7. 変  異



 良平、京子、赤坂、町田の生き残った四人のメンバーたちは、望月が感染者から採取したα型RVウイルスを投与され、ひとまずほっとした。
「しかし、α型とβ型が結合して無害になるんだとしたら、量的に問題はないのか?」
 良平が望月に尋ねた。
「例えば、酸素の方が少ないために、不完全燃焼となって一酸化炭素が発生するというようなことは?」
「α型ウイルスはきみたちの体内で既に増殖を始めている。それに対してβ型は増殖しない。増殖と結合がβ型の発症に追いつかないとしたら、きみたちが突然死を迎える可能性があるが、こちらはまず大丈夫だろう。むしろ危険性があるとすれば、α型が過剰になることだ。将来的にα型発病者になる可能性はあると見た方がいいだろう。とりあえず死は免れたわけだ」
「仕方ない。その時はその時だ」
 良平たちは数日間、望月の所に留まっていた。望月は発電もし、あらゆる品物も手に入れていて、食糧も豊富に持っていた。
「東西南北のミュータントたちから入って来るのだ。私はこのゴーストタウンとなった地下街に一人でいて、何一つ不自由なく暮らしている。怪我を診てやっているので、害されることもない」
「何とも羨ましい話だな」
 町田は本気で言っているようだった。
「でも、私たちを逃がしたこと、オニビさんは大丈夫なの?」
 京子がオニビに向かって尋ねたが、オニビは黙って頷いてみせただけだった。
「じゃあ、俺たちは自由ってことか。それじゃすぐに東京に戻れるな、望月博士を連れて」
 町田が嬉しそうに言ったが、
「でも……」
 京子は口ごもった。
「おまえ、オニビさんの立場を考えてみろ。俺たちがこのままいなくなったら、疑われるのはこの人だぞ。最後に一緒にいたところも、あのオロチに見られてるし」
 赤坂が町田をたしなめた。
「あっ、そうか……」
「今すぐ逃げるのはまずかろう」
 望月が誰にともなく言った。
「それに、賞金首か知らんが、私はきみたちにむざむざと連れて行かれたりはしない」
「と言うと?」
「そいつは――」
 今度は良平が口を開いた。
「今の治療でわかるだろ。最初からウイルスの解毒剤なんて存在しなかったんだ」
「俺たちは元田のおっさんに騙されたのか? じゃあ、博士を連れて帰る目的は?」
「恐らく、博士にウイルス兵器を開発させるつもりだったんだろう。考えてみたんだが、自分たちでそれを使うと言うよりも、パトロンの国連軍のどこかに売ろうとしてるんじゃないだろうか」
「冗談じゃないわ! また大戦を始めるつもりなの?」
「充分あり得るな。どっちにしろ、俺たちが騙されたことには違いない。あの元田は狸だ。欲に目が眩んで、あいつの言うことを疑ってもみなかった俺たちの方も、大馬鹿者には違いないがな」
「じゃあ俺たち、これからどうすればいいんだ?」
 町田がすがるような目つきで良平を見た。良平は少し考えてから言った。
「じゃあこうしよう――俺たちが逃げたのをオニビが捕まえたということにして、俺たちは四天王の前にもう一度突き出される」
「ええ? また捕まんのかよ」
 町田はもううんざりだと言いたげな顔をしてみせた。今度はどんな罰を受けるかわかったものではないだろう。
「それは――」
 オニビが大声を出した。
「それは駄目!」
「なぜだ? いいアイデアだろ?」
「今度はもっとひどい目に遭わされる」
「そいつはちょっとな……」
 町田は表情を歪めて俯いた。
「だったらどうする? 他にいい方法でもあるのか?」
「誰よりも、オロチがあんたたちをほっとかないよ。あんたたちみんな、あたしの菩薩隊の戦士にする。そしたらオロチにも手は出せないよ」
「そんなことできるのか?」
 オニビは良平に向かって頷いてみせた。
「またサタンとことやるから、今は戦士が必要なはず。増長天様に頼んで、お許しをもらってくる」
 そう言うと、オニビはすぐに望月の地下室から出て行った。
「オニビさんはほんとにいい人ね。でもどうして、あんなにまでして私たちの味方になってくれようとするのかしら?」
 オニビが出て行ったあとで京子が言った。
「あの人は仲間のミュータントに対してさえ、ここまではしないわ」
「あいつにはそんな区別は存在しないんだろう、ミュータントか人間かなんていう。ただ、仲間が欲しいんじゃないか」
「仲間って、仲間なら――」
「手下じゃなくて、仲間が」
 良平がそう言うと、京子は納得して頷いた。望月も一人で頷いていた。
「でも、いつまでもここにいる気じゃないよな、良さん?」
 町田が訊くと、
「まあな。とりあえず危険は回避できたから、一安心ってとこだが、ここで戦士なんかになって、ミュータント相手に闘ってなんかいたら、命がいくつあっても足りやしない」
「そうさ。これから先のことも考えておかないと。いつ、どうやって逃げるかとか」
「先のことはまた考えるさ。俺はしばらくここにいる、やるべきことを済ますまではな」
「やるべきことって?」
 町田が訊いても、良平はそれ以上答えようとはしなかった。

 ある日の夕暮れ時、良平は一人で磔刑の丘に登った。錆ついた鎖がぶら下がっているだけの十字架の前に来ると、そこにはしゃれこうべが一つ落ちていた。ふと、それが寂しそうに良平の顔を見つめ返しているように思えてきて、彼は地面に膝を着くと、手を伸ばしてそのしゃれこうべを拾い上げた。しばらくじっと見つめていたが、
「おまえはまだ二十歳にもならないのに、俺より先に逝ってしまったな」
 ぽつりと呟いた。忌まわしい思い出だけが甦ってきて、良平は大声で叫びたい衝動に駆られた。灰色の空は唸りを上げ、冷たい風が瓦礫の丘を吹き抜けて行く。しばらくして、丘を登って来る足音がした。
