんないい子が売られてたから、可哀そうになって引き取ったのよ」
 エローラは言った。
「でもあの子は従順なだけで、ちっとも心を開こうとしないのよ。親がとんでもない人でなしで、博打の形に娘を奴隷商人に売ったのよ。きっとその時のショックで心を閉ざしちゃったんだと思うけど。ねえ、あなたたち、何とかしてあげてちょうだいよ」
 ファントムとオクスに向かって頼んだ。
「何とかったって、女心は難しいからなあ」
 オクスは眉根を寄せた。
「んー、難問だなあ。こいつは店をぶっ壊すことなら得意なんだけど」
 ファントムがオクスを指して言うと、
「やかましいやっ」
 オクスは骨つきの肉にかぶりついた。
「アッハッハッ、店をぶっ壊すのが得意だって? こりゃ愉快だ、エローラ、このオクスを雇ってやったらどうだい? アッハッハッ」
 ヴィットーリオはつかんだ野菜を振り回して大笑いした。今度はオクスが口を開く。
「人助けならこのファントムがうってつけだぜ。こいつはとんでもないお節介焼きで、これまでにたくさんの人の運命を変えてきた。山賊を百姓にしたり、奴隷を浮浪者にしたり。まあ、運命を狂わされた者にとっちゃ、有難迷惑としか言いようがないけどな」
 オクスは負けずにやり返した。
「ちぇっ、余計なこと言うな」
「アーッハッハッハッ、山賊を百姓に、奴隷を浮浪者に、こりゃまた傑作だあ、アーッハッハッハッ」
 ヴィットーリオは食べながら大笑いした。
「きったねえなー、こいつう。口の中のもんを飛ばすなよ」
「セバスチャン、アジャンタ、あんたたちもお昼になさいな。こっちに来て、この楽しいお兄さんたちと一緒にお食べなさい」
 エローラは奥の二人を呼んだ。二人は皿を持ってやって来た。
「ところできみたち、今日来たばかりで、住むとこはまだ決まってないんだろ?」
 ヴィットーリオが訊くと、
「そうだ。しばらくここにいるから、どこか住む場所が欲しいなあ」
「だったら迷わずエローラに訊けばいい。この人は人当たりがいいから、誰でも気を許して何でも喋るんだ。だから僕にとっても貴重な情報源の一人さ」
 そう言われて、エローラが口を開く。
「そうねえ、この町じゃあほんとに住む所を見つけるのは大変なんだけど、ちょうど今、この裏に入ってった所にある下宿屋が空いてるみたいよ。最近二度も殺人があったから、流行ってないみたいね。おまけに狭くて汚いし。何だったらうちに下宿したっていいのよ。あんたたち立派な肉体してるしねえ」
「い、いや、俺たちは狭くて汚い所が好きなのさ。こんな小綺麗でさっぱりした所は、どうも落ち着かないな、アハハハ」
 エローラが色目を遣ってきたので、オクスは慌てて言った。
「俺たちもう金が余りないんだけど、いくらぐらいで部屋を貸してくれるのかなあ?」
 ファントムがエローラに尋ねた。
「いくら残ってるの?」
 二人は金を出し合って数えてみた。
「金貨が二枚、銀貨が……十四、十五、十六枚、エレクトラム貨が一枚」
「何とかなるわよ。あそこだったら月に金一ぐらいじゃないかしら」
「と言うことは金貨二枚なくなるから、こりゃ苦しいや。早速何かして稼がないと」
「シーファーの所へ行くといいわよ」
「シーファーって?」
 二人はエローラの顔を見返した。
「日雇いの周旋屋よ。五番街に出て真っ直ぐ南へ行くと、リーブラ通りの角に看板が出てるわ。何か仕事はあるわよ」
「じゃあ、これからまず部屋を借りて、それからシーファーのとこに仕事を見つけに行ってみようか」
 ファントムとオクスは荷物をつかんで立ち上がろうとした。
「ああ、言い忘れてたけど、下宿屋の家主はボルタ婆さんていうの。がめついから気をつけるのよ」
「しかしきみたちはタウに日雇いの仕事をしに来たのか? 一体何のために?」
 ヴィットーリオが不思議そうに訊くと、
「それがわかんねえのさ」
「?」
「とにかく師匠の命令なんだ、タウにいろっていう」
「きみたちの師匠って誰だい? ヴィ・ヨームか?」
「俺たちゃ剣士だぜ」
「ジャバドゥさ」
「ああ、剣神ジャバドゥか」
 ヴィットーリオは大きく頷いてみせた。
