5. 狂 気 の 軍 団



 良平たちは瓦礫の山を乗り越えながら、大阪シティ目指して進んで行った。午頃になると、街がまだ幾分なりとも形を留めている廃墟があったので、そこで休息を取った。平野の方には、人が畑を耕している姿がちらほら見て取れた。全くのどかなもので、危険を孕んでいる様子などどこにも見受けられない。ヘリが撃墜された時の恐怖など、すっかり忘れてしまいそうだった。
「あの辺りがシティなんだろうな」
 赤坂が、遠くに見える壊れた高層ビルを指差した。
「望月もすぐに見つかりそうな気がしてきたよ」
「今日中に着けそうだ。行こう」
 良平たちが腰を上げた時、畑にいた連中が血相変えてこちらに向かって駆けて来た。
「ドクロの奴、また来よったがな。みんな、早よ集まらんかい。しばかれるでえ!」
 農夫たちは良平たちの傍らを走り抜け、叫びながら掘っ建て小屋の間を駆けて回った。すると小屋からぱらぱらと人が出て来た。それぞれ手に食糧らしき物を持っている。
「何だ? 何が始まるんだ?」
 良平たちが呆気に取られて見ている間に、ドドドドッと馬の一群が土煙を上げながら集落に近づいて来た。馬のように見えたものの、それらの生き物は、赤や青や緑や、体の色はてんでばらばらで、象のように長い牙を生やしたり、頭に角が生えていたり、全身の長い毛を風に靡かせていたり、目が金色や銀色に輝いていたり、馬のように人を乗せて走る別の生き物だった。
 その馬のミュータントに跨っている人間たちは――初めは人間に見えたが、その乗物にも劣らぬ異様な姿をしたミュータントたちだった。住民たちはいつの間にか一カ所に集まっていた。
「ドクロ様のお出ましや! 村長は?」
 顔がドロドロに溶けた奴が馬上で言った。
「ここにおります、腐れ様」
 先程叫んで回っていた農夫が前に進み出た。すると先頭にいた奴が村長の方にミュータント馬を寄せて行った。
「徴税だ、村長」
 半分ほど頭蓋骨が剥き出しになっている奴が言った。
「徴税って、五日前に来なはったばっかりやおまへんか。そない何回も来られても、出すもんなんぼも持ってまへん」
「じゃかましっ!」
 顔が溶けている、腐れと呼ばれた奴が馬から降りた。鞭を手にしている。
「わからんもんには、わからしたる!」
 そう叫ぶや、腐れは容赦なく村長を鞭でひっぱたき始めた。
「ひいーっ、ひいっ! お許し下さい。出します、出しますから、勘弁して下さい!」
 村長は這いつくばって謝った。住民たちは持ち寄った食糧を、ドクロの手下たちが差し出す袋に入れていった。
「この村には勤労奉仕する奴は一人もおらへんのか? 戦が近いんや。誰か勤労奉仕せい。おまえ、どうや?」
 腐れはドロドロの手で村人の一人の腕をつかんだ。
「ご、ご勘弁を。私は体力がありません。現物で支払わせて頂きます」
「誰かおらんのか?」
 五十人ばかりの村人たちは、食糧を袋に放り込むと、全員引き下がった。
「けっ、ここは腰抜けばっかりや」
「あいつらは?」
 ドクロが黒い手袋で良平たちを指差して言った。
「わては知りまへん。流れもんでっしゃろ」
 村長は慌てて答えた。
「おまえら、新入りか?」
 腐れが鞭を手にしたまま、良平たちに近寄って来た。
「おまえらは何出すつもりやねん。それとも勤労奉仕か?」
「何も出すつもりはない」
 良平が答えると、
「出す物はこれだ!」
 すぐに万吉が叫び、銃を腐れに向けて至近距離からぶっ放した。腐れは仰向けに倒れた。
「次に死にてえ野郎はどいつだ?」
 万吉は勢いづいて叫んだが、ドクロたちの間から笑い声が上がっただけだった。
「珍しいおもちゃ持ってるやないか。それ、もろといたるわ」
 倒れている腐れの片脚が柔らかいゴムのようにすうっと伸び、掌の形に変わると、万吉が拳銃を持っている手首をつかんだ。
「うううわあー!」
 万吉はうろたえて拳銃を取り落とすと、バタバタともがいた。
「放せ!」
 良平が手にした小銃で、万吉を捕まえている腐れの手のような足を撲った。腐れの足は万吉を放した。
「逃げろ!」
 良平は叫ぶと、街の廃墟が見える方へ向かって走り出した。他のメンバーたちも良平について走った。
「どうします、ドクロ様?」
 腐れは全身をくねらせて立ち上がると、ドクロに指示を仰いだ。
「生け捕りにしろ。貴重なシティの農奴だ」
「生け捕りやあ、捕まえろお!」
「おおーう!」
 ミュータント馬たちが土埃を上げて駆け出した。良平たちは崩れかけたスーパー・マーケットの廃墟の中へと逃げ込んだ。
「駄目よ、上へは行けないわ」
 エスカレーターも階段も崩れ、天井が落ちている。
「あっちだ」
 瓦礫の山をかいくぐりながら奥へと進んだ。住民たちがとっくに持って行ってしまったのは当然のことで、マーケットの中には品物は何ひとつ残ってはいなかったが、瓦礫が散乱して複雑な迷路のようになっていた。ミュータントたちの吼え声が後ろから聞こえてくる。
「銃が効かないんじゃ、勝ち目はねえぜ」
「逃げるしかない。裏口を捜そう」
 ようやく出口らしきものを見つけたが、鉄製のドアはびくともしなかった。
「天井の重みで開かない」
「吹き飛ばすぞ」
「どうやって? 慌ててたんで、荷物は置いてきちまったぜ」
「手榴弾を一つだけ持ってる。どこかに隠れろ。すぐやるぞ」