「やっぱりここに来てたのね」
 京子だった。良平は京子の方を振り向いたが、何も言わず、すぐに視線を万吉のしゃれこうべに戻した。京子も良平が手にしている頭蓋骨に目をやった。
「万吉くん、歳は?」
「十八だった」
「まだ若いのに……」
「今時、珍しいことでもないさ」
 良平があまりにも物静かなので、京子には込み上げてくるものがあった。
「なぜこんな時代に生まれて来なきゃならないの? 万吉くんも、あなたも、私も、みんなみんな……」
 良平はまた振り返って京子の顔を見た。
「知るか。俺に訊くな」
 彼は万吉のしゃれこうべを地面に置いた。そして立ち上がると、京子に向き直り、
「あんたはアメリカへ帰るといい」
 そう言うと、片手でポケットをまさぐり、京子から奪い取った銀のロザリオを差し出した。京子は黙って首を横に振り、受け取ろうとはしなかった。
「仇を討つつもりね。やるべきことって、それでしょ?」
 良平は肯定も否定もしなかった。
「オロチ相手で、勝てるの? もしもオロチを殺せたとしても、ここのミュータントたちが黙ってると思う?」
「あいつは二人も殺しやがった、俺の目の前で、ジョウと、万吉と……。もうオーストラリアへ渡る気もなくなった」
「だからって……、無茶よ……。私はあなたを――」
 京子は涙声になって言い淀んだ。両目が潤んでくるのを必死で堪えようとした。
「もう誰も失いたくないの」
「だったらアメリカへ帰れ。これが日本の現実だ。もし金がないんだったら、向こうに身内や友達ぐらいいるだろう。米ドルで二千ほど送ってもらえば、米軍の輸送機に乗せてもらえる。そうでなくとも、あんたはアメリカ人なんだから、必死に頼めば何とかしてくれるだろう。日本に留まる義務はないんだ。ここでのことは、嫌な夢でも見たと思って忘れるんだ」
 いつにない良平の真剣な表情に、思わずたじろいでしまいそうになったが、京子は首を強く横に振ってみせた。
「私は逃げないわ、絶対に。私は日本人よ」
「ここには何もない。何も、何も」
「それでも、ここで生きてみせるわ」
 良平は急に弱々しく笑った。京子にはその微笑が嫌に寂しげに見えた。
「あんたは本当に意地っ張りだな」
 それだけ言うと、彼は丘を一人で下って行った。京子は何も言わず、良平の後ろ姿をじっと見送った。

 良平たちがオニビ配下の戦士になってから、一週間が過ぎた。その日、夕方になってから急に召集がかかった。
「いよいよか」
 練兵場に向かう途中、町田が良平の横で言った。
「もし戦争だったらどうするつもりだ、良さん?」
 良平は黙ったまま歩いて行く。
「逃げなきゃやばいぜ」
 良平は何も答えない。
「何とか言ってくれよ」
 良平は立ち止まった。
「逃げたきゃ逃げろ」
 それだけ言うと、また足早に歩き出した。
「やれやれ、なんでこうなったんだ?」
 町田は鎧をガチャつかせながら、良平のあとを追った。
「ところで、良さん、赤坂さんを見なかったか?」
「見てない」
「俺も昨日から見てないんだ」
 良平は町田の顔を見返した。
「もしかして、逃げたんじゃないか?」
 町田の言葉に一瞬詰まったが、
「まさか。あいつはそんな奴じゃない」
 きっぱりと否定しようとした。
「俺もそうは思うけど、他人の考えてることなんて、わかったもんじゃないぜ」
 練兵場で南部の戦士たちが待っていると、やがて帝釈天が姿を現した。そのまま台の上に上がると、全員がしんとなった。
「今夜、西部を襲撃する。前回は情報が洩れ、敵に備えのゆとりを与えてしまったが、今回はそうはいかん。サタンが瀬戸内遠征から戻る前に、領土は全て奪い取ってしまえっ! 奴が帰ったその時には、一寸の土地も残ってはいまい」
 うおーっ、と喊声が上がった。
「全軍挙げての総攻めを行なう。修羅隊と菩薩隊は敵地を急襲。羅漢隊は遊撃として後方支援。観音隊は守備。この度は各隊、四天王が指揮を執る」
 また喊声が高まった。
「西部の下等な鬼畜どもを一掃せよ!」
「おおーっ!」
「サタンを滅ぼすのだ!」
「うおおおおー!」
 練兵場は興奮の坩堝と化した。良平は辺りを見回してみたが、やはり赤坂の姿はなかった。
 持国天率いる修羅隊と、増長天率いる菩薩隊は、南北に分かれてそれぞれサタンの根城を目指した。サタンは留守にしていても、西部には強力な超能力を操る、残虐非道な女王サロメが残っている。
「なぜこうまでして荒廃した領土を欲しがるの?」
 オニビの供につけられていた京子は、そっとオニビに訊いてみた。オニビは黙々と進んで行くだけで、何も答えない。
「それはですねえ――」
 隣を歩いている副官のつむじ風が代わりに口を開いた。
「西部の土地が欲しいんじゃない。サタンの領土は狭いんです」
「じゃあ、なぜ?」
「夜叉王様は南に、タイコーは東に、ヴィーナスは北と西に、それぞれ土地が広がってるから、そっちに支配を広げれば自給できます。だけどサタンには西に海しかない。それでも船で行って、淡路島や四国を奪ることはできるはずです。だけどサタンはそんなことはしない。あいつは略奪しかしません。産み出そうとは考えない奴だ。四方八方に手を伸ばして、そこで生産された品物や食糧を奪い取って来るだけだ。隣接しているヴィーナスは、サタンを恐れてせっせと貢ぎ物をしてご機嫌取ってるようだけど、夜叉王様は違う。サタンのような奴をお許しにはなりません。あんな悪魔は滅ぼす以外に道はない。戦いあるのみです!」
「そう……」
 どうやら夜叉王配下の戦士たちは本気で殺し合いをするつもりらしい。
「この部隊は地下から闇討ちする。あんたはあたしから離れるな」
 オニビは京子の方を見ずに言った。
「え、ええ」
 京子には何となく嫌な予感がした。

