8. ミ ロ ク と 夜 叉 王



 廊下を足音が進んで来て、鉄格子の前でやんだ。
「出ろ」
 牢番は扉の鍵を外した。良平は寝転がったまま起き上がらなかった。
「どうやって出ろってんだ?」
 全身を鎖でぐるぐる巻きにされている。牢番はニタッと笑い、牢の中に入って来た。鎖を解き始める。
「今度はどこへ行くんだ?」
 牢番は良平の質問には答えずに、彼を牢の外へと押し出した。地下牢から外へ出ると、砦の庭にはオニビが立っていた。珍しいことに、新しい銀色の鎧の上に、織物の着物を羽織っている。
「もう治ったのか?」
 良平が尋ねると、オニビは黙って頷いてみせた。そこには馬車が停めてあり、オニビは良平に乗れと合図した。オニビに続いて馬車に乗り込むと、馭者が掛け声を上げ、笞を振った。ミュータント馬たちは嘶き、炎のようなたてがみを風にたなびかせながら走り始めた。
「どこへ連れてくんだ?」
 オニビは良平の横に座ったまま、一言も口をきかない。
「なんだ、だんまりかよ。俺もここの奴らには嫌われたもんだな」
 オニビは良平の方を向いたが、すぐにまたプイッと前を向いてしまった。
 砦を出た馬車は、瓦礫の山ばかりが続く景色の中を縫って行く。道が悪くて、馬車はガタガタとよく揺れた。やがて崩れた寺の門前まで来ると、馬車は停まった。
「ここは寺か?」
 良平が訊くと、オニビは黙ったまま小さく頷いた。
「かなり壊れてるな。ここで何する気だ?」
 そこから少し歩くと、また崩れた門の跡があった。そこでは戦士たちが番をしていた。
「しばらくお待ち下さい」
 戦士たちは良平とオニビを止めた。見てみると、門の跡の向こうの方に半壊した堂が見え、その下にたくさんの戦士たちが居並んでいた。
「増長天は悪魔サタンと立派に戦い、惜しくも死を遂げた。増長天に対し哀悼の意を表すと共に、その勇気を讃えよう」
 堂の上でこちら向きになっている帝釈天が言った。
「しかし四天王は一人も欠けてはならん。就いてはこの聖地に於いて、今ここに新しく増長天を選ぶことと致そう」
 戦士たちはざわついた。
「ドクロもオロチも既に死んでおる。ならば順序からして、イカヅチかオニビということになりますな」
 頭に様々な獣の耳を二十ほどつけ、墨のように真っ黒い顔をした多聞天が、帝釈天の方を向いて言った。
「オニビは女だ。四天王にはなれぬ」
 真っ赤な顔をした持国天が、四本の腕で腕組みしながら言った。
「ならばイカヅチしかおらぬ。イカヅチ、出でよ」
 真っ白な長い毛に顔じゅうを覆われた広目天が、自分の手で毛をかき分けると、十数個の目が顕れた。広目天はその目で戦士たちを見渡した。
「イカヅチはどこじゃ?」
「ははっ、これに」
 堂のすぐ近くでイカヅチが跪いている。
「待て」
 帝釈天が大声を上げた。
「くだらん猿芝居見せやがって。俺は帰るぜ。牢屋の中にいる方がましだ」
 そう言うと、良平は立ち去ろうとしたが、オニビが彼の腕を捉えて引き留めた。
「増長天は既に決定しておる」
「とおっしゃいますと?」
 帝釈天は門の方に合図を送った。門の所にいた戦士たちが両側から良平の腕をつかみ、堂の方へと無理やり引っ張って行った。
「何すんだ」
 堂の前まで連れられて行くと、
「新しい増長天じゃ」
 帝釈天が良平を指差して言った。
「おおー!」
 戦士たちが一斉に歓声を上げた。
「新しい増長天様の誕生じゃ!」
 戦士たちは沸き立った。足元に跪いていたイカヅチが顔を上げ、良平を睨んだ。
「一体何のことだ? 訳がわからん」
 良平は呆気に取られ、ただ戦士たちを眺め回していた。帝釈天は両手を上げ、戦士たちを静まらせた。
「就いては、今ここで新しい増長天の婚礼の儀を執り行う」
 また戦士たちがわあっと歓声を上げた。巫女のなりをした女たちがたちまち寄って来て、良平に着物を着せ、烏帽子をかぶせた。
「これへ」
 帝釈天が差し招くと、巫女たちは良平を堂の上へと誘った。
「花嫁!」
 帝釈天が叫ぶ。戦士たちの後ろから、巫女たちに先導され、着物を着たオニビがやって来た。
「おおっ!」
「オニビ様じゃ」
「花嫁はオニビ様じゃあ!」
 戦士たちの間から、笑いに似た歓声が上がった。オニビは堂上まで連れられて来ると、良平の隣に並んだ。
「似合いの夫婦じゃ」
 帝釈天が二人を見て言うと、拍手が湧き起こった。
「おい、ふざけんのもいい加減にしろ」
 良平は呆れてそう言うと、かぶせられた烏帽子を引きちぎり、床に放り投げた。戦士たちはしんとなった。
「おまえは夜叉王様に負けた。約束はこうだったな――夜叉王様に仕えると。忘れたか?」
 帝釈天は穏やかに言った。
「こんなことまで約束した覚えはないぞ」
「これも夜叉王様の思し召しだ」
「勝手なことばかり言うな。俺がいつこんなガキと――」
 良平がオニビを指差すと、今まで顔を伏せていたオニビがキッと良平を睨んだ。
「こっちこそごめんだ、こんな奴!」
 そう言った途端、全身から青い炎が噴き出した。たちまち着ていた着物に火が点き、あっと言う間に燃え尽きてしまった。付き添いの巫女たちは驚いて逃げ出してしまった。
「あーあ、花嫁衣装が焼けてしもた」
「やっぱりオニビ様には鎧の方が似合うとるわ」
 からかいの声と共に、戦士たちがどっと笑い声を上げた。オニビは怒って、並み居る戦士たちに向けて火を放った。
「うわあー!」
 戦士たちは驚いて逃げ惑った。オニビは堂から駆け下りると、炎を上げながら戦士たちを追い回した。
「オニビ様が怒ったぞー」
 全員先を争って門の外へと逃げて行く。
「ううむ……」
 帝釈天は渋い表情になり、椅子の上に座り込んでしまった。
「馬鹿々々しい」
 良平はさっさと寺跡から出て行った。

 翌朝、また牢番がやって来て、鉄格子の扉を開けた。
「出ろ」
「今日は何だ?」
「帝釈天様がお呼びだ」
「まず用件を言え」
 良平はあぐらをかいたまま動かない。
「知るか。早く出ろ」
 良平は舌打ちして立ち上がった。
「全く忙しい囚人だぜ」
 帝釈天の所へ行くと、四天王が集まっていた。
「今日は何の用だ? またふざけたことだったら、俺は牢屋に戻るぜ」
「まあ、座れ」
 大きなテーブルの上には豪勢な料理が所狭しと並べられていた。