 全員遮蔽物の陰に身を伏せた。良平はピンを抜いてドアに向けて放り投げた。
「耳を塞げ!」
 物凄い爆音が室内に反響し、塵埃が濛々と湧き立った。再び起き上がってドアの所へ行ってみると、ドアは傾いていた。急いでひっぺがしたが、向こうにはドクロの手下どもが待っていた。
「往生際の悪い奴らやな。いい加減に諦めんかい。おまえらただの人間なんやから、夜叉王様の農奴になった方が幸せやで。飢え死にすることもあらへんさかいな」
 ドロドロの顔に空いた口から粘液をだらだらと垂れ流しながら、腐れがそう言った。良平たちは為す術もなく、ドクロの手下どもによって生け捕りにされた。

 良平たちは縛られ、ミュータント馬の後ろを曳かれて行った。そうして他の村をいくつか回り、ドクロたちは同じように徴税と人間狩りを繰り返し、日暮れ頃になってようやく、良平たちはとある建物の中に収容された。建物の中には牢屋があり、彼らはその中に放り込まれた。
「明日ふるい分けや。朝になったら、こいつら全員スタジアムに送れ。ちゃんと餌やっとけよ」
 腐れは牢番に命じると、建物から出て行った。
「ふるい分けって何よ?」
 腐れが行ってしまうと、京子が牢番の一人に尋ねた。
「戦士になれるか、農奴か、明日スタジアムで決めるんや」
「ここはどこなの?」
「ここは夜叉王様の領土や。あんた、余所から来たんか?」
「そうよ」
「人間やな」
「あんただって人間じゃない」
「人間やったら、戦士になれたとしても、わいみたいに牢番がええとこやで」
「農奴になったらどうなるんだい?」
 万吉が訊いた。
「一日中こき使われる。まあ、早死にするやろな。明日は頑張りや。勝ったら戦士や。支配階級の端くれになれる。けど負けたら農奴や。近いうちに戦があるよって、どっちにしたって早よ死ぬやろうけどな」
「飯や」
 牢番たちがワゴンを押して来て、器に米の飯をよそい、その上に魚を一匹ずつ載せ、次々と檻の中に入れていった。虜囚たちはそれを一つずつ受け取った。
「これは米じゃねえか!」
 万吉が驚きの声を上げた。
「そうや」
「米があるのか?」
「見ての通りや。ここで作ってる。そやけど、今は食糧不足なんや。そやから戦して、領土増やさなあかんのや」
「戦って、どことやるんだ?」
 町田が飯を頬張りながら訊いた。
「大阪はな、今のところ東西南北に分かれてて、争ってる最中なんや。ここ南は夜叉王様、東はタイコー、北はヴィーナス、西はサタン。たぶんサタンとこと戦うんとちゃうか。丞相の帝釈天様とサタンは犬猿の仲やよって」
 良平たち以外の虜囚たちがざわついた。
「そのサタンてのは何者だ? ミュータントか?」
 また町田が訊いた。
「化け物や。あれが生まれた時は人間やったやなんて、とても思われへんな」
「あのドクロたちだって、充分化け物じゃねえか」
 町田がそう言うと、牢の中が急に静まり返った。
「あんた、口のきき方に気ぃつけや。殺されるで」
「おっさんよぉ、この魚、焼いてくんねえかなあ」
 万吉が場違いなことを言ったので、虜囚たちは笑い出した。
「贅沢言うな」
「こいつの肉を一口食う度に、舌が痺れて仕方がねえんだ」
「フグ料理食うてる思たらええんや」
「これがフグねえ……」
 万吉は、目玉が飛び出し、胸鰭の代わりに指のついた小さな手が生えている、体がくねくねと曲がった藍色の魚を取り上げ、子細に眺め回したあと、またその奇形魚にかぶりついた。
「ところであんた、望月源治って奴を知らないか?」
 良平は、この牢番は安心できると見て取ると、大事なことを切り出してみた。
「誰やて?」
「望月源治。ここ大阪シティにいるはずなんだが」
「そんなん知らんな。人間の名前名乗ってるんやったら、支配階級とはちゃうやろうけど、南部にはいてへんのとちゃうか」
「有名な科学者だ」
「そいつの名前なら知ってるで。ウイルス造った奴やないか」
 虜囚の一人が声を上げた。
「その望月博士だ。あんたたちの村にはいなかったか?」
 虜囚たちは揃って首を横に振った。
「ここにはそんな偉い科学者なんかいてへんな。上から下までアホばっかしや」
 牢番も虜囚たちも揃って笑い声を上げた。
「その博士をどうすんねん?」
「俺たちはどうしても望月に会わなくちゃならないんだ」
「なんやったら、わいが農奴の名簿調べてきてやってもええで」
「頼む」
 牢番は片手を檻の中の良平に向かって突き出してみせた。良平はポケットから百ドル札を取り出すと、牢番の掌の上に載せた。
「なんや、金か。ここでは金なんか使い途があれへん。なんか品物持ってないんか?」
 持ち物は腐れたちに全部取り上げられてしまっていた。
「他には何もない」
「あんたの着てる、その上着でどうや? かっこええジャケットやないか」
「これで良けりゃあやるよ」
 良平は捜索チームのユニホームの上着を脱ぎ、牢番に渡した。
「望月のこと、頼んだぞ」
「わいに任せとき」

 翌朝、虜囚たちは牢から出され、車に乗せられた。車と言っても、車輪のついたトラックの荷台で、それをミュータント牛に曳かせて行くだけの代物だった。崩壊したビルの廃墟街を進むうち、やがてスタジアムが見えてきた。これも崩れているものの、まだ形は留めていた。
「着いたぞ。降りろ」
