7.死 の 商 人



 宴は昼前になっても終わらない。オクスとファントムは荷をまとめると、長老たちの所へ行き、別れを告げた。
「そんな、あまりに急すぎはしないか? もう少しゆっくりしていって下され」
 長老たちは二人をしきりに引き止めようとした。
「もうやることはやったんだし、先を急ぎますから」
 ファントムはそう答えた。早くこの村を離れたかったのだ。
「それではお礼の品だけでも差し上げたい。受け取って下され」
「何も要りませんよ」
「そうおっしゃらずに」
 長老は何人かに指図した。
「俺はこの鎮魂の戦斧さえもらえれば充分だ」
 オクスが言うと、
「もちろん、それはあなたの物じゃ」
 やがて長老に言われてどこかへ行っていたドワーフたちが戻って来た。いろいろな品を二人の前に差し出す。金貨や食糧はもとより、様々な細工を施した金銀の装飾品、宝石、白玉の彫刻品、青銅器など、二人が持ちきれないほどある。
「それじゃあ」
 二人は携帯用の食糧だけもらうと、残りは受け取らずに、テミルの村をあとにした。
「やはりあの方々は、神が我々のために遣わされた聖なる戦士だったに違いない」
 ドワーフたちは頷いた。長老たちは村の外れまで来て、いつまでも二人を見送っていた。

 それから二人は道をプラクシー川沿いに戻し、南東へ向かって進んだ。その日は不眠の疲れもあり、休み休みゆっくり進んだ。夕暮れ時になって、ダフネとクヴァーヘンの水陸の中継地点である、モンテという船着場に到着した。宿屋や酒場ばかりが多い、小さな宿場町だ。ダフネへ向かう乗合船がちょうど出たあとで、宿はどこも空いていた。
 二人は宿に入ると、旅装を解き、食事を注文した。
「もうむやみに殺すのはよそう」
「そうだな。やっぱりおまえの言う通り、トロールの場合は間違いだったと思うよ」
 二人は部屋で食事をしながら話し合った。
「ドワロン先生が言ってたことが、今になってよくわかるよ」
「何て言ってたんだ?」
「殺してから後悔したって、その者は二度と生き返らないって。だから殺さないに越したことはない」
 ファントムの言葉にオクスは頷き、
「そりゃそうだな。わかるよ。だけどやむを得ない場合は仕方ないぜ」
「まあな。やむを得ない場合以外は殺さないことにしよう」
「そうしよう」
 翌朝早く、二人は宿を出た。宿の主人に訊けば、街道を南に行くと、このモンテからクヴァーヘンまで一日で行けるという。
 二人が街道を歩いて行くと、やがて道が上りになり、ルドネの丘にさしかかった。街道は丘を巻いたり、丘を越えたりしながら、だんだん丘陵地帯の奥へと入って行く。
 そうやって街道を歩いて行くと、二人の前に空の車が二輌、クヴァーヘンへ向けて曳かれて行くのが見えてきた。恐らくクヴァーヘンの品をモンテに届けるか、乗合船の乗客たちに売るかした帰りなのだろう。車はそれぞれ二人ずつに曳かれているが、ひどく進み方がのろい。みるみる近くなった。
 すると、いきなり丘の上から大きな鳥のような物が五、六羽降りて来て、車曳きたちに襲いかかった。車曳きたちは棒を振り回して追い払おうとするが、全く鳥には当たらず、鳥たちは飛びながら、爪で車曳きたちを引っ掻いたり、糞を落としたりした。しかしその大きな鳥たちは、車曳きたちを取って食おうとしているようではなく、どうやら悪戯をしてからかっているようだ。
 よく見るとそれは鳥ではなく、コウモリのような翼があり、それに人間のような体がくっついている。顔はどれも人間の女で、頭が禿げていて、しわしわの皮膚をしていて、足には鉤爪がある醜い生き物だ。
「ハルピュイアだ」
 オクスがその獣を認めて言った。
「どうする? 助けるか? それとも放っておくか?」
「うん、あいつら殺す気はないみたいだから、とりあえず追っ払うだけにしよう」
「よし」
 二人は車の所へ走って行って、斧の柄や剣の腹でハルピュイアを叩き、とうとう追い払ってしまった。
「やあ、怪我はないか?」
 オクスは何気なく車曳きたちを見て、ギョッとした。四人が四人とも両目がない。目が塞がっているのではなくて、両目の所に黒い穴が空いているのだ。
「ど、どうしたんだ? ハルピュイアに目を抉られたのか?」
 商人の一人が声のする方に顔を向け、首を横に振った。
「違います。私どもはクヴァーヘンで死の商人と面白半分に取り引きをして、両目を売り、千年の寿命を買ったのでございます」
「な、何だって?」
 二人は驚いて声も出なかった。
「今更悔いてもどうしようもございませんが、毎日誰もから辱められ、光を二度と見ることができずに、あと千年近くも生きなければならないのです。今はいつもクヴァーヘンとモンテの間を往復し、品物を運んで生計を立てているのです」
「しかし目が見えないのに、こんな所を車を曳いて行くのは、いかにも危険じゃないか」
「この子が道案内をしてくれます」
 見ると、荷台に一人の小さな男の子がちょこんと座っている。
「この子がどちらへ行けばいいのか教えてくれるので、私たちは何とか車を曳いて行けるのでございます」
「ふうん」
「気の毒に」
 ファントムは持っている食糧と、金の入った革袋を一つ、その小さな子供にやった。そのまま商人たちに別れを告げて、クヴァーヘン目指して街道を先に行った。
「憐れな話だなあ」
 オクスが呟いた。
「でも俺たちにはどうしようもないよ」
「自業自得だって済ましちまうには、あまりにも可哀そすぎるぜ」
「全くだ」

