13.モナリザは生きていた! 日本語を知らない日本人


    5月28日 晴 プリー

 今日は何もしていない。と言うより、ここのところずっとこんな調子で、観光客の義務を果たしていない。そろそろ日本に帰れということなのかもしれない。朝と夕に浜へ行ったが、すぐ帰って来た。ここには本当に何もない。うんちが落ちてるだけだ。よくこんな所に何週間も何ヶ月も滞在していられるツーリストがいるものだと感心する、と言うか呆れる。ホテルに四日分も前払いして後悔した。前払いしたからいなければならない。こういうところも貧乏性だ。金があり余ってたら、ホテル代を無視してさっさと先へ行くことだろう。
 ところがオーナーがやって来て、部屋を替えてくれると言う。ついて行ってみると、旧館の方で、部屋が広くなった分、更にぼろくなったが、真ん前が浜の漁村で、その向こうに海が見える。バルコニーからの眺めはいい。ここならなんとかあと二日いられるだろう。
 ついでにオーナーは、
「プレゼントをくれ」
 と言った。
「なんでだ?」
「友達だろ」
「友達? 俺に友達はいないけど」
 ふん、おまえと友達になった覚えなんかないや。『友達』はたかり屋の慣用句の一つだ。それでも暑くていらないので、「靴をやろう」と指差すと、オーナーは泥のこびりついた靴を見てから、
「そいつはいらないよ」
 贅沢な奴め。それなら、と捨てようと思っていたコヴァーラムで買ったサングラスを思い出し、リュックから取り出した。
「これ以上の高級品は俺は持ってないな。これを特別にあんたにやろう。友達だからな」
「これならもらっといてやろう」
 偉そうに言うと、たかり屋オーナーはサングラスを引っつかんでとっとと部屋から出て行った。


    5月29日 晴 プリー

 なんだかこの部屋は臭いなあと思っていたら、どうやら敷き布団が臭うみたいだ(インドの安宿には掛け布団はない)。そこで敷き布団をバルコニーに広げて干した。窓ガラスなんか割れてなくなっているので、泊まり客がいない間は猫のトイレになっているようだ。
 オーナーが朝っぱらからまたやって来たかと思うと、
「昨日のサングラスはシンガポール製の安物だったよ」
 と非難めいた口調で言う。
「ああそうかい」
「20ルピーでしか買ってもらえなかったぞ」
「だからなんだい」
 睨みつけてやると、へらへらと笑いながら出て行った。ここではもらったプレゼントを翌朝には叩き売って金に換えてしまう仲のことを『友達』と呼ぶみたいだ。
 することがないうちに両替でもしておこうと、地図で銀行を見つけて行ってみた。ところがプリーの銀行は両替ができなかった。そこで「オーナーの妻が日本人」と虎ノ巻に出ているホテルに寄ってみた。ちゃんと『両替』と看板も出ている。
 フロントにいた男に訊いてみると、「キャッシュでなきゃ駄目だ」ときた。なんだ、闇両替か。しかしもうドル紙幣はほとんどなかった。ならば、ここの奥さんは日本人なんだったら、「日本円のキャッシュではどうだ?」と試しに訊いてみたが、「ドルでなきゃ駄目だ」ちぇっ、役立たずめ。
 帰りは道に迷った。今日はついてない。暑くてたまらないので、店を見つけては入り、ひっきりなしに何か飲んでいる。その辺で遊んでいた子供に道を教えてもらったが、バクシーシを要求しなかったので感心した。そんなことぐらいで感心するのもどうかとは思うが。
 見覚えのある辺りまで帰り着いた頃、通りがかりのリクシャー・ワーラーがいきなり、
「日本人は駄目だ! 日本人は嫌いだ!」
 自転車をこぎながら僕の方を向いてわめき散らしてきた。何なんだこの野郎、とムッとしたが、考えてみると、顔まで覚えていないが、おととい僕を乗せてきた奴なのだろう、きっと。
「日本人は悪い、悪い!」
 通り過ぎてからも、振り返ったままずっと罵り続けている。何をそんなに怒り狂ってるんだろう。ナイーブな僕にはどうしていいのかわからない。罵られるようなことは身に覚えがない。とりあえず、
「失せろ!」
 と一声、中指を立てて挨拶を返してみると、ワーラーは黙って去って行った。(註:よく知らない土地でいきなりこういう丁寧な挨拶をすることはお薦めできませんので、よい子のみなさんは真似しないようにしましょう)
 ここは本当に二種類の人間にはっきりと分かれているのがわかる。金、金、金、と寄って来る奴と、全くそういうのに毒されていないのとだ。このプリーには何もない、と全く期待していなかったが、ここは人間模様が面白い。