 虜囚たちはそれぞれの荷台から降りると、スタジアムの中へと連れて行かれた。
 グランドに出ると、しばらくそこで待たされた。虜囚の数はざっと二百人ほどいる。正面のスタンドを見ると、ミュータントの兵士たちに囲まれて、八人の、これまたそれぞれに異様な姿をしたミュータントたちが座っていた。その中には黒兜、黒マントの、まるで死神のようなドクロの姿もあった。
「あいつらは何者なんだ?」
 良平は隣の男に尋ねてみた。
「上の列は四天王――持国天様、増長天様、広目天様、多聞天様。その下に並んでおられるのが、四天王部隊の隊長たち、修羅隊のドクロ様、菩薩隊のオニビ様、羅漢隊のオロチ様、そして観音隊のイカヅチ様や」
「大袈裟な名前の奴らばかりだな」
 良平が言うと、
「しぃーっ、そんなこと聞こえたら、首が飛ぶで。おとなししときなはれ」
 隣の男は小声で良平に忠告した。その時、わあっと歓声が上がった。上の方に大柄なミュータントが姿を現わした。四天王も隊長たちも、その他の戦士や虜囚たちまでもが、立ち上がってそのミュータントを迎えた。そのミュータントは階段を下りて来て、四天王たちよりずっと上の方の席に着いた。
「あれは誰だ?」
 良平はまた隣の男に訊いた。
「帝釈天様や」
「ここの支配者か?」
「支配者は夜叉王様や。まあ、首相みたいなもんやな」
 歓声が静まるのを待って、帝釈天は口を開いた。
「我らが夜叉王様は、名もなき人間どもにもチャンスをお与え下さる。力ある者、勇気ある者は、戦士となることが叶おう。夜叉王様の庇護下にある幸運に感謝し、これら四天王の前で死力を尽くして闘え」
「夜叉王様万歳! 帝釈天様万歳!」
 戦士と虜囚たちは連呼した。
「とんでもない奴らに捕まっちまったぜ……」
 虜囚たちが歓声を上げる中、万吉は泣きべそをかきながら呟いた。
「青松!」
 ドクロがスタンドから叫んだ。
「おうー!」
 声がして、通路からグランドに大男が現われた。身長は三メートル近くある。その名の通り、皮膚の色が真っ青で、木の皮のようにごつごつしている。
「まさか、あれが今日の相手……?」
 虜囚たちは悲愴な顔つきになり、ひそひそと囁き合った。
「始めろ!」
 ドクロがグランドに向かって言った。
「さあ、誰からや?」
 戦士が手にした鉄棒を突き出して訊くと、
「よしっ」
 一人の男が進み出て、鉄棒を手に執った。青松の方は素手で、上半身も裸だ。
「来い!」
「いやあー! いやあー!」
 男は鉄棒を両手に構え、やたらに掛け声を上げはするものの、なかなか大男の青松に向かって行けないでいる。
「もたもたすんな。早よ来んかい!」
 青松は長い腕を振った。男は平手で打たれて吹っ飛んだ。そのまま地面に倒れて伸びたままでいる。
「話にならん。農場行きや」
 スタンドのオロチが言った。男は伸びたままグランドから担ぎ出されて行った。
「次は誰や?」
 青松が虜囚たちを睨みつけた。虜囚たちはしんと静まり返ってしまった。
「よし、俺が行ってやる」
 ジョウが立ち上がった。
「かかって来い、青二才め!」
 青松は獣のように吼えた。ジョウは黙ったまま鉄棒を振り翳した。青松がまた平手打ちを食らわせようとしたが、ジョウはサッと跳びすさり、丸太のような腕から逃れた。と、次の瞬間には鉄棒を振り下ろした。鉄棒は青松の胸に当たってバキッと音を立てた。青松はニヤッと笑った。
「このへなちょこが。さっぱり効かんぞ」
 ジョウはカッとなり、踏み込んで横殴りを食らわそうとした。またバキッと木の幹を叩いたような音がしたが、鉄棒は青松の手につかまれていた。
「本気でやらんかい、にいちゃん!」
 次の瞬間には青松の平手が飛んだ。今度はよけきれず、ジョウは吹っ飛んだ。
「あかん、こいつも農場や」
 オロチは言うと、長くて赤い舌をシュルシュルッと出してみせた。
「次!」
 誰も出て行かない。
「早よせんかい! 時間の無駄や」
「私が行くわ」
 京子が立ち上がった。
「あっ、よしなよ、ねえちゃん」
 万吉が止めようとしたが、
「どうせやらなきゃならないのよ。早く済ませた方がいいわ」
 京子は既に鉄棒を握っていた。
「女か。こりゃええわ。うへっ、うへっ」
 青松は気味の悪い笑い声を洩らした。
「いやらしい笑いするんじゃないわよ、この変態っ!」
 京子は叫びざま、鉄棒で青松の膝を狙った。鉄棒はヒットし、またバキッという音がした。しかし青松はダメージを受けた様子は少しもなく、笑い声を洩らしながら、得意の平手打ちを繰り出した。京子は読んでいたようで、青松の懐に飛び込みざま、その腕を両腕で抱え込むと、一本背負いで青松の体を投げ飛ばそうとした。一瞬青松の巨体が浮いたように見えた。見ていた者たちは声を呑んだが、青松の体は大きくて重すぎた。
「うへっ、うへっ」
 青松は京子の体を両腕で抱きしめた。京子の体は押し潰されてしまった。青松は京子を抱きしめたまま動こうとしない。
「放してよ! 放せ、化け物!」
 京子が青松の下で呻いた。
「放さんかい。もう終わりや。農場」
 オロチが言った。青松はわざとのろのろと体を起こした。京子は息が詰まってしばらく起き上がれないでいた。
「農場や。早よ運び出せ」
 オロチは面倒臭そうに戦士たちを促したが、
「その女、あたしがもらっとく」
