4.  罠



 黄土色の空が黒みを帯びてきた頃だった。薄汚れて崩れかけたコンクリート塀の前で、良平はふと足を止めた。ビラが一枚、無造作に貼られている。
『大阪にいる望月源治博士を連れ帰った者には賞金 500,000オーストラリア・ドルと食糧一年分 説明会は2012年10月14日午後7時 中央官庁大ホールにて 東京中央政府』
 彼はしばらくの間、ビラのある部分だけをじっと見つめていた。
「よう、アニキ、何してんだ?」
 まだ二十歳にもなっていないだろう少年が一人近づいて来て、そんな彼に声をかけた。錆ついた鉄パイプを片手に握っている。そこにはまだ真新しい血がこびりついているのが見て取れた。良平は若者が手にした鉄パイプにチラッと目をやったが、すぐにまた壁のビラに視線を戻した。
「何見てんだ、え?」
 少年は、良平が熱心に見つめているビラに興味を示して読み始めた。
「ボウツキ博士を連れて来たら、一、十、百、千、万、五十万オーストラリア・ドルと食糧一年分くれるのか。こりゃすげえや」
 言いながら、少年は鉄パイプでビラをカンカン叩いた。ビラに血がこびりついた。
「万吉、また殺ったのか?」
「ああ、ババアだ。なかなか食いもん出さねえんで、脅しにぶっ叩いたら、くたばりやがった」
 万吉と呼ばれた少年は、ケケケッとかん高い笑い声を上げた。
「万吉、そろそろ押し込み強盗からは足を洗った方が身のためだぞ」
「俺はアニキみてえに偉かないんでね、これしかねえんだ」
「取り締まりが厳しくなってきてる」
「だいじょぶだ。俺はドジ踏まねえ。そう言うアニキの方はどうなんだい? 堅気の仕事は巧くいってるのか? 政府の食糧倉庫の方はどうなんだい?」
 良平は答えないで、ビラを見つめ続けている。
「ははあ、そうか、クビになったんだな。それでこんなもん見てんだろ。なんでクビになったんだ? 地下街の食糧横流しがバレたのか? そうだろ」
「そうだ」
「しかし捕まんなかったってのは、アニキもよっぽど運のいい人だ」
「所長と警官を買収しただけさ。お蔭ですかんぴんだ。また稼がなきゃならない」
「そうか。じゃあまた俺と組もうぜ」
「強盗はごめんだ」
「どうして? もう綺麗事言う善人になっちまったのかよ。横流しやってたくせに」
「俺はおまえみたいに年寄りやガキを殺したことは一度もない。おまえはクズだ。一緒にすんな」
「ちぇっ」
 万吉はそっぽを向いて舌打ちをすると、急に子供っぽい悲しそうな顔になった。
「好きでやってんじゃねえよ。俺はアニキみてえには頭は働かねえし、腕の方も大したことねえ。だけどよ……」
 万吉は俯いて、足元の石ころをポーンと蹴った。そして恥ずかしそうに言った。
「だけど、もう一度、昔みてえにアニキが国連の援助物資狙うって言うんなら、俺は一緒にやるぜ」
「駄目だ」
 良平はピシャリと言った。
「もう無理だ。今の輸送車の警備は、昔とは比べ物にならないくらい厳重になってる。自動小銃を持った国連兵が、一台に二十人もついてる。鉄パイプじゃ戦えない」
「だったら盗っ人か殺ししかねえよ」
 万吉はわざとすねてみせた。
「万吉、ハゲタカたちが今どうなってるか知ってるか?」
「知らねえよ。前に一緒に輸送車襲ってからは一度も会ってねえから」
「配給所の前で晒し首になってる」
「ああ、あれか。よく見なかったから、気がつかなかった。ハゲタカがハゲタカの餌食になってんのか。ザマねえな、ケケケ。じゃあ、ヘイジもミツもモグラもか?」
「ハゲタカじゃないが、みんなカラスの餌にされてる。もう強盗は無理だ。近頃の政府は露骨になってきた。容赦しない。とうとう本性を顕わしたってとこか」
「国連軍の後ろ盾ってもんがあるからな。そんじゃあ、次の職業は賞金稼ぎか?」
 万吉はまた鉄パイプでビラを叩いた。良平はその鉄パイプを万吉から奪い取ると、塀の向こうへ放り投げた。
 塀の角に人影が現れたかと思うと、こちらに向かってゆっくり歩いて来た。制服を着た警官だった。警官は二人の背後で立ち止まると、背後からしばらく二人をじろじろ眺め回している様子だった。良平と万吉は警官の方には目もくれず、じっと押し黙ったまま、ビラに気が行っているふりをしていた。やがて警官は、ふん、と鼻を鳴らすと、自分の尻をかきながら去って行った。
「こいつは話が旨すぎる」
「オーストラリア・ドル五十万と食糧一年分か。なるほど高すぎる。こいつは危ない仕事かもしれねえな。ボウツキゲンジ博士とかいうのを連れて来るだけで――」
「モチヅキゲンジだ」
 良平が訂正した。
「アニキ、知ってんのか、そのモチツキとかいう奴を?」
「名前だけな」
「どんな奴だ? 博士だから、偉い奴か?」
「あいつは悪魔だ」
「悪魔ねえ。おもしれえ。悪魔狩りってわけだな」
「ただのじいさんだ」
「どっちなんだ? 悪魔か? ただのじいさんか? 大違いだぜ」
「両方だ。だけど――」
 と、良平はビラの『望月』という文字を指先で弾いた。
「俺はこんな奴を見つけて連れ帰る気は全然ない」
「でも五十万だぜ、五十万。紙屑みてえな日本円じゃないぜ。オーストラリア・ドルだ」
 万吉は、『賞金 500,000オーストラリア・ドル』と書かれた部分を指で撫でた。血の痕が尾を曳いた。
「確かに五十万あれば、密航してオーストラリアでもニュージーランドでも、好きな所へ簡単に行ける。手に入ればの話だがな。手に入るわけない。見つかるはずがないからな。万に一つ見つかったとしても、連れて帰るのは不可能だろうな。奴はみんなに憎まれてる、大量殺人兵器を作った悪魔としてな。そしてそのことは百も承知だ。だからついて来るもんか。ところがこの金額を見て、馬鹿が何人集まって来ることか」
 そう言いながらも、良平は相変わらずビラを見つめ続けている。
「じゃあなんでアニキはこいつをずうっと見てるんだよ?」
「こいつに応募はする」