 サタンの領域に近づいたところで、菩薩隊は二手に分かれた。四百名の戦士たちはそのまま増長天について正面から進んで行くが、百名はオニビに率いられ、地下鉄跡へと下りて行った。良平たちはみんな地下鉄組だった。
 地下道に下りると松明に火が点けられ、戦士たちは暗闇を照らしながら、崩れかかった地下鉄道を進み始めた。しばらく進むと駅の廃墟に出た。辺りはしんと静まり返っている。更に進んで行くと、レールが水に浸かっていた。
「海の水が漏れてきてるんだ」
 オニビが京子に言った。しかし戦士たちはそのまま海水の中へと入って行った。先へ進むに従い、しだいに水嵩が増してきた。
「もうこの辺が限度や。オニビ様、ここから上に出まひょ」
 次の駅まで来た時、先頭を行く戦士が声を上げた。
「まだ行ける。サロメの砦の下まで行く」
 胸まで水に浸かりながら、オニビは前方に向かって叫んだ。
「そりゃ無茶や。この前調べた時より水位が上がってるんや。どっから海水が漏れてきてんかわからんけど、ここは海面よりずっと低いんや。海水がどっと流れ込んできたら、わしら逃げ場失って全滅でっせ。そないなったら、犬死にやおまへんか」
 オニビはじっと前方を凝視していた。
「オニビさん、彼の言う通りにした方が賢明だと思うわ」
 京子が忠告すると、
「わかった。全員上がれ」
 戦士たちはプラットホームに上がると、崩れかけた階段を順番に上って行った。上の地下道には所々に篝火が焚かれていた。オニビは戦士たちを停止させた。
「どうされました?」
「ここには敵がいる」
「そんなわけない。この前調べた時には、猫の子一匹おらんかった」
「それならなんで灯が燈ってる?」
「そう言われたら変やけど、実際、誰もいてへんやないか」
 その時、にわかに犬の吠える声が聞こえた。その吠え声がだんだん大きくなり、地下道に響き渡った。戦士たちは全員そちらに注目した。階段を駆け下って来た大型の犬たちがこちらに向かって来る。
「ヘルハウンドや!」
 戦士たちはたちまち算を乱し、迫り来るミュータント犬たちに背を向けて逃げ出した。
「逃げるな! 戦えっ! おまえたち何しに来たんだ!」
 オニビが戦士たちを押しとどめようとしたが、戦士たちは聞かない。
「畜生相手に死ねるか!」
「逃げるな! 戦え!」
 オニビは剣を抜いた。剣が燃え上がった。ヘルハウンドたちは目を金色に輝かせながら、鋭い牙を剥いて突進して来る。吠える度に、口から煙が噴き出した。オニビが剣を一振りすると、燃え盛る炎の壁ができあがった。ヘルハウンドたちは一瞬足を止めたが、火が小さくなりかけるのを見るや、たちまち炎の壁を跳び越え、南部の戦士たちを襲いだした。ヘルハウンドに食いつかれた戦士たちは、地面に転がりながらミュータント犬と格闘を始めた。
「こっちに来い!」
 良平と京子は、剣を抜いて壁を背にした。町田は間に合わず、一頭のヘルハウンドに食いつかれた。
「うわあっ、うわあー!」
 町田はあっと言う間に血塗れになり、ヘルハウンドの下でのたうち回った。
「今行くわ!」
 京子が町田を救いに行こうとしたが、良平はその手をつかんで無理やり引き戻した。
「もう助からん。犬どもに背を向けるな」
 そう言いながら、良平は剣を突き出し、近づいて来たヘルハウンドを威嚇した。ヘルハウンドたちは生来の闘う生き物なのか、怯む様子は全く見せない。そうして飛びかかって来た一頭に、良平は剣で斬りつけた。
「ギャイン!」
 犬の鳴き声を上げて、ヘルハウンドは後ずさりした。すぐに何頭ものヘルハウンドが集まって来て、良平と京子を取り囲んだ。唸り声を上げながら、大きな犬どもは包囲の輪を徐々に縮めてくる。二人は、これで終わりか、と観念しかけた。
 遂にヘルハウンドたちが一斉に飛びかかった。その犬どもが鳴き声を上げ、炎に包まれた。オニビが火を放ったのだった。良平と京子は、燃えるミュータント犬を急いで剣で弾き返そうとした。犬どもはのたうち回っている。
「走れっ!」
 オニビが叫んで駆け出した。燃える剣を振り回し、ヘルハウンドどもを蹴散らしていく。良平と京子は出口目がけて死に物狂いに走った。辺りは戦士と犬の死体でいっぱいになっていた。残りの者たちは上り口か、元来た下り口へと算を乱して逃げ始めていた。オニビの部隊はあっと言う間に減ってしまった。
 階段を駆け上り、なんとか地上に出ることができたものの、まだ息つく暇もなかった。
「おまえたちの浅知恵など、お見通しだ」
 地上には大勢の敵が待ち受けていた。
「南部のドブ鼠どもめ、観念せい!」
 真っ黒の洋風の鎧兜に身を包み、仮面で顔も覆い尽くした奴が前に進み出て言った。
「ダークネス!」
 そう言った途端、オニビの全身から青白い炎が上がった。
「オニビか……」
 オニビがダークネスと呼んだ鎧兜が腰の剣を引き抜いた。
「獲物として不足はない。この小娘の首を挙げよ!」
 ダークネスが叫ぶと、周りにいたミュータントたちが近づいて来た。
「何だ、こいつら……?」
 オニビの炎に照らし出された奴らは、どいつもこいつも頭のてっぺんから足の先までぼろぼろに腐り果てていて、蛆のような虫が湧き、体じゅうで蠢いていた。
「グールどもだ」
「これで生きてるのか? まるで腐肉の塊じゃないか」
 良平は驚いて目を見張った。
「死に損ないどもめ、火葬にしてやる!」
 オニビは叫び、真っ赤な炎を放った。グールどもは激しく炎を上げて燃え上がった。
「やったか」
 良平が表情を明るくして呟いたが、グールどもは燃えながら近づいて来た。
「一体どうなってんだ?」
「こいつら、死なないんだ……」
「じゃあ逃げよう」
 そう言いながら、良平はオニビの鎧を引っ張ったが、