 オロチの隣に座っているオニビが、表情一つ変えずに言った。
「ええ? あんな柔な女、役に立つか」
 オロチが非難するようにオニビに言ったが、オニビはそれを無視して、後ろに座っている増長天の方を振り返った。真っ赤な顔の増長天は黙って頷いてみせた。
「菩薩隊!」
 オニビがグランドに向かって言った。一瞬、オニビの全身から赤い炎が噴き上がった。両隣にいたオロチとドクロがのけぞった。京子は戦士たちに両脇を抱えられ、スタンドの下の方の席へと運ばれた。
「次!」
 オニビが催促した。
「俺が行こう」
 良平が立ち上がった。
「アニキ、大丈夫か? あいつは化け物だぜ。気をつけろよ」
 万吉が心配して言ったが、良平はニヤッと笑っただけだった。戦士が鉄棒を差し出したが、
「そんな物は要らん」
 良平は素手で青松と向き合った。
「にいちゃん、ええ度胸や。ほな行くでぇ!」
 青松が突進した。得意の平手打ちが飛び出す。良平は青松の平手をまともに受けてすっ飛んだ。仰向けに倒れたまま動かない。
「農場」
 オロチが面倒臭そうに言った。
「アニキ、そりゃ情けなさ過ぎるぜ」
 運び出される良平を見ながら悔しそうに呟くと、万吉はサッと立ち上がった。

 結局戦士に選ばれたのは、捜索部隊のメンバーでは京子と赤坂だけだった。赤坂は剣道有段者だった腕前を生かし、青松の巨体を鉄棒で打ちまくった。しかしダメージを与えることはできず、最後は青松の平手打ちに遭い、気を失ってしまったのだが、ドクロの修羅隊に入れられた。
 良平たち負け組は農場に収容された。農奴と言っても、要するに生産に関わることを全て受け持つわけで、良平も万吉もジョウも、特別な技能や経験がなかったため、一番きつい防御陣地構築作業と瓦礫撤収の道路工事に回された。早速その日から働かされる。
「アニキ、こんなことしてる暇は、俺たちにはねえんじゃねえかと思うんだけど」
 石積み作業の合間に万吉がやって来て、良平に不平を洩らした。
「当然だ。脱走する」
「だっ!」
 万吉は慌てて自分の口を手で塞いだ。
「いつだ? 今すぐにか?」
「しばらく探ってみないと何とも言えないな。しかし俺たちには時間がない」
「そりゃそうだ。突然死が待ってるもんな」
「なあに、近いうちにチャンスはやって来るさ。それまでにエネルギーを蓄えとけよ」
「ああ。けどよ、エネルギーは体から出て行くばっかだぜ。全くやりきれねえよな」

 その夜、良平は寝る前に早速脱走の下調べを開始した。農奴たちが雑魚寝している所は倉庫の跡か何かで、抜け出すのはた易い。出入口には番をしているミュータント兵がいるが、居眠りしていた。良平はそっと番兵の脇をすり抜けた。
 しかし農奴たちの収容所の敷地は高い柵で囲まれていて、いくつもある櫓の上には見張りが何人もいた。巡回している見張りもいる。所々に篝火が燈されているが、辺りはとても暗い。良平は闇に紛れて柵の手前まで行ってみた。しばらく柵の状態を確かめていると、
「おい、おまえ、そこで何してる!」
 櫓の上から声がした。
「いやあ、ちょっと小便」
 良平は適当に言い繕った。
(夜目の利く奴がいるのか。こいつはちょっと困ったな)
 辺りを見回しながら宿舎に戻ると、その夜はそのまま寝た。
 次の夜も別の方角を探ってみたが、今回も櫓の見張りに発見された。
(もしかすると、ここの見張りはみんな暗闇でも見える奴らばかりなのかもしれない)
 怪しまれないように、その夜もそれだけで宿舎に戻った。
 翌日、防壁の石積みをしていると、
「おい、あんた」
 声がしたので振り向くと、あの牢番が立っていた。良平は作業の手を止め、牢番に近づいて行った。
「なんや、土方やってんのかいな。あんたも大変やな。ところでな、あんたに頼まれた例の件、調べてみたけどな」
「どうだった?」
「この南部には望月源治っちゅうのはいてなかったで」
「そうか」
「まあ、東部か北部か西部におるかもしれんけどな」
「調べてくれるか」
「んー、それはちょっと難しいな」
「調べてくれ。礼はする」
「今度は何くれるねん?」
 牢番は待ってましたとばかり、嬉しそうにニタッと笑った。
「考えとく。それと、戦いが近いって聞いたが、いつだ?」
「さあな。もうすぐやろ。サタンとことやるみたいやで」
「それも調べといてくれ、はっきりした日時をな。それと――」
「なんや、まだあるのかいな」
「フェンスを切断する道具が欲しいんだ」
「あんた、逃げる気か?」
「しっ」
 良平は唇に人差し指を当ててみせた。牢番は急に声を低くすると、
「一体誰に頼んでんねん。これでもわいは番人やで、人間のよしみであんたに肩入れしてるけど。バレたらえらいこっちゃ。ひどい目に遭うで」
「それを承知で頼んでるんだ」
 良平の真剣そのものの目つきを見て、牢番は顔を歪めた。
「あんたには負けるわ。ハサミか何かでええんか?」
「なるべく小さめで目立たない物を頼む」
「金網切るもんやな。よっしゃ。そやけど、ほんまにやる気なんか? しくじって捕まったら、只では済まんで」
「やる。他に途はないんだ」
「わかった。それで、いつまでや?」
「戦いの前に用意してくれ」
「よっしゃ、そっちの方は任せとき。ほんならわいはそろそろ行くで。牢番抜けて来てるさかいな、早よ戻らんと」