「博士は捜さないのか?」
「捜さない。大阪まで只で連れてってもらうだけさ」
「そいつはいいけど、大阪に行ってどうすんだよ? この街を出るのか?」
「ここはもうおしまいだ。稼ぐ種がない。だからって、脱出するのも簡単じゃないしな」
「アニキには学があるんだから、闇兵衛みてえに闇市でもやればどうだ? 横流しの経験もあるし、闇兵衛とコネもあるだろ」
「残念だけど、俺には闇兵衛みたいな商才がない。商人は性に合わねえ」
「で、大阪ってわけか。脱出するんだな、東京から」
「ここもひどくなってきたが、大阪は滅茶苦茶らしい。無法地帯だそうだ」
「そこで一旗揚げて大暴れする気か、どさくさに紛れて?」
「それはたぶん無理だろう。そんないいとこじゃないみたいだぞ。この前、国連治安維持軍の歩兵一個師団が全滅したらしい。そのあと送り込んだ装甲部隊も、一台も帰らなかったそうだ」
「何かあるのか、あそこには?」
「何かある、とんでもないモノが。こいつは――」
 と、良平はビラを指差した。
「恐らくそれと関わりがあるはずだ」
「それを探る?」
 万吉はパチンと指を鳴らした。
「そんなことするか。何の得がある? 俺には関係ない」
「じゃあ、どうする気だ?」
「大阪まで便乗して、そこが駄目なら、九州へ行く」
「どうやって?」
「何とかしてだ。その時考える」
「それで?」
「そこも駄目なら大陸に渡る」
「どうやって?」
「それも何とかしてだ」
「で?」
「そこからずっと南へ行く、タイとか、マレーシア、その辺か」
「そこも駄目なら?」
「海を渡ってオーストラリアへ行く」
「それも何とかしてか?」
「何とかしてだ。ここにいたって、方法なんかいつまで経っても見つかりはしない。東京はもう駄目だ。政府は傲慢になってきてる。仕事もやり辛くなった。そのうちここは支配者と奴隷だけの国になるのは目に見えてる」
「奴隷にされる前に逃げるのか。そりゃいいアイデアだ。俺も行くよ。行こうぜ」
 一人ではしゃぐ万吉を、良平は睨んだ。
「しかしそれも危険なことには違いないぞ」
「いいさ。ここだって危険だ」
「じゃあ行こう。ついて来い」
「今すぐ出発か?」
「中央政府だ。説明会は十月十四日の午後七時って書いてあるだろ」
「十月十四日ってえと――?」
「今日だ」
「じゃあ、七時ってえと、もうすぐじゃねえか」
「だから今から行くんだ」
 良平と万吉は暗くなってきた路地裏を歩き出した。

「おっ、女が歩いてるぜ」
 万吉が前方を指差して言った。
「東京最後の思い出に淫っちまおうぜ」
「よせ」
 良平が止めたが、万吉は前を歩いている女に向かって走って行った。
「ギャアー!」
 次の瞬間には、万吉が地に這いつくばっていた。女に腕をねじ上げられている。
「おい、待てよ。許してやれ」
 良平はそう言いながら飛んで行った。
「あなた、この変態の仲間なの!」
 女は良平をキッと睨みつけた。
「俺は痴漢じゃない。そいつだってまだ子供だ」
「ふんっ」
 女は万吉を手荒く放り出すと、また背を向けてさっさと歩き出した。
「ひでえ女だ」
 万吉は喘いでいた。
「柔道か相撲か何かやってたんだぜ、あいつは」
「もう面倒起こすなよ。金がないんだ。警官も買収できないぞ。あっちへ行くまでおとなしくしてろ、いいな」
「わかったよ。でもいい女だったなあ。やっぱり淫りたくなってきたぜ」
「バカ」
 すると、先程の女がまた良平たちの所に引き返して来た。
「やばい。まだ怒ってるぜ。アニキ、助けてくれ」
 万吉はうろたえたが、
「あなた、政府の庁舎はどこにあるか知らない?」
 今度は穏やかに尋ねてきた。
「真っ直ぐこの先だ。でかい新築の建物だからすぐわかる。電灯も燈ってるしな」
「あんたも賞金稼ぎに行くのか。実は俺たちもなんだ、へっへへ」
 そう言った万吉を、女はまた怖い顔で睨んだが、そのまま黙って行ってしまった。

 庁舎の大ホールは人でごった返していた。
「凄い人出だ。千人はいるぜ」
 万吉が適当なことを言った。役人が出て来て簡単な説明をしたが、装備を支給され、国連軍に大阪まで運んでもらえるのは、たった十人だけだとわかった。
「ではこれより選抜試験を行なう」
 まず体力測定をやり、これだけで人数は四分の一程度まで減った。残った者たちは写真撮影をし、個人ファイルに記入をしてから、知能テストのようなものを受けさせられた。これで五十人弱まで減った。良平はその中に残ったが、万吉は外れた。
「アニキ、俺を見捨てねえでくれよ。とても一人じゃ行けねえよ」
「待ってろ。まだ俺だってどうなるかわからんからな」
「選ばれたら、アニキは一人で行っちまう気かよ。そりゃねえぜ」
「その時は何とかしてやる。とっておきの最後の金があるんだ。心配するな」
「その言葉を信じて待ってるぜ」
 今にも泣き出しそうな万吉をあとにして、良平は別室へ向かった。そこでは射撃をさせられた。良平は世界大戦に従軍して、銃を扱った経験はあるが、あまり得意ではなかった。射撃テストが済んだ時、
(これは滑ったな)
 と思った。全弾的にこそ命中したものの、全部的の端の方に穴を空けてしまったからだ。控室で待ってろと言われたので、じっと座って待っていると、見たことのある女が部屋の中に入って来た。
「あら、痴漢の親分、あなたもここまで残ったの?」
 万吉が襲おうとして逆に撃退されたあの女だった。
「人聞きの悪いこと言うな」
「痴漢の親分にしちゃ上出来じゃない」
「あんたも女だてらによく残ったな」
「女は男に劣ってるとでも言いたいの?」
 そう言いながら、女は良平を睨んだ。
「そんなこと、俺は知らねえな。ただ――」
 良平は言いかけてそこで言葉を切り、安物の煙草を一本取り出して口にくわえると、マッチを擦って火を点けた。
「ただ、何よ? 言いかけてやめるなんて、男らしくないわねえ。はっきり言いなさいよ」