「アチッ!」
 オニビの鎧は焼けていた。
「お逃げ下さい、オニビ様。ここは私が防ぎます」
 つむじ風はそう言うや、グールどもに向かってたちまち突風を巻き起こした。数名の戦士たちが立ちはだかり、あとの者たちは走って逃げ出した。
「逃がすものか!」
 ダークネスが先頭に立ってオニビを追いかけようとした。焼かれたグールどもは黒焦げになりながらも、ぶすぶすと燻りながら追って来た。ヘルハウンドどもも吠えながら再び走り出した。つむじ風は突風を巻き起こし、それを妨げようとする。残りの戦士たちも加わり、たちまち乱戦となった。
「どうやったらあいつらを倒せるんだ?」
「知るもんか!」
 良平の問いかけに、オニビは忌々しげに答えた。
「だったら戦いなんか挑むなよ」
 良平たちはとある廃墟ビルの中へと逃げ込んだ。しばらく様子を窺っていると、やがてダークネスがグールどもを引き連れてやって来たが、良平たちには気づかずに、ビルの前を通り過ぎて行った。
「サタンてのはどんな奴だ? おまえたちはサタンに勝てるのか?」
 良平がオニビに訊くと、オニビは首を横に振った。
「じゃあやめとけ。死人が増えるだけだ」
「やめれるもんか!」
「なんでだ?」
「…………」
「おまえたちは夜叉王に騙されてるんだ。使い捨てにされてるだけだ。そう言うこの俺たちも、ジョージ政府の使い捨てだがな」
「夜叉王様はそんな方じゃない」
「じゃあどんな方だよ?」
「…………」
「会ったことあんのか?」
「見たことはある」
「見ただけか? 話したことは?」
「夜叉王様は話なんかなさらない」
「そんな何考えてるのかわからない奴のためになぜ死ねるんだ? 夜叉王の目的は何だ? 領土を拡げることか? そのために戦って、死んでやるのか? 馬鹿げてるぜ」
「うるさい!」
「うるさかねえ。おまえのために言ってやってんだ」
 オニビは良平の目をじっと見返した。
「あの帝釈天て奴は口が巧い。あいつはペテン師だな。脳味噌の足りねえ奴なら、簡単にあいつの口車に乗せられるだろうよ」
「…………」
「おまえはまだ子供だ。つむじ風も。あんな詐欺野郎の言うことなんか、本気で聴くんじゃねえ」
 オニビは良平を睨みつけると、自分の剣を音を立てて拾い直した。
「馬鹿にすんな!」
 それだけ言うと、ビルから飛び出して行った。
「待て、馬鹿!」
 良平と京子は急いでビルから出ると、オニビのあとを追った。
「ちょっと言い過ぎじゃない?」
 京子が良平を非難した。
「あんだけ言ってやってんのに、あのガキはわからないみたいだ」
「言い方ってものがあるでしょ」
「どう言や良かったんだ?」
「子供扱いするからよ」
「世話の焼けるガキだ」
「ほら、そうやってまた子供扱いする」
「ちぇっ」
 オニビは青い炎を上げながら、二人の前をどんどん走って行く。二人は全力で駆けたが、みるみるうちに引き離されていった。
「待って、オニビさん!」
「ちぇっ、なんて足の速いガキだ」
 廃墟ビルの谷間から出ると、正面の空が真っ赤に燃えているのが見えた。かなり近くで喊声が聞こえる。
「何だ、あれは?」
 二人が息を切らしながら走り続けていると、前方から大群が押し寄せて来た。
「サタンやあ! サタンが戻って来たぞ!」
「逃げろー!」
 大群は口々にわめき、パニックに陥っているようだった。
「サタンだって?」
 良平と京子は立ち止まった。次には、夜空からゴウーッと炎の渦が降って来た。逃げ惑っていた南軍の戦士たちがたちまち燃え上がった。
「うわあー!」
 戦士たちはそこらじゅうをのたうち回った。良平と京子は咄嗟に近くの廃墟の中に飛び込んだ。
「何だ、あれは……?」
 翼を羽ばたかせながら、空から何者かが降りて来る。まるで絵に描いた悪魔のような姿をしていた。
「あれが……、サタン……?」
「だろうな」
「ううぉーっ!」
 今度は後ろで喊声が上がり、新たな一隊が押し寄せて来た。
「見て、ドクロよ」
 京子が指差した。隊の先頭には、かつて自分たちを捕まえた、あのドクロと腐れがいた。ドクロたちは恐れも知らず、サタン目がけて突進して行く。地上に降り立ったサタンは、一人でドクロたちを迎え討つつもりか、仁王立ちになって待っていた。
「死にに来たか、雑魚どもが」
「サタンだ、殺せえ!」
 ドクロの騎馬隊は良平の目の前を猛烈な勢いで駆け抜けて行った。
「ギャアアアーッ!」
 前方で次々に悲鳴が湧き起こった。隊の後ろの方が向きを変えて逃げ始めた。元来た方へとまた良平の目の前を駆け抜けて行ったが、一瞬のうちに半分ほどに減っていた。サタンの姿がまた目に映った。片手にドクロの首だけをつかんでいる。
「うわっははは!」
 笑い声を上げると、サタンは地面を蹴ってまた飛び上がった。上空から火を吐いて、逃げて行く南軍の戦士たちも馬も、残らず焼き殺していく。辺りはサタンの吐いた炎で赤々と燃え上がり、明るくなった。
「おい、サタン!」
 叫び声がしたので、良平と京子は驚いて西の方に目をやった。赤い炎の中で、青白い炎が一つ浮かび上がっている。
「あの馬鹿!」
 良平が思わず叫んだ。
「あたしが相手だ!」
 サタンは上空で羽ばたきながら振り返った。オニビの姿を見つけて降りて来る。
「みんなの仇、覚悟しろ!」
 オニビは燃える剣を片手にして、サタンに向かって走り出した。
「おい、よせっ!」
 良平は廃墟から飛び出した。オニビはサタンに向かって火を放っていた。オニビの火を受けて、サタンの体は燃え上がった。良平は一瞬期待したが、すぐに無駄だったことを悟った。サタンを覆った火は、シュウッと呆気なく消えてしまった。