「朝飯だ。食うがいい」
「大した朝飯だな」
 そう言いながらも、良平は料理に手を着けた。
「おまえは既に四天王の一人だ。身分に応じた暮らしをするがいい。屋敷も用意した。牢を出て移り住め」
「へーえ、身分に応じた暮らしねえ。これを農奴の時に食いたかったよ」
 良平は帝釈天たちの贅沢を皮肉った。
「馬鹿を言え。身分がなければ、秩序というものがなくなる。世の中が治まらん」
「そんなもんかねえ」
「ここはサタンさえいなければ、平和を保ってやっていけるのだ」
「あんたたち支配者にとっちゃ、そりゃ平和になるだろうな。支配民から心置きなく搾り取れるようになる。あんたたちが欲しているのは統治じゃなくて、独占だろ」
 帝釈天たちは苦笑した。
「用は何だ? 朝飯を食うことか? 他に用がないんなら、帰らせてもらうぜ」
「用はある」
 帝釈天が合図すると、扉が開き、オニビが入って来た。オニビは昨日のことを忘れていないようで、膨れっ面をしたまま、良平とは目を合わせようとしない。
「何をすればいいんだ?」
 良平はそんなオニビを見たまま帝釈天に訊いた。
「ミロクを連れて来て欲しいのだ」
「ミロク?」
「オニビを道案内につけよう」
「オニビはミロクの妹だろ。彼女に頼めよ」
「それは無理だ。ミロクを説得できる者がいない」
「だったら俺にも無理だろう」
「望月はおまえならミロクを動かせるかもしれないと言った」
「望月? なんで望月が?」
 良平は驚いた。望月はこの帝釈天とも深い関係を持っていたのだろうか。
「ミロクに何を頼めばいいんだ?」
「それは言えぬ」
「無茶言うな。何を頼むかも知らずに、どうやって説得すればいいんだ? 土下座してひたすら拝み倒すのか?」
「そんなことをしても無駄なだけだ。ミロクには常識的なことは通用しない」
「常識的? 常識だって?」
 良平は思わず苦笑した。
(おまえたちみたいに異常な奴らの口にする言葉か)
「夜叉王様に敗れたおまえは、夜叉王様に仕えると約束した」
「またそれだ」
「失敗しても責めはしない」
「当たり前だ。無理難題ふっかけて来やがって」
(まあ、することも行く所もなくなったんだし、ミロクとやらがどれだけ変わり者か、見てきてやるか)
 仲間はみんな死に、目標も見失った良平には、半ば自棄になっているところもあった。どうでもいいことだったが、望月や帝釈天がこれほどまで言うミロクという人物に対して、少なからず好奇心も湧いてきた。
「とにかくすぐに行ってくれ」
「今すぐにか?」
 帝釈天はこっくり頷いた。
「ちぇっ、人をこき使いやがって。朝飯ぐらいゆっくり食わせろよ」

 ミュータント馬が用意された。
「こいつに跨ってくのか?」
「険しい山道を通らねばならん。おまえが空を飛んで行けるというのなら話は別だが」
 オニビとつむじ風が馬に跨った。
「おまえよく生きてたな」
 良平がつむじ風に向かって言うと、つむじ風はニコッと笑った。
「おまえは既に菩薩隊の長、四天王の一人、増長天だ。オニビとつむじ風はおまえの命令に服従する。何なりと言いつけるが良い」
「ありがたくて涙が出そうだ」
 仏頂面のままそう言って良平もミュータント馬に跨ると、三人は出発した。途中の道は平坦なものではない。山も越えなければならない。川も渡らなければならない。地割れも断層もある。元々の舗装道などほとんど意味をなしていなかった。オニビはどんどん先を行くが、良平にはついて行くのが一苦労だった。
 夕方になり、山中で小さな集落に行き着いた。ここには寺がたくさんあったが、驚いたことに、どれもこれも完全な状態で残っていた。村全体が綺麗なまま残存していた。
「ここには被害が及ばなかったのか?」
「あっ、オニビ様や」
 通りがかりの住民がオニビに気がつき、村の中を知らせて回った。
「オニビ様や、オニビ様が帰って来なはったで!」
 たちまち住民たちがあちこちから集まって来て、良平たちのあとからぞろぞろとついて来た。
「どうなってんだ、これは?」
 良平は驚いて目を丸くした。
「ここの村人はミロク様の信者ですから」
 つむじ風が良平に説明した。
「なるほど」
 寺からも僧衣を纏った坊主たちがたくさん出て来て、合掌しながら良平たち――と言うより、オニビを迎えた。住民たちはオニビに向かって土下座して伏し拝んでいる。
「これはこれはオニビ様、ようおいで下さいました」
 かなり年輩の僧侶が進み出て来て、両手を合わせたままお辞儀した。
「そちらのお方はどなた様でしょうか?」
 僧侶は良平の方に顔を向けて尋ねた。
「増長天様だ」
 つむじ風が言った。
「増長天様とおっしゃいますと……?」
「前の増長天様はお亡くなりになられた。この方は新しい増長天様だ」
「それはそれは、よろしおました」
「え?」
 つむじ風は首をひねったが、
「いえいえ、何でもおまへん。さ、新しい増長天様、むさ苦しい所ではございますが、ごゆっくりしてって下さい」
 僧侶たちは揃って良平に向かって手を合わせた。
「ゆっくりはしてられないんだ。ミロクの所へ行かなければならない」
「おお、ミロク様の御座所へ!」
 僧侶たちはなぜか経を唱え始めた。
「やれやれ、どうなってんだ?」
「ミロク様は只今お籠もりになられておられます。お出ましになられますまでは、寺にてお待ち下さいませ」
「ここはどこなんだ?」
「高野山にございます」
「へーえ。それで、ミロクにはいつ会えるんだ?」
「お籠もりを終えられましたら、お知らせ致します」
 住民たちの伏し拝むのが済むと、やっと僧侶たちが寺の中へと案内してくれ、その夜はそこに泊まった。
 出された精進料理らしきものを食べ終えると、しばらくじっとしていたが、何もすることもないので、良平は灯りを吹き消し、煎餅布団に潜り込んだ。外で灯が揺らめいて、障子に影が映っている。気になったので、行って障子をそっと開いてみると、暗い中、廊下の向こうの縁側に腰を下ろしている者が二人いた。
「何やってんだ?」
 そこにいるのはオニビとつむじ風だった。
「増長天様の供の者は私たち二人だけです」
 つむじ風が答えた。
「だから何だ?」
「番をしています」
「番なんかしなくていい。自分の部屋へ行ってさっさと寝ろ」