 日が沈んでから二人はクヴァーヘンの町に着いた。この町にはアルバやダフネのような壁がない。小さな村が人口増加に伴い拡大したもので、いつだって入って行ける。近くで貴金属や宝石、銅、鉄などを産するため、ダフネ、エトヴィク、チャカタンといった大きな町や、ロクスルーなど周辺部の村々とも交易があり、急速に発展した商工業都市だ。ここはタウやアルバと共に、どの王国にも属さない自由都市で、高地にあるとはいえ、雑多な民族が流れ込んで繁栄している。
 通りを行くと、夜になっても所々で篝火が煌々と焚かれ、様々な店が開いていたり、露店が出ていたりして、人々の往来が盛んなのが見られた。二人は宿を見つけて部屋を取ると、夜の繁華街に繰り出してみた。
「もう夏だっていうのに、ちょっと寒いんじゃねえか」
「ここは高地だから、夜は冷えるんだろう」
 二人は毛皮屋で安い毛皮を買い、それを羽織った。オクスは屋台でわけのわからない食べ物を買って、齧ってみた。
「ぺっ、何だこりゃ、不味くて食えねえぜ」
 そう言うと、口の中に入れた物をすぐに吐き出した。売り子がニタニタ笑っている。
「そいつは、死んだ犬の胃腸を取り出して、消化しかけの中身ごと腐らせ、蛆が湧いた頃にサッと熱湯で茹でた物を、鶏の血につけてよく染み込ませ、火炙りにしたところに、牛の糞を干して粉末にしたスパイスをたっぷり振りかけた、滋養たっぷりの名物料理だ。も一つどうだい?」
 売り子が自慢げに説明した。
「ゲッ、とんだゲテ物を食っちまったぜ」
 見ると、ゴブリンたちが寄って来て、その食べ物を買っていった。
「ゴブリンの食い物とは知らなかった」
 オクスはそいつをポイッと道の真ん中に捨ててしまった。
「もっとましな食い物はねえのかよ。おい、あそこの食堂で何か食おうぜ」
 オクスが指差した所では、道端に椅子やテーブルが出されていて、客が大勢飲み食いしていた。
「ここなら大丈夫だろう」
 二人は椅子に腰掛けると、給仕を呼んだ。
「人間の食う物で、何か美味い物を持って来てくれ。それと酒だ」
 オクスは銀貨を五枚取り出して、テーブルの上に載せた。やがて酒が運ばれて来て、続いて大きな盆にいろいろな物を盛りつけた料理が出た。
「こりゃいいや」
 二人は飲み食いを始めた。周囲は話し声、笑い声で賑やかだ。
「この料理はいける。クヴァーヘンとはこんなにイカした町だとは思わなかったぜ」
 近くで食べていた者がそれを聞いて、話しかけてきた。
 ところがしばらくすると、店の中で大喧嘩が始まった。みんなそれを見に店の中へと入って行く。店の中では、人間四人のどうやら冒険者のグループらしいのと、ゴブリンのグループとが、剣を抜いて罵り合っていた。
「何だ、どうしたんだ?」
 オクスが店の中にいた者に訊いてみると、
「最初にゴブリンが冒険者に言い掛かりをつけたのさ。そこで冒険者の方もゴブリンをこき下ろした。そんでもってああなっちまったってわけよ」
 周囲にいるオークたちはゴブリンの肩を持ち、ドワーフやホビットたちは人間の味方をした。やがてどちらかが手を出すと、周囲の者を巻き込んで大乱闘になった。ファントムは急いでオクスを店から連れ出した。
「関わり合いになるのはよそう」
「見るだけさ。面白いじゃねえか」
 オクスは行きたがらない。
「見てるだけでも巻き添えを食うかもしれないんだぞ。とにかく余所へ行こう」
 やがて乱闘が拡大して、店の外まで広がった。三十人以上の者が殴り合ったり取っ組み合ったり、椅子や皿や瓶を投げつけ合ったり、剣で斬られた者は血を流して這いずり回るような、血で血を洗う騒ぎとなった。これはまずいと思い、まだ肉を食ったり酒を飲んだりしているオクスを、ファントムは強引に引っ張って行った。

 少し喧燥を離れ、路地裏に入ってみると、小さな卓を出して、エルフの老婆が一人で座っていた。『占い』と書かれた小さな看板を立てている。
「よう婆さん、占えるのか?」
 オクスが老婆に声をかけた。
「ああそうとも。未来が知りたいか?」
「おもしれえ。占ってくれ。いくらだ?」
「銀一枚」
 オクスは銀貨を出した。老婆は水晶玉を取り出すと、その上に手をかざし、何やらじっと覗き込んでいた。
「あんたは白い森へ行く」
「そりゃ当たってる」
「血の色が見える。あんたはこれからたくさんの命を奪うじゃろう」
「それもたぶん当たってるだろうなあ。それから?」
 老婆はじっと水晶玉に集中している。
「それから長いことタウの町でぶらぶらしてから、騒動に巻き込まれたり、災難に遭ったりして……」
「そりゃあんまり当たって欲しくねえな」
「そうして将来、偉い人物になる」
「それはどうかなあ。まあ、そうなりゃあ嬉しいけど」
「あんたもどうじゃ?」
 老婆はファントムの方を向いて言った。ファントムも銀貨を出し、言われるままに水晶玉の前に立った。
「……あんたもこの人と同じじゃ」
「そりゃそうだろうよ」
 オクスが当然だと言わんばかりに口を出したが、
「ただ、ずっと先には闇がある。長い長い闇がある。じゃが、そのずっと向こうには、この世のものとも思えん光が射している。まばゆい光じゃ」
 老婆は険しい目つきで言った。
「何だかわかりにくいなあ。もっと詳しく説明してくれないか?」
「わからん。何だかわからんが、闇と光じゃ」
「じゃあ、ファントム、おまえ過去を見てもらえよ」
「そうだ。過去を見てくれ」
「なぜじゃ?」
「こいつ、記憶を失くしちまったのさ」
 老婆は頷くと、また水晶玉に手をかざし、覗き込んだ。
「トロール族、ドワーフ族……大勢の兵士との戦い、獣どもとの格闘……ダフネ……盗賊どもとの格闘……アルバ、偉大な剣士、町の騒ぎ……バイテンの野……バイテンの洞窟、偉大な魔術師……」
「みんな当たってるよ。それから?」
