プ ロ ロ ー グ
二十一世紀初頭に始まった第五次中東戦争は、欧米先進諸国の干渉するところとなり、世界各地の内戦、及び宗教紛争とも結びつくと、やがて第三次世界大戦へと発展していった。この戦争に於ける勝者は、武器産業以外の何者でもなかった。しかし、新世紀の幕開けと共に地球に訪れて来た物は、この大戦で使用された夥しい武器弾薬、果ては核兵器に至るまでの総量を遙かに上回る破壊力を持っていた――小惑星がこの地球に衝突したのだ。各地で大規模な天変地異が相次ぎ、塵埃と放射能とが空一面を覆い尽くし、数種のウイルスが地上に蔓延した。
新世紀は『荒廃』、もしくは『不毛』という見出しで始まる。世界大戦どころではなかった。何人も『飢え』を避け得ることはできなかった。生存者たちの頭の中に共通して常に存在する言葉――それは、『動く物は食え!』という語句だった。
時代は瞬時にして原始へと立ち返った。歴史は常に進歩し、人類はどこまでも発展し続けるという、前世紀までの楽観的すぎる安易な通念は、何の根拠も持たない妄想だったとはっきりした。だが、今さらそのことを理解したからとて何になろう?
しかし原始へと立ち返ったのはこの大地のみで、人類は初めて進化した――放射能と新種のウイルスによって動植物の遺伝子が変化し、大気中に散らばった化学兵器と細菌兵器の混合と不測の相互影響により、あらゆる突然変異体(ミュータント)が生まれた。表面変異体(サーフィス・ミュータント)ばかりでなく、脳が人間のものとは別のものに変化した内面変異体(インナー・ミュータント)も出現した――それが『進化』と呼べるならばだが……。
滅亡すべき運命にあるはずだった人類は滅亡しなかった。代わりに生存者たちはミュータントたちと共に、死にも勝る苦しみの地獄を生きてゆかねばならなくなったのだ。神は我々に救いの手を差し延べることを忘れていたようだ――苦しみから解放するために、『死』を与えるという救済を――忘れていたようだ。生き残ったということは即ち、生き地獄へと墜とされること、あるいは新時代模索のための生贄とされることなのか?
前時代の価値観は綺麗さっぱり消え去った。『平和』などという建前を振り翳していては、もはや生きてはゆけない。支配する者となるか、支配される者となるか、勝つか負けるか、食うか食われるか、生きるか死ぬか、選択肢は二つに一つ。不毛の荒野と前時代の遺物の奪い合いだけがそこにあった。
しかし人間の習性というものは進化しないものなのだろうか? やがて強者が弱者を支配することが始まった。良く言えば、再び秩序ある世界へと戻ろうとし始めたのだが……。所詮は前時代を手本として、人類は人間世界の構築から破壊への過程を、生成から滅びへの道を、再び歩き始めたに過ぎない。因果は巡り、人間は己れの業を繰り返すだけの、車輪の上にしがみついているだけの生き物なのだろうか?
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