「でもこれが務めですから」
「いいから行けって」
「はあ……」
 良平は寝床に戻ったが、二人の去った様子がない。また障子を開けてみると、二人はまだ座ったままでいた。
「いいか、そこにじっと居続けられても、俺はちっともありがたくないんだ。おまえたちは俺の命令に従うんだろ?」
「はい」
「じゃあ、これが命令だ――今すぐ部屋に帰って寝ろ」
「はい……」
 良平はまた寝床に戻ったが、ふと見ると、やはりオニビとつむじ風の二人の影が障子に映っていた。
「強情なガキどもだ。勝手にしろ!」
 布団を頭からかぶると、そのまま首も出さなかった。

 夜明け前に目が醒め、気になって廊下に出てみると、つむじ風が縁の上に倒れて眠っていた。オニビの姿がなかったので、部屋に戻ったのだろうと思ったが、縁側に立って庭を見回していると、そこに誰か剣を手にして立っているのに気づいた。
「オニビか?」
 良平が声をかけると、オニビは振り返った。
「何やってんだ?」
 オニビはまた向こうを向いた。
「あのな、おまえが番をしてくれるのはありがたいが、あることがあって、俺はもう、ちょっとやそっとじゃ死なない体になったんだ。わかるか? おまえのしてることは無駄なのさ。俺は無駄なことはしない主義だ。そんな決まりがおまえたちの間にはあるのかもしれないが、これからはやめちまえ。四天王なんてクソ食らえだ」
 良平は縁側から降り、オニビの後ろまで行くと、彼女の肩に手を置いた。オニビは体をギュッと固くして、震えた。
「ほら、風邪ひくぞ。俺はゆっくり寝たからもう目が醒めた。今から朝まで寝ておけよ。俺が代わりに番をしてやる」
 良平はそう言うと、伸びを一つしたが、オニビはパッと良平の顔を見るなり、そのまま走ってどこかへ行ってしまった。
 明るくなると、僧侶が朝食の膳を運んで来た。
「今日はミロクに会えるのか?」
「さあ、わかりまへんなあ」
「いつになったら会えるんだ?」
「さあ、それは……」
「まあ、いいか。ところで、ここはちっとも荒れ果てていないが、惑星衝突の被害はなかったのか? 食い物は贅沢とは言えないが、ちゃんとあるし、村人たちの中には、生活に困っているような者も見かけられない」
「それもこれも、ミロク様のお蔭でございます」
「と言うと?」
「あの方がおられんかったら、みんな飢えてたやろうし、殺されてましたやろ」
「何でも思い通りになると聞いたが」
「その通りです。ミロク様は生き仏様です」
 待っている間、良平はオニビとつむじ風を連れて外をぶらぶらしていたが、ここは木々の緑、小鳥のさえずり、初めて訪れた場所には違いなかったが、全てが昔そのままのような気がしてならなかった。

 夜になっても晩飯が出ただけで、何の話もない。良平は痺れを切らし、最長老の僧侶に訊いてみた。
「俺には急ぐ用事もなし、別に構わないんだが、帝釈天は急いでるみたいだったぜ。一体いつになったらミロクに会えるんだ?」
「そんなこと、誰にもわかりまへんがな」
「ミロクの気紛れしだいってことか?」
「そうですなあ」
「じゃあ、こっちから行ってやろう。奴が籠もってる場所はどこだ?」
「それはなりまへん」
「どこにいるんだ?」
「奥の院でございます。けど行ったらあきまへん」
「ありがとよ」
 良平は立ち上がった。
「あきまへん言うてますのに……。やれやれ、困ったお人や」
 彼はオニビとつむじ風に案内させ、奥の院へと向かった。真っ暗な石畳の上を歩いて行くと、やがてそれらしき場所に来た。奥の院の前には灯火が燈っていた。堂の前に誰かがいる。向こうもこちらの灯に気がついたようで、近づいて来た。
「ミロクはいるか?」
 良平の方が先に口を開いた。近づいて来た者は般若の面をかぶっていた。
「おまえは誰だ?」
 尋ねながら、般若の面は刀を手につかんだ鞘から抜き放った。女の声だった。
「般若」
 オニビが呼びかけると、般若の面を着けた女は驚いたようだった。
「オニビ様」
 般若は即座に刀を鞘に収めて跪いた。
「このお方は?」
「新しい増長天様だ」
 つむじ風が自慢げに言った。般若は面をじっと良平に向けたまま立ち上がった。
「ミロク様に何用じゃ?」
「会わせてくれ。連れて帰るように帝釈天から頼まれた」
「ミロク様はお籠もりの最中じゃ。日を改めて出直して来い」
「堂の中に籠もって何をしてるんだ?」
「貴様ごときの知ったことか」
「それなら自分で見て来るさ」
「ならぬ!」
 般若は良平の行く手を阻もうとした。
「どれほど偉い奴か知らんが、大層もったいつけてくれるじゃねえか。こっちは昨日からずっと待ち通しなんだ」
「ふん、通れるものなら通ってみよ」
 そう言うと、般若は再び刀を抜いた。
「痛い目に遭いたいのか、ねえちゃん?」
 良平も身構えた。
「やめて!」
 オニビが叫んだ。
「おまえたちは下がってろ。ミロクが出て来るまで、暇潰しに、ミロクの手下がどれほどのものか試してやるぜ。さあ、かかって来な、般若のおねえちゃん!」
「食らえ、下郎!」
 般若は刀を叩きつけてきた。良平は素早く身を交わすと、般若に拳をぶち込んだ。手応えはなく、良平は般若の姿を一瞬見失った。
「どこを見ておる、のろまが」
 頭上から嘲る声が降って来た。見上げると、般若は木の枝の上に立っていた。白い着物が翻った。パキッと音がしたあと、良平と般若はまた向き合っていた。
「やるな、増長天」
 般若の刀は折れていた。良平はへし折った刀の刃を放り投げた。それを見て、般若の方も刀を捨てた。
「素手で俺に勝とうってつもりか?」
「ははは、自惚れるのも大概にせい」
 突如般若の体が揺らめき始めた。たちまち白い着物と般若の面がいくつにも分かれた。
「へーえ、おまえの奥の手は目眩ましか」
「死ね、増長天!」
 般若の分身が宙に舞った。
「そこだ!」
 良平は分身の一つに手刀をぶち込んだ。
「ぐはっ!」
 相手の体を打って手応えを感じたのと同時に、何か重い物が背中からぶつかってきて、良平は石畳の上に激しく叩きつけられた。
「どうなってんだ?」
 良平は訳がわからないまま、よろよろと立ち上がった。
「なかなかやるな。わらわの分身を見破ったのはおまえが初めてじゃ。しかし次はどうかな?」