「娘、炎を使えるのか。しかしこの程度の生ぬるいものでは、このサタン様は倒せぬぞ。わあっはっはっはっ」
 サタンは夜空に向かって高々と笑い声を上げた。オニビはカッとなり、渾身の力を込めてまた炎を投げつけた。
「ぬるい、ぬるい。ふぁーっはっはっはっ」
 オニビはたじろぎ、その場に立ち尽くした。サタンが鉤爪を鳴らして歩み寄った。
「本当の炎の使い方を教えてやろう。こうするのだ」
 言うや、サタンの口から業火が噴き出した。オニビはまた火を放って対抗しようとしたが、みるみるサタンの火焔に押し負かされ、とうとう炎に全身を包まれてしまった。
「きゃあああああ!」
 オニビは絶叫したあと、その場にばたりと倒れてしまった。良平と京子は居ても立ってもいられず、オニビの所に駆けつけた。オニビはまだ息をしていた。だが、鋼鉄の鎧が溶け、ぐつぐつと煮え立っていた。京子は急いで剣を抜くと、それでオニビの鎧を引っぺがしていった。オニビは全身にひどい火傷を負っていた。
「貴様ら何だ? 人間か?」
 サタンが良平と京子に向かって訊いた。
「そうだ」
「その小娘の奴隷か」
「何?」
「俺は虫けらなど相手にせん。人間なら、畑に戻れ」
 良平は剣を抜き放った。
「待って。逃げるチャンスよ。冷静になってちょうだい」
 京子は良平を必死で諫めた。良平は歯を食いしばって剣を鞘に戻した。
「失せろ、地虫ども」
 その時、また別の誰かが出現した。
「今度はそう簡単にはいかんぞ、サタン」
 サタンは声のした方をギロリと睨んだ。燃え上がる炎に照らされて、そこには増長天が一人で立っていた。
「貴様も手下と共に死ぬか」
「ほざくな、化け物め!」
 サタンと増長天は向き合った。良平と京子は隙を衝いて、オニビをその場から運び出した。後方でドーンという物凄い音がして、地面が揺れた。振り返って見ると、サタンと増長天はまだ向き合ったままでいたが、二人の周囲の建物が崩れ落ちていた。何が起こったのかはわからない。しかし今はそれを見物している場合ではなかった。良平と京子はオニビを担いだまま、急いでその場を離れた。

 サタンの領域から逃れようと、東へ向かって進んでいると、やがて遊撃のオロチの部隊に出くわした。
「オロチ、オニビがやられた。助けろ!」
 良平はオロチには頼りたくなかったが、どうしようもなくそう言うと、オロチは近寄って来て、ぐったりとしているオニビを覗き込んだ。
「もう助からんやろ。捨てておけ」
「何だと!」
「助けようがない。前はどうなってるんや?」
「増長天がサタンと闘ってる」
「ふうん」
 オロチは目をきょろきょろさせていたが、しばらくして自部隊に向かって言った。
「よおし、退却や」
「援軍を送らないのか?」
 良平が咎めるような口調で言うと、
「もう行っても手遅れや」
「臆病者め」
 思わずその言葉が良平の口を衝いて出た。引き返しかけていたオロチが戻って来た。
「何やと!」
「サタンが怖いのか」
「やかましいわ。無駄なことは無駄なんや」
「やっぱりな。あんたはお利口だよ」
「おまえ、覚えとけよ。オニビがおらんようなったら、おまえらは後ろ盾失くすんや。あとでたっぷり可愛がってやるからな」
 オロチたちは南部へ引き返して行った。
「あれが味方に対して言う言葉?」
 京子はカッカしていた。
(おまえの方こそ覚えておけ。必ず殺してやるからな)
 良平はその言葉を腹の中で呟いた。

 途中でグールどもが徘徊しているのを見かけたので、二人はオニビを担いだまま、近くの廃墟ビルの中に身を隠した。
「どうするの?」
「南部へ行っても仕方がない。博士の所へ連れて行こう。何とかしてくれるだろう」
 二人はグールが去ったのを確かめると、再び出発しようとした。ところがその時、背後の暗闇から飛び出して来る者があった。剣を手にしてオニビに突きかかって来た。
「何するの!」
 京子はオニビを庇おうと、咄嗟にその前に立ちはだかった。
「あうっ!」
 京子の背中から剣の切っ先が突き出ていた。良平は急いで自分の剣を引き抜くや、暗闇から飛び出して来た暴漢に斬りかかった。剣はグサッと相手の肩口に食い込んだ。良平はそのまま剣で引き斬ると、暴漢を蹴倒した。
 ところが、もう一人、二人と、暗がりから剣を振り上げて飛びかかって来る者があった。良平は夢中で剣を振った。何とか二人を斬り倒した時には、自分の方も体じゅうに切り傷を負わされていた。彼は剣を投げ捨てた。
「京子……」
 屈み込んで京子の上体を抱え起こそうとした。胸に手をやると、べっとりと血糊がついた。
「しっかりしろ、京子!」
「初めて……」
 京子は口を開いた。
「何だ?」
「初めて名前で呼んでくれたわね」
「今博士の所に連れてってやる」
 京子は良平の手をギュッと握り締めた。
「私はただの人間よ。保たないわ」
「弱気になるな」
「オニビさんを助けてあげて。彼女はあなたのことが好きなのよ。女の私にはわかるわ」
「いいから、もう喋るな」
 京子は力なく首を振ってみせた。
「私にはもう、懺悔する時間もないわ」
「そんなことする必要ない」
「聴いて、時仲さん。私はずっとあなたを騙してきたの。私は本当はアメリカの諜報部員なの。国連各国もそれほど馬鹿じゃないわ、ジョージ政府には既に疑問を抱き始めているのよ。でもジョージは各国の高官を巧く買収しているから、彼を糾弾しようとする動きが阻害されているの。私は今回、ウイルス兵器再開発の企てがあるという情報を元に、その確たる証拠をつかむために派遣されて来たのよ」
「…………」
「でもそんなことはもういいの。時仲さん、絶対に生きて。生きて……、戦って……、勝って……」
「死ぬな!」
「あなたに……出会えて……良かっ……」
「京子……!」
