14.さらばインド! 伊井田褐太虎に会う


    6月3日 晴のち雨 〜 カルカッタ

 まだ暗いうちに目が醒める。オレンジ色の街灯の光に照らし出されている夜明け前の街並みは、どれもこれも知っている風景ばかりだ。カルカッタに戻って来たのには違いない。ハウラー駅の南から回って橋を渡り、中心街の方へ南下。朝五時前に到着。
 しかし今まで行った所は地図上では位置がわかっていても、バスから降りた時は右も左もわからない。いつもリクシャー・ワーラーたちに、「ここはジャイプルか?」「ここはコーチンか?」などと訊いていた。本当にインド半島を一周して来たのだろうか? 「実はこの近辺をぐるぐるぐるぐる回っていただけだ」と言われても、「やっぱりそうか」とそれならそれで納得してしまいそうで、実感が湧かない。
 ともかく、三ヶ月前に初めてインドに入ったスタート地点と同じ景色がまたここにあるということは、僕のインドの旅ももう終わりということには間違いないだろう。
 いや、まだ難関が残っていた。リコンファームだ。何度電話しても誰も出ない。もう一つの番号に電話したら話し中。やっと出たと思ったら、知らない言葉でいきなりわわわわーっとわめかれ、そのままプツッと切られてしまった。
 インドで電話する時は、安旅行者は電話屋に行くのだが、自動ではない。使い終わってからメーターを見て、店番の人に料金を払う。僕のホテルの近くの電話屋は、お人好しの若い息子が店番している時はいいのだが、意地悪そうな母親が店番している時は、つながらなくても話し中でも一々使用料を取りやがる。
 本当に誰なんだ、こんな悪いこと最初に考えついた奴は? 普通は乗ると予約しているのだから、それをキャンセルするなら連絡するものだろう。格安航空券だからオーバー・ブッキングしているというのは航空会社の身勝手な理屈じゃないか。何月何日に乗ると予約しているものを「やっぱり乗ります」って間際になって知らせなければならないとはふざけてる。
 いや、『やっぱり乗ります連絡』があんまり間際になりすぎると、今度は満席になって乗れなくなってしまうかもしれない。急がねば。しょうがないから空港まで行くことにする。空港へ直接行けば確実だろう。
 こんなことにタクシーを使うのはもったいないから、ダムダムまで地下鉄で行き、そこからバスに乗り込んだが、待てど暮らせど発車しない。かなり経ってから乗客たちがぞろぞろと降り始めた。隣のバスが先に出ると言う。くそーと思いながらも乗り換えたが、こっちもちっとも出る気配がない。やっとエンジンをかけたかと思ったら、しばらくしてまた切ってしまった。忘れていた、ここはインドなのだ。
 待っているうちに五時半になってしまったので、諦めて引き返すことにする。バスの中でじりじりしながら待っていると、向かいの席に女の子が座った。凄い美女だ。歳は二十歳前くらいだろうか。目が釘づけになる。どれくらい美女かと言うと、一生に三人くらいしかお目にかかれない超美女だ。超美女は全身からオーラを発していて、目は釘づけになって離せなくなるものの、体は金縛りを食らってとても近づくことなどできないのだ。
 この超美女を見たあとは、しばらくはこの世からブスがいなくなる。こんなこと書くと女性読者から袋叩きに遭いそうだけど、本当なのだ。つまり、超美女を見たあとはしばらく、周りにいる美人もみんなブスに見えるようになる。美人もブスもおしなべて皆平等にブスにしてしまう力を超美女は持っている、言わば博愛主義の実践者のようなものなのだ。
 リコンファーム事件のため、カルカッタ観光が一日ふいになってしまったが、今日は『超美女』を見にダムダムまで来たということにしておこう。あとは野となれ山となれだ。いや、帰りの便に乗れなかったら非常に困る。もし乗れなかったら、ハイジャックしてやる。
 サダル・ストリートまで戻って来ると、サルベーション・アーミーの前にいたインド人が声をかけてきた。「戻って来たのか?」と訊くので、三ヶ月前に一泊しただけなのによく覚えているなあと驚いた。日本に三回行ったことがあるそうで、日本語が少し話せる。
 行きがけにも声をかけていたようだったが、その時は急いでいたし、どうせ麻薬売りだろうと思って無視した。ところが今実際に麻薬を売ろうとした。
「また安く売ってやるよ」
「俺はやってないよ。誰かと勘違いしてるんだろ」
「○○○」
「俺は○○○じゃない」
 やっぱり人違いだ。三ヶ月前に一泊だけした客を覚えているわけがない。ところがそんなことはお構いなし、「コーラ飲め、奢りだ」と近くの店で買って来た。喉が渇いていたので一応飲んだが、只でもらってろくなことはなかろうと、いらないと言う男の手に無理やり金を押しつけた。
 すると今度は「紅茶を買わないか」と来た。紅茶はお土産に買って帰ろうと思っていたので、「じゃあダージリン・ティー売ってるとこに連れてってくれ」と頼んだ。連れてかれた所はニュー・マーケットの裏口にあるお茶っ葉屋だった。
 麻薬男はお茶っ葉を両掌ですくい取ると、口をつけて「ふううぅー!」と思いっきり息を吹きつけた。「ほらいい香りだろ」と自分で匂いを嗅いでから僕の顔の前に持って来た。確かに紅茶の香りがする。しかし目の前で息を吹きかけられた物が買えるか。値段も安くない。ニュー・マーケットは一見大衆市場みたいに見えるけど、ちっとも安くないのだ。「高いから買わない」と言ってすぐに引き返した。