 良平は吸い込んだ煙を大きく吐き出した。
「ただ、口の悪い女は嫌いだって言いたかったのさ」
 女の顔は見ずに、あらぬ方を向いて言った。
「それと、喧嘩っ早い女も」
 女はムッとした顔をして、良平から一番離れた席まで行くと、そこに腰を下ろした。そのまま二人は一言も喋らず、相手を無視し続けていた。あとから数人の者たちがぱらぱらと入って来て席に着いたが、誰も喋らなかった。
 しばらく待っていると、係の役人が室内に入って来た。
「今ここにいらっしゃいます七人の方々が合格者です」
 ヒュウーッと口笛が鳴った。
「あなた方には武器、衣服、携帯食糧等の装備が支給され、アメリカ海軍の航空母艦とヘリコプターによって目的地まで速やかにお送り致します」
 また口笛が鳴った。
「これから国防事務次官が参りますので、契約書にサインして頂きます」
「賞金稼ぎに、なんで契約書が要るんだ?」
 一人が訊いた。
「もちろん、あなた方は特別に選ばれた方々ですから」
「それともう一つ――」
 ドアを開けて入って来た、背広姿の初老の男がいきなり話し始めた。
「支給された装備を持ち逃げしないという確約を取るためだ」
「俺たちを疑ってるのか?」
 質問した男が言った。
「当たり前だ。今日やって来たばかりの人間を信用できるかね? 私は国防事務次官の元田だ。さあ、契約書をよく読んでサインしたまえ。無論、きみたちの自由意志によってだが」
 元田は民間の流行り言葉をわざと使って言った。良平は配られた契約書に真っ先にサインした。
「よく読んでからサインすべきだと思うがね、時仲クン」
 元田は良平をたしなめたが、
「ほっといてくれ。俺の自由意志だ」
「なるほど。ではサインしたら、個別に面接を行なうとする」
「何のためだ?」
 先程質問した男がまた訊いた。
「きみたちの記入した個人ファイルに偽りがないかを確かめるためだ。それと、契約書の第七項を読んだかね」
「無事任務を遂行した場合、中央政府との専属エージェント契約を結ぶことも可、というこれか?」
「そうだ。そのためには私がじかに面接を行なう必要があると思ってね」
「その前に一つお聞きしたいのですが」
 あの女が発言した。
「きみは、ええと……」
 元田は個人ファイルの束を繰った。
「今泉です。今泉京子」
「ああ、今泉クン。アメリカ育ちか」
 口笛男がまたヒューとやった。
「ええ。国籍は日本ですが」
「H大のロー・スクールを首席で卒業。マスター終了後に帰国。ほう、つい最近じゃないか。なぜこの国に戻って来たのだね?」
「ここが私の祖国だからです」
「帰って来なけりゃいいものを」
 良平が呟いた。元田は京子をしばらく眺め回してから言った。
「きみは素晴らしい女性だ、今泉クン」
「お褒めに与り光栄です」
「で、今泉クン、質問とは何かね?」
「望月博士を捜索する目的は何なのでしょうか? 契約書にサインする前に、そのことをお聞きしたいと思いまして」
「相手によって、こんなにも言葉遣いが変えられるもんかねえ」
 また良平が呟いたが、その言葉が聞こえたのか、京子は良平を怖い顔つきで睨んだ。
「無論、きみたちにはこの任務の目的を知る権利がある」
 と言ってから、元田は何食わぬ顔で少しの間考えていた。
「私はもちろん、専門はまるで違いますけれど、望月博士と言えば、RVの開発責任者だったことぐらいは存じております。望月博士を連れ帰り、あなた方は何をさせようとお考えになっていらっしゃるのですか? まさかまたあの悪魔の兵器を――」
「今泉クン――」
 元田は押しかぶせるような調子で京子の言葉を遮った。そして頬に微笑を浮かべると、
「勘繰るのは程々にしたまえ。望月博士に我々からお願いするのはつまり……、きみは帰国してまだ間もないからよく理解できていないと思うのだが――」
「何が理解できていないとおっしゃるのですか?」
「この東京地区の現状がだ。現在、RVウイルス感染発病者は、中央政府管轄区だけで十万人いる。人口のほぼ五パーセントだ。キャリアを含めると更に多い。これからこの国を再生させていくには、労働力という点で大きなダメージだ。無論それはα型で、直接死には至らない。しかし感染は拡大傾向にある」
「最初からそういう目的で造った兵器だろ、鼠算式に増え続けるっていう」
 良平が口を挟んだ。元田は相手にしないで続けた。
「しかし、望月博士の開発した解毒剤により、一旦は絶滅したと思われたRV−α型が、なぜ再びこの日本に蔓延しだしたのか? その答はともかくとして、現在、解毒剤のストックが底を突き、製造方法を知る者はこの東京に一人もいない。そうだとすれば、我々の取る道は一つだけ――開発者の望月博士を捜し出すことだ」
「わかりましたわ。それを聞いて安心しました。喜んで協力させて頂きます」
 そう言うと、京子は目の前に置いたままにしてあった契約書にサインした。
「では面接を始めさせてもらってもよろしいかな?」

 順番に別室に呼ばれて元田と直接話をするのだが、良平の順番は最後だった。元田の隣には別の男がいた。
「きみたちのチームの指揮を執る、警察の原口警視だ」
 元田が紹介したが、原口というその警官は、良平をじろりと睨んだだけだった。
「チームだって? 勝手に捜すんじゃないのか?」
「個々に捜索するより、確率としてはこのほうが高い」
「どうだか」
「実はおよその居場所の見当はつけてある」
「どこだ?」
「それは向こうに着いてから原口クンが指示する。それより、きみとは任務遂行後にも専属契約を結びたいと思っているんだが」
 元田は身を乗り出して言った。
「まだ見つかるとも決まってないものを」
「きみの場合は成否に関わらずだ」
「なんで俺が?」
「きみの知能テストの成績は極めて優秀だった」
「まぐれだろ。この次はそうはいかないさ」