 今度は般若が八方から飛びかかって来た。良平は咄嗟に地面を蹴った。
「食らえっ!」
 般若の分身たちが下から刀を突き出してきた。良平は猛烈な勢いで足を繰り出した。全てに手応えがあった。
「うわっ!」
 地面に着地した時、膝がガクッと崩れ、良平は片手を着いた。右足にざっくりと深い切り傷を受け、血が流れ出していた。般若の分身は八人とも面が割れていた。八人とも肩口から血が流れ出し、白い着物を染めていた。
「どいつが本物だ?」
「ふん、増長天ごときが、なかなかやりよるわ。貴様、本当は何者じゃ?」
「増長天だって言ってるだろうが」
「四天王ごときにわらわの術は破れぬ」
「けっ、おまえこそ自惚れるな」
 その時、暗い堂の中から声がした。
「静かにしろ。気が散る」
 その声と同時に般若の分身は一つになり、堂の方に向かって跪いた。
「ご無礼を」
 堂の扉がギィーッと音を立てて独りでに開いた。
「入って来い」
「いいのか?」
 返事はなかったが、良平は片脚を引きずりながら、堂の中へと入って行った。中に灯が燈された。白い着物に、長い黒髪を背中まで垂らした、年の頃は良平よりまだ若そうな男がいた。
「あんたがミロクか?」
「私は名など持たぬ。土地の者がそう呼ぶだけだ」
 若者は憂鬱げな表情を少しも変えず、仏像の前に正座した。
「ふん、気取りやがって」
「ミロク様に対して無礼な口をきくでない、下郎め!」
 般若が良平に向かって怒鳴った。面を割られて出て来た般若の素顔は、意外にも色白の若い女性だった。
「うるせえねえちゃんだ。あんたはミロクのこれかい?」
 良平は般若に向かって小指を立ててみせた。般若は怖い顔をして睨み返したままでいる。
「用があるなら早く言ってくれ」
 ミロクは仏像の方を向いたまま、物憂げに言った。
「あんたを連れて帰れと帝釈天から頼まれてる」
「なぜ?」
「理由は知らん」
「はははは」
 ミロクは笑ったが、それ以上は何も言わなかった。
「じゃあ、ついて来てくれるんだな?」
「断る」
「そう来ると思ってたぜ」
 良平は立ち上がった。
「なんだ、今回は嫌に諦めがいいな」
「俺にはどうでもいいことなのさ。怪我をしただけ馬鹿を見た」
 そう言うと、ズボンをたくし上げて片脚の傷を見たが、みるみるうちに傷が癒えていき、数秒後には完全に元に戻ってしまった。
「ほう、便利な体をしてるな」
 ミロクはまた弱々しく笑った。
「好きでこうなったわけじゃない」
「星のせいか?」
「俺のはちょっと違う。わざとだ」
「望月源治のフェニックスを飲んだ」
「よく知ってんな」
「知ろうと思えば知ることはできる。おまえは時仲良平、そうだな?」
「驚いたね。それじゃあ、一つ訊いてもいいかな?」
「何だ?」
 良平は座り直した。
「俺の口から訊くのも馬鹿げてるが、帝釈天があんたを呼ぶ理由は何だ?」
 ミロクはまたいかにも寂しげに笑った。
「簡単だ。夜叉王に掛かった呪いを解いて欲しいのだ」
「呪い? 呪いなんて本当にあるのか?」
「ある。夜叉王は二目と見られぬ醜い姿となり果て、己が力を使う度に弱っていく」
「へーえ、夜叉王にも弱点があったのか」
「夜叉王様は悪くない!」
 突然オニビが大声を上げた。
「いや、夜叉王は己が行いを悔いるが良いのだ」
 ミロクは妹であるはずのオニビに対しても、冷たくそう言った。
「もしかして、夜叉王に呪いを掛けたっていうのはあんたか、ミロク?」
「この聖地、高野山を荒らし、民を虐殺しようとした」
「夜叉王様がやったんじゃない!」
 またオニビが叫んだ。どうもミロクとオニビは敵対する側に分かれているようで、良平には状況がもう一つつかめないでいた。
「わかっている。この地を我がものとするため、兵を派遣したのは帝釈天だ」
「なるほど、つまりあんたはその仕返しをしたってわけか。まあ、そのことはわかったが、だけど俺ならいっそのこと、殺しちまうぜ。その方が手っ取り早くはないか。苦しめてどうなるってんだ?」
「死んでしまっては、悔いることはできぬ。夜叉王は帝釈天の一人娘だ」
「何だって?」
「奴は娘の超能力を使って大阪でのし上がった。大阪には人が寄り集まって来てはいたものの、確たる支配者が存在しなかったからな。奴は出すぎた真似をした」
「あんたに刃向かったってことか?」
「帝釈天に己が罪を思い知らせる最も効果的な手段は、我が子の苦しむ姿を見続けさせることだ。我が子を己が野望に利用した。故に我が子に天罰が下る」
 良平はミロクの意外な言葉に呆気に取られた。思っていたより遙かに冷血漢なのかもしれない。
「あんたには血も涙もねえのかよ?」
「私には血も涙も必要ない。それが何か不都合なのか?」
「今の話が本当だとしたら、夜叉王を苦しめるのはお門違いだな」
「おまえには関係あるまい」
「そりゃそうだ。だがな、あんたには全てを思い通りにできる力があると聞いた。なぜそうしない? その力を使いさえすれば、全てが理想通りにいくんじゃないのか?」
「私は神ではないぞ」
 ミロクは初めて良平の方に顔を向けた。
「そのような力を身に着けたからといって、使っていいものか? そんな力を得たのはただの偶然だ。使う資格はない」
「拾った物は好きに使っていいはずじゃないのかねえ。俺はそう思うが」
「小銭を拾ったのとは訳が違う。そのような力を使うということは、まさしく私が神に取って代わるということだ」
「じゃあ、取って代わればいいじゃないか」
「馬鹿な!」
「馬鹿なって言うが、あんたは現に、夜叉王に対してその力を使っている。いくら綺麗事言ってみたところで、所詮、あんたは偶然授かったというその力を、自分の満足のためだけに使っているに過ぎない、違うか?」
「私にどうしろと言うのだ? 私にこの偉大で恐ろしい神の力が使いこなせるとでも言うのか? 私は八年前までは平凡な人間に過ぎなかった。そしてこのような力を得たからと言って、私の平凡な部分は何も進歩してはいないのだ」
「わかったよ。好きにするがいいさ。俺の知ったことじゃない」
 良平はまた立ち上がり、堂の扉を開けた。
「待て」
 ミロクは良平を呼び止めた。
「もう用は済んだぜ」
「おまえは奴らを滅ぼすつもりだな」