 ファントムとオクスは息を呑んだ。もしかすると過去がわかるかもしれない。と、老婆は水晶玉に手をかざすのをやめた。
「ど、どうした?」
 オクスがうろたえて訊くと、
「ない。この者には過去がない」
「ないってそんな、こいつのガキの頃のこととか見えてこないのかよ」
「見えてこぬ。こんな人間は初めてじゃ」
「なんでえ、畜生、ふざけやがって」
 吐き捨てるように言うと、オクスは呆然としているファントムを引っ張って行った。

 少し行くと、また別の賑やかな大通りに出た。通りに面した店を眺めながら歩いて行くと、入口に『死の商人』と彫った石盤が掛けられている店があった。
「ここはあの目を失くした四人が言ってた所じゃないか?」
「きっとそうだ。入ってみようか?」
 二人は木製の重い扉をそっと押して、中に入ってみた。
 壁の所々とテーブルの上に蝋燭が燈されている。部屋には重厚な木の調度品が置かれている。誰もいない。奥に続く扉が少し開いたままになっている。黒塗りのテーブルの上には四角い銅の板が載っていた。見てみると、文字がたくさん彫ってあった。ファントムにはここの文字があまりわからない。
「何て書いてあるか読んでくれ」
 オクスは銅板を手に取った。
「これは何だかメニューみたいだな。病気、事故、失敗、決裂、損害、貧困、入牢、不幸、死亡、混乱、暴動、悪疫、凶作、天災、戦争……何だこりゃ?」
「良くないことばかりだな」
「そうでもないぜ。いいことも書いてある。助力、恋愛、健康、若さ、地位、財産、長寿、栄誉、成功、不死……」
「本当にそんなものを売ってるのか?」
 二人はその時、背後に人の気配を感じてギクッとした。黒いローブに包まれ、顔が皺くちゃで、背が低くてせむしの男が、いつの間にか部屋の中に立っていた。
「何がご入用ですかな?」
 せむし男はそう言いながら近づいて来た。
「こんなもの、本当に売ってるのか?」
 オクスは銅板をひらひらさせた。
「まあお掛け下さい」
 せむし男は二人に椅子を勧めた。二人は座った。
「この銅板にあるものは、全てこの店に置いてあります。この他にも、只今品を切らしてはおりますが、個人悪では、恥辱、醜態、忘却、疑惑もあり、国家悪では、弱体、革命、腐敗、襲撃、離反、反乱、破滅もございます。善の方は他に、解決、勝利、人望があり、それぞれの項目に十三ずつの商品を用意することができます。品切れの場合は、金五枚の手数料を頂ければ翌日お届け致します」
 せむし男は薄気味悪い笑いを浮かべて言った。ファントムは背筋がゾクッとした。
「ところでこの目録には値段が書いてないが、いくらなんだ?」
 オクスが訊くと、
「どの商品がお望みですかな?」
「例えばこの長寿というのはいくらだ?」
「長寿は金貨十万枚からございます」
 せむし男はびっくりするほどの値段を平気で口にした。
「から、とはどういう意味だ?」
「十万枚で千年の寿命。それ以上になると、割増料金を頂きます」
「じゃあ、不死というのは?」
「不死は金貨百万枚でございます」
「そんなの買える奴がいるのか?」
 オクスはたまげて、半ばこの死の商人にからかわれているような気がしてきた。死の商人はその気配を察したようで、皺くちゃの顔で精一杯真剣さを表そうとした。
「この店では高額商品ばかり扱っております故、ほとんどの方はお手持ちの現金ではお支払いできません。そこでこの店では質屋もやっております」
「しかし金を持ってない者が、高価な質草も持ってるはずがないだろう」
「いえ、どなたでもお持ちになっておられますよ」
 死の商人はここでニヤッと笑った。
「例えば、『不死』をお買い上げになりたい場合、魂をお預け下されば、その方の魂の価値により、十万枚から百万枚までの金貨をご用立て致します。その方の魅力、美貌、運勢、才能なら、どれでも百枚から五十万枚までの金貨をお貸し致します」
「じゃあ、目玉はいくらだ?」
 オクスは、モンテからの途中で出会ったあの四人の目を失くした車曳きたちのことを、死の商人から探り出そうとしているのだな、とファントムは察した。
「どなたのものでも、片目につき金貨五万枚と決まっております」
「両目で十万枚か。千年の寿命が十万枚だったな?」
「左様でございます」
「やっぱりそうだ、あの四人」
 オクスはファントムの顔を見た。
「両目と千年の寿命を交換したんだな」
 ファントムも頷く。
「ところで、質に入れた物は、金を払えばちゃんと返してくれるんだろうな」
「左様でございます。ただし、二年以内に倍の額をお支払い頂かないと、お返しすることはできかねます」
「以前に四人でここにやって来て、四人とも両目を質に入れ、千年の寿命を買って帰った奴らのことがわかるか?」
 ここでオクスは単刀直入に出た。死の商人の方も怪しいと感じたのか、警戒心を強めた様子だった。
「調べればすぐにわかりますが、どういうご関係の方で?」
「いいからすぐ調べろ!」
 オクスは凄んでみせた。死の商人は奥の間へ入って行った。少しすると、羊皮紙の巻物を持って戻って来た。巻物を開く。
「この方々ですな」
 死の商人は血で書いた文字が並んでいる一部を指差して言った。
「九ヶ月前に、確かに四人とも両目を質に入れられております」
「四人分の目を全部買い戻すには、金貨四十万枚要るのか?」
 オクスが訊くと、死の商人はゆっくりと首を横に振り、
「いえいえ、倍ですから八十万枚ですよ。それも、あと一年と三ヶ月以内に」
「八十万枚とはな……。他の目玉と取り替えるっていうのはどうだ? 死んだ犬や猫の目玉とか――」