「あの知能テストは、正確さとスピードを試す単純作業の知能テストとは違う。もっと高等なレベルの知能が試される」
「適当にやっただけだ」
「ふうむ。いいかね、きみの成績は警察で最も優秀なこの原口クンの成績にも勝っていた。もっとも、驚いたことに、原口クンに勝っていた者がもう一人いたのだが。H大首席なら当然かもしれないがね」
「これ、もらっていいかい?」
 良平はテーブルの上に置いてある皿から葉巻を一本取った。
「どうぞ。ところで、きみの個人ファイルには学歴などが書かれていないのだが、あるのは『世界大戦従軍』だけだ」
「人を連れ帰るのに、学歴なんかが必要なのかい?」
「そんなことはない。実力優先だ」
「まあ、専属の話は帰ってから考えるとして、こっちにも頼みがあるんだが」
「何だね? 言ってみたまえ」
 元田も葉巻を取って火を点けた。
「もう一人空母に乗せて行って欲しいんだ」
「不合格者か?」
「俺の相棒だ」
「きみの身内か?」
「相棒だ」
「なぜ連れて行く? このプロジェクトは遊びではないぞ」
「危険なことはわかってるさ。だけど俺はそいつがいないと、力を充分に発揮することができないんだ。ずっと組んできた相棒だからな」
「しかし不合格になった者を、一人だけ特例としてチームに参加させるわけにはいかんな。諦めたまえ」
 良平は黙ってズボンのポケットから札を取り出すと、テーブルの上に置いた。
「なんだねそれは、百ドルか? 無理だな」
「これだけしかないんだ」
「つまり、きみはこの私を買収しようとしているつもりか? こんなはした金でかね?」
「どう取ってくれたってあんたの勝手だが、なあ、元田さんよ、机の上でいくら優秀でも、必ずしも実践で役立つとは限らないと思うんだが。どうだい、原口さん?」
 原口は黙っていたが、みるみる顔面に怒気を漲らせた。
「要はそいつのやり慣れたやり方でやることなんじゃないかな」
「それがきみの全財産かね?」
 元田が言うと、隣の原口が黙ったままニヤッと笑みを浮かべた。良平は、こいつは嫌な奴がついて来るな、と思った。原口は敵にこそなれ、決して味方にはならないだろうと。
「これが俺の全財産さ。全財産を投げ出してお願いしてるんだぜ」
 元田は笑い出した。
「よろしい。きみの勝ちだ。一人ぐらい何とかしよう。それは引っ込めたまえ。しかしきみほどの優秀な人間が、実に惨めなものだね」
 良平は煙をゆっくりと吐き出した。
「自分を優秀だと思ったことも、惨めだと思ったことも、一度もないがね」
「で、きみの相棒とやらはどこにいる? まだここに残っているのかね?」
「ホールで待たせてある」
「既に計算に入れてあったというわけか。きみは全くしたたかな男だ。すぐに呼んで来たまえ。契約書にサインして、明日出発だ。しかし誤解しないでくれたまえ。これはきみの成績に免じて、私の一存で取った措置だ」
「お世辞にしろ本気にしろ、そんなに褒められちゃ、プレッシャーがかかって困る」
「ここで食事して行きたまえ、きみの相棒も一緒に。何ならここには宿舎もあるから、今日はここに泊まるといい。部屋を用意させよう。百ドルくらい持っててもどうにもなるまい。期待してるよ、時仲クン」
 良平は返事もせずに、葉巻を五、六本つかんで部屋から出ると、大ホールで待っている万吉を呼びに行った。
「一癖も二癖もある輩ばかりだ。特にあの時仲良平というのは扱いにくいぞ」
 良平が出て行くと、元田が原口に向かって警告するように言った。
「お任せ下さい、閣下。あの手の連中の扱いには慣れています」
 原口は自信ありげに笑みを浮かべてみせた。

 翌日は射撃訓練などを行なったが、夕方には米軍の空母に乗せられ、装備を渡された。
「明日の未明には上陸作戦に入る。それまでにトランスポーターの使用法を説明しておく。これを出して左手首に装着してくれ」
 原口が全員を集めて説明を始めた。
「あのお、右手に着けちゃ駄目なのか?」
 万吉が腕時計状の送信機、トランスポーターを片手で掲げて原口に訊いた。原口はキッと目を剥いて万吉に視線を向けると、
「なんだ、おまけか」
「お、おまけだと!」
 カッとなりかけた万吉に、良平は黙ってろと言うように目顔で合図した。
「なぜそんな質問をする? その質問に何か意味があるのか?」
 原口は脅すような口調で言った。
「こいつは左利きなんだよ」
 良平が言うと、口笛がヒュウと鳴った。
「誰だ、口笛を鳴らした奴は!」
 原口が怒鳴った。あのいつも口笛を鳴らしていた男が片手を振り、もう一度口笛を吹いてみせた。
「誰が鳴らせと言った? 不謹慎だぞ! 真面目にやれ!」
「誰も鳴らせなんて言っちゃいないさ。俺はいつでも自分から鳴らすんだ。自由意志だ」
「何っ、口答えしおって!」
 原口は本気で怒り始めた。
「原口さん、早くトランスポーターの使用法を説明して下さいませんか。あと六時間ほどで上陸です。これの使い方も覚えなければなりませんし、正直言って、睡眠時間だって欲しいんです」
 京子が言うと、
「わかった。では取り扱いについて説明するから、よく聴いておけ」
 原口は説明し始めたが、途中で、
「おい、時仲、おまえはなぜトランスポーターを出さない? 私は出せと言ったはずだ」
 良平に向かって食ってかかった。
「そいつの使い方は知ってるし、もう眠いんで、この辺で寝ませてもらうよ」
 良平はそう言うと、立ち上がって寝室に行こうとした。
「ま、待てっ!」
 原口の顔面にはみるみる怒気が漲った。
「何だい? まだ何か俺に用があるのか、刑事さん?」
「貴様! 協調性に欠ける奴め!」
「協調性のある奴がお望みなら、最初からそういう奴を雇っとくべきだったな。俺は金とだけ協調することにしてるんだ、五十万ドルとだけな。あんたと仲良しになりに来たんじゃない」
「何だと!」
「夜遊びはもうよそうぜ」
「なっ、なにっ!」