「俺が得たフェニックスの力っていうのは、所詮は単なる馬鹿力だ。それでも俺なら、それを最大限に使うがねえ」
「その結果が過ちだったらどうなる?」
「そんなこと一々考えてたんじゃ、何もできやしない。あんたは結果を恐れるだけの臆病者だ」
「そうだ。私は臆病になっている」
「まあ、少なくとも、その神をも凌ぐ力があんたのもので良かった。他の奴がその力を手に入れていたら、私利私欲のために好き勝手に使いまくるだろう。この世はもっと滅茶苦茶になってるだろうさ。そうなるくらいだったら、あんたの中にじっと封印されたままになってる方がまだましだ。じゃあな」
「待ってくれ。教えてくれ、私はどうすればいいのかを」
「知らないね。わからないのなら、考えなよ、この寺に籠もってさ」
 良平はそのまま堂から出て行った。
「いいんですか、こんなに簡単に諦めて?」
 寺へ戻る道すがら、つむじ風が訊くと、
「これ以上は無駄だって。奴が掛けた呪いなら、奴が許す気にならない限り、まず駄目だろうな。方法がないわけじゃないとは思うが、奴の憎しみは帝釈天に対してのものだ。帝釈天が自ら許しを請いに来ない限り、道は開けない。いくら使者を送っても無駄だ。そういう傲慢な姿勢こそミロクの心を頑なにしてしまってるような気がするな。夜叉王は可哀そうだが、ろくでもない親を持ったことを恨むしかあるまい。とにかく俺は義理は果たしたからな」
「そんな……」
 オニビは諦めきれない様子だった。
「なんでそんなに夜叉王を助けたがる? おまえの兄貴がしたことだから、気後れしてんのか?」
 その問いにはオニビは首を横に振ってみせたものの、何も答えようとはしなかった。答え方がわからないのかもしれない。何か理由はあるのだろうが、良平はそれ以上追求するのはやめにした。

 翌朝、良平はミュータント馬に跨り、大阪シティへと引き返して行った。しかし夕方に南部の中心地辺りまで戻って来た時、様子がおかしいことに気づいた。夜叉王の砦が煙を上げているのが遠くから見て取れた。更に砦へと近づいてみると、道に戦士たちが倒れていた。どいつもこいつもひどい傷を負って死んでいた。
「これはどういうことだ?」
 良平とオニビとつむじ風は、ミュータント馬を砦へ向かって疾駆させた。夜叉王の砦は半ば焼け落ち、燃え残った建物が燻り、辺りは煙っていた。オニビは急いで建物の中へと駆け込んで行った。
「おい、待て!」
 良平が呼び止めるのも聞かず、オニビは猛スピードで建物の中へと消えた。
「訳がわからん。生存者を捜そう」
 良平とつむじ風は、周囲で倒れている戦士たちを見て回った。
「おい、おばばじゃないか!」
 砦の壁に凭れ、おばばが白い眼を剥いて座り込んでいた。つむじ風に呼びかけられると、手にしていた人間の肉塊を慌てて隠した。口の周りが血塗れになっている。
「つむじ風か?」
「これは一体どうしたっていうんだ?」
「戦じゃ」
「攻められたのか?」
 おばばは白い眼を剥いたまま頷いた。
「サタンか?」
 おばばはまた頷いてみせた。
「サタンとタイコーとヴィーナスのとこが、一斉に攻め寄せて来たんじゃ」
「なんて卑劣な……」
「南部はもう終わりじゃ」
「夜叉王様は? 夜叉王様はご無事か?」
「夜叉王様が現れて、サタンもアシュラも、みんな追っ払った」
「夜叉王様はどこだ?」
「わしゃ、知らん」
 おばばはまた肉塊を取り出して貪り始めた。
「おい、おばば! 帝釈天様は?」
「知らんっちゅうに」
 おばばはもう人肉を食うことに夢中になっていて、つむじ風の言うことも聞いていない様子だった。
「呆れた奴め」
「まあいいから、砦の中へ行ってみよう」
 良平がつむじ風を促した。

 砦の中も死者と負傷者ばかりだった。
「夜叉王も帝釈天も見当たらないな。逃げたのか?」
「そんなことは!」
「でもどこにもいないぜ」
「たぶん……」
「おまえ、居場所を知ってるのか?」
「地下の開かずの間に……」
「そこへ行ってみよう」
「でも、あそこは立入禁止です、四天王でさえも」
「そんなこと言ってる場合か? まあ俺はどうでもいいんだけどな」
「ええ……」
「案内しろ」
 つむじ風は松明に灯を燈し、先に立って暗い地下への階段を下って行った。一番下の行き止まりまで来ると、そこで立ち止まった。
「行き止まりじゃないか」
 つむじ風は壁を押した。壁は隠し戸になっていて、向こう側に開いた。更に下へと下りる階段が現れた。ここでまたつむじ風は躊躇った。
「本当は入ってはならないのですが……」
「構わん。行け」
 下まで下りると、そこにはテーブルと椅子が二脚あり、床には絨毯が敷かれていた。
「誰もいません」
「あっちにドアがある」
 良平は奥にある木の扉に歩み寄った。戸を開けると、部屋の中には灯が燈っていた。
「いるぞ」
 部屋の中は暗い灯火一つだけだった。寝台に誰かが横たわり、二人が付き添っているのが見えた。良平は近づいて行き、寝台の上を覗き込んだ。
「これが夜叉王か?」
 そこに膝を着いている帝釈天は、良平の方も見ずに力なく頷いた。
「これがミロクの呪い? おまえが高野山を襲ったことと引き換えに、娘は二目と見られぬ醜い姿となり果ててしまったってわけか」
 夜叉王は鎧に全身を覆われたままだったが、仮面だけが外されていた。そこには顔というものはなかった。透明なゼリーの中に、脳と二つの目玉と、筋と血管が見て取れた。頭蓋骨はなかった。
「娘には骨も皮もない。この鎧から出せば、崩れてしまうだろうし、日光に当たれば、恐らく焼け死んでしまうだろう」
「死んだのか?」
 帝釈天は首を横に振った。
「だが時間の問題だ。弱り切った体で、サタンどもを撃退するため、最後の力まで使い果たしてしまった」
 よく見ると、夜叉王の口許が、ゼリーが震えるようにぶるぶると震えていた。その傍らでは、オニビが声も立てずに泣き伏しているのがわかった。
「オニビ、こいつのためになぜ泣く?」
 良平が冷たく訊いても、オニビは何も答えなかった。自分の兄による呪いの凄まじさを目の当たりにして、呵責の念に耐えられないでいるのかもしれない。良平にはそんな気がした。
「このまま夜叉王が死ねば、契約切れだ。俺は自由放免だな」
 良平は帝釈天に向かって突き刺すようなことを言ったが、