 ホテルに戻るとボーイが「ドル両替するよ」と言う。ブバネーシュワルでしたばかりだけど、現金21ドル残ってたので、ちなみに「いくら?」と訊いてみると、10ドル札だと1ドル=37ルピーで、100ドル札だと1ドル=38.5ルピーという高値だ。すぐにしてくれと言って20ドルを740ルピーに替えてもらった。
「なんでそんなにレートが高いの?」と訊くと、
「ブラック・マーケットだからだよ」
「だからなんでブラック・マーケットだと高いの?」
「ブラック・マーケットだと10ドルにつき10ルピー儲かる。奴らが香港やシンガポールに持ってってもっと高く売るのさ」
 わかったような、よくわからない説明だけど、なぜ闇両替が存在するのか納得した。要するに銀行や両替商といった正規の両替の方が手数料をたくさん取っているということだろう。ウダイプルのホテルで替えてもらった時も、やはり100ドル札の方が10ドル札の方よりレートが良かったから、あれも闇だろう。
 どっちにしたって僕には関係ない。レートが良ければそれでいい。儲かった気分だ、うっしっし。でも結果的には帰りに空港でルピーをまたドルに戻すのだから、手数料を二度取りされただけのことだ。その米ドルをまたシンガポールの空港で乗り継ぎ待ちの間に使ってしまおうとシンガポール・ドルに替えたのだから、馬鹿なことしてる。
 しかし1ドルだけは替えずに持って帰った。アメリカの1ドル札は面白いのだ。表はワシントンの肖像画で、これは普通だが、裏面のデザインが謎に満ちている。右側は鷲、これはアメリカの象徴なのでわかる。右足でオリーブの枝をつかみながらも左足では矢の束をつかんでいるところはいかにもアメリカらしい。
 謎なのは左側に描かれているピラミッドだ。なんでアメリカなのにピラミッドなんだ? おまけにてっぺんが宙に浮いていて人間の一つ目がくっついている。フランス語か何かが書かれているが、僕には読めないので意味不明。不気味なデザインだ。(かなりのちになって気がついたのだが、このピラミッドの絵は『ベルサイユのばら』の中にあるのだ。フランス人権宣言か何かのとこで描かれていたので、実際にそういう絵があるのだろう。アメリカの独立は当時イギリスと敵対していたフランスは後押ししたから、例えば有名なニューヨークの自由の女神像もフランスが独立祝いにプレゼントした物らしいから、そっち系のつながりなのだろうが、それにしてもやはりなんで一つ目のピラミッドなのかはさっぱり意味不明。まあ解明しなくても別に困りはしないんだけど)
 もう帰りをここで待っているだけで、特別にすることはないので、本でも読もうかと朝に古本屋を覗いてみたが、どれもこれも滅茶苦茶高い。ぼろぼろの文庫本でも120〜200ルピーくらいする。見ているうちにわかってきたが、値段は本の厚さにほぼ比例しているみたいだ。「これはSサイズだから120ルピー、こっちはMだから160ルピー、このちょっと分厚いのはLだから200ルピーにしとこう」こんな値段の決め方のようだ。
 日本の文庫本の表紙には値段が印刷されている。表紙のあるやつを見てみると、元の値段より高くなっているではないか。定価500円の本が200ルピー(700円)で売られている。ここの店主は印刷されている数字は単なるデザインだと思っているのかもしれない。文庫本は骨董品や酒みたいに古くなると値が上がるとでも思っているのか? それとも手垢がついたり湿気を含んでふやけたりして元よりも分厚くなった分、200円値上がりしたのか? 当然のことながら、読書で時間をつぶすのは中止となった。
 夜、涼しい風が吹いてきて、間もなく雨が降ってきた。凄まじい豪雨だ。おまけに雷も鳴りだした。インドの雷は近いので怖い。急いで窓を閉めようとしたが、ここは300ルピーの部屋なのだけれどぼろホテルで、窓を動かすと外れ落ちてしまいそうだ。そうしてやっとこさ閉めたのはいいのだが、窓ガラスがあちこち割れていてなくなっている。これなら閉めても閉めなくてもおんなじだ。今は運良く風向きが逆みたいで雨が吹き込んでこないけれど、今夜眠っている間に浸水したらどうしよう。
 インドの雨季も体験してみたいと思っていたからいいんだけど、リコンファームもしなきゃならないのに、明日起きた時に洪水になっていたら大変だ。面白いけど大変だ。ここは二階なのでまさか溺れ死ぬことはないだろうけど、路上生活者は大変だろう。いつも雨季の時はどうしているんだろう?
 するとその破れ窓から何かが飛び込んで来た。猫だった。インドは動物の宝庫だけど、意外にも猫は珍しいのだ。こいつは人に馴れているみたいで、早くも「ごろごろ」と言いながら僕の足にじゃれついてきた。大雨だしすることもないので、しばらくつま先でお相手致そう。