 しつこく誘われたので、晩めしはホテルの近くのバンブー・ハウスで食うことにした。誘われたと言っても、もちろん只で食わせてくれるわけではない。この店の主は話好きみたいで、料理している時以外はずっと僕の所に来て話している。人の話を聴くよりは自分の話を聞かせたいようだ。お陰で情報を得ることはできた。
「プリーの海では海蛇に咬まれて毎日誰かが死んでるんだぞ」
 毎日ってことはないだろうが。元々汚い海だったので泳ぐつもりはなかったが、これを聞いて泳ぐ気は完全になくなった。
「フランス人のカップルが浜辺に金を置いたまま泳いでて、置き引きされたんだって」
 一緒にチャーイを飲んでいたオーストラリア人の巨大な青年が言った。
「それはきみか?」
 念のために訊いてみると、
「うん。こらこら、俺じゃないってば」
「金を置いたまま泳いでるってよく知ってるなあ」
「俺じゃないよー」
 主はお構いなしに勝手に喋りまくっている。聴いてやると、僕が泊まっているホテルのオーナーの悪口を言っていた。
「昔はいい奴だったんだが、金儲けに走るようになって、人が変わってしまったな」
 確かにろくでもない奴だな、あいつは。二人は幼なじみらしい。とうとう主の話は愚痴と説教ばかりになってきた。オーストラリアの巨人は退散して行った。僕も説教趣味のある料理人からそろそろ逃げ出すとしよう。
 バンブー・ハウスを出ると、星空がとても綺麗だった。今にもはらはらと星が落ちて来そうだ。これだと昔の人が星座を思いついたのがなるほどと納得できる。星と星をつなぐ線まで見えてきた。ただ僕は天文には詳しくないので、それが何座なのかはさっぱりわからない。インドでは日常茶飯事だが、ちょうど停電で辺りは真っ暗闇だ。近くのホテルまで手探りで戻ると、入口にいる守衛が手を取って部屋まで連れてってくれた。
 停電が直ると急に星が見えにくくなってしまった。日本で都会と言わず、よほどの田舎にでも行かない限り綺麗な星空が見えないのは、空気が汚れていることもあるだろうが、人工の光がどこにでもあり、片時も真っ暗闇になることはないという要因もきっとあるのだろう。
 停電が直ったと言っても、僕の泊まっている部屋は相変わらずドラキュラが住み着いていそうな廃屋の一部屋に変わりはない。昼間オーナーが新しい客に部屋の中を見せて回っていた。先客の僕がいるのに、そんなことは少しも気にしていない。その客が泊まると言ったら、また僕を他の部屋へと移す気なのか。やはりろくでもない奴だ。
 しかしその二人の客は部屋のあまりのあばら屋さ加減に呆れて出て行ってしまった。こんな浜辺の吸血鬼の館に泊まれるなんて滅多にないことなのに、なんとも風情というものがわからない人たちだなあ。


    5月30日 晴 プリー

 今日も特に何もしていない。一所に長くいると駄目だ。疲れを癒すつもりが、余計に疲れる。精神的なものなのだろう。
 ここのインド人たちには妙な名前が多い。凄いと言うべきなのか、それともふざけていると言うべきなのか、あのバンブー・ハウスの説教主は『シヴァ(ヒンズー教の神の名)』という。他に『ガネーシャ(象の頭をしたやはりヒンズー教の神の名)』もいる。親が下手に神様の名前なんかつけたものだから、他人を見つけては説教ばかり垂れているではないか。
 その説教シヴァ神に今日もまた捕まった。本業のバンブー・ハウスはそっちのけで、またおしゃべりだ。神に逆らうとあとの祟りが怖いので、仕方なくおつきあいしていると、よくこの辺りをうろついている小さな女の子が今日もまたうろついているのを見かけた。
「おい、ジャパニー」
 神様が小汚い女の子に向かって言った。女の子はこちらを向いた。
「ジャパニーって、どう見てもインド人だけど?」
「あの子の名前が『ジャパニー』なんだよ」
「へーえ……」
 凄いと言うべきか、ひどいと言うべきか、返答に困る。『ジャパニー』はそのまま『日本人』の意味だ。だからこっちに来て地元のインド人から、「おまえは何人だ?」と尋ねられると、「ジャパニーだ」と日本人である僕は答えるのである。
 親がよほどの日本びいきなのかもしれないが、だからって我が子にこんな名前をつけることはないだろう。これが日本なら、「鈴木インド人」「田中アメリカ人」「佐藤ロシア人」「山田中国人」などと役所に出生届を出していることになる。
 それとも日本人観光客たちを見ていて、「あんな日本人みたいにお金持ちになって欲しい!」という願いを込めて名付けたのかもしれないが、そうだとしたらそれは大きな誤解である。本国に戻るとまたひもじい生活に逆戻りする僕みたいな『ジャパニー』もまた『ジャパニー』なのだということがわかっちゃいないようだ。
「ジャパニー、ジャパニー、こっち来い」
 シヴァがからかうようにジャパニーを呼んだが、しばらく黙ってこっちを見ていたジャパニーは、逃げるようにちょこちょことどこかへ走って行ってしまった。神様のお説教を恐れて逃げてったのかもしれない。
「あいつは日本語が全然わからないんだ」
 シヴァが笑って言う。そりゃそうだろう。たぶんあの子は成長するにつれ、日本人嫌いになるのではなかろうか。そんな気がする。