「好きにするがいい」
 帝釈天は妙に素直だった。良平はしばらく考えていた。つむじ風はじっと良平の顔を見つめていた。
「どうやら夜叉王を救えるのはミロクしかいないようだな」
 やがて口を開けると、良平はそう言った。
「ふん、最後にもう一度、ミロクの所へ行って来てやってもいいぞ」
「?」
「ミロクの所に夜叉王を連れて行くのさ」
「それは……」
 帝釈天は顔を上げると、良平の方を見た。その眼は憐れな父親のそれだった。
「いや、無理だ。たとえ車に乗せて行ったとしても、この様子ではもう間に合わん。それに途中の道が悪すぎる。陽に当たれば死ぬ。そもそもミロクが許してくれるはずがない」
 そう言って帝釈天はまた項垂れた。
「ここでじっとしていても、どうせ死ぬだけだろ。一か八か、やってみる価値はある。もうすぐ夜になる。馬車を用意しろ」
 つむじ風は嬉しそうな顔になって、急いで地下室から出て行った。
「さあ、夜叉王を運び出そう」
 帝釈天は頷いて立ち上がった。良平は夜叉王に仮面をかぶせた。
「わしも行こう。わしがミロクに直接許しを請うしかあるまい」
「ふん、最初からそうすべきだったんだ。今更あんたが行っても無意味だ」
「なぜだ?」
「夜叉王がこうなってからでは遅すぎたな。そんなことをしても、ミロクはあんたを軽蔑するだけだろう」
「そうだろうか……?」
「別の方法で説得してみるさ。なあに、ミロクは変わり者だが、無神経というわけでもなさそうだった。今度は案外巧くいくかもしれないぜ」
 夜叉王は馬車に乗せ、オニビが付き添った。つむじ風と、他に元気の残っていそうな戦士を数人従えると、松明を翳させ、良平はミュータント馬に跨って砦を出発した。

 途中の道がひどいため、馬車を進ませるのは大変だったが、それでも大きな穴を埋めたり、橋を架けたりしながら、夜道をがむしゃらに前進して行くしかなかった。そうやって進んで行くうちに、前方に煌々と篝火が焚かれているのが見えてきた。
「あれは何だろう?」
 そのまま進んで行くと、大集団が屯していた。行く手に立ちはだかり、道を塞いでいる。
「邪魔すんな、どけ!」
 良平が叫んだ。戦国時代さながらの鎧兜に身を固めた奴らが、刀を抜き放って良平たち一行を取り囲んだ。
「てめえら、何の真似だ? どけって言ったのが聞こえなかったのか?」
「こいつら、東部のサムライどもですよ」
 つむじ風が良平に言った。
「何だ、それは?」
「タイコーの手下にはショーグンというのがいて、こいつが東軍を指揮しています。こいつらは、ショーグン配下のダイミョーが指揮するサムライ隊です」
「ややこしいな。要するにてめえらは、邪魔しに来たってわけか?」
 サムライたちの中から、一際派手な鎧兜を着けた者が進み出て来た。
「貴様が新しい増長天か。その馬車の中にいるのは夜叉王だろ」
「だったらどうだってんだ?」
「ここで残らず死んでもらう、南部の残党どもめ!」
「ふん、めんどくせえ。こっちから切り刻んでやる」
 良平は馬から飛び下り、剣を引き抜いた。
「かかって来い、雑魚ども!」
「かかれいっ!」
 ダイミョーが掛け声を上げると、サムライたちが一斉に飛びかかって来た。良平は手にした剣を猛烈な勢いで振り回し、サムライどもを斬りまくった。サムライたちの首が血飛沫を上げ、次々にすっ飛んでいく。
「ええい、斬れぃっ! 増長天を殺せ!」
 ダイミョーは猛り狂った。斬っても斬ってもサムライたちは少しも怯むことなく良平に襲いかかってくる。ここで夜叉王を殺す目的で待ち伏せていたのはわかったが、二、三百人はいそうだ。
「次から次へと湧いて来やがる。面倒だ。焼き払ってやるぜ!」
 そう言うと、良平の全身から火が噴き出した。オニビも馬車から火を放った。たちまちサムライどもが燃えだした。つむじ風はそれを見て、すかさず腕を一振りすると、途端に強風が巻き起こり、風に煽られた火が次々とサムライたちに燃え移り始めた。サムライたちは大混乱に陥った。
「やるじゃないか」
 良平がつむじ風を誉めると、つむじ風は少し照れながら、
「ええ、少しぐらいは」
「さあ、行くぞ」
 また馬に跨ると、燃え盛るサムライどもを蹴散らしながら、一行は進んだ。ダイミョーはいつの間にか姿を晦ましていた。
 ところが少し行くとまた篝火が焚かれていて、何者かが道を塞いでいた。
「また出やがった。今度は何だ?」
「あれはもう一つの東部の部隊、ハタモトとその配下のローニン部隊です」
「じゃあ、また蹴散らしてやる」
 また火を放ち、風を巻き起こしてローニン隊を追い払ったのはいいが、その先にまたもや待ち伏せしている者たちがいた。
「まただ。しつこい奴らだな」
「あれがショーグンです。黒装束の奴らはショーグン直属部隊のニンジャ隊。気をつけて下さい。あいつらは厄介です」
「また焼き払ってやるさ。どけどけ、クズども! 邪魔すると死ぬぞ!」
 良平は叫びながら、ニンジャ隊に向かって馬で突っ込んで行った。そうして火を放ったが、ニンジャたちはサッと跳躍してよけた。
「増長天、そろそろ年貢の納め時だ。夜叉王もろともあの世へ行けいっ!」
 ショーグンが叫ぶと、ニンジャたちは刀を抜き、サッと良平を取り巻いた。
「てめえこそあの世へ行きやがれ!」
 良平は馬から飛び下りると剣を翳した。ニンジャたちは空中を飛んですかさず攻撃してきた。その連続攻撃に辟易として、良平はまた火を噴いた。するとニンジャたちはまた跳びすさって火を交わしてしまった。
「それじゃあ、これだ!」
 そう言うと、良平は高々と剣を突き上げた。体内から電流が湧き上がってくる。
「食らえっ!」
 そう叫びざま剣を振ると、剣の先から稲妻が迸り出た。
「ギャアアアアアアー!」
 稲妻は次々にニンジャたちを撃ち据えていった。ショーグンは驚いて後ずさりした。
「こいつは増長天などではない。雷帝だ! 帝釈天だ!」
 ショーグンは途端に背中を見せて逃げ出した。
「逃がすか、悪党め!」
 良平の剣から青い光が飛び出した。ショーグンは雷に撃たれ、あっと言う間に黒焦げになってしまった。
「凄い……、ニンジャたちを壊滅させた……」
 つむじ風が呆然としたまま呟いた。
「急げ!」