 メンバーたちが笑い声を上げた。
「それなら今ここでこれを使ってみせろ」
「あんたのでいいのかい?」
「構わん。さあ、やってみせてもらおうか」
「貸しなよ」
 良平は原口の手からトランスポーターを引ったくると、しばらくカチャカチャとボタンを押していた。
「さあ、済んだぜ」
 そう言って原口の手に返すと、また歩いて行こうとした。
「待て。まだ済んではいない。正確に送信できたか確認しなければならない」
「どうやって確認するんだ?」
 万吉が間の抜けた声を出した。
「さあね、刑事さんに訊いてみな」
「もうすぐ返事が来る。一言言っておくが、私のことを刑事、刑事と呼ぶな。私は警視だ」
 すると、すぐにインターホンから声が流れてきた。
「ハラグチケイシ、トウキョウチュウオウセイフ、コクボウショウ、モトダジムジカンカラ、デンワデス」
「こちらに繋いで下さい」
 すぐにスピーカーから元田の声が流れてきた。
「原口警視、こんな時間に私宛にくだらないメッセージを送信してきて、これはジョークのつもりかね?」
「とんでもありません。只今送信訓練の最中でして」
「だったらなぜ国防省へ送らずに、私のプライベート・ボックスに送ってきたのだ?」
「そんな……。き、きっさまぁ! チャンネルを変えたな!」
 原口は良平に向かって怒鳴った。
「そうかい。9チャンネルは元田国防事務次官殿への直通チャンネルだとさ。みんな覚えとけよ」
 良平はうそぶいてみせた。
「このメッセージは何だね? 私はこれをアホなジョークと取ればいいのかね、それともこの緊急発信コードに従うべきなのかね?」
「と、おっしゃいますと?」
「ふん、じゃあ読んでやろう。『キンキュウ ミョウチョウ 06 : 00 カツドン 9ニンマエ オオサカニ デマエセヨ』カツ丼だけでいいかね、原口クン? みそ汁もつけようか?」
 メンバーたちがどっと笑い声を上げた。
「い、いえ、これは私がしたことではなく、つまり――」
「きみのトランスポーターから発信されている。緊急チャンネルを何だと思ってるんだ。私は忙しいんだ!」
 元田は電話を切ってしまった。原口は鬼のような形相になって良平に詰め寄った。
「貴様、どういう料簡でこんなふざけた文句を送信したんだ!」
「カツ丼の味が忘れられなくて、ついつい」
 またメンバーたちがどっと笑った。
「貴様ぁ、もう許さん!」
「刑事さんよ、人の顔に向かって臭い息吐いて貴重な睡眠時間を潰すのはもうよそうぜ。あんたの要領の悪い説明に代わって、俺がみんなに説明してやるよ。だけどその前に言っとくと、説明が必要なのは、そのエリートの姉ちゃんと、このアホなガキだけだ。残り五人のメンバーは中東帰りで、みんな使い方は知ってるぜ。だろ?」
「それじゃあやってみろ、要領良くな」
「要するにこいつは昔のモールス信号だ。知らなければ表に照らし合わせて打てばいい。最後に送信ボタンを押す。それが軍事衛星を通して、チャンネルで合わせた特定の受信機に送られる。同時に所在地も知れるから、打電に自信がなければ、9チャンネルが緊急用だそうだから、ダイヤルを9に合わせ、緊急発信ボタンだけ押すといい。それで救助に来てくれるんだよな、刑事さん?」
「そ、そうだ」
「じゃ、本日はこれにて終了。おやすみ、刑事さん」
「刑事と呼ぶなと言っただろ。警視だ!」
「どっちでもいいじゃねえか」
 良平はさっさとミーティング室から出て行った。他の連中も素早く荷をまとめて出て行く。原口はしかめっ面をしてしばらくじっとしていた。
「奴め、許さん……。必ず思い知らせてやる」
 喉の奥から血を吐くように、恨みの言葉を絞り出した。

 短時間の仮眠のあと、良平たちはインターホンから迸り出る原口のヒステリックな声に起こされた。
「食事を含めて三十分。三十分後には後甲板に集合しろ! 遅れた者には罰を与える!」
 食堂で早い朝食を始めると、京子が良平の隣に来て座った。
「俺は痴漢の親玉だけど、隣に座って大丈夫なんですか、お嬢さん?」
 良平は食事しながら、京子の方も見ずに言った。
「よしてよ。あれは私の誤解だったわ。あなたを誤解してたことは謝るわ」
「別にいい。大して違わないし。で、俺に何か用か? まさか、今度は俺に興味を持ったってわけじゃあないだろうな?」
「うふ、興味を持ったって言えば、確かにそうかもしれないわね。でも今はあなたに忠告に来たのよ」
「なんだ、俺に惚れたんじゃないのか」
「残念でした」
「お説教だったら早めに切り上げてくれ。めしが不味くなる」
「ふふ、じゃあ、簡単に言うわね」
 京子は微笑を浮かべながら、良平に並んで食事を始めた。
「あなた、どうしてチーフに突っかかろうとするの?」
「チーフって誰だ?」
「原口さんよ。二人が険悪なムードなのはみんな感じてるわ。少しは仲良くしたら?」
 良平はしばらくもぐもぐと頬張ったあと、
「そりゃ無理な相談だ」
「どうして?」
「俺から突っかかってくんじゃなくて、あいつが俺のことを嫌ってるのさ」
「あなたの方はどうなの?」
「好きなタイプじゃないね」
「確かに、みんなあの人のことを良く思ってはいないみたいね。でも、原口さんは名目上は私たちの上官なんだから、少しはあの人の顔も立ててあげないと」
「あんたは立派な大人だよ」
「そう言うあなたはどうなの? 大人じゃないの?」
「俺はそこまで大人にはなれない。嫌いなものは嫌い。好きなものは好き」
「まるで子供じゃない」
「そう、子供さ」
 京子は声を立てて笑った。万吉たちが珍しい物でも見るように二人に注目した。
「でもこのままだと、この作戦は巧く行かなくなってしまうような気がするのよ。嫌な予感がするの。みんな暗にあなたの方に味方してるわ。暗黙の了解として、あなたをリーダーとして立てているのよ」
「迷惑だね」