    6月4日 晴 カルカッタ

 目が醒めるとすっかり晴れていた。どうやら土左衛門にならずに済んだみたいだ。猫ちゃんもいつの間にかいなくなっていた。カルカッタの犬や猫は人なつっこいし、みんなおとなしい。プリーの犬は人に向かってよく吠えていた。それに比べて一見イノシシに見える野良豚はとても臆病で、近寄るとすぐ逃げてしまう。そんな野良豚の群に混じって男が一人、ゴミの山を必死にあさっているのを見た時は驚いた。人目なんかちっとも気にしている様子がない。凄いなあ。
 今朝はチョーロンギー通りを歩いていると、エア・インディアの事務所があり、シンガポール・エアラインズのマークも貼ってあったので、中に入って訊いてみると、「ここはエア・インディアの事務所だけど」と言いながらも、係のおじさんが早速番号を調べて電話してくれた。そして、
「ホテル・ヒンドゥスタン・インターナショナルにあるそうだよ」
「ありがと」
 そのまま歩いて行ってみると、途中からたかり屋の若者がくっついて来た。なんだかんだ言いながら頻りに媚びへつらってきたが、「あっそ」と軽く受け流した。とうとうホテルの前までへばりついて来た。
「俺はここで用事があるから、バイバイ」
 と言って別れようとすると、
「母親が病気で薬を買いたいんだ」
 本題を切り出してきた。この手の輩は必ず家族が病気と決まっている。
「うるさいなあ」
 と10ルピー札を押しつけてホテルに入って行った。
 ここは高層ビルの高級ホテルだ。建物の入口にいるドアマンに「やあ」と言って入って行こうとすると、ドアマンの一人が僕の姿を見とがめて「ちょっと待った」と行く手を遮る。僕のTシャツ、短パン、ビーチサンダルという恰好をじろじろと眺め回す。
「入っちゃいけないのか?」
「ぞうり履きは……うーむ……」
 渋い顔をする。今さっき出て来た西洋人の泊まり客らしいおじさんも似たような恰好してたじゃないか。「この野郎、邪魔すんじゃねーよ。さっさと道を空けやがれ」と腹の中では思いながらも、
「ここに急用で来たんだよ。間に合わないと大変なことになるかも」
 とニコッと愛想笑いして言うと、
「うーむ……まあいいでしょう」
 と通してくれた。
 あったあった、シンガポール航空。狭い事務所の中に三人しかいなかったけど、非常に感じがいい。航空券を取り出して、すぐにリコンファームしてもらった。ついでに電話番号の紙を出し、「これとこれがカルカッタの事務所の番号だけど、つながらなかったよ」と印刷してある番号に下線を引いて見せると、「これは間違ってますねえ。××××××番ですよ」と言って正しい番号を書いてくれた。今更書いてもらっても意味ないんだけど。結局日本の旅行会社が間違った電話番号を印刷していたのだった。
 ホテルから出ようとするとさっきのドアマンが、
「急用は間に合ったのか?」
「間に合ったよ。サンキュー、サンキュー」
「そりゃ良かったなあ」
 と全員と握手してお見送りしてもらった。何なんだよ、一体。
 それにしても、インドまで来てわざわざこんなインドっぽくない高級ホテルに泊まる奴もいるんだなあと思った。カルカッタに滞在するなら、たとえ同じ値段だとしても、高級ホテルより、汚くてぼろい安宿を選ぶべきだ。何しろここはカルカッタなのだから。
 とは言いながらも、もし只でインド旅行が当たって「どっちに泊まる?」と言われたら、やっぱり高級ホテルコースを取るだろうな。僕は貧乏性だから。
 さて、やることはやった。あとはうっかりしない限り、日本へ帰れないということはあるまい。いや、油断禁物。何しろここはインドなのだから。鬼が出るか蛇が出るか? とりあえず一安心ということで、三ヶ月前からずっと行きそびれていたインド博物館へ行くことにする。
 ところがホテルの出口の所にはまだあのたかり野郎が待っていた。
「薬は100ルピーするんだよ」
「だったらこんなことしてないで、仕事でもしろ」
 冷たく言ってスタスタと歩き出す。今にも泣き出しそうな顔をしながらもまだしつこくついて来たが、ずっと無視していると、途中で諦めてどっか行ってしまった。
 インド博物館の中を歩き回って見終わった時には、エベレスト登山はしたことないけれど、エベレスト登山をしたくらい足が疲れた。そして、木の椅子があちこちに置いてある意味がやっとわかった。どれもこれも誰も座っていなくて、「係員め、どっかでさぼってやがるな」と思っていたが、実は係員のための椅子じゃなくて、途中で疲れた客が座る椅子だったみたいだ。一人掛けの木の椅子なので、てっきり係員が座っている椅子だとばかり思っていたのだ。
 終わりの方にあったエジプトのミイラはちょっとゾッとした。棺の蓋が開けられていて、ミイラがガラスケース越しに見える。生前は王様か何かだったんだろうけど、まさか数千年後に自分の死体が見せ物にされていようとは、思いもよらなかっただろう。ルルドのベルナデッタみたいに腐らない死体ならまだしも、ぼろぼろのミイラじゃ王様も形なしだ。しかしなぜかこういうのに限って、気味悪がりながらもじっくり観察してしまうから不思議だ。
 それにしてもサルベーション・アーミーの従業員たちは、前を通りかかっただけで、またもやいろいろな物を売りつけようとするから鬱陶しい。そのあとは書くのもめんど臭い。
 午は『ジョーズ』という店に入ろうとしてドアを開けると、ひんやりと冷房が効いていた。迷わず入る。入口にいるガードマンに「禁煙か?」と念のために訊いてみると、「OK、OK」テーブルの上を見ると、ちゃんと灰皿が置いてある。さすがカルカッタだ。カルナータカやケーララやタミルナドゥなどの南インドみたいに「冷房室は禁煙」みたいな愚かな真似はしていない。やはり進んでいる。大都市だ。しかし席に着いてメニューを見てから、すぐに外へ出た。高すぎる。
 夜は突如ラーメンが食いたくなり、『香港』へ行った。久しぶりにラーメン食ってやろうと意気込み、間違って焼きそばを注文してしまった。あーあ、焼きそばだったら表の屋台で安いのを食ったのに。でもラーメンと焼きそばと二つも一度に食えないので、そのまま焼きそばを食う。
 インドにもそろそろ飽きが来て、早く日本に帰ってここではできなかったこと(ゲームとか)がしたいなあと思っていたのに、しかし明晩がインド最後の泊まりかと思うと、もうちょっとインドにいたいなあという気がしてきた。今になってやっと、マダム花街の心境がよーくわかるのだ。