「とんでもない。死体から取り出した物は全く価値がありませんし、たとえ生きていても、人間の目でなければいけません」
 死の商人はまたもや首を横に振った。オクスはしばらく黙り込んだ。
「ところで、ちょっと気になるんだが」
 今度はファントムが喋りだした。
「何でございましょう?」
「仮に金貨八十万枚都合できたとして、返してもらった時には、もう目玉は腐ってしまってるんじゃないか?」
「ちゃんと生きております。これは保証致します」
 死の商人は皺くちゃの顔でニッと笑った。
「どうやって元の体に戻すんだ?」
「目なら目を持って寺院へ行き、然るべき額のお布施を納めれば、司教様が元通りにして下さいます。目がまだ生きているからです」
「で、質草はここに置いてあるのか?」
「ございますとも」
 死の商人は大きく頷いてみせた。
「念のために見せてくれないか」
「それはご無理というものでございます」
「ちゃんと生きたまま残っているのを見せてくれないと、これからこの目を質に入れようにも、怖くて入れられないじゃないか」
 ファントムは自分の目を指差した。オクスはギョッとした。
「では」
 死の商人は再び奥へ入って行った。
「おい、おまえ、本当に目を売る気か?」
 商人が行ってしまうと、オクスが小声でファントムに訊いた。
「そんなわけないだろ。目が実際にあるかどうか確かめたいだけさ」
「なるほど。じゃあ目があったら、この際あいつをぶん殴って持ち逃げでもするか」
「そりゃまずい。とにかく黙って見てろよ」
 やがて商人が、複雑な模様の描かれた陶製の箱を持って戻って来た。
「これがそうです」
 死の商人は陶器の蓋を取った。中には本当に目玉が二個入っていた。
「本当に生きてるのか?」
「もちろんですとも」
 二人が箱の中を覗き込むと、二個の目玉が動き、二人の方を見た。
「げっ、薄気味悪い。早く蓋してくれ」
 オクスがわめいた。
「やっぱりこれを見て嫌になった。今日のところはやめとくよ」
 ファントムは迷っているふりをした。
「ではいかがでございましょうか、お手頃な値段のものなど? 呪いたい相手を病気にしてしまう。これが一番安くて、金貨百枚。事故に遇わせるのが金貨百五十枚。失敗させるのが金貨二百枚。いかがでしょう、この辺りならお買い得でございますよ」
 死の商人は銅板の目録を取り上げ、一つ一つ指差しながら、熱心に勧めてきた。
「いや、そんなものは要らない。また出直して来るよ」
 二人は立ち上がった。
「そうですか。それは残念」
 死の商人も立ち上がり、陶製の箱を持って奥に入ってしまった。
 ファントムとオクスはそっと商人のあとをつけた。次の間も同じような部屋だった。死の商人は更に奥の戸を開けて行ってしまった。二人は部屋に入り、奥の戸を開けて覗いてみた。戸の向こうには薄暗い廊下が続いていて、両側には扉がいくつもある。商人は扉の一つを開けて入って行った。
 しばらくすると出て来た。もう陶製の箱は手にしていない。それから薄暗い廊下の奥へと消えて行った。
「あの部屋だ、きっと」
「質草を置いてあるんだな」
 二人は忍び足で廊下を歩いて行き、商人が箱を置いていった部屋の戸をそっと開けた。その部屋はかなり奥行きがあり、壁の蝋燭に灯が燈っている。奥の壁には棚が何段もあり、その上には様々な陶磁器が載せてあった。
「きっとあれだ」
 二人はそっと棚に近づいて行った。 ところが部屋の真ん中まで来た時、急に足元の感覚がなくなった。下へ下へと落ちて行き、ドボンっと音がした。二人とも床に仕掛けてあった落とし穴に落ちたのだ。
「大丈夫か?」
 オクスが声をかけた。
「ああ、何とか」
「やられたな。思った以上にしたたかな野郎だぜ、あの死の商人は」
 穴の底にはファントムの胸の辺りまで水が溜まっていた。やけに足元が柔らかい。古井戸のようだ。水が冷たい。上の方に部屋の灯りがある。鼻につーんと来る臭いがする。
「早く出ようぜ、こんなとこ。これじゃあ凍え死んじまう」
「でもどうやってあそこまで登る? かなり高いぞ」
 ファントムは穴の口を指差した。するとそこに人影が顕れ、じっと底を覗いていた。
「ヒッヒッヒッ、また酢漬けの材料がやって来たわい」
 影はそう言うと、上からザアーッと壺に入った液体を流し込んだ。
「畜生! こりゃほんとに酢だぜ。とんでもない、漬物にされてたまるか!」
 オクスがわめいた。
「待てよ」
 ファントムは足の下にある柔らかい物を引き上げてみた。
「わあっ!」
 死体だった。
「じゃあ、俺たちの足の下にある物はみんな……」
「そう、酢漬けになった人間たちだ。ヒッヒッヒッ」
 人影は無気味に笑うと、穴の口に蓋をした。穴の中はたちまち真っ暗になった。
「おい、早く出ようぜ、こんなとこ」
 オクスは壁を叩いたり、蹴ったりしたが、
「駄目だ。堅くてびくともしない」
 ファントムは短剣を抜き、壁を削って穴を空けようとした。
「何してるんだ?」
 音を聞きつけてオクスが尋ねた。
「穴を掘って、よじ登るんだ」
「そんな悠長なことしてる間に、本当に酢漬けになっちまうぜ」
 二人は真っ暗な井戸の底で考え込んだ。
「明日になったら、俺たちもうふにゃふにゃになっちまう。おまえ、俺の肩に乗れ」
 ファントムはオクスの肩の上に乗った。
「まだまだ届かない」
 オクスは両手にファントムの足を乗せ、更に高く持ち上げた。
「駄目だ。全然だ。ちょっと待てよ」
 ファントムはもう一度短剣を抜いた。ドワロンの言葉を思い出したのだ。『そうなると思えばそうなる』、そう言ってドワロンは石畳に剣を本当に突き通した。ファントムは心の中で念じた。
(必ず突き刺さる!)