 京子はもう息をしていなかった。良平は京子の上体をそっと床に下ろすと、片手でゆっくりと自分のポケットを探った。京子のロザリオが出て来た。彼はそれを彼女の胸の上に載せた。
「おまえは珍しくいい女だった。賢くて、勇気があって、情が厚くて……。京子、おまえの神の下へ行くがいい」
 外に人の気配を感じた。斬り捨てた暴漢の死体にふと目をやると、暗かったが、南軍の戦士の鎧を着ていることがわかった。彼は何者の仕業だったのかをすぐに悟った。オロチに指示された手下がオニビを始末しに来たに違いない。良平の手にはもう一つ別の物が握られていた。彼は掌を開くと、その上で小さなカプセルを転がした。
「もう許さん!」
 すぐに効果が顕れるようにと、良平はカプセルを開くと、その中身だけを一息に飲み下した。
「オロチ、待ってろよ……」
 少しすると、喉から胃にかけて激痛が走った。
「ぐはっ!」
 耐えきれずに何かを口から吐き出した。血の塊だった。まるで腹の中で火を焚いているようだ。それがすぐに全身へと拡がっていった。体の内側をマグマが対流している。
「ぐわあああっ、ううううくくっ!」
 良平は絶叫しながら床の上をのたうち回っていた。やがて息もできなくなってきて、瞼の裏で光がチカチカと点滅しだした。外にいた奴らが悲鳴を聞きつけて入って来た。
「まだ生きてるぞ。殺せっ!」
 三人のオロチの手下が、のたうち回っている良平に剣を叩きつけた。
「何じゃこりゃ?」
 良平は相変わらずのたうち回っていたが、体は全く切れていなかった。戦士たちは躍起になって良平を斬りまくった。
 やがて良平は動かなくなった。戦士たちは肩で息をしながら、しばらく良平の死体を見下ろしていた。ふと自分たちの剣を見ると、刃がぼろぼろに欠けていた。一人が急いで松明に火を点けた。火で照らしてみると、仲間三人の死体、女の死体、今し方斬りまくった男の死体、そして火傷を負った裸のオニビの死体が見えた。
「こいつは……」
 一人が良平を驚きの眼で見た。
「死んでるのか?」
 もう一人がハッとした様子でオニビのそばに屈み込んだ。
「まだ生きてる。オニビはまだ生きてるぞ」
 その戦士はぼろぼろになった剣を振り上げ、オニビのとどめを刺そうとした。その腕を何者かがつかんだ。
「おっ、おまえは……」
 良平がニタッと笑った。
「くたばれっ!」
 そう叫ぶや、戦士は良平に斬りつけた。
「がはっ!」
 戦士の首が血を噴きながら転がった。
「おんどりゃあ!」
 残りの二人も良平に斬りかかったが、次の瞬間には二つの首が床にぼたぼたと落ちた。良平は両手を振って血糊を払うと、オニビを抱き上げ、廃墟ビルから出た。

 良平は望月の地下室まで下りて行った。部屋には灯りが燈っていて、望月は寝てはいなかった。
「起きてたのか、博士」
「西部へ行って来たのか。よく生きて帰れたな」
「ああ」
 良平は不機嫌そうに言った。
「どうした?」
 良平がベッドの上にオニビを下ろすと、望月は火傷を調べた。
「サタンの火に焼かれた。助かるか?」
 望月はオニビの脈を取り、指で瞼を押し上げると、ライトを当てて瞳孔の開きを確かめた。
「やってみよう」
 すぐに手術の道具を揃え始めた。
「この娘は見かけによらず頑丈だ。大丈夫だろう。きみの仲間はどうした?」
「みんな殺された」
「彼女もか?」
 良平は黙って頷いた。
「博士、オニビを頼んだぞ」
 良平は地下室から出て行こうとした。
「どこへ行くのだ?」
「仇を取って来る」
「誰だ?」
「オロチ」
「馬鹿な。殺されるぞ」
「あんな奴に負けるはずがない」
「何だと?」
 返事がないので、望月は出口の方に目を向けた。良平はもういなかった。再びオニビの傷の手当に戻ったが、ふと何かに気がついたようにその手を止めた。
「飲んだのか……、フェニックスを……? ならば私も次の行動に移らねばならん」

 良平は南部の中心地、夜叉王の砦へと向かっていた。
「オロチはいるか?」
 入口の門番に訊いた。
「おまえ、何もんや?」
「いるのか、いないのか?」
 良平は門番の喉を片手でむんずとつかんで絞め上げた。門番は呻いて、手足をバタバタさせた。他の番兵たちが殺気立ち、良平を取り囲んで槍を突きつけた。
「おまえたち、死にたいのか?」
 良平がそう言うと、番人の一人が槍で突いてきた。槍は体に突き刺さらなかった。良平は怒気を含んだ目つきでその槍の穂先を見つめた。鉄の穂先が折れていた。
「うわっ!」
 番兵たちは驚いて後ずさりした。
「これが最後だ。オロチはいるのか、いないのか?」
「オ、オロチ様は……戻っておられる」
 良平はつかんでいた番兵を放した。番兵はドサッと地面に落ち、目を剥いて気を失ってしまった。
「門を開けろ」
「誰も入れるなと命令されている」
 良平は門扉を蹴飛ばした。ガランという音と共に鉄の扉が外れ、向こう側に倒れて土埃を濛々と上げた。良平はそのまま砦の中へと入って行く。
「おい、待て」
 門番たちはおっかなびっくり後ろから呼び止めた。
「死にたくなければそこにいろ」
 良平は振り返りもせずに言った。
「オロチはどこだ?」
 良平は庭にいたミュータント戦士を一人捕まえて訊いた。
「何する!」
 戦士は襟首をつかまれ、空中でもがいた。
「オロチは?」
「中や。中」
 良平は戦士を放り投げると、建物の扉も蹴破った。建物の中にいた戦士たちがたちまち集まって来た。
「オロチはどこだ?」
 戦士たちは剣を抜き、良平に向かって斬りつけてきた。殴る蹴る、戦士たちはあっと言う間にぶちのめされ、壁に叩きつけられて伸びてしまった。
「ワレは何もんじゃ?」
 砦の守備をしている観音隊の隊長、イカヅチが正面の階段を下って来た。