      6月5日 晴 カルカッタ

 とうとうインド最後の夜となってしまった。思えば早いものだ。ここに来た頃のことは、遙か昔の紀元前のことのようにも思えるのだが、それでも三ヶ月近くインドにいたという実感がない。インドにいると本当に時間感覚がなくなってしまう。
 午前中にカルカッタ動物園まで歩いて行ったのだが、今日はお休みの日だった。仕方がないのでサダルに戻り、それじゃあ土産でも買おうかと紅茶を売っている店を捜していると、路地裏でぼろっちい専門店を見つけた。
 紅茶にもいろいろと種類があるもんだ。紅茶の良し悪しなど僕にはわからないので、最上のダージリン・ティー三種を300グラムずつで900グラム、計900ルピーと、最低のダージリン・ティー400グラムを200ルピー、合わせて1100ルピー。ぼろっちい店の割には安くない。
 これを一々量って100グラムずつの十三包みにしてもらう。包み紙は同じで何も書いてないので、四種類の色のついた輪ゴムを巻いて見分けがつくようにしてもらった。誰にどれをやるかはまだ決めていない。とりあえず凶山にだけは最低の方を一個やろう。
 しかし日本に帰ってから輪ゴムの色を忘れてしまい、どれがどれだかわからなくなってしまった。そこで味見をしてみて、たぶんこれが最低じゃなかろうかと思われたやつを持って行き、「本場のダージリン・ティーだぞ!」ともったいつけて凶山にやったが、間違ってあれが最上のやつだったら非常に悔やまれる。
 夕方、プラネタリウムへ行った。星空を見たかったのではなく、冷房に当たりに行ったのだ。奇しくも今日の新聞に、太陽系で新惑星が発見されたという記事が載っていた。冥王星の内側で、冥王星の五倍、地球の二百五十分の一の大きさだそうだ。突如湧いて出たのだろうか? こういうのが今頃見つかるというのが不思議だ。宇宙は神秘に満ちている。
 それにしても、サダル・ストリートはやっぱり西洋人と日本人が多い。しかしカルカッタ全体が三ヶ月前と比べ、人が極端に少なくなったような気がしてならない。特に乞食が。デカン高原に送還されてしまったのだろうか?
 カルカッタの良いところは、3K――つまり「汚い・臭い・乞食が多い」だったのに。もしかして「汚くない・臭くない・乞食がいない」の『NO3K』を目指しているのではあるまいか? それならちょっとそれはやめて欲しい。綺麗なカルカッタなんて考えられない。カルカッタは汚い街だからこそ美しいのだから。