 良平は他の者たちを促した。

「あんな力があったんですか。あなたが増長天に選ばれたはずだ」
 途中でつむじ風が感心して言うと、
「あの時ふと気がついたんだ。雷撃が使えるような気がした」
「では、他にも何か?」
「わからん。だが、望月もフェニックスの力はまだ完全に把握していないと言っていた。そのうち顕れてくるかもしれないな」
 タイコーの部隊を撃破した良平たち一行は、何とか夜が明ける前に高野山に辿り着くことができた。奥の院まで行ってみると、ミロクはまだ堂に籠もっているらしく、外には灯りが燈り、番をしている者がいたが、今度は般若ではなかった。僧衣を身に纏ってはいるものの、そいつは身長二メートルを優に超えている、化け物のような男だった。馬鹿でかい鉄棒を片手に持ち、恐ろしい形相で正面を睨み据えている。
「誰じゃ?」
 怪僧は野太い声で尋ねた。
「あたしだよ」
 オニビが言ったが、
「そいつは?」
 怪僧は訝しげに、担架に載せられて戦士たちに担がれている夜叉王を指差した。
「夜叉王様だよ」
「夜叉王? ここに何の用じゃ?」
「滅法入道、兄貴呼んで! 急いでるんだ」
「何の用かと訊いてるんじゃ」
「おまえなんかに用はない。早く兄貴呼べ!」
「わしはミロクのボディガードしてるんじゃ。用件を言わん奴は通さん」
「夜叉王様は死にそうなんだ。助けて」
「たわけたことを。なんで夜叉王なんかを助けにゃならんのじゃ。アホぬかせ」
「よう、こんなウドの大木と押し問答してるだけ時間の無駄だぜ」
 そう言いながら、良平が怪僧の前に進み出た。
「やめて! この滅法入道は化け物だ」
 オニビが止めるところを見ると、相当な力の持ち主らしい。
「化け物か。そんなこと、見りゃわかる」
「おまえは誰じゃ?」
「増長天様だ!」
 つむじ風が叫んだ。
「この滅法入道様に刃向かう気か。ええ度胸じゃ。今日は特別に相手してやるわい」
 滅法入道は腕まくりすると、大鉄棒を両手で頭上に持ち上げた。
「そんじゃあ行くぜ、坊主!」
 良平は滅法入道に向かって突進した。滅法入道は大鉄棒を素早く振り下ろしてきた。良平はそれを両手で巧く受け止めたが、双方の力が強すぎて、太い鉄棒がバチッと音を立てて折れてしまった。
「小癪な小僧め。食らえっ!」
 滅法入道は平手打ちを食らわそうとした。良平はサッと身を屈めてよけたつもりだったが、滅法入道の掌が突然、何十倍もの大きさに変わった。良平の体をすっぽりと包み込むと、腕をぶんぶん振り回し、次には猛烈な勢いで投げつけた。良平は大木の幹に叩きつけられた。木が折れて倒れた。
「やりやがったな、クソ坊主!」
 良平は滅法入道に飛びかかった。滅法入道の片手がまた飛んで来たが、今度は地面を蹴って馬鹿でかい平手打ちを交わすと、滅法入道の坊主頭に手刀をぶち込んだ。
「ギエッ!」
 滅法入道の頭がへこんだ。良平はすかさず腹を殴り上げた。ところが拳が滅法入道の腹の中に吸い込まれただけだった。まるでアメーバを相手に闘っているようなものだった。滅法入道の両腕が伸び、たちまち良平の全身に絡みついた。そのままぐいぐい締めつけてくる。良平は息ができなくなった。
「くたばれ、小僧!」
 滅法入道がわめいた時、良平の全身から電気が流れ出た。
「あわわわわわわ」
 これには耐えきれず、滅法入道は締めつけた長い手を緩めた。両者が再び向き合った時、
「いい加減にしろ。気が散る」
 堂の扉を開けて、ミロクが姿を現した。
「またおまえか。今度は何の用だ?」
 良平は滅法入道と争うのをやめ、ミロクの方に向き直った。
「これを見てくれ」
 担架の上でピクリとも動かない夜叉王を指差して言った。
「おまえの呪いで死にかけている」
 ミロクは鎧兜に包まれた夜叉王に目をやった。しばらくじっと見ていたが、
「だから何なのだ?」
「これを見て何とも思わないのか?」
「自業自得の成れの果てだろう」
「じゃあ、もっとよく見てみろ」
 良平は戦士たちに合図してミロクの前まで夜叉王を運ばせると、
「この中に入っていいか?」
 堂を指差した。
「好きにしろ」
 堂の中に夜叉王を運び込ませると、灯を燈して明るくした。
「見ろ」
 そう言うと、夜叉王の仮面を取った。ゼリーのような肉の中身が透けて見えた。
「自然にこうなったと言うんなら、誰も文句は言えないだろう。だがな、これは紛れもなくおまえが故意にしたことだ、違うか? こいつはこの鎧の中でしか生きられない。これがないと、溶けて流れ出してしまうかもな。俺にはこの鎧が棺桶に見えるぜ。これがおまえのした仕打ちだ。帝釈天が犯した罪をおまえはその娘に返してるんだ。
 自分の力の使い方がわからないだって? ちゃあんと使ってるじゃないか。自分に擦り寄って来る者には幸福をもたらし、自分に敵対する者なら不幸のどん底に陥れる。あんたは全くご立派だぜ。夜叉王は何も喋らないが、この棺の中で生きながら、一体何を思い続けてきたんだろうな? そして、自分をこんなふうにした当の本人を目の当たりにして、この脳は一体何を感じているんだろうな?」
 良平は、透けて見える夜叉王の大脳に指を突きつけてみせた。ミロクは黙ってじっと夜叉王の顔を覗き込んでいたが、意外にも、その頬に涙が一条伝い落ちた。
「私が間違っていた。許してくれ、夜叉王。こんなにも惨めな姿とは思いもしなかった」
「泣いたところで、取り返しがつくわけでもあるまい。さあ、どうするんだ?」
 ミロクはこっくりと頷いた。見る間に夜叉王の顔が出来上がっていく。良平は驚いて声も出なかった。ミロクは夜叉王の兜を外した。長い漆黒の黒髪が現れた。
「美しい……」
 ミロクは夜叉王の頬にそっと手を当てると呟いた。更に籠手、鎧、具足と外していく。もう透けてはいなかったが、透けるように色の白い華奢な裸体が現れた。
「これが本来の夜叉王の姿か……」
 夜叉王はまだ若い、美しい女だった。良平も、息を呑むほど美しいと思った。ミロクは片手で、閉じられた夜叉王の両瞼を覆った。
「完璧な美なら、それを余すことなくここに甦らそう」
 ミロクはそう言うと、ゆっくりと手を離した。夜叉王の瞼が徐々に開いていく。まるで枯れ野に花が開き、曇った夜空に星が現れたように思われた。オニビはぼろぼろと涙を流して泣いていた。夜叉王はゆっくりと上体を起こした。ミロクが手を振ると着物が現れた。ミロクはそれを夜叉王に着せた。