「でも仕方ないわ。事実そうなんだから。私だって、正直言って、このチームを引っ張って行けるのは、あなたしかいないと思ってるのよ。原口さんには悪いけど、力不足よ」
「迷惑だって言ってるだろ」
「聴いてよ。あの人にも指揮官としての見栄ってものがあるから、だからああいう物言いになってしまうんだと思うわ。そのことはわかってあげないと」
「知らないね」
「あなたを恐れてるのよ、ライバルとして」
「そいつも大きな迷惑だ」
「ねえ、聴いてよ」
「さっきからずっと聴いてるだろ」
「このままだとチームはバラバラになってしまって、任務は失敗に終わってしまう危険性大よ」
「なかなか鋭い読みだな。俺もあんたを見直したよ。確かにこのチームは分裂するだろう、それももうすぐ」
「あなたはそれを望んでるの? まるでそんな口ぶりよ」
「俺はどっちでもいい。知ったことか」
 良平はフォークを置いた。
「ひどいこと言うわね」
「じゃあ、俺からもあんたに忠告しといてやるよ」
「何よ?」
 京子もナイフとフォークを置き、良平の方に向き直った。
「大阪に着いたらすぐにトランスポーターのスイッチを入れ、緊急発信ボタンを押し続けるんだ。それくらいならできるだろ」
「それはどういう意味よ」
「俺ははなからこんな試みが成功するなんて思っちゃいない。さっさと東京に引き返した方がお利口だ」
「だったらなぜあなたはここまでついて来たの? 失敗するって思っていながら」
「じゃあな、お嬢さん。急いだ方がいいぜ。チーフに怒鳴られる」
 良平は食器を持って立ち上がった。
「他ならぬあんたの頼みだ、大阪に上陸するまではあいつの言いなりになってやるよ」
 良平はもう一度振り返ってそう言うと、食器を返しに行ってしまった。

 後甲板には輸送ヘリが待機していた。望月博士捜索チームのメンバーたちは、荷物を担いで次々にヘリに乗り込んだ。全員乗り込むと、ヘリが上昇を始めた。
「約十分で降下ポイントに到着する。それまでにこれを飲んでおけ」
 原口はそう言うと、小さな瓶入りの茶色い液体を全員に配った。
「何だ、こりゃ?」
 万吉が大声を上げた。
「RVウイルスの予防薬だ」
「政府にしちゃ、珍しく気が利くな」
 良平が皮肉っぽく言った。それを聞いて、京子が怖い顔をして良平を睨んだ。
「わかったよ」
 全員キャップを外して液体を一息に飲み干した。それをじっと見ていた原口がニヤッと笑った。
「不味くもねえけど、美味いってわけでもねえな」
 万吉はそう言って、空き瓶を外に放り投げた。
「ところで刑事さん、あんたは薬を飲まないのかい?」
 良平が訊くと、原口はまたニヤッとして、
「私は既に予防接種を受けてきたから、その必要はない」
「へえ、準備万端怠りなしってわけかい」
 そうこうするうちに、早くもヘリは降下を始めた。
「ちゃんと救命胴衣は着けてるか。これより降下を開始する」
「まさか、海に降りるとでも?」
「この涼しいのに、泳げってえのかい」
「陸地に接近するのは危険だ。この下には関西国際空港の滑走路が沈んでいる。満潮でなければ足が着くはずだ。そこから橋伝いに上陸する。準備完了したら、順番に海に飛び込め」
「せめて海の上に出てる場所に降ろしてくれないかな。例えばターミナルの建物とかあるだろ?」
「ターミナル跡は危険だということだ。つべこべ言わずに飛び込め!」
 メンバーたちは次々にヘリから海へと飛び込んだ。確かに海底に足が着いた。ところが波が寄せて来ると、足が着かなくなる。
「橋まで前進」
 望月博士捜索隊は水をかき分け、向こうに黒々とかすかに見て取れる橋らしき物に向かって進み始めた。ヘリがまた上昇を始めた。海面に湧き上がる飛沫を防ごうと、良平は両手を顔の前に翳した。
 ヘリは上空で旋回して、再び南へ向かって帰って行く。その時、空港ターミナルの廃墟と思われる黒い大きな影から、シュウッという音がしたかと思うと、途端に夜空を紅い閃光が猛烈な勢いで走り、たった今まで彼らが乗っていた輸送ヘリが爆発した。見る間にヘリの残骸がバラバラと落下し、炎を上げながら暗い波間に溶けていった。メンバーたちは寄せ来る黒い波に揉まれながら、しばらく唖然としていた。
「あれは何だ?」
 やっとのことで良平が口を開き、原口に尋ねた。
「わ、わからん。ターミナル跡が危険だとしか聞いていない。俺にはわからん」
 全員が、自分たちの置かれている立場がどれほど危険なものなのかということを、朧ろげながら初めて実感した。
「どっちにしたって橋まで行くしかない。行くぞ」
 良平がそう言うと、ようやく全員が我に返って再び泳ぎだした。橋は所々で崩れたり、傾いたりしていて、楽には進めなかった。
「これじゃあ、泳いだ方が早い。泳ぐぞ」
 良平が再び海に入ろうとすると、やっとショックから我を取り戻していた原口がカッとなってわめいた。
「指揮官はこの私だ。貴様、勝手な行動は許さんぞ。この任務は綿密な作戦計画に基づいて進行していくことになっているのだ。それをぶち壊す気か! 橋に戻れ!」
 良平は原口を無視してそのまま海に入ると、一人で橋伝いに泳ぎ始めた。万吉はもちろん良平のあとを追ったが、他のメンバーたちも続いて海に入った。
「チーフ、ここは時仲さんの言う通り、泳いだ方が早そうです。橋のダメージが大きすぎます。ここで手こずっていて、万一ターミナルにいる何者かに気づかれたら大変です。行きましょう」
 そう言うと、京子も素早く海に入って泳ぎ始めた。原口は苦い顔をしていたが、ターミナルの方を振り返ってから、
「仕方ない、今回だけはおまえたちのわがままを聞いてやることにする」
 そう強がりを言うと、自分もさっさと海に入って泳ぎ始めた。

 陸地に辿り着いた頃には、空が明るくなりかけていた。
「全員いるか?」
「いる」
「では前進」
「一体どっちへ進むんだい?」
「北だ」
「原口チーフ、博士はどこにいるのか、もう教えてくれてもいいでしょう?」