 そう念じながら、井戸の壁に短剣を突き立てようとした。しかし期待とは裏腹に、短剣は空しく石の壁に弾かれた。
「やっぱり駄目か。そう簡単にはいかないな。せめて宝剣を持って来ていればなあ」

 二人は冷たい水と酢に浸かったまま、しばらくじっとしていた。
「もうたまらねえ。酢漬けの死人と一緒にいるなんて、気持ちが悪くなってきたぜ」
 オクスが大声を上げた。
「まだ諦めるな。考えれば何かいい方法が浮かんでくるはずだ」
「方法ったって、もう出尽くしちまったぜ」
 ファントムはしばらく何か考えていたが、咄嗟に足元の死体を引き上げた。
「何してるんだ?」
「ここに沈んでる死体は、たぶん質草を取り返しに来て、俺たちと同じようにこの井戸に落ちた犠牲者たちだろう」
「きっとそうだ」
「じゃあ、道具か何かを持ってたかもしれないぞ」
「なるほど」
 二人で井戸の底の死体を探る。
「剣みたいな物があったぞ」
「こっちにはロープがあった。そうだ、弓矢を捜してくれ」
「よし来た」
 二人は更に井戸の底を探った。
「弓があった」
「矢はないか?」
「たぶんあるはずだ。……あった、あった」
「よし、これで何とかなるぞ」
「一体どうする気だ?」
 ファントムはロープを手探りで解き、四本に切った。
「矢にロープを結びつけてくれ。しっかりと、抜けないように」
 四本とも矢に結びつけると、
「もう一度肩の上に載せてくれないか?」
「なるほど」
 オクスにもファントムの考えがわかった。ファントムは弓に、ロープを結びつけた矢をつがえた。
「弓は使えそうか?」
 オクスが下から訊いた。
「大丈夫だろ。巧く天井に突き刺さるように祈っててくれよ」
 ファントムは暗い中で、弓を穴の蓋辺りへ向けて矢を射た。ドカッという音が井戸の底に響く。ロープを引いてみる。
「巧くいったようだ。次は二本目だ」
 そうやって四本とも矢を射た。
「四本ならまず抜けないだろう。じゃあ、登って蓋を開けて来るから待っててくれ」
「頼むぜ」
 ファントムは四本のロープを伝い、上まで登った。
「結構蓋は重そうだぞ」
 四本のロープを結んで足掛かりを作ると、腰から短剣を抜き、蓋を突いてみた。蓋は木でできていて、突いていると穴が空いた。そのまま蓋に裂け目を入れてから叩き割った。
 穴の口に這い上がると、ファントムは耳を澄ましてみた。何も音は聞こえない。どうやら気づかれていないようだ。
「待ってろよ」
 穴の底のオクスに呼びかけると、ファントムは矢の立っている蓋の残りをひっくり返し、ロープを二本ずつ繋いで穴の底に垂らした。
「よし、上がって来い」
 ファントムは穴の外でロープを握り締めて踏ん張った。オクスがロープをつかんでよじ登り始めた。ところがその途中で背後の扉が開いた。ファントムはギクッとして、ロープをつかんだまま振り向いた。骸骨が二体、手に棍棒を持って飛びかかって来た。
「わっ!」
 咄嗟にファントムは転がって身を交わした。
「わあー」
 ファントムがロープを放したので、途中まで登って来ていたオクスがまた井戸の底に転落した。
「畜生、ふざけんじゃねえ! しっかりロープを握ってろ!」
 オクスが穴の底から怒鳴った。
「すまん。突然お客さんが現れた。もうちょっと酢の中に浸かっててくれ」
 ファントムは腰から短剣を引き抜いた。骸骨はまたもや棍棒で打ちかかってくる。だがいかにも弱い。ファントムは身を交わすと、一体を短剣で打ち、棍棒を奪ってもう一体も叩きのめした。骸骨はバラバラになった。
「ふん、弱すぎて相手にならないや」
 と見ていると、たちまち骨がくっついて、骸骨は元の体に戻ってしまった。また打ちかかってくる。
「畜生、化け物め!」
 ファントムは棍棒をビュンビュン振って、骸骨を再びバラバラにした。
「今度は元に戻れないようにしてやるぞ」
 そう言うと、棍棒を振って骨を叩き砕いた。ところが、所々欠けてはいるが、骸骨はまた元に戻ってしまった。
「このくたばり損ないめ!」
 このままではきりがない、とファントムは少し周りを見回してから考えた。
「おいオクス、上がって来れるか?」
 穴の底に向かって呼ばわると、返事が返ってきた。
「何言ってんだ。ロープは穴の底に戻って来てらあ」
「じゃあ、弓でロープを天井に向かって飛ばすんだ」
 またファントムが骸骨を砕いている間に、オクスが穴の底から矢を射てきた。矢は天井に刺さった。ファントムはロープをつかんで矢を天井から引き抜くと、
「いいか、これから骸骨をそっちに叩き込むから、そうしたらすぐにロープをつかんで上がって来い!」
 ファントムはそう穴の底に叫ぶと、元に戻りかけている骸骨を棍棒で叩いて、二体とも穴に蹴落とした。ロープを持って踏ん張ると、オクスが上がって来るようだ。ところが、穴の底に落ちた骸骨の片一方が元の姿に戻り、ロープをつかんで壁をよじ登っているオクスの足をつかんできた。
「畜生、この骸骨野郎! 何しやがるんだ、往生際が悪いぞ。放せっ、放せったら!」