「夜叉王、私を許してくれ。知らずとはいえ、私はおまえを苦しめた。二年間もおまえをエジプトのミイラよろしく棺に閉じ込め、生気を吸い取り、それを恥じずにいい気味だと思っていた。私は無知で罪深い罪人だ。もし望むなら、私を好きなようにしてくれていい。殺してくれても恨みはしないぞ。いや、おまえのように美しい女性に殺されるなら本望だ」
 夜叉王はゆっくりと首を横に振った。
「私を許してくれるというのか。おお、おまえは優しい。まるで女神のようだ。おまえが女神に見えて仕方がない。そうだ、私はこれから一生おまえに仕えよう。私は今から女神の下僕だ。何なりと私に申しつけてくれ。おまえのためなら何でもしよう」
 夜叉王は微笑を浮かべた。ミロクは夜叉王の微笑みを見た途端、夜叉王の手を取ってひれ伏すと、その場でおいおいと泣き出した。
「こいつのおつむの中は一体どういう構造してるんだ?」
 良平は呆気に取られて聞いていたが、ふと我に返り、つむじ風の方を向いて訊いた。
「さあ、私にもちょっと……」

 良平たちは堂から外へ出た。もう夜が明けかけていた。
「ここがあんたの世界か。二十世紀そのままの、楽園ってわけだな」
 良平がミロクに言った。
「大阪に戻るのか?」
「そのつもりだ」
「なぜあんな所へ? ここにいればいい」
「さあ、なぜかな? 俺の住みかは楽園じゃなくて、殺伐とした荒野なのかもしれん」
「ふっ」
 ミロクは笑ってみせた。
「そうではなかろう。あんたは借りを返すつもりだ、望月に。支配者を消しに行くか。律儀な奴だな、あんたは」
「ふん、俺の心を読んだつもりか? だが今度ばかりは読み違えてるかもしれないぜ」
 良平はミロクに苦笑を返した。
「いや、待て、行くな、良平」
 ミロクは急に真剣な眼差しになった。良平はミロクのその様子を訝しがり、
「なぜだ?」
 理由を尋ねたが、
「いや、訳は言えない。聞かない方がいい」
「何なんだ?」
「うむ……。行くなと言っても、おまえは行くに違いないが……」
「俺が殺されるとでも……?」
「いや、そうではないが……、必ず後悔することになる」
「後悔か……。今生きてることそのものが後悔だね」
「うむ、止めても無駄か。どうせおまえはその宿命にけりをつけねばならんだろう。おまえはつくづく不幸な男だな。いつまでその宿命を背負って行かなければならないのか、そこまでは私にも見当がつかない」
「あんまり脅さないでくれ。おまえが言うと、冗談には聞こえないからな」
 良平は笑ってみせた。
「…………」
「じゃあ行くぜ」
「良平、おまえが荒野に闘いを求めて行くと言うのなら、私に止めることはできないが、せめて夜叉王だけはここに残していってくれないか。夜叉王には二度と修羅の道を歩ませたくはないのだ」
「そのつもりだが。それで、あんたとの約束だが――」
 良平は夜叉王の方を向き、
「ここで俺を自由放免にしてくれ」
「それはもちろん……」
「俺はもう四天王ごっこはごめんだ。増長天はやめる。だからこいつらもここに置いていく」
 そう言って、良平はオニビとつむじ風の方に顎をしゃくってみせた。今度はミロクが口を開き、
「オニビはおまえに仕えたがっている。だから連れて行ってやってくれないか」
「それは無理な注文だな」
「そうではない。オニビはおまえに惚れているみたいだ」
 ミロクは真面目な顔でそう言った。
「惚れてるもんかっ!」
 オニビは叫ぶと、サッと走ってどこかへ行ってしまった。
「見ろ、あれが惚れているという証拠だ」
 ミロクは平然としたままそう言った。
「俺はもう行くぜ」
 良平が立ち去ろうとすると、
「待って下さい、良平さん」
 夜叉王が良平を呼び止めた。
「?」
「父は悪行を重ねてきました。今更許されるものとも思ってはいません。でも……」
 夜叉王はそこで口ごもった。
「あんなひどい奴でも、親は親か。わかったよ。心配するな。はっきり言うと、俺の相手はサタンだ。その他の奴らは、まあ有象無象、俺の目じゃない」
「いえ、そうじゃないんです。望月博士は当初、父に手を貸し、大阪を統一しようと考えていました。放っておけば、サタンとサロメの世になってしまうのが目に見えていたからです。そのためあなたをフェニックスにし、私の術でもって虜としました。ですが、あなたがフェニックスとなってからは、どうやらそのお考えを変えられたようです」
「望月が……?」
「本当のことを申します。私は父を、帝釈天を憎んでいました。そして、いつかサタンを滅ぼしたその時には、同時に帝釈天を、恥知らずの父を葬り去ろうといつも心に企みを抱いて生きてきました」
「……!」
「望月博士は私の理解者であり、同志なのです。ですが、このことだけは博士にもどうしても言えませんでした、父を私が殺すつもりでいるのだということだけは」
「俺があんたの代わりに帝釈天を消せばいいのか? 望月もそれを望んでいると?」
「違います。あなたは私の命の恩人です。もしあなたが帝釈天を殺せば、あなたは私にとって、父の仇となってしまいます。それだけは避けたいのです。あなたがサタンを倒せば、帝釈天は私がこの手で葬ります。だから――」
「それはミロクが承知しないだろう」
 良平は夜叉王の言葉を遮って言うと、ミロクの方を見た。ミロクは黙ってゆっくりと頷いてみせた。
「帝釈天を大阪の支配者にはさせない。夜叉王、あんたも二度と大阪には行かせない。あんたは二度とその手を汚しちゃならない。それがミロクとの約束だからな。サタンは倒す、他の奴らは追っ払う――それでいいだろ。全て俺が巧くやるさ。余計な心配はするな」
 良平は夜叉王に向かって一つ頷いてみせると、またミロクたちに背を向けて歩き出した。
「サタンは倒す――か。やはりな……、それが問題だと言っているのに……。大阪はそれで良くても、おまえ自身はどうなる? 運命とは止められぬものか……」
 ミロクは良平の後ろ姿を見たまま、重々しい口調で一人呟いた。






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