「よく知ってるな。ジャバドゥってそんなに有名なのか?」
「僕はどんなに無意味なことでもとりあえず覚えるんだ。情勢予測学には、いつ、どんなデータが役に立つかわからないからね。何事も馬鹿にせず吸収すること。その代わり結果が出てからとことんこき下ろす、これが情勢予測学者のあるべき姿だ」
 ヴィットーリオは大仰な身振りで言った。
「言わばこの僕の姿勢は、学者の鏡だと言えないこともない」
「また自慢が始まった」
 セバスチャンはそう言ってヴィットーリオを睨んだ。
「へーえ。そうだ、それならきみはガブリエルのことだって結構知ってるだろ? さっきも謎をすらすらと解いたし」
 ファントムが言うと、
「ある程度はね」
「じゃあ教えてくれないか」
「それじゃあ仕事を見つけてから、今晩でも僕の部屋に来るといいよ。ラーケン教授の屋敷だ。美術館の近くさ。五番街を挟んでこっち側」
「知ってるよ。ベルモン通り、五番街、美術館前だろ?」
「そうそう」
 ヴィットーリオは急に立ち上がった。
「いけない、忘れてた。そろそろ美術館に戻らないと」
 そう言ってテーブルの上に金を置くと、
「今日は僕の奢りだよ」
「ごちそうさま。じゃあ俺たちも」
 ファントムとオクスも立ち上がった。
「これは借りとくよ。明日返す」
 ヴィットーリオはカーマン・ラムゼリーを大事そうにつかんだ。
「あ、そうそう、ガブリエルのことについてはさすがの僕もあまり知らないんだが、近々ガブリエルの書の写しが手に入るから、そしたら見せてあげよう」
 ファントムは大喜びだ。
「そりゃ助かる」
「ラーケン先生が弟子をアルバへやってるんだ。何しろ今では、ディングスタがガブリエルの書を公開しているからね。そういうところはあいつも偉いよ」
 三人は揃って店を出た。
「ついといで。下宿屋まで案内しよう」
 ヴィットーリオは路地に入って行く。少し行った所で立ち止まり、
「きっとあそこだよ。じゃあ、今晩また会おう」
 薄汚れた家を指差してそう言うと、五番街の方へ行ってしまった。

 ファントムとオクスは古びた下宿屋の中へと入って行った。入口を入るとすぐ台所と食堂になっていて、椅子に老婆が腰掛けていた。
「ボルタ婆さんかい?」
「そうだよ。あんたたち誰だい?」
「部屋が空いてるって聞いて来たんだが、貸してくれるかい?」
「ああ、間借りに来たのかい」
 ボルタ婆さんは立ち上がってのろのろとたんすの所まで行き、そこから紙の束を取り出して持って来た。
「これに名前を書いとくれ。二人かい?」
「そうだ」
 オクスは帳面にサインした。
「二階に二部屋空いてるよ」
 次にファントムがサインすると、
「一部屋金一でいいかい?」
 オクスが訊いた。
「いいけど、もう少し弾んでくれないかい。あと銀二ずつ出してくれりゃあ、掃除もしてあげるよ」
「しょうがねえなあ」
 二人は合わせて金貨二枚と銀貨四枚をボルタ婆さんに渡した。
「そんじゃあ、ついて来な、案内するから」
 老婆は手摺につかまり、階段をのろのろと上がって行く。二階には扉が四つあって、二つずつ向かい合わせになっていた。
「ここと、奥の右側だよ」
 ボルタ婆さんは階段を上がった所の部屋の戸を開けた。ギィーと木の扉が鳴った。部屋は狭くて、壊れかけた木の寝台が一つ置いてあるだけ、床には穴が空いていたりする。蜘蛛の巣だらけで、床や壁の所々に血の痕が残っているようだ。
「鍵はないのか?」
「そんなもんありゃせん。あんたら盗られちゃ困るもんでも持ってるのかい?」
「そんな物ないけど、ここで殺しが二度もあったって言うじゃないか」
 ボルタ婆さんは大袈裟に手を振った。
「ありゃ物盗りじゃなくて、借金取りさ。こんなとこに泥棒なんか入って来るもんか」
「それにしてもひでえ部屋だなあ。俺たちこれから仕事を見つけに行ってくるから、その間に血の痕を消しといてくれよ」
「あいよ。便所と井戸は裏庭だからね」
 ボルタ婆さんはのろのろと下へ下りて行く。オクスはその部屋に荷を下ろした。ファントムは奥の部屋へ行く。それからオクスは戦斧を、ファントムは短剣だけ持って、また下宿屋を出た。




次へ   目次へ