 京子が言うと、原口はしばらく考えていたが、やがて口を開いた。
「シティだ」
「シティと言うと?」
「旧大阪市内だ。そこに人口が集中している。博士も恐らくそこだ」
「そこのどこかは――」
「それ以上はわからん。シティを隈なく捜すのだ」
「それだけですか?」
「それじゃあ、ここでお別れだ。あばよ、みんな」
 支度が調うと、急に良平が言い出したので、全員が驚いてしまった。
「何だと? 個人行動は許さんと最初から言っておいただろう、忘れたのか! 我々は一つのチームだ」
「知ったことか」
「貴様っ! 今度という今度は許さんぞ!」
 原口は拳銃をホルダーから引き抜こうとした。だがそれより早く、後ろにいた万吉が棒切れを拾い上げ、原口の後頭部をガツンとやった。原口はうっと呻いて前のめりに倒れた。万吉は倒れている原口の手から拳銃を奪い取った。それを原口の頭に突きつけ、
「アニキ、殺っちまおうか」
 良平はうつ伏せに倒れている原口を見下ろした。
「ほっとけ。ゴミ屑だ」
「そんじゃあ、こいつの持ち物だけ頂いとこう。いい元手になるぜ」
 万吉は原口のポケットの中を探った。
「分厚い財布を持ってやがった」
「食糧と武器ももらっとけ」
「そんなに持ってくのは重いよ」
「文句言うな」
「待ってよ」
 京子がたまりかねて口を開いた。
「こんなことして、一体どうする気?」
「ここでお別れだ」
「単独で博士を見つけて、賞金を独り占めしようってつもりなの?」
 良平は笑った。
「俺は初めから望月なんか捜す気はない。見つかるとも思っちゃいない。あんたたちが捜せばいいだろ、気の済むまでな」
「見損なったわ! あなたは痴漢の親玉どころか、ただの強盗だったのね!」
 京子は激しい口調で良平を罵ったが、良平は笑みを浮かべたまま、
「そうさ、ただの強盗さ」
 それだけ言うと、京子に背を向けて歩き出した。
「万吉、行くぞ」
 万吉は原口の荷物をつかみ、良平のあとに続いた。
「時仲さん、どこへ行くつもりだ? 五十万ドルは? 諦めるのか?」
 メンバーの一人が後ろから声をかけた。
「そんな物は最初から当てにしてない」
「どこへ行く気だ? これからどうする?」
「西かな。大陸にでも渡るか」
「あんたは無茶だな」
「最後に行き着く所はたぶん、世界一豊かなオーストラリアか、この地上に残った最後の楽園、ニュージーランドだろうな」
 良平は振り返りもせずに、歩きながらそう答えた。
「これはほんとだぜ」
「卑怯者!」
 京子が悔しそうに叫んだ。
「あっはっはっ、卑怯者で結構。はっはっはっ」
「待て」
 その時、倒れていた原口が顔を上げて良平を呼び止めた。原口の声を耳にして、良平は振り返った。
「もう気がつきやがったのか。おとなしく眠ってりゃあ、命だけは助かったものを」
 万吉はそう言うと、拳銃を取り出そうとした。
「おまえたちは、ヘリの中でウイルスの感染予防薬を飲んだことを覚えてるか?」
 原口は起き上がりもしないで言った。
「それがどうした」
「反吐が出そうに不味い物飲ませてくれたな。お礼にこうしてやるぜ」
 万吉は唾を吐くと、銃口を原口の方に向けた。原口はニタッと笑った。良平は原口のその笑いを見るやハッとして、原口に駆け寄ると、胸ぐらをつかんで引きずり起こした。
「てめえ、何飲ませやがった?」
「くっくっくっくっ」
 原口は不気味に笑い続けた。
「言え!」
「このまま行きたければ行くがいい、オーストラリアへでも、ニュージーランドへでも。止めはせん。くっくっくっくっ」
「あれは何だったんだって訊いてるんだ!」
 原口をつかんだ良平の両手に力が籠もった。
「RVウイルスについての知識はあるか?」
「RV……? まさか……」
 他のメンバーたちも気づいて、たちまち表情がこわばった。
「その、まさかさ。RVウイルスの予防薬などこの世に存在しない。おまえたちが飲んだ薬というのは――」
「ヤロー!」
 メンバーの一人が頭に来て、拳銃を抜いて原口に向けた。
「やめろ」
 良平はそいつを止めた。
「何なんだ? あれは何なんだ、言え!」
「RVには三種類あって、α型――現在東京に蔓延しているあれだ。潜伏期間三十日前後で発病。皮膚が爛れ、やがて指や鼻がもげ落ちる。他に体の一部、または全部が肥大したりする兆候を示す者もいる。しかしこのα型によって死に至ることはない。但し、食物、器物、汚物、性行為、小動物など、あらゆるものを媒体として伝染する。
 二つ目はβ型――これはα型のように伝染はしない。二十日から四十日と、潜伏期間には個人差があるが、もちろんその間、何の自覚症状も見られない。が、発病と同時に感染者には突然死が待っている。言わば遅効性の猛毒のようなものだ。
 そして最後のγ型――開発者の望月源治その人の名を、悪魔の代名詞として世界中に知らしめた代物だ。大気中に撒き散らされたが最後、あらゆる有機物を養分として急速に自己複製を繰り返し始める。宿主は生きたまま腐食し、数秒でその者の命を奪い、自らも自滅してしまう場合もあるが、共存する場合もある。遺伝子を取り込み、急速に組み替えを行ない、個体を全く別の者に変えてしまう。このγ型RVウイルスが、生物の致命的でない部分のみを養分とした場合、その感染者は急速に別の生命体へと変異して、生き残る可能性がある。つまり――」
「ミュータントの誕生ね」
 京子があとを受けて言った。
「その通り」
「それで? 俺が聴きたいのはそんなことじゃない。どれを飲ませやがった?」
 良平は力を込めて原口の喉を絞め上げた。
「くっくっくっくっ、γ型でないことは確かだな。α型か、それともβ型か? くっくっくっ、当ててみろ」
「畜生、ふざけやがって!」
 良平は原口を無理やり立ち上がらせると、その顔面にパンチを食らわした。原口はすっ飛んで、今度は仰向けに倒れた。