 ホテルに戻り、バルコニーに出て浜を見ていると、今度は中学生のモナリザがやって来た。それでしばらくモナリザとお喋りして過ごす。このホテルのあの強欲オーナーの妹で、『モナ・リザ』は本名なのである。しかし兄とは似ても似つかず、休みなのに(こっちでは今はちょうど日本の夏休みに当たる時期)友達とも遊びに行かず、部屋で本を読んで過ごすのが好きだというおしとやかなお嬢様だ。
 そうしていると、目の前の広い砂浜にはスラムがあるのだが、子供たちが集まって来て、下で何か言っては手を出している。するとその声を聞きつけた魔女がたちまち現れて、箒にまたがり、じゃなくて、杖を振り回しながら怒鳴り声を上げてガキどもを追っ払いにかかった。
 この魔女はモナリザのお祖母ちゃんで、どう見ても魔女だ。モナリザによると、八十九歳だという。片目は潰れているし、真っ白のぼさぼさの髪に、着ている物といい、やっぱり魔女に違いない。吸血鬼の館にはやはり魔物が住み着いていた。
 部屋に戻ってからも、いつまでも魔女の怒鳴り声が聞こえてくる。最初は使用人だとばかり思っていた。廊下でごろ寝しているし、キュウリを切ったり、掃除したりしている。めしを食う時も廊下に座り込み、こぼした米を拾ってはまた皿に戻し、それをまた食っている。
 言わばこのホテルの『ご隠居』のご身分なのだが、孫二人ともそれなりにいい暮らしをしているというのに、これがこの人のライフ・スタイルなのだろうか。やっぱり魔女に違いない。それとも化け物屋敷に住み着いている山姥か。
 廊下や中庭で魔女に出会うと、魔女は歯の抜けた口で僕に話しかけてくる。僕に向かって早口で何か言っているが、さっぱりわからない。たぶん呪文を唱えているのだろう。一応こちらも何か言ってみるが、わかっているのかいないのか、何を言ってもうんうんと納得し、それからけたけたと笑う。魔法を使い、僕の言っていることを解読しているのかもしれない。でも、笑えるような話は一つもしていないんだけどなあ。そこでモナリザに尋ねてみると、「お祖母ちゃんはオリッサ語しかわからないよ」だった。
 そう言えば、マハーバリプラムへ行くバスに乗り込んで来たあのしたたか婆さんも片目だった。片目の婆さんは強者揃いだ。それとも、強者だから喧嘩っ早くて、若い頃から度々喧嘩しているうちに片目を失くしてしまったのかもしれない。あり得る話だ。