 オクスは片足で骸骨を蹴飛ばした。ガシャッと壁に叩きつけられ、骸骨は壊れた。その隙にオクスはロープをつかんでどんどんよじ登り、やっと穴の口まで上がって来た。
「畜生、てこずらせやがって!」
 二人は割れた蓋を井戸の底に投げ込んだ。
「いくら死なないからって、上がっては来れないだろう」
「そこで骨の漬物にでもなっちまいな!」
 オクスは穴の底に向かって叫んだ。 それから二人は少しの間座り込んでいた。
「やれやれ、酢漬けにならずに済んだぜ」
「早いとこ逃げ出そう」
「おっと、こんな目に遭わされて、黙って帰れるかってんだ」
「無茶すんなよ。相手は魔物か何か、得体の知れない奴だぞ。それよりこんな目に遭わされたお返しに、あの四人の目玉をもらってこうじゃないか」
「そいつはいい考えだ」
 ファントムとオクスは床に気をつけながら、奥の棚に歩み寄り、陶器を探った。
「おい、ここにちょうど四角い箱が四つ並んでるぞ」
 陶製の箱を開けてみると、どれにも目玉が二つずつ入っていた。二人は箱を抱えて部屋を出た。そっと廊下を進み、入口から二つ目の部屋に入った。誰もいない。更に進んで入口の部屋に入った。
「いないぞ」
 二人はそのまま入口の扉を蹴り開けて、外へ飛び出した。それから人通りの減った通りを歩いて宿に戻った。
「明日ぐらい、あの四人はここに着くんじゃないか」
「まあ、それぐらいかな。でもあののろさだから、遅くなるぜ、きっと」
「町の入口で待っていて、目を返してやろう。それから寺院へ行かないと」
「ああ、もちろんだ。だいたいこんな物、俺は持っていたくねえよ」

 翌朝二人は朝食を済ますと、武器と目玉の入った陶製の箱を持ち、モンテへ向かう街道の入口へ行った。道端の石の上に腰を下ろして、車曳きの四人が来るのを待った。しかしなかなか現れない。たまに他の旅人が通りかかるだけだ。
「あーあ、あいつら一体どこを歩いてるんだ。せっかくいい物を用意して待ってるっていうのに」
 オクスはあくびをした。
 しばらくすると、町の方からゴブリンが四人、ひたひたと近づいて来た。各々手に抜き身の段平を提げている。オクスは傍らに置いてあった戦斧を引き寄せた。
「おいっ、そこにある陶器を四つとも、おとなしくこっちに渡してもらうぞ」
 ゴブリンの一人が言った。オクスとファントムは立ち上がった。
「渡さんと言ったら?」
「殺して奪うまでだ」
「死の商人に傭われたのか?」
「うるさい。さっさと渡せ!」
 そう叫ぶや、四人のゴブリンが一斉にかかって来た。
 オクスが斧を打ち下ろした。ゴブリンは段平で受けたが、力負けしてそのまま頭を割られた。ファントムも腰の宝剣を抜いた。一合、二合と打ち合い、三合目にタイミングをずらして素早く出すと、ゴブリンの段平が間に合わず、袈裟懸けに斬れた。その間にオクスは二人目の首を飛ばしていた。
 残ったゴブリンは怖じ気づいて、町の方へと逃げて行った。
「へっ、寄越すんだったら、もうちょっとましな奴を選んで寄越せよ」
 オクスが斧の刃についたゴブリンの血を拭いながら言った。しかしその時また、後ろの岩陰から黒装束の剣士が一人、姿を現した。顔も黒い布で覆っている。
「何だ、てめえも死の商人の手先か?」
 オクスは再び戦斧を構えた。
「違う。たった今、貴公の手並みを見せてもらったが、なかなかの使い手とお見受けした。願わくは、私と一勝負してもらえぬか?」
 黒装束はオクスに挑戦してきた。
「おまえ、何もんだ?」
「名などない。一介の剣士」
 言うや、黒ずくめの男は腰の太刀を引き抜いた。
「命が惜しくはないのか?」
「命など惜しくない」
 刃をオクスに向けて身構えた。
「それじゃあ、相手になってやる」
 オクスも戦斧を振り上げた。不意を突いてやろうと、サッと大上段から素早く黒装束に振り下ろした。黒装束は素早く身を交わし、太刀を薙いでオクスの胴を狙った。オクスはそれを柄で受けた。しかし次の瞬間には、斧の先に付いた槍先で、黒装束の肩を突いていた。黒装束はそれに気づいて身を交わそうとしたのだが、一瞬遅かった。黒装束の男は苦痛のために太刀を取り落とした。それを見てオクスは戦斧を引いた。黒装束の男はうっと呻いて肩の傷口を押さえた。
「てめえの腕じゃあ、近いうちに殺られちまうぜ。もうむやみに人に挑戦するのはやめな。口じゃ何とでもカッコいいこと言えるが、殺られちゃそれまでだ」
 剣士は恥じ入り、太刀を拾うと町の方へと消えて行った。
「次から次へとおかしな奴ばかり現れて来るもんだぜ」
 オクスは斧を置くと、ごろっと地面に転がった。陽射しがきつい。
「ああいうことをして何になるんだろう?」
「えっ?」
「今の剣士さ」
 ファントムが言うと、
「おまえだって剣士じゃないか」
「そうじゃなくて、ああいうふうに誰にでも試合を挑むのを趣味みたいにして、何になるっていうんだろう?」
 ファントムの問いに、オクスはしばらく考え込んでいるようだった。