    6月6日 晴 カルカッタ 〜

 出発が夜なので、もう一泊分よりはちょっと割引いてもらい、七時までそのまま部屋を使わせてもらうことにした。そこで動物園まで行ってみた。昨日休みだったのにまたぞろ出かけて行くのには理由がある。僕は特に動物好きというほどでもないが、もう見る場所がなくなったというだけでもない。
 動物園は今日はちゃんと開いていた。今日閉まっていたらほんとに怒るぞ。怒っても明日はないのだからしょうがないけれど。ここは活気がない。何がって、動物たちにだ。暑さでみんなぐったりしてしまっていて、猛獣も一声も吠えない。だらーっと寝そべり、今にも熱死しかけている。
 ヒマラヤ熊なんか、日本人が風呂に浸かるみたいな感じで水槽に浸かっている。コブラを初めとする猛蛇たちも、みんな死体のようにピクリとも動かない。まるで作り物を飾ってあるみたいだ。なんとも静かな動物園だ。
 そんな中でただ一人気を吐いていたのが孔雀。ちょうど近くまで来た時、尻尾をパッと扇のように広げた。たちまちインド人の客たちが騒いで集まって来た。孔雀クンはこれ見よがしに人間たちに自慢の扇を見せびらかす。まるでファッション・ショーのモデルのようだ。人が多い方にばかり模様のある方を見せる。僕は裏側だったので、孔雀のケツばかり眺めていた。
 昨日は入れなかったのに、諦めの凄くいい僕がなんでわざわざ動物園などに今日もまた来たかと言うと、白虎を見るためなのだ。今いるのは何代も子孫になってしまってるみたいだが、子供の頃、大阪で万国博覧会があり、その時インド館に来た白い虎を見たことを思い出したからだ(インド館のことはそれしか覚えていないが)。
 いたいた、檻の中に白い虎が二頭いた。傍らの立て札に系図が書かれている。どうやらあの時の白虎のやしゃごに当たるみたいだ。一頭は奥の寝室でぐったりしていたが、もう一頭の方がおもむろに起き上がると、すぐ近くまで来てくれた。
「また逢えたね、白虎ちゃん」
 目の前まで来てくれたのはいいが、暑いのだろう、ひっきりなしに口を開けてあえいでいるし、おまけに眠いのか、あくびも連発する。吠えたりなんかしない。迫力に欠ける奴め。すみませんねえ、たった一人の客のためにわざわざ眠いところをお出まし願いまして。
 このままじっとさせていると熱中症で死んでしまうとまずいので、早めに記念撮影をして切り上げるとするか。カメラを向けるとポーズを取ってくれた。さすがに何百万人か何千万人かに見られた白虎の血を引いているようで、サービス精神に溢れているではないか。それに写真に写りたがるところはやはりインドの虎に違いない。しかし金網が邪魔していい写真が写せない。「金網外せ」と言いたいところだが、本当にそうされると、怖くて近づけないだろうけれど。
 熱帯地方の動物でさえグロッキーなのだから、僕が暑くないはずがない。今日は特に暑いのに、バス代をケチって往復を歩いたので、脱水症状になった。この往復の間に水やコーラ、ジュース、チャーイ、コーヒーなどを合わせて2リットル以上は飲んだ。そのうち2リットルくらいは汗となって消えてしまった。残りがちょびっとおしっこに変わっただけだ。
 四時前にホテルに戻って来ると、また冷たいミネラル・ウォーターを頼む。水がこんなに美味いとは! 1リットルのボトルを一気に飲み干す――とまではいかずとも、上を向いて、次に下を向いた時には、四分の三がなくなっていた。みんな喉の所で蒸気に変わり、シュポーと汽笛が鳴る。今や人間蒸気機関と化してしまった。ワットかニューコメンか誰だったか、蒸気機関作った人、きっとインド旅行中に思いついたに違いない。