    5月31日 晴 プリー 〜 コナーラク

 朝、モナリザとお別れをした。婆ちゃんは例によってオリッサ語で一方的に喋っては、一人で納得している。リザが「来年また来る?」と訊いてきた。「イエス」と嘘をつくことはできなかった。再びインドに来ることはたぶんないだろう。記念写真を撮り、「送るよ」と言って、話をはぐらかしてしまった。彼女は金がらみでなく話をした数少ないインド人の一人だった。
 インドに来て発見した法則の一つに、『聖地は俗地』というのがある。『聖地』と言われている所には必ず、そこを訪れる観光客、巡礼者にたかる金の虫がたくさん湧いている。食べ物を放っておけばいつの間にかハエがたかってくるように、金にたかってくる奴らがたくさんいる。
 これは別に聖地に限らず、人が多く集まって来る所には自然にそういう奴らも寄り集まって来るわけで、だからインドに限ったことではないのだろうけど、このプリーにも金に汚い奴が多い。異教徒はここの寺院には入れないので、聖地で観光地と言っても、特に見るものはない。それでもなぜか外国人観光客の数は多い。ブッダ・ガヤーしかり、バラナシしかり、カジュラーホーしかり。金を持っている奴が多ければ、それだけそれを頂こうとする奴らの数も多くなるのは当然なのかもしれない。
 だけどプリーには人なつっこい人も多い。観光地ずれしていると言ってしまえばそれまでだが、他とはちょっと違うような気がする。同じ村人の中にそういうたかり屋みたいなのがいることに嫌悪感を抱いている人もいる。
 インド人の信仰は思っていたほど大したものではない。大脳の中を読めるわけじゃないから偉そうなことは言えないが、地にひれ伏して神像の前で拝んでいた奴が、祈りが済むと、次の瞬間には観光客を騙しに行くのだ。たぶん、「今日もたくさん儲かりますように。馬鹿な客が引っ掛かりますように」とでも神に祈っているのだろう。
「インドは奥が深い」とよく言う日本人のインド通がいるけれど、どこまで知ってそう言っているのだろう? あるいは何を指してそう言っているのだろうか? 確かに建築物は壮麗で、美術品の作りは手が込んでいる。日本と比べてスケールが違う。人の態度も大袈裟だ。
 だがそれは形ある物だけの話で、精神的なものや内面はそれに比例しているとはとても思えない。寺へ行くとその門前に聖者がいたことがあるが、何をしているかと言うと、他の乞食たちと同じように物乞いに寺までやって来ているのだった。「わしはサドゥー(修行者)だ」と言いながら、「バクシーシ」と地面を這いながら僕の足に取りすがってきた時には何とも興醒めのする思いだった。
 所詮、人間は人間に過ぎない。霞を食って生きてけるようにはなれないみたいだ。向こうから恵みがやって来なければ、自ら進んで恵みを乞いに行かなければならない。自分で金を稼げなければ、もらうか、盗むか、奪い取るか、騙し取るかしかない。
 聖者と呼ばれる者であってもそうなのだ。ましてや普通の人間なら、自分で稼げなくなれば、その性質により、この四つのうちのどれかを選ぶことになるのだろう。そうでなければ餓死してしまうしかない。今日コナーラクに着いてスーリヤ寺院を見ていると、もちろん素晴らしい大建造物と大量の彫刻には違いないのだが、反面、そんなことも考えてしまった。
 つまり、精神的なもの(形としては目に見えないもの)を重視できない、または信じられないからこそ、形ある物に手を掛け過ぎたのではなかろうか。精神を重視できない者ほど形式を大仰にしようとする。大建造物を建てた者はそうであろうが、また逆にそれを破壊しようとする者もいる。しかし大建造物を造らせるにしろ破壊させるにしろ、それを重視しているという点ではどちらも同類には違いないだろう。
 日本においても僕の経験上、統計的に思えることは、物とその代名詞である金にばかりにこだわる奴らは心の薄い奴らばかりだった。さりとて、今の世の中で物と金にこだわらないでいると、前に述べた『地面を這う聖者』になってしまうのかと思うと、それはそれでやりきれない気もする。
 インドに来るとはっきりわかるようになった(それとも旅行者にさえなればはっきりわかるようになるのかもしれない)こととは、外国人旅行者は金持ちだと見なされているから僕に人が寄って来ただけで、思い返してみると、それ以外の理由で向こうから能動的に寄って来た奴はいない。これを旅行していないふだんの生活に当てはめてみても、結局は同じことなんじゃないかということだ。
 旅行者には金という利用価値しかないので、そういう奴らだけ寄って来るが、ふだんの生活ではそれ以外にも利用価値は発生している。その自分の欲求を満たしてくれる何らかの利用価値があると思ってその者は寄って来るのであり、利用価値なしと思われればその者は寄って来なくなる。そう考えると、僕は、いや、もしかしたら人間全部が非常に孤独な生き物だなあ、と虚しく思えてきたのだった。
 それにしても、今泊まっているホテルのじじいのボーイにはムカつく。このホテルの従業員は概して態度が横柄で仕事がいい加減だ。このコナーラクも観光地で、たぶん住民より観光客の数の方が多いと思う。ここが最後の目的地で、次にカルカッタに戻ると、インド半島一周が成るのだが、僕は結局インドで『楽園』を見つけ出すことはできなかった。
 まあ、僕が求めた『楽園』などは、地球上には存在しないのかもしれない。それはそれでいいのだ。それだからこそ物語が生まれてくるのだから。『最後の楽園』はきっと、人の心の中に存在するのだ。
 今日で五月も終わり。インドも残すところあと六日となった。とにかく生きて日本に帰ろう。なぜなのかという理由はない。きっと本能がそうさせるのだろう。