「趣味か。そうだな。あいつにとっちゃ趣味なんだろう。ほら、前にも言ったろう、この世界じゃあ、貧しい家に生まれて変に誇りなんかを持ってたりすると、冒険者になっちまうんだって。有名になりたかったり、金が欲しければ、それ以外に商売はないのさ。まかり間違えば命を落とす。成功する奴はほんの一握りだ。でもそれしか道はないのさ。それが嫌なら、あくせく働いて辛うじて食ってくだけで一生を終えるか、盗みをやるか。でも盗みだって命懸けだしな」
 ふうんと言ったが、ファントムにはまだ納得がいかない。
「その三つの道しかないんだろうか?」
「ないね。例えば募兵に応じて兵士になったとする。だけど軍で出世するのに必要なのは腕じゃなくて、金を使ったり、いい家に生まれたかどうかってことだ。貧乏人はいくら頑張ったって、二十年もやってせいぜい十人の隊長で終わりだ。それ以上にはなれない。
 それじゃあ、盗みでうまうまと大金をせしめて他の町に逃れ、その金を元手に大きな商売でもしようと考えたとする。ところがこれができないんだ」
「なぜだ?」
 ファントムにはこの世界の仕組みがあまり理解できていない。
「どの町にもギルドがあるからさ。ギルドに大金を払わねえと、儲かる商売のできる店は持てねえ。だからこの町にもたくさんいるような、屋台とか行商人とか、その程度にしかなれないんだ。だいたい今いる大商人たちは、ほとんどみんながみんな、昔、大戦争があって町が荒れ果てたあとに、いち早く商売を始めた奴らばかりだ。ところが平和になってくると、新しい奴らに自分たちの市場を奪られるのを嫌がって、同業者間でギルドを作った。ギルドは大儲けした金の一部を、国王や町の統治者に納めるようになってるから、国や町はギルドを保護しようとする。だから新しく儲けようなんて考えるのは益々難しくなってきてるんだ」
「きみはいろいろと考えてるんだなあ」
 ファントムはこの世界のことなどより、むしろオクスの方に感心した。
「俺は肉屋のおやじの奴隷から開放されようと、いろんな人に聞いたり、自分で考えたりして方法を捜したんだ。でも最後にはやっぱり冒険者しかなかったみたいだな」
「結局甘い汁は吸えなかったって訳か」
 オクスはその言葉に頷いた。
「ああ。だけど平和は長続きしないぜ。そもそも戦争がないのを平和って呼ぶのは、統治者や、金持ちや、今の生活を守りたいって思ってる奴らだけだ。貧乏人は不満だらけさ。でも力がないから何もできない。ところがそんな貧乏人の中から、たまたま口の達者な指導者が現れたりすると、不満のある者たちが結集して、暴動や内乱が起こる。烏合の衆でも数が多けりゃ大した力になる。巧くいけば革命になって成功することもある。
 タウという町は、昔はどっかの公爵領だったんだが、革命が起こって公爵一家は処刑された。俺の生まれるずっと前の話だ。ところがどうだい、巧く実権を握った革命の指導者は、結局権力を手にすると、甘い汁だけ吸うようになった。今の総統はその孫だ。美味しいとこ一族で独り占めよ。
 公爵だろうが革命の指導者だろうが、何も変わっちゃいない。ただ呼び方が変わっただけさ。貧乏人も貧乏人のままよ。革命で死んだ奴が損しただけだ――俺の本当の爺さんが、俺のガキの頃毎日言ってた。人間なんてそんなもんさ。三十年苦労しても、たった三日富貴な暮らしをすると、三十年の苦労なんて忘れちまう。二度と昔の生活には戻りたくなくなっちまう。偉いと思われてる奴だって、実際は普通の奴と何ら変わりないさ。そいつは運が良かっただけなのさ」
 オクスは吐き捨てるように言った。
「戦争とか革命も近いうちに起こるんだろうか? ガブリエルが予言してるように」
「冒険者が多いってことはな、それなりの腕を持った奴らが、それだけあちこちにごろごろしてるってことだ。さっきの黒い奴の腕でも、町の兵士ぐらいなら五、六人は殺せるぜ。もしそいつらを半分でも集めたら、ダフネとかエトヴィク程度の国ならさっさと陥とせるな。アルバなんて、半日で攻め陥とされちまうだろう。
 オーヴァールが強いのは、デロディア王が身分にこだわらずに、腕や才能で軍人や政治家を登用するからだ。逆にダフネやアルバやその他の小国が弱いのは、家柄だけにこだわるからだ」
「へーえ、オクス、きみはなかなか頭がいいんだなあ。世の中を見る目ってもんがあるじゃないか。力ばかりの暴れ者だとばかり思ってたけど」
 ファントムがしきりに感心してみせると、
「よせやい。俺は自分自身の腕だけが上がれば満足なんだ。知恵はおまえに任せるぜ」
「知恵? 俺こそ知恵なんて持ってないさ。腕も大したことないし」
「いいや、俺はしばらくつき合っててわかったんだが、おまえには人並み以上の知恵があるし、腕はまだまだだが、上達が早い。世間でよく言う天才って奴かもしれないぞ。まあ、文字が読めないのは残念だけどな」
 それを聞いてファントムは笑った。
「よせよ。そこまで言うと皮肉に聞こえてくるぞ。それより、そうだ、それさ。ここの文字を教えてくれ。早く覚えたい。やっぱり文字がわからないと、とても困るよ」