 そう言って良平にくるりと背を向けると、牢番は元来た道を引き返し始めた。
「ええもん用意して待っといてや。そんでないと割に合わんで、こんな仕事」
「わかってるさ。楽しみにしてろよ。望月のことも早めに頼むぞ」
「わかってるって。ほな」
 牢番は軽く片手を上げてから、去って行った。良平は石積み作業に戻った。すると万吉が近づいて来た。
「アニキ、もう俺、こんなことやってらんねえよ。体じゅうの筋肉が痛くてたまんねえ。寝てる時間と食ってる時間以外はずっと働き詰めじゃねえかよ。なあ、脱走はいつやるんだい?」
「近いうちだ」
「近いうちって、いつ?」
「もうすぐだ」
「もうすぐって、いつ?」
「いいから、我慢して少しの間おとなしく働いてろ。このことは絶対口にするな」
 万吉は膨れっ面をして石積みに戻った。

 翌日は特に変わったことは何もなかった。その次の日も、良平は黙々と作業を続けた。万吉がやって来ては、また弱音を吐いた。
 その日の日暮れ――と言っても、空はいつも厚い雲と埃に覆われているので、すぐに昼から夜になってしまうのだが、良平は偶然京子に出くわした。京子は鎧みたいな物を身に着け、剣を腰に差していた。
「よお、何とも凛々しいお姿だな」
「こんな所にいたの?」
「まあな。俺の意志じゃないけど」
「いつまでもこんなことしてるつもり?」
「そんなわけないだろ。あんたはずっといるつもりか? 戦士の恰好がなかなか板についてるぜ」
 良平は京子をからかってそう言った。
「よしてよ。私の意志じゃないわ」
「ところで、ちょうどいいところに来たから訊きたいんだが、戦いはいつあるんだ?」
「私は知らないわ。毎日訓練ばかりさせられてるから、近いうちにあるとは思うけど……。脱走する気なのね、その時に」
 京子は小声になって言った。良平は瓦礫を車の荷台に積み上げる作業を再び始めた。
「あんたはどうする?」
「もちろん逃げたいわよ。でも――」
「どさくさに紛れて逃げる。簡単だろ?」
「ええ、でも――」
 良平はさっさと車を曳き始めた。
「おい、そこの車、まだ積めるぞ」
 監視の戦士が良平を呼び止めたが、
「早くしないと、もう暗くなっちまう」
 そう言ってどんどん車を曳いた。京子は良平を追いかけた。良平の隣ではジョウが一緒に車を曳いていた。
「時仲さん、あなた、あの時わざと負けたんでしょ? ふるい分けの時、あの青松に。私にはわかるわ。なぜなの? 戦士にさえなっていれば、逃げるのもずっと楽になったのに」
「あんた、一緒にやるのかやらないのか、どっちなんだ?」
 良平は京子の質問には答えずに、自分の方からの質問で押し通そうとした。
「もちろんやるわよ。私たちは生きるか死ぬかの瀬戸際にいるのよ」
「じゃあ、赤坂にも伝えといてくれ。戦いが始まった日の日が暮れてからだ」
「赤坂さんとは隊は違うけど、何とかして伝えるわ。でも、もっと計画を練らないと。いろいろ行き違いだって起こるでしょうし――」
「そんな暇はない。赤坂に任せとけば大丈夫だ。とにかく北へ逃げる。とりあえずは南部の勢力圏から抜け出すことだ。そのあとのことはその時のことだ」
「望月博士を捜すのは?」
「脱出したらすぐにも捜す。それしかないだろ。今、人に頼んで望月の居場所を突き止めてもらってるところだ。まだ返事は返って来てないが」
 良平は急に車を曳く手を止めた。
「そうだ、あんた、何か金目の物持ってないか?」
「えっ?」
 良平は京子の体を眺め回した。そうされると、京子は急に恥じらいを覚えた。そうして良平は京子の首筋のチェーンに目を留めた。素早く手を伸ばしてそれを引きちぎる。
「あっ!」
 その先には銀色の十字架がぶら下がっていた。
「これは銀か?」
「そうよ。でもそれをどうする気?」
「預かっとく」
「でも、何のために?」
 良平は京子のロザリオをズボンのポケットにしまった。
「あんたのことを忘れないために」
 突然そんなことを言われ、京子は慌ててしまった。黄昏の空の下、年がいもなく自分の頬が紅潮していくような気がして、彼女は咄嗟に良平から顔を背けた。
「じゃあな」
 良平はそれだけ言うと、ジョウと共に瓦礫を積んだ車を再び曳き始めた。ジョウがもう一度振り返り、京子に向かってニヤッと笑みを浮かべてみせた。その笑みが冷やかしのように思え、京子は少し腹が立った。しばらくの間ぼうっとして、良平たちの後ろ姿を見送っていたが、ふと我に返ると、元来た道を急いで引き返し始めた。
 京子は、もしかすると、良平が青松にあっさりと負けたのは、あらかじめ脱走のことを頭に入れてのことだったのではないだろうかという気がしてきた。そして、ジョウが農奴に回され、京子が戦士になるということがわかったその時点で、自分は脱走には不利になるだろうと予想される農奴の方を、あえて選んだのではないのだろうかとも思えた。全員が戦士になれていたら、良平は青松にあんな簡単には負けなかったに違いないと思った。
 自分は彼を買いかぶり過ぎているのかもしれない、とも思い直してみたが、やはり自分の心の中に、良平に対しての尊敬に近い気持ちが急速に湧き起こってきていることを否定することはできなかった。いや、その気持ちというのはそれ以上の何かかもしれなかった。京子はその気持ちを振り払おうとしたが、そうすればするほど、自分のロザリオを引きちぎった時の良平の面影が、何度も何度も脳裏に浮かび上がってくるのだった。