 こんな暑い国には住めない。一年も保たずに死んでしまうだろう。インドにいてわかったこと――四季があることはいいことだ。冬が嫌いな僕も、今は日本の冬が恋しい、懐かしい。

 というわけで、いよいよインドを去る時がやって来た。余計な物を買ったりしたので、今ではリュック一つに荷をまとめることは不可能になってしまった。消去法で持ち物を処分していく。上着はもう日本に帰っても夏なので、ボーイにあげる。自分のことだけど、廃品を人にプレゼントするというのは感心しないなあ。まるで花街ママみたいだ。
 タクシーを呼んでもらい、早めに空港へ行く。このダムダム空港の職員はみんな愛想が悪い。それどころか腹が立ってきた。特に非道いのがセキュリティ・チェックの係員たち。インドのコインを持っているのが見つかり、くれと言って取られた。
 インドはルピーを国外に持ち出してはいけないことになっているので、仕方なくくれてやることになってしまったが、取り方がいやらしい。「インドのコインだなあ」と言いながらニヤッとする。どうせ没収した物は自分たちの懐に入れてしまうのだろう。まあ、こういう時のために記念用のルピー一式はリュックの奥深くしまい込んであるのでこれはいい。
 しかしお次は「これはインドの煙草だなあ」と来た。麻薬を密輸しているわけでもなし、煙草は持ち出しちゃいけないはずないだろう――と思いながらもこの空港たかり屋ども、しつこいので面倒になり煙草もくれてやる。全部取られそうになったので、「俺のがなくなるだろう」と言って、四、五人いたたかり係員に一本ずつやり、残りは取り返した。こいつらの感じでは常習犯のようで、出国する外国人たちからことごとくカツアゲしているみたいだ。出国ゲートに盗賊団を配備しているとは、とんでもない国だ。
 他にも両替所のねえちゃんも「さっさとしやがれ!」とムッとした顔つきで客を怒鳴りつけるし、航空会社の職員も、インド−シンガポール間は全席禁煙なのはわかっているので我慢するが、シンガポールから日本までの便の席は喫煙席にしてくれと頼むと、「ない!」と一言、つっけんどんに断られてしまった。荷物の検査では、リュックを「手荷物でいいか?」と訊いたが、「駄目!」と一言。往きは良かったのに。
 煙草も荷物も『いきはよいよいかえりはダメよ!』僕の小さいリュックなんか、荷物受取所で回って来たのを見ると、周囲のドでかいスーツケースの谷間で、リカちゃん人形のポシェットくらいにしか見えないのに……。
 シンガポール航空は「世界一サービスがいい」と評判だったけど、このダムダム空港にはクズ社員ばかり集めているのか? そんなことはあるまい。こういう場所の職員にサービス精神もやる気も感じられないのは、どう働こうと、どうさぼろうと、収入に変化がないからなのかもしれない。この空港で唯一愛想が良かった人と言えば、売店のおやじだけだった。
 後足で泥をかけて帰ってやろうと企んでいたら、逆に後足で泥をさんざんかけられて返される羽目になってしまった。しかしとにかく飛び立って無事に日本に帰り着けば、空港職員のモラルなんてどうだっていい。
 というわけで、さらばカルカッタ、さらばインド。飛行機は飛び立ち、窓から外を眺めると、灯りの少ないカルカッタの夜景が眼下に広がっていた。そこらじゅうで焚火をしているみたいに、オレンジ色の光ばかりがたくさん散らばっている。今昇天したものの、天国行きではなく、また俗世間に帰るのだが、この夜景がまるで送り火のように思える。僕は霊魂か……。
 とても幻想的な光景を目にして、走馬燈のように思い出を脳裏に浮かべながら「さらばインド……」と感慨に耽ろうと思っているうちに、飛行機は四時間でベンガル湾を飛び越え、さっさとシンガポールに着いてしまった。あっけない……。インドの夜行バスでの苦しみを忘れてしまいそうだ。