「それじゃあ、教えてやろう」
 オクスは小石を拾って、土の上に文字を書いていった。ファントムはそれを真似て、一生懸命に覚えようとした。

 夕方になって、すっかり待ちくたびれた頃、やっと車曳きの四人が街道に姿を見せた。オクスはうたた寝している。ファントムは文字を地面に書いて覚えている。車輪の音が聞こえてきた。
「おい、オクス、四人がやって来たぞ」
 ファントムがオクスを起こすと、
「よう、待って、待って、待ちくたびれちまったぜ」
「あなたは?」
 四人の一人が訊いた。
「昨日、街道の途中で会っただろう?」
 ファントムが言うと、
「ああ、あの時の。昨日は大変お世話になり、金や食べ物まで下さり、本当にお礼の申しようもございません。あなた方のように親切な方々に出会ったのは、私どもが目を失ってから初めてでございます」
 四人は頭を下げた。
「親切ついでにいい土産を持って来たんだ」
 オクスは目の入った陶製の箱を指差して言った。とはいえ、目のない四人に見えるはずもない。
「これから寺院へ一緒に行こう」
 そう言って、ファントムは一人の手を取った。
「いえいえ、早く店に戻らないと、主人にどやされて棒でぶたれます。
 その車曳きは首を大きく振りながら、とんでもないと言わんばかりに後ずさりした。
「じゃあ、そんな店はもう辞めちまいな」
 オクスは焦れったくなって言った。
「何をおっしゃいます。あなた方は主人の怒りをご存知ないのです」
「いいから、すぐに済むよ。そしたらそんなことで悩まなくても良くなるんだ」
「そうさ。なんならそんなわからず屋の主人なんか、俺がとっちめて、ギャフンと言わせてやるぜ」
 ファントムとオクスは四人を無理やり一輌の車に乗せて曳いて行った。寺院への道を男の子に教えてもらいながら、二人はどんどん車を引っ張って行った。
 寺院に着くと、寺男に言って取り次いでもらう。若い修道士が一人出て来た。訳を話すと、修道士は司教を呼んでくれると言う。
「お布施の方はお一人につき、金貨二十枚ほど頂きとうございます」
 そう言い残して、修道士は司教を呼びに行った。
「ちぇっ、たけえな。足りねえぜ」
「盗賊の宝石を売ればいいじゃないか」
 ファントムは懐から革袋を取り出し、一人で繁華街へ行った。宝石商を見つけ、宝石を見てもらうと、
「小さいのは金二十五ってとこですねえ。大きい方は百で買い取りましょう」
 結局大きいのを一粒売った。ファントムは金の入った革袋を受け取ると、急いで寺院に戻った。寺院では既に用意ができていた。
「蓋の内側に名前が書いてあるぞ」
 オクスが名前を呼んで、四人にそれぞれ陶器を渡した。
「一体、何なのでございますか?」
 目のない四人はまだ何事が始まるのかわかっていなくて、不安そうにしている。
 やがて司教が姿を現し、ある部屋に入って行った。中は真っ暗だ。修道士がその部屋に一人ずつ伴って行く。四人とも部屋に導くと、修道士は扉を閉めた。ファントムは修道士に金貨百枚の入った革袋を手渡した。修道士は手を合わせた。
「そろそろ行くか。また礼をしたいなんて言われちゃ面倒だぜ」
「そうだな」
 二人は寺院を出た。
 やがて部屋の戸が開いて、司教と四人が出て来た。四人は眩しさに目を塞いだ。
「見える、見えるぞ!」
 四人は手を取り合って喜び合い、司教に何度も礼を言った。修道士が経緯を話した。四人はファントムとオクスを捜そうとした。
「既にここを去られました」
 修道士がそう言うと、四人は寺院の外へ向かってひれ伏した。
「きっとあのお二方は、神がこの町で最も不幸な者をお救いになるためお遣わしになられた、天のみ使いに違いあるまい」
 司教が言うと、修道士もその言葉に頷き、二人して跪き、手を合わせた。

「あの人たち、千年も生きられるんだなあ。何だか羨ましいや」
 寺院を出ると、ファントムが言った。
「でも目が見えなくちゃ、千年がそのまま生き地獄だぜ」
「もう懲りて、二度と死の商人なんかと取り引きしたりしないだろう」
「きっとそうだ。それにしても千年も生きると、本当に人生に飽きちまうだろうなあ」
 言うと、オクスはぐっと伸びを一つした。
「でも……」
 ファントムが浮かぬ顔をする。
「どうした?」
「あの死の商人の館には、他にもたくさん陶器が並んでたよなあ。取り引きした者は他にもたくさんいるんだ」
「そうだろうなあ。だけど俺たちにゃあ、四人助けるのが精一杯だぜ」
 オクスは眠そうに大きなあくびをした。
「そうだな。それに……」
 それに、たとえいくら助けたところで、あの館の奥の一部屋からは、陶器の数がいつまで経っても減ることがないに違いない、とファントムには思えてくるのだった。空を見上げると、雲が茜色に染まっている。二人は夕暮れの中を、宿に向かって歩いて行った。




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