「おまえなんかに用はない。オロチを出せ」
「何っ!」
 イカヅチは腹を立てて片手を振り上げた。
「食らえっ!」
 その手を振り下ろすと、指先から眩い電光が走った。稲妻は良平の体を直撃した。だが、良平はニタッと笑っただけだった。そのままイカヅチの方へと歩み出した。
「な、なんや、こいつ……?」
 イカヅチはたじろいだ。良平は近づいて行って、イカヅチの胸ぐらをつかんだ。
「オロチを出せ」
「し、知るか」
「オロチ様ならここにおる」
 階段の上の方で声がした。見上げると、オロチ本人が立っていた。良平はイカヅチを放り投げると、オロチに向かって階段を上り始めた。
「そんなに死にたいか?」
「死ぬのはおまえだ」
「何を! くたばれ!」
 オロチの尻尾が伸び、良平目がけて飛んだ。しかしその素早い攻撃も、良平の片手に簡単につかまれていた。良平はオロチの尻尾を片手でつかんだままグイッと引いた。
「うわあっ!」
 オロチは階段を転げ落ちて来た。
「こいつ、もう許さんぞ!」
 わめきながら立ち上がろうとするオロチを引き寄せると、良平はその首に尻尾を巻きつけた。それを両手でグイッと引く。
「ぐええええ!」
 オロチは長い舌を出して喘いだ。
「おまえだけは許さん」
 良平はそう言うと、オロチの顔面を殴りつけた。石の階段が砕け、オロチは階段にめり込んだ。良平はまだ許さずに、オロチの体を引き上げた。顔がぐちゃぐちゃに潰れている。今度は立て続けに腹を殴りまくった。オロチの体のあちこちが破れ、そこから骨と内臓が飛び出した。
「ぐえええー」
 オロチはよたよたとしてから、階段を転げ落ちた。それでもまだ立ち上がって、逃げようとしているのだろうか、よたよたとその辺りを歩き回った。
「死ね、オロチ!」
 良平が階段を蹴って跳んだ。そのままよたっているオロチに手刀をぶち込んだ。
「ギエッ!」
 オロチの上半身が床に落ちた。しかしオロチはまだ死んでいなかった。下半身はまだふらふら歩き回っているし、上半身は両手で床を引っかいていた。
「苦しみながらもまだ生き続けたいか。憐れな奴め」
 良平はカッと両目を見開いた。たちまちオロチの上半身と下半身が燃え上がった。炎の中でもがきながら、オロチは黒焦げになっていき、とうとう動かなくなってしまった。あとには灰だけが残った。良平は周りをぐるっと見回した。戦士たちが武器を構えて遠巻きにしている。
「やることは済んだ。あとは好きにしろ。もう疲れた」
 何を思ったか、良平は戦士たちに向かってそう言うと、その場に座り込んでしまった。

 地下牢の廊下に足音が響いた。鍵が外され、鉄格子の扉が開いた。
「出ろ。帝釈天様がお呼びだ」
 寝転がっていた良平は面倒臭そうに起き上がった。
「どこまで行くんだ?」
 番人は答えない。上へ上へと階段を上って行く。行き止まりまで辿り着くと、正面の扉を開けた。
「入れ」
 良平は言われるままに部屋に踏み込んだ。薄暗いが、かなり広い部屋だとわかった。正面には帝釈天が腰を下ろしていた。その隣には、黒い鎧、具足、籠手、二本の角がついた兜で全身を覆い、顔には黒い仮面をつけ、背にはこれまた黒いマントを着けた者が座っている。良平は帝釈天を見たあと、しばらく隣の黒ずくめを観察していた。すると、帝釈天が良平に向かって手招きした。良平は数歩進んでからまた立ち止まった。
「そいつは誰だ?」
 黒ずくめを指差し、帝釈天に尋ねてみると、
「夜叉王様だ」
「へーえ」
 良平は部屋の中をぐるりと見渡した。夜叉王と帝釈天以外には誰もいない。良平はもう一度正面を向くと、ニタリと笑ってみせた。
(こいつは好都合だ。夜叉王と帝釈天をまとめて葬ってやる)
「俺に何の用だ?」
「オロチを殺したというのはおまえだな」
「それがどうした?」
「同時にオニビの命も救った?」
「それは望月だろう」
 帝釈天はゆっくりと頷いてみせた。
「俺をどうする? 罰するか?」
「その前に聞いておきたい。おまえは一体何者だ?」
 良平はまたニヤッとした。
「てめえなんかに教えてやるもんか、クソ野郎どもめ。これからてめえらもオロチみてえにしてやるぜ」
「ふん、自惚れおって」
 途端に良平の前に光が凝り固まり、やがて大男が姿を現した。
「何だ、こいつは?」
「その巨人と闘い、打ち勝ってみせろ。見事勝利した時には、罪は許そう。だがおまえが負けた時は――」
「どうする?」
「夜叉王様に一生仕えるのだ。良いか」
「へっ、そんな約束はしない主義だが、いいだろう。どうせてめえらはここでくたばるんだ」
 そう言うや否や、良平は大男に殴りかかった。バシッと音がしたが、大男はびくともしない。良平は少しばかり驚いたが、構わずにまた殴りかかった。大男もそれに合わせて拳を繰り出してきた。途轍もなく素早く、重いパンチだった。大男のパンチを一発受け止める度に、脳天から腹の底までズシンと響いた。
「なんて野郎だ……」
 フェニックスの力が、この巨人には全く通用しない。良平は苛立ち、大男に向かってパンチとキックを繰り出しまくった。その度に自分の体がガタガタになっていくようだった。彼は肩で息をしながら、作戦を変えようと思案した。
 大男が突進して来た。その太い腕を両手でつかむや、渾身の力を込めて振り回した。壁に叩きつけてやろうとしたのだが、逆に大男に投げ飛ばされ、壁に叩きつけられてしまった。それでも彼はめげず、崩れた壁石をかき分けると、また大男に飛びかかって行った。大男にパンチを受け止められると、またもや強い衝撃がズシーンと背骨に走った。