 翌日、日が暮れて屋外での道路整備の作業が終了し、寝るまでの間の室内作業に向かう途中で、良平の袖を引っ張る者がいた。見ると、あの牢番だった。牢番は何も言わずに良平の袖を引っ張ったまま、彼を廃墟ビルの陰へと連れて行った。
「例のモノ、持って来たで」
 牢番は良平の手にそれを握らせた。良平はそれを自分の顔の前に翳した。
「ペンチでんがな。それなら見つかれへん。それから戦の日取りやけど――」
「いつだ?」
「十月二十四日」
「二十四日と言うと……」
「あさってでんがな。あさっての真夜中。何でも、サタンが瀬戸内海に略奪しに出てるらしいから、留守の間に西部を攻め奪ってまえっちゅうことらしい」
「だったら出払うのは大軍だな」
「そうなるやろな。何しろあのオロチ様があっちこっちで喋り回ってるさかい――『あと二日や』とか、『奇襲攻撃や』とか、『サタンのいてへんうちに乗っ取ったれ』とか、ほんま、オロチ様は口が軽いさかいな。スパイに聞かれでもしたら、敵に知られてもうて、奇襲攻撃になれへんがな。いや、もう向こうに洩れてるに違いないわ」
 良平は少し考え込んだ。
「デマを流してるとも考えられるぞ。わざとスパイに聞かせるようにして」
「いいや、そんなことは絶対あらへん」
 牢番は首を左右に強く振った。
「あの方はな――」
 そう言うと、自分の頭の横で掌を広げてみせた。
「これや」
 良平は、この牢番を含め、ここの人間たちはたとえ戦士の階級であろうとも、やはり本音では支配者であるミュータントたちを毛嫌いしているのだということがわかった。やむを得ずミュータントたちに付き従っているだけなのだ。ミュータントたちの言葉の端々に、人間への蔑みの気持ちが表われていることは既に勘づいてはいたが、彼らにしてみても、それを快く思っているはずがない。
 彼はそれはそれで仕方のないことだとは思っている。それはかつてミュータントと人間との力関係が今とは逆だった頃、人間がミュータントに対して持っていた差別意識の裏返しに過ぎない。いや、それ以上に人間はミュータントに対してひどい仕打ちをしてきた。
(次はミュータントたちに復讐される番か)
 良平はこのところそう思わずにはいられない。それがまだあからさまな形を取って顕れてこないのは、大多数のミュータントたちが、大戦時、そしてその後の惑星衝突時以降に突然変異し始める前までは、普通の人間だったという明白な事実があるからだ。そして人間の側もそのことを知っていて、まだ高をくくっているようだ。
 彼らはもちろん、よほどの子供でない限り、人間だった頃の記憶を留めているはずだ。もしかすると、彼らミュータントたちの内部では、自分たちが人間だった時のことを忘れ去ることができずにいるマイナスの面と、人間の能力を遙かに上回っているミュータントであることに対する誇りを新たに作り上げようとするプラスの面とがわだかまり、常に激しく渦を巻いているのかもしれない。その渦とは、自分のように、人間のままでいる人間には決して知りようのないものに違いない。牢番の言うことを聴いていて、良平はふとそんなことを思った。
「どないしはったんや?」
 良平がじっと黙り込んでいるので、牢番は不思議に思って尋ねた。
「いや、何でもない。すまない。恩に着るよ。それで、礼のことだけど」
 牢番は暗闇の中でニヤッと笑った。良平はポケットから京子のロザリオを取り出し、牢番に手渡した。
「何でっか、これは?」
 牢番は手にした物が何なのかにわかにはわからなかったようで、廃墟ビルの陰から道路の方へと歩み出た。篝火の弱い光にそれを翳してみる。銀の十字架がオレンジ色に光った。
「これは十字架でんな」
「ああ」
 牢番は渋い表情をすると、
「わてはキリスト教徒とちゃうから、こんなもんもろたところで……」
「銀製だ」
「ここではもう銭っちゅうもんをつこてへんから、銀ゆうたって、ただの原料や。これだけやったらスプーン一本分の値打ちしかあれへんな」
「だけど、あいつらに捕まった時に他の持ち物は全部取り上げられてしまって、俺はもう何も持ってないんだ」
 牢番は急にしゃがみ込み、良平の片方の足首をつかんだ。
「そんなことない。ええブーツ履いてなはるやないか。外国製かいな?」
「こいつが欲しいのか?」
「こんなええ品は大阪では手に入らへん。ドクロ様はよう見逃してくれたもんや」
 牢番はじろりと良平の顔を見上げた。
「やってもいいが、俺はどうなる? 裸足で歩けってのか?」
「わての靴と交換しまひょ。サイズもあんまし変わらんみたいやで」
 良平はブーツを脱ぎ、牢番のボロ靴と交換した。幸い、サイズには問題なかった。
「十字架はしもときなはれ。あんさんの大事なもんでっしゃろ。バチ当たりまっせ。望月源治のことはわかりしだいまた知らせに来るよって。そやけどあんさんが脱走に成功したら、知らせようもないなあ」
「その時はもういい。また何とかする」
「ほなら、頑張って逃げとくなはれ。あんさんとは短い間やったけど、妙に馬が合うて、とても他人とは思えんかったわ。もう会うこともないかもしれんけど、あんじょう生き抜いてや。ほな、さいなら」