    6月1日 晴のち薄曇 コナーラク

 今日は考古学博物館へ行き、あとは外郭からスーリヤ寺院を見た。午からはめしを食いに行っただけで、その後は本を読んだりしてごろごろしていた。あまり動き回るとそれだけ金も消耗してしまう。明日の十時に銀行が開くまで倹約しなければならない。
 しかし思い返してみれば、インドに来てからケチったこともあるし、ちょっとパァーッと使ったこともあるが、倹約というほどのことも、贅沢というほどのこともしなかったように思える。習慣の違いで少し不便に感じることはあっても、これが僕の普通の暮らし方なのだろう。ただ、働いていないので体がなまるし、時間を持て余してしまう。日本にいる時にはあり得なかったことだ。
 参道の入口にある小さな土産物屋の少年と仲良くなった。土産物屋と言っても、棚に土産物を並べて道端に出している露店だ。これから雨季になって大雨でも降って来れば、一発で売り物が台なしになってしまうに違いない。十九歳の兄と十四歳の弟二人で店をやっている。この子たちは素朴でいい。土産屋臭くなって欲しくないと思う。
 インド人男性の若者の年齢は見た目ではわからない。小学生くらいにしか見えないのだが、十代後半だったりする。中学生くらいかなと思っていたら、もう二十歳を過ぎてたりする。それで二十代半ばくらいに見えるので三十代かなと思うと、やっぱり二十代半ばだったりする。
 女の子はだいたい見た目通りだが、この国では女性はほとんど出歩いていない。年頃の女性は特に外では見かけない。この国で街の人混みの中を歩いていると、人口の九割以上が男なんじゃないかなんて思えてくる。男子校みたいな国だ。
 しかし女性は大人になると急激に老け込む。『インド美人』といって有名だけど、それは特別な人のことで、女っぽいのがあまりいない。三十になるともうばばあだ。こんなこと書くと女性読者から袋叩きに遭いそうだけど。インドでは「太っているほど美人」だという価値観があるそうで、それだからか、インド人女性は結婚したらぱくぱく食ってぶくぶく太るみたいで、太ったおばさんが多い。まあ、結婚して子供ができると恥も外聞もなくなるのは日本人も同じか。


     6月2日 晴 コナーラク 〜 ブバネーシュワル 〜

 昨晩は土産物屋の少年との約束をすっぽかしてしまった。あの子が通っているアシュラム(道場)を見に行くという約束をしていたのだけれど。カナラ・バンクは両替一つにいつまでも待たせるから、途中で嫌になって出た。
 ホテルをチェックアウトすると、ブバネーシュワル行きのバスがすぐに来たので飛び乗った。バスが動き出してから気づいた、あの少年に謝るの忘れてた。いつもこんな調子だなあ。
 オリッサのバスはのろい。客の乗り降りで時間がかかりすぎる。ブバネーシュワルで降ろされた所がこれまた街の外れで、リクシャーにバス乗り場まで連れてってもらうことにする。
 その前に両替しなければならない。リクシャー・ワーラーのおっちゃんは両替屋の場所を知らないみたいで、往ったり来たりして訊き回ってもらい、何とか辿り着くことができた。今日両替ができないと、野宿する羽目になっていた。ここは両替率が凄くいい。手際もいい。おねえさんの愛想もいい。あっと言う間に両替が終わった。
 それから一応駅へ行ってもらったが、また大行列だ。例によって列車はやめてバス乗り場へ行く。ワーラーのおっちゃんにはチップまで奮発してやった。ついでにコーラも奢ってやる。両替した日は給料日みたいなもんだ。パァーッと使いたくなる。日本円にするとたかが210円だけど。
 このバスが乗り込むとまたすぐに出発。インド一周の土壇場になって拍車がかかってきたようだ。カタックへの道を通るのは三度目だ。もう景色も覚えてしまった。カタックから乗って来た隣の席のあんちゃんが鬱陶しい。自分勝手に動き回り、喋りまくる。
 十五時二十分にブバネーシュワルを出発したが、明日は本当にカルカッタに着くのだろうか? 馬鹿げた疑問だけど、なぜだか信じられない。とてもインド半島を一周して来た気がしない。念のために車掌に訊いてみたが、朝五時に着くと言った。



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