 良平はとうとうカッと目を見開き、大男を睨み据えた。双方の間にバチバチと青い火花が飛び散った。良平と大男の拳が空中で激突する。その瞬間、稲妻のように電光が走り、ショートしたように黒い煙がボッと上がった。良平が更に睨みつけると、大男の全身から炎が上がりだしたが、同時に良平の体も炎に包まれだした。
「うわあああああ!」
 叫び声を上げたかと思うと、とうとう良平は力尽きてその場に仰向けに倒れ、気絶してしまった。大男の姿はスッと消え去った。
 帝釈天はじっと座ったままだった。額から汗の滴が一条流れ落ちた。暗い空を風が吹き抜けていく。戦士たちがやって来て、篝火を燈して回った。壁にも天井にも大きな穴がいくつも空いていた。男が一人、正面の扉を開け、ぼろぼろに壊れた部屋の中に入って来た。松明の一つを手に取り、部屋の中央にある大きな鉄の塊を照らして見た。
「この男でも、夜叉王の巨人には勝てなかったようだな」
 望月は笑った。
「夜叉王の巨人の術は何者にも破ることはできぬ。『巨人』は即ち『虚人』。攻撃すればするほど、己れ自身にダメージを与えるだけだ。何も知らずにそいつは自分の影と闘った。闘いをやめぬ限り、勝利は訪れては来ぬ」
「で、ご感想は?」
 帝釈天はやっと我に返って立ち上がると、巨大な鋼鉄の塊に歩み寄り、それを子細に眺めて回った。鉄の塊は至る所で抉られていて、いびつに歪んでいた。全体に煤がこびりついていて、触れると火が点きそうに熱かった。
(こんな化け物を生かしておけば、自分の命さえ危うい……)
「先生、こ奴はどういう男だ?」
「さて……」
 望月はしばらく考え込んでから言った。
「義理堅いところもあるが、一度約束したことをいつまでも守り続けているほど単純な男ではないだろうな。常に己れの信ずるところに従って行動する」
「こ奴の信ずるところとは?」
「その時に自らが下した判断」
「それでは――」
「配下にするなど無理な話でしょうな」
「なぜそのような奴を選んだのだ?」
「そんな奴だからこそ選んだのだ。誤解しないでくれ、私はあなたのためにやっているのではないぞ。この大阪ではあなたを支持したまでだ。だからこそその男をサタンの勢力を打倒するまでの間、しばらく貸し与えようと言うのだ。事が済めば返してもらう。この男には次の仕事、そのまた次の仕事が待っている。見ろ、この力を」
 望月はまた鉄塊を松明の炎で照らした。
「この男の怒りがここまでフェニックスの力を引き出した。これこそ意志の力だ。私もフェニックスだが、とてもここまでは無理だ。この男に比べれば、私の力など雛鳥程度。だがこの男はまさしく不死鳥となろう」
「これならサタンにも勝てような」
「要はあなたしだい。あなたが不死鳥を御せるか否か、私には保証はできかねる。それはあなたの器量しだい。あなたにその器量がなければ、肝腎のサタンを滅ぼす前に、あなた自身が滅ぼされてしまうかもしれませんな」
「必ずや御して見せようぞ」
「とんでもない暴れ馬ですぞ。フッフッフッ」
 望月は冷たく笑った。その時、夜叉王の首がガクッと垂れた。
「こりゃいかん」
 望月と帝釈天は夜叉王に駆け寄った。望月は夜叉王の左手の籠手を外した。ほっそりとした透き通るような腕が顕れた。「透き通るような」と言うより、そのまま透き通っていた。血管も、血の流れまでも見えた。
「先生?」
 帝釈天は初めて心配そうな表情を浮かべた。望月は夜叉王の血の流れを見てから、
「今の闘いでエネルギーを使い過ぎたようだ。失神している。もう二度とこの能力を使わせてはならん。今度使った時には、命の保証はないぞ」
「治せないか?」
 望月は籠手を夜叉王の手に戻した。
「なぜこうまでして夜叉王に力を使わせようとする? 言うなれば、あなたは己れの野望のために我が子の命を――」
「言うな!」
 帝釈天は目を剥いてわめいた。
「それ以上言うと、たとえ先生でも許さんぞ」
(所詮こいつも繋ぎ役に過ぎぬのか……)
 望月は心の中で密かにそう思った。
「私にはせいぜい医者の真似事ぐらいしかできん。寿命を引き延ばすなど、神でもあるまいに」
 望月は白髪頭を横に振ってみせた。
「先生のフェニックスを使えば? あの男のように――」
 帝釈天は倒れている良平を指差して言った。
「フェニックスを使うだと? 馬鹿な。この体で耐えられるはずがない。体が砕け散って死ぬだけだ。そもそもフェニックスを誰にでも使用する気など私にはない。私が認めた者だけだ。命を救う良薬ではないのだ、フェニックスとは。むしろ悪魔を呼び出す魔性の秘薬。使い方を一つ間違えれば、この世の猛毒となりかねない」
「諦めるしかないのか……」
 帝釈天は柄にもなく項垂れた。
「あなたの娘を救える者はいる。まさしく神の力を持つ者」
「……ミロクか……、だが――」
「その力は使わんだろうな。彼の心は頑なだ。よほどの者が説得に行ったとしても……」
「無駄か……」
 望月は帝釈天に背を向けた。
「先生のお帰りだ。お送りしろ」
 帝釈天は戦士に指示した。
「いや、結構」
「なぜだ?」
「私はここから出て行く。もう歳も歳だ。二度と戻らんだろう」
「どこへ?」
「私を待つ次の土地――いや、これは言い過ぎか。用が済みしだい、フェニックスは返してもらう。次の土地でも必要になるだろうからな。もっとも、彼があなたの下にいつまでも留まっているとも考えられんが」
「わしを侮っておられるのか?」
「さて、どうかな。あなたも親として我が子を不憫に思うのなら、その男は大事に扱うがいい。あなたたちとは比べ物にならないくらい利口だ。ただ、その知恵を他人のために使うことは極めて稀だろうがな」
 そう言い残すと、望月は一人で階段を下って行った。






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