 牢番は自分の履いたブーツを嬉しそうに何度も見ながら、夜道を去って行った。
「大事なもんか……」
 良平は京子から無理やり奪い取ったロザリオを見た。このロザリオを手放さずに、自分のブーツで済んで良かったと、何となくほっとする気持ちがあった。その気持ちに自分で気づくと、それがどこから来たものなのか不思議でならなかった。彼は銀のロザリオを、牢番からもらったペンチと一緒にそっとポケットに入れると、室内作業場へ向かった。

 その夜、いつものように倉庫跡で寝ようとしていると、別の宿舎にいる田代がやって来た。
「時仲さん、時仲さん」
 田代は小声で良平を呼びながら、暗い中を手探りで近づいて来た。
「田代さんか? どうしたんだ?」
 田代は声を頼りに良平の所まで来ると、両膝を揃えて座った。
「寝ないのか? 一日中工場に缶詰にされて疲れてるんだろう?」
「そんなことより……」
 田代はそれっきり黙り込んだ。隣で万吉が鼾をかいて眠りこけている。
「外へ出よう」
 良平は、田代が何か思い詰めているのだということを感じ取った。
「ああ」
 田代は消え入るように返事をした。いつものように番人は倉庫の出入口で居眠りしている。二人はその横をスッとすり抜けると、宿舎の角を曲がった所まで行った。
「ここにやって来るなんて、一体どうしたんだ、田代さん?」
 田代は捜索メンバーの中では最年長だったが、ジョウが原口を射殺してからあとも、不平一つ言うことなく、良平のやる通りに従ってきた。彼と町田は工学系の技術があるので、ここに捕まってからは、昼間はずっと工場の中で働かされ、夜も宿舎は別だった。
「言ってくれ」
「ああ」
 田代は俯いたまま、
「私はもう、駄目だ。耐えられないよ、こんなこと」
 おもむろに切り出した。
「あと二日だ。二日後には戦いで兵士たちが出て行く。当然ここの警備も手薄になる。今日そう言ったばかりだろ。こんな収容所なんて、訳なく破れる」
「そのあとはどうするんだ?」
「望月を見つければいい」
「見つかるっていう保証はあるのか? 今日は十月二十二日だ。我々がRV−β型ウイルスを飲まされたのが十六日。六日経った。早ければあと二週間で死ぬかもしれない。たとえ脱走できたとしても――」
 田代はほとんど泣き声になっていた。
「なあ、田代さん、望月はこの近くにいるってわかってるんだ。その気になれば、探し出すのに十日もあれば充分だろ」
「その情報自体、本当だという保証はないだろ。たとえ望月博士が見つかったとしても、解毒剤がすぐ造れるという保証もない。いや、望月がもう既に死んでしまっている可能性すらある。その時はどうなるんだ?」
「保証、保証って、人間に先のことなんかわかるわけないだろ。あんたは結果のわかりきったことしかしないのか? この俺が保証するって言えばあんたの気が済むのなら、そうしてやってもいいぜ」
 良平が幾分声を荒げて言うと、田代は少し冷静になったようだったが、
「私はいい歳して、世界大戦の義勇軍に参加した。私はエンジニアだったから、後方にいて、大戦の終結まで戦況をよく知らなかった。あの空に炎の帯が走り、地面が激しく揺れた時は、さすがに驚いたが、まさか日本がこれほどまでになっていようとは思ってもみなかった。しかしこの国に戻って来てみると、私の家族はもういなかった。私は全ての財産を失った。裸一貫からやり直しだ。だが、やはりこの時代は私には厳し過ぎるよ。私にはもう無理だ、耐えられない」
 項垂れたままそう言うと、地面に膝を落とした。
「何が無理なんだよ。あんたはあれからもう八年も生きてきたじゃないか。これ以上悪くはならないさ」
「気休めで言ってくれてるのか?」
「気休めで言ってるんじゃない」
「これ以上悪くならないだって? ずっと悪くなりっぱなしだ。私は日本に戻って来た時そう思ったよ、これ以上悪くなるはずがないってね。しかし現われてきたのは恐ろしい独裁者ばかりだ。毎日怯えながら生きてきた。今日は強盗に襲われるんじゃないか、明日は警察に逮捕されて拷問されるんじゃないか。その日の糧を手に入れるために日雇いの仕事に出る。その度にミュータントを見ては怯え、人間とすれ違う時はビクビクしながら顔を伏せる。仕事場に警察が踏み込んで来た時は、今度こそ私じゃないかといつも冷や冷やしていた。とうとう誰も信用できなくなってしまったよ。きみを見た時、本当に強い人間がいるもんだなあって思ったよ。これでなきゃ生き延びることができないんだとも。だけど私はやっぱりきみのようにはなれない」
 良平は何も言い返せなかった。田代の気持ちは痛いほどよくわかる。自分もこの国に戻って来た時には、彼と全く同じ心理状態に陥った経験がある。しかし自分がこの田代のように挫けることがなかったのは、田代と違い、ただただ悪の道に走ったからに他ならない。言い換えれば、自分の本心を裏切って時代に身を任せたことにより、狂わない方向へと逃げたことで、この時代を生き抜けるようになったということだ。だからと言って、田代に向かって良心を捨てろとはとても言うことはできなかった。
(本当はこういう人間だけが生き残るべきだったんだろう)
 良平はふと思った。
(ではなぜ、俺は生き続けようとするのだろうか?)