「知っての通り、解毒剤を造れるのは望月博士ただ一人だ。貴様らは嫌でも望月の所へ行かねばならんのだ、死にたくなければな。ああっはっはっはぁ」
 原口はさも嬉しそうに笑った。
「どっちなんだ、αか? βか?」
 他のメンバーたちも詰め寄った。
「はっはっはぁ、まんまと俺に騙されてウイルスを飲みやがった、美味そうによ。机上の成績は役に立たんだと? それならおまえの実践論は役に立ったとでも言うのか?」
 原口は勝ち誇ったように、良平の顔を見ながら嘲りの笑い声を上げた。
「ちくしょー、くだらねえこと根に持ちやがって、この下司役人め!」
 良平はまた原口をつかみ上げて殴り倒した。その眼は殺気に満ちていた。原口はそれを感じ取ったのか、少しばかりうろたえた。
「お、俺を殺せるのか? 俺を殺せば助かる可能性はゼロになるぞ。殺れよ、殺ってみろ。それができないのなら、俺の命令に従って望月を捜すことだ」
 原口は唇の血を拭いながら、ゆっくり立ち上がった。良平は歯ぎしりをして立ちすくんだままでいた。その時、
「俺が殺ってやるぜ、刑事さんよ!」
 突然叫び声がして、銃声が響いた。原口はまた仰向けに倒れた。今度は倒れたまま起き上がらなかった。良平は近寄って原口の喉元に手を当ててみた。眉間を撃ち抜かれていて、目を開けたままピクリとも動かない。
「死んだ」
 良平が振り返って言った。そこには口笛男が拳銃を手にして突っ立っていた。
「何てことしてくれたんだ、ジョウ!」
 メンバーたちが口笛男に食ってかかった。
「まだこいつからαかβか聞き出してねえってのによお!」
 一人がジョウの胸ぐらをつかんで激しく揺すった。
「もう聞き出したぜ」
 良平が立ち上がって言った。
「聞き出したって、こいつがそんなこといつ喋ったんだよ?」
「β型よ」
 京子が断言するかのように言った。
「な、なんでわかる?」
「この野郎は言った――『死にたくなかったら』とな。β型だ」
 良平が先に答えた。京子も頷いて、
「それに、自分に伝染する危険まで冒して、身近にいる私たちにα型を飲ませようとしたとは考えられないわ。でもわかったことは、私たちは二十日から四十日で死ぬ――たったそれだけのことよ。なぜ殺したの?」
 京子は背の高いジョウの真ん前に立つと、きつい眼差しでジョウを見上げた。
「この野郎、虫が好かなかった。いつか殺ってやろうって思ってた」
 ジョウは腑抜けたようになって言った。
「虫が好かなかったですって? なんて馬鹿よ! 博士の居所が聞き出せなくなったじゃないの!」
 京子は怒鳴りながら、ジョウの服を引っ張って激しく揺さぶった。
「やめるんだ」
 良平が京子の腕をつかんだ。
「今更言ったって始まらねえ」
「なあ、あれで緊急メッセージを打とうぜ。助けに来てもらおうや」
 メンバーの一人の山口が言った。
「あっちへ帰ったって治せねえんだ。望月を見つけるしかない。ガキでもわかる、わかりきったことだ。行くぞ」
 良平は荷物を拾い上げて背負った。
「行くって、どこへ?」
 万吉がおたおたして訊いた。
「決まってるだろ。大阪シティだ」
「オーストラリアはどうなるんだよ!」
「おまえバカか? 今はオーストラリアどころじゃねえだろが」
「ふん、勝手ね。さっきまでは私たちを見捨てて行こうとしてたくせに」
 京子が恨めしそうに言った。
「何とでも言え。俺は意味のないことはしない主義なんだ。今はあんたと言い争ってる暇はないんだよ」
「こいつは出任せ言ってたのかもしれないぞ。ただの栄養剤か何かを飲ませてさ」
 ジョウが言った。自分が衝動的に犯してしまった過ちに気づき、弁解せずにはいられなくなったようだ。
「そうさ。その可能性だってあるだろ? 俺なんか何ともねえぜ。みんなだってぴんぴんしてるじゃねえかよ」
 万吉はジョウの肩を持った。もっとも、彼は楽観的な見方を支持したいだけなのだろうが。良平は立ち止まり、ふと考えた。殺される前の原口の様子を思い出してみてから、
「百パーセント飲まされたに違いない」
 そう結論した。
「原口のあの鬼の首を取ったように勝ち誇った様子、あれは本物だ。そいつは芝居を打てるような柄じゃない」
「だけどこの野郎が言ってたウイルスの能書きなんて、ほんとか嘘かわかりゃしねえよ。俺たちを脅して従えようっていうだけの単純な脅し文句だったんだぜ、きっと」
「チーフが言ってたことは本当よ」
 京子がすかさず言った。良平があとを受けて、
「RV−βってえのはな、感染しても全く何の兆候も顕れないんだ。ウイルスに冒されてるってことに全く気づかない。手の施しようがないうちに、突然ぽっくりいっちまう。そういう目的で造られた、人工のウイルス兵器なのさ。わかったかい? 赤坂、町田、おまえたちは大戦の時シリア砂漠で見ただろう、γ型の威力を」
「見た。だから、良さん、俺たちはあんたに誘われるままに敵前逃亡をやってのけた。恐ろしかった……」
 メンバーの一人の赤坂が言うと、もう一人の町田も血の気の失せた顔になって頷いた。
「今度は俺たちが直接恐怖を味わわされる番だ。いつ死ぬか、二十日後か? 二十一日後か? それとも二十二日後? それを知る時は死ぬ瞬間だ。知らぬが仏って言うが、俺たちはもう知ってしまった。β型はγ型よりもっと恐ろしいのかもしれないな。いつ死ぬかわからない。今こうやって喋ってて、終わらないうちにバッタリ倒れてるかもしれない。忘れようったって、この恐怖は忘れられるもんじゃない。狂い死にするかもな」
 良平の言葉を聞き、みんな震え上がった。誰も声が出せないでいる。
「だから答は一つ、今すぐ出発だ」
 みんな急いで荷物を背負い直すと、一人で先を行く良平のあとを追った。






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