      6月7日 晴時々曇 〜 シンガポール 〜

 往きは一日が二十八時間だったが、昨日は一日が二十一時間だった。たった四時間飛行機に乗っただけだが、シンガポールに着いたのは七時間後で、前日の夜出発し、翌日の夜明け前に着いたかと思うと、しばらくして早くも空が明るくなってきた。今度は時計を三時間進める。往きはこの逆の行為を忘れて失敗したなあ。
 シンガポールはただの乗り継ぎ地点なのだが、明日にならないと日本には帰れない。往きは一日でも、帰りには足かけ三日を要するのだ。『いきはよいよいかえりはながい』そういうわけで、今日は夜明け前から夜遅くまでずっとこのチャンギ空港で時間つぶしすることになる。空港で働いた経験はないので、丸一日空港にいるというのは滅多にできない経験だろう。そういうふうに前向きに考えることにしよう。
 とは言うものの、いてみてわかったが、この空港はとても快適な空港なのだ。こういう僕みたいな乗り継ぎ客のために寝椅子がたくさん備え付けられていて、眠りたければここで寝る。寝不足だったので、ここで寝たり起きたりしていた。赤道直下だけどずっと冷房の中。この三ヶ月あり得なかったことだ。煉獄から天国へと旅したダンテの気分。
 しかしこの空港は結構暇つぶしができる。とりあえずウインドウ・ショッピング。だけど僕は買い物にはあまり興味がないのですぐに終わってしまった。CD屋には日本の歌手のCDがたくさんある。僕の知らない今時の歌手ばかりだけど。僕よりはシンガポールの若者の方が日本人歌手をよく知っているだろう。
 その店で『ミスター・ビーン』を流していたので、立ち見する。これは前に見たことがあるやつだけど、面白いので見ながら笑っていると、いつの間にか人が集まっていた。いろんな国の人たちがいたが、この番組は台詞がほとんどない喜劇なので、英語ができなくてもわかる。そうしていると、どこの国の人でも笑う場所は同じだということがわかってきた。当たり前と言えば当たり前なのだろうけど、それでもみんな同じところで笑うのが妙に意外な感じがした。
 買い物はしないが、乗り継ぎ便を待っているだけと言っても、丸一日近くいると、飲み食いもするので金が必要になる。そこで残りのドルをシンガポール・ドルに両替する。ドルを持っててもしょうがないからそうしたのだが、ここは日本円のレートが良く、ドルに替えて持って来ると、かえって手数料分損することになる。僕なんか円をまず米ドルに替え、それをインド・ルピーに替え、その残った分を米ドルに戻し、さらにこの空港での小遣いとしてシンガポール・ドルに替えているから、両替屋を儲けさせすぎてしまったではないか。
 それをまた日本に帰ってから円に戻すのも馬鹿々々しいので、ここで使い切るつもりで、スーパーかコンビニみたいな店に入る。ここにはシンガポールの妙ちくりんな食品がいろいろとあったので、謎の食べ物をたくさん買い込む。
 それでもやはり半日も空港でつぶせるはずがない。ここはど真ん中に一つだけある喫煙ルームでしか煙草を吸えないから、しょっちゅうそこに行く。足がくたびれてきた。ここは煙が濛々として、不良外国人の溜まり場みたいになっている。しかしこの国では虐げられた民になるので、親近感が湧くのか、知らない者同士で話しかけたりするようになる。
 極端な人など、離れた喫茶店でコーヒーを頼み、コーヒーカップをわざわざここまで持って来て、煙草を吸いながら飲んでいる。とか言いながらも、僕もそれを見習って真似してたけど。
 そもそも日本を出るまでは、この帰りの長い乗り継ぎ待ち時間を利用して、半日シンガポール観光をするつもりでいた。そのために『○○の○き方・シンガポール』まで持って来ていたのだ。実のところ、インド二種、弓外クンにビールと物々交換してあげたネパール、そしてこのシンガポールと、四冊も『○○の○き方』を持ち歩いていた。使ったのは一冊だけなので、ネパールは別としても、無駄なことをしてしまった。
 ところがここに来て、もう半日シンガポール観光をする気がなくなった。インド旅行のあとということもあり、今さら外務大臣ばりのせわしない観光なんかする気になれなかった。おまけに半日だろうとこの国では入国税を取られる。最大の理由は、このシンガポールは汚い国インドとは正反対に、きれい好きの国で、それどころか潔癖性の国と言った方がいいだろうか。
 空港でさえ煙草を吸うのに不自由を感じるのだが、シンガポール本土に出るともっと凄いらしくて、吸い殻をポイしたら罰せられるどころか、ホテルの個室はともかく、そもそも煙草を吸える場所がないみたいだ。この国で『喫煙喫茶(妙な言葉だとは思うが)』を開いたら繁盛するに違いない。こういうきれい好きの国はいい国なのかもしれないが、僕の性には合わない。だいたい入国したところで、はてどこへ行こうかとなった時、行きたい場所などここにはないのだ。
 もう一つ、入国しなくても、乗り継ぎ待ちの客のために、シンガポール航空のバス連れ回しサービス・ツアーがあるけれど、これは五谷クンが参加したそうだが、バスから出られないし、窮屈なだけだったそうだ。それで空港内でうだうだしているうちに、時は必ず過ぎるもので、搭乗時間がやって来た。インドでの当てもないバス待ちに比べたら短いものだ。そういうわけで、今これを搭乗待ちのロビーで書いている。
 ここには日本人客が多いので、日本行きの便は日本語でアナウンスしてくれるのだが、その日本語がおかしい。日本人は集団になるとたちまち粗野になる習性を持っているようだ。早く乗ろうとゲートに押しかけようとする。それでまたアナウンスがあった。
「搭乗時間になればお知らせしますので、それまでお腰を掛けてお待ち下さい」
 どうーっと一斉に笑い声が上がった。僕も笑ってしまったが、みんな笑ったということは、ここにいるのはほとんどが日本人なのだ。それからもぺちゃくちゃとひっきりなしに喋ってその辺を歩き回り、騒がしい。
 昼間もレストランで、日本語で注文して通じないので腹を立て、店員に日本語で文句を言っているおやじを見かけたが、ほんとにうんざりしてきた。「日本の常識は世界の非常識!」デリーのレストランで花街ママが言ってたっけ。「自分のことは棚に上げて何を言う」と思っていたけど、今さらながら的を射た言葉だなあと思う。
 同じ日本人の一人として、インドの空港職員のマナーのなさをとやかく言う資格はないなあと思えてきた。あまりにも日本人のマナーが悪いので、インドの空港職員も日本人客に対してはサービスする気が失せてしまったのかもしれない。
 しかしそんなことは僕にとってはどうでもいいことか。別に日本代表でインド旅行をしたわけでもなし。


(インドぼられ日記/おわり)   





  カジュラーホーの覗き牛



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