 別に生き残りたいと思っているわけではない。いつ死んだっていいと思っている。生に対する執着などかけらもない。だからと言って、死にたいとか、死のうとか思ったことはただの一度もない。
(俺は本能の命令だけに従って生きる獣に過ぎない)
 それどころか、生死について真剣に考えてみたことなど、地球がこんなふうに変わってしまってからは一度もない。むしろそれ以前の平和だった時ほど、生死について理屈をこねては悦に入っていたような気がする。自分が何のために生きているのかなどと考えると、全くやりきれなくなってしまうし、生きることの意味を考えること自体、今では無意味なことに思えてきたりもする。
(俺は生でも死でもない所を漂っているだけなんだろう)
「私はね、私は、自分が脱走するというそれだけのことがとても怖いんだよ。そのことを考えただけで、恐ろしくて、恐ろしくて……」
 田代は良平の膝に取りすがって泣いた。
「私は臆病者だ。上からの命令でさえあればそれだけで安心してしまい、疑問一つ抱くことなく何でもやってしまうという、全く無責任などうしようもない男なんだ。自分の意志では何一つできやしない」
 田代はいつまでも泣きじゃくっていた。良平はしゃがみ込むと、田代の両肩にそっと手を置いた。
「田代さん、誤解するなよ。俺だって怖いんだよ。この脱走が巧くいくかどうか、いつ体内のウイルスが爆発するか、心配でたまらない。俺は大戦の途中で逃げ出した。ここでもまた逃げ出そうとしてる。俺は怖いものからはすぐ逃げ出してしまう質なんだ、より恐怖を感じない所へと。ただそれだけのことなんだ。あんたの方がよっぽど強い人間だ」
 田代は涙でくしゃくしゃになった顔を上げた。
「でもきみはまだ若い。私ほど前世紀の安穏な生活に馴れきってはいない。守りに入らないうちに惑星が降って来た。この時代にも対応していけるだろう。私はね、望月博士捜索も、それを機に、もしかすると自分が変わることができるのではと、甘い期待を持って応募したんだ。でもそれも甘すぎる考えだったと思い知らされたよ。来るべきではなかった。いや、あの大戦で死ぬべきだったんだ」
「田代さん、今のあんたはただ、自分を取り巻く環境が急激に変化したから、それに戸惑っているだけなんだ。一日中こんな所に閉じこめられてるから、気が滅入ってるだけさ。あと二日。二日経てば、今のそんな気分はすっかりどこかへ飛んでっちまうさ。さあ、あと二日。二日間だけ、馬鹿になって工場で武器を磨いてりゃいい。だから今夜はゆっくり寝んで。さあ、宿舎に戻ろう」
 そう言って、良平は田代を立ち上がらせた。
「見張りに見つからないようにな」
「ああ」
 田代は自分の宿舎に向かって歩き出した。良平は暗がりの中で田代を見送った。田代は途中でふと振り返り、
「ありがとう、時仲さん。お蔭でだいぶ気が晴れたよ。もっと早くきみと知り合えていれば良かったと思う」
 それだけ言うと、また宿舎へ向かった。良平も宿舎に戻って横になったが、なかなか寝つけなかった。ふと嫌な予感がして、彼は立ち上がると、また宿舎を抜け出した。田代の宿舎の入口にいる人間の番人は、居眠りなどしていなかった。
「おまえ、誰や?」
 番人はランプを手に取り、良平の方に翳した。
「この宿舎のもんではないな」
「ちょっと友人に用があって来たんだ」
「あかん。規則やからな」
「堅いこと言うなよ」
 良平は百ドル札を取り出し、番人の手に握らせた。番人はそれをランプの火に照らしてしげしげと眺めたあと、
「金か……」
 そう言って顔をしかめた。
「あんたも俺と同じ人間だろ。だったら人間の気持ちぐらいわかりそうなもんだが。おまけに賄賂で人の出入りを操作するのはお手の物じゃないのか?」
「しゃあないな。早よ済ませよ」
「これ借りるぜ」
 良平は番人の手からランプを奪い取り、宿舎の中へと入って行った。ランプの灯りを頼りに田代を捜してみた。灯に照らされたどの顔もぐっすりと寝入っている。ようやく田代が眠っているのを見つけ、少し安心した。更に良平は近くで寝ている町田を見つけ、揺り起こそうとした。
「何だ……良さん。今頃何の用?」
 町田は寝ぼけ眼をこすっている。
「田代さんのことだが――」
「田代のおっさんがどうかした?」
「昼間、何か変わった様子はなかったか?」
「変わった様子って?」
「何かやけに思い詰めてるみたいなんだ」
「別にそんなことないと思うけど」
「それならいいけど、あと二日、この人から目を離すな」
「ああ、わかった」
 町田はまた目を閉じて、床に寝転がろうとした。
「ちゃんと聴け」
 良平は町田をまた引きずり起こした。
「何だよ、おっさんが何だってんだよ」
「昼間工場で一緒なのはおまえだけだ。何か起こってからじゃ遅いんだ」
 町田は田代の寝ている姿に目をやった。
「やばい雰囲気なのか?」
「かなり来てる。おまえだってわからないでもないだろう?」
「カリカリしてんのか?」
「もっとだ」
「嫌なこと言うな、良さん」
「俺の取り越し苦労だったらいいんだが。とにかくいいな、目を離すなよ。頼んだぞ」
 町田は黙って頷いた。

 しかし翌日のことだった。夕食の時に町田が血相変えてやって来た。
「良さん……」
 良平は町田の表情を見て、悪い予感が的中したことを悟った。
「田代のおっさん……死んだよ。昼間……、工場で……。急に剣を持って暴れだしたんだ。それで……、兵士たちに囲まれたあと、その剣を自分の喉に突き立てて……」
 良平は黙って頷いた。
「俺がもっと気をつけて見ていたらなあ……。俺ってほんと、駄目な男だよ。昨日良さんに言われたとこなのに……、油断してて……」
 町田は、良平が何も言わないので却って取り乱してしまった。
「ほんと、情けないよ。俺はどうしようもない馬鹿野郎だ」
 町田は頭を抱え込んだ。
「止められなかったものは仕方がない。もう忘れろ」
「えっ……?」
 良平の意外な言葉に、町田は恐怖さえ感じた。非難された方がよほど気が楽だった。
「明日は俺たちの番かもしれない。他人の自殺を悼んでる暇